平成14年3月19日
気 遣 い
  何が難しいといって、人間関係ほど難しいものはありません。その影響でしょうか、最近の若者は、人間関係を面倒と考えて他人と話すことを避ける傾向があります。
  近所の商店で買い物をすると、「お母さんは、お元気・・?」などと話しかけられるのが嫌で、買い物を避ける人が多いのは悲しい風潮ですねぇ。それで、話しをしなくても買えるコンビニが繁盛するわけです。
  星の数ほどコンビニが増えていますが、流行るお店と駄目な店があるのはご存知の通りです。私の家から300mほどの所にコンビニが有りますが、私たちはそのお店を滅多に利用しません。
  たまにしか利用しない理由は、そのお店に魅力が無いからですが、品揃えや店作りが不満ではなくて、そこで働いている店員達の雰囲気が嫌で行く気にならないからです。
  そういっては何ですが、暗闇から牛を引き釣り出したように陰気なイメージの店員ばかりを揃えた為に、店内全体に何となく暗い雰囲気が漂い活気が無いのです。
  まず、「いらっしゃいませ・・」の言葉を言うのに、あまりにも声が小さすぎますし、『挨拶は、主人が決めたことだから・・』と横を見ながら面倒くさそうに言うのも気になります。
  そして、品物を棚に揃える作業も、手際が悪いうえに乱暴であり、髪がぼさぼさで肩にはフケまで沢山付いているのですから、食べ物を扱う職業として不潔も気になります。
  もう一つ、レジに行って清算するときに、お釣り銭の渡し方が酷すぎる。小銭を私の手のひらに投げるようにするのですから情けないじゃーありませんか。
  それでも、一軒のお店があれば、何がしかの良いところは見つけたいのは私の性格ですから、必死に探したら、そのお店で一番良いことは、お客さんが少ないためにレジが空いていることでした。
静かに!
  私の先輩が病気で入院いたしました。先輩は『自分はイビキが酷いし、手術後の痛みで大きな声でも出したら皆さんに申し訳ない』と病院の個室に入ったのです。
  病院は部屋代で儲かっているような部分もあり、個室はホテルよりも高額なのですが、それでも余裕のある人ですからそれは気にならないようです。
  先輩は大手術でしたから、私がお見舞いに行ったときも、手術後のキズが痛むようで声も低いですし、私もショックを与えないように静かに話しておりました。
  私が見舞いに行ってから少ししたら、看護婦さんが部屋に入ってきました。そして、点滴の交換などの一通りの作業を終えた看護婦さんは、ドアーを開けて外に出てそのままノブを離したのです。
  病院のドアーには自動的に閉まる器具が付いておりますが、少し古い建物のために開けっ放しのドアーが閉まるときに、『バタン』と大きな音がしたのです。
  この音が身体に悪い。顔をしかめて辛そうに堪える先輩が、『医者の手術が上手でも、看護婦のレベルが低いと治るものも治らなくなる』とため息をつきながら嘆きます。
  点滴の交換はスムーズに行き、アドバイスの言葉も適切と思える看護婦さんであっても、部屋を出るときの音の迷惑までは気づかないのが、気遣いの差であり思い遣りの差なのでしょう。
  難しい時代ですから、相手の立場や状況を思いやる、『気遣いの差!』が、その人の人格を高め、また、人格を下げる場合も出てくるのは間違いありません。
  世の中は、ハードからソフトの時代に変わったと申しますが、大病院の近代設備も看護婦さんの思い遣りという気配りのソフトがあって成り立つことを、一人の看護婦さんの行動で知った次第です。
大先輩いわく「百万円を定期にしたら3ヶ月で60円の利息が付いた!」
と嘆いていました・・(-_-;)・(~_~;)・。
 
 


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