申 年 |
「サル」を「去る」と解釈して、申年に結婚が少なかった時代もあったそうですが、35年ほど前の「丙午(ヒノエウマ)」の年に出産が少なかったことから考えると、迷信も生きているようで、さて、来年は・・・。 |
申は猿と解釈されますが、万葉集では「猿」を「マシ」「マシラ」と読み、「マス」「エテ(得手?)公」「モウシ」「山の人」等とも言ったそうです。尚、オランウータンは「森の人」と言う意味です。 |
「猿」は、哺乳類・霊長目のなかで、ヒトを除いた部分に対する一般的呼称。原猿類と真猿類とに大別されます。原猿類は、メガネ猿やキツネ猿などの下等な仲間。真猿類は、オマキザル類・オナガザル類・ヒトニザル類に三分類され、ヒトは、最後のグループに含まれ、分類学上は一科をなしています。 |
サルは、約6500万年前に食虫目(もぐら等)から分岐し、樹上生活へ高度に適応したことにより進化したと考えられています。サルは10科あり、霊長目はヒトを加えて11科になります。 |
サルの社会は、ボスが居て群れを作る、ニホンザルは数百頭の群れもあり、木登りが上手で手先が器用、木の葉、樹皮、魚、小動物を食べる雑食性。オランウータン、ゴリラ、チンパンジー等の高等なものは巣を作る。 |
サルの仲間で、体重が80cのコガタキツネザルと200`を越すゴリラとは2500倍の体重差がある。 |
サルは、人間に近い為、小児麻痺や大脳生理学等の医学の発展の実験用として犠牲になることも多い。 |
人間は猿から進化したと考えられ、高等な猿の人間と似ている部分は、顔に毛が少なく、目が顔の両側から前面に移り、立体で物を見られる。手の親指と他の4本の指が対向しており物を掴むのに便利。鉤爪から平爪に変化して、指紋と掌紋が発達している。二本足で立てる。道具が使えて知能レベルも高いなどがあります。 |
太古の人たちは猿を食料として捕獲したり、愛玩用として育てた痕跡も多いそうですが、北京原人は、仲間の大腿骨の骨髄をすすり脳みそも食べたようで、食人を日常的に行っていたそうです。 |
猿のお話 |
干支や伝承には洒落が多く、サルでも、「着飾る」となれば、私たちの商売にも大いに関係が有るような。 |
庚申様の信仰の「三猿塔(庚申塔)」見ざる、言わざる、聞かざる、のサルの語呂合わせは「民は知らしむべからず」であり「政治やしくみに余計な意見を言うな・・」の封建社会のご都合も見え隠れしているそうです。 |
豊臣秀吉が、織田信長から「サルサル」と呼ばれたのは馬鹿にした意味があったのでしょうし、サルには、猿知恵 猿まね 猿面冠者などと蔑まれた言い方をする場合が多く、ご先祖様に対して失礼ですよねぇ。 |
「地球は丸い」とか「地動説」を最初に発表した学者たちが迫害された様に、「人間は猿類から進化した」と発表した、チャールズ・ダーウィンは、「人間は、神の姿に似せて神が造り給うた生物である」と説くキリスト教の教義と違うために大論争を繰り広げたそうですから愉快です。 |
『猿蟹合戦』猿が柿の種を、蟹は握り飯を拾いお互いに交換し、蟹が育てた柿に実が成ったので猿に取って欲しいと頼むが、猿は青い実を蟹にぶつけて殺す。蟹の子供が栗や蜂と臼などの協力を得て敵を討つ話しです。 |
『猿飛佐助』明治44年、1911年頃から、大阪の講釈師、玉秀斎のグループが、西遊記の孫悟空からヒントを得て立川文庫の講談本で有名になりました。実在のモデルとしては、戦国時代の甲賀流の書物に佐助の名前があるそうですが、伝説上の人物とも言われ伝記は不明。大阪夏の陣で戦死したのは2代目との説もあります。 |
『猿の生胆』竜宮の乙姫が重病になり、猿の生胆を食べれば治るという。亀が王の命令を受け、猿を騙して連れてくるが、クラゲが生胆を取ると話した為に猿が逃げ、責任を取らされたクラゲは骨を抜かれる。 |
『猿楽(サルガク)』奈良時代に中国から渡来、唐の芸能の「散楽」が日本風になまったと考えられ、平安から鎌倉時代に栄えた能、歌舞伎の真似のほかに、曲芸・軽業、奇術や魔法に物まねなども演じる幅の広い芸能。 |
『猿回し』猿に芸をさせて金銭を得る大道芸。12世紀頃から、猿舞、猿飼、猿引き、猿曳、猿太夫などと呼び、中国には、猿が馬の病気を治すという信仰があって、馬小屋に猿を置いたり猿回しをしたのは、馬の大人しい性格を猿の賑やかな雰囲気で解きほぐす効果があり、猿が来ると馬が元気になったそうです。 |
『猿の腰掛(サルノコシカケ』担子菌類で4科に分けられる。立ち木または枯れ木に生え、年々成長を続けて数十年を経過すれば、径1bを超し、厚さ数十aの巨大な物もあり、食料や薬用や細工用にもなります。 |