平成14年11月26日
未 年
  羊は、毛織物や敷物、肉や皮革の利用などとして人間の生活に欠かせませんが、衣類や寝具のクリーニングという関わり合いでは十二支のうちで格別に業界に縁があり、羊年に期待を掛けたいと思っている次第です。
  『未の刻』は、午後1時から午後3時の間で方位は南南西になります。羊といえば毛織物の王様ですし、映画、十戒の主人公の『モーゼ』も羊飼いの経験をしていますから、羊の飼育の歴史は長いようです。
  羊は、偶蹄目・ウシ科に属する哺乳類であり、家畜の一種。山羊や牛と同じに、ひづめが二つに割れ、胃は4室に分かれていて一度飲み込んだ飼料を噛み直す反芻類、草類、樹葉、樹皮などの植物質を好んで食べます。
  ウシ科の祖先は、1500万年ほど前の中新世紀にヨーロッパなどをかけめぐっていたカモシカ(アンテローブ)といわれ、それが、牛、羊、山羊、ジャコウ牛、カモシカなどに分化していきます。
  犬の次と言われる羊と山羊の家畜化は、メソポタミア地方、現在の北イラクで紀元前9000年頃から開始されたそうで、紀元前2千年の毛織物が大英博物館に保存されているそうです。
  最初は、食料や敷物として重宝され、次第に織物として利用されていき、紀元前4千年頃には毛織物が作られたといいますから、現代から6千年前には糸をつむいで織る技術を開発していたことになるわけです。
  野生の羊を捕まえて群れにすると、他の野生の羊が群れに加わってくるのでどんどん増えていき、その管理をするために犬を使うことになるわけですが、それは現代まで続いています。
  家畜として飼われ始めた頃の羊の毛は、太い刺毛(ヘアー又はコートと言う)がからだを覆い、柔らかな羊毛(ウール)と混ざっていたものを改良したのであり、外側の刺毛は硬くて糸にしにくいので、内側のウールの多い種類に改良するのは数千年にわたるテーマでした。
  アメリカ大陸にメリノ種の羊を持ち込んだのは、「紡毛工」の息子だったコロンブスで、スペインのイザベラ女王の支援を得て1493年に羊や牛をキューバなどのカリブ海から新大陸に送り込んだそうです。
羊  毛
  種類で用途が異なりますが、長くて細めのメリノー系の羊毛はなめらかな生地となり、短めの毛のダウン系は「紡毛羊毛」と呼ばれて、メルトン、フラノなどになり、絨毯などには下級の羊毛が使われます。
  ジンギスカンの当時の蒙古の羊の飼育は盛んで、侵略するための大部隊とともに羊の群れを移動するわけですが、乳、毛皮などの他に、羊の肉を焼いて食べるジンギスカン料理は当時から親しまれたようです。
  中国の万里の長城は、平地は高い塀の守りになっていますが、高い山になると1メートル程度の高さの塀のところが多くなります。これは、蒙古軍が進軍してきても、部隊と一緒に来る沢山の羊の群れが塀を越すのに手間取れば、侵略のスピードが鈍ることになり塀の高さは1mでも足りたのです。
  羊の放牧では、雄は乳を出さず、興奮して群れを乱したりするために、雄の数を調整するために生後間もないうちに間引くので、その雄の子羊「ラム」を食べる習慣が生まれ、柔らかな子羊の皮と毛皮は、帽子などに作られて「アストラカン」の名前で親しまれます。(本来のアストラカンは、西アジア原産のカラクール種)
  アジアやヨーロッパの放牧民の間では、羊の肉は最も大切な食料で、旧約聖書でも羊の肉を食料にすることは認められていたそうです。尚、成長した羊の肉は『マトン』といいます。
  ギリシャ・ローマ時代には、キリスト教の聖典などの書き物をするために、羊の皮をなめしてから石で磨いた「羊皮紙」を、11世紀頃に中国の製紙術が伝わるまで使われたそうです。
  ウールは熱と水分を加えると絡み合う性質があり、これを「フェルト性」といい、モンゴルの放牧民が使う「パオ」はフェルトです。ローマ時代に、プリニウスという人が、「フェルトを作るときに、酢を加えると不燃になる」と書いているそうですから、ウールの防炎加工はローマ人の発明です。
  日本には、西暦599年に百済から、駱駝一匹、羊二頭、白鷺二羽を頂いたと日本書紀に書いてあり、1957年(昭和32)には100万頭も飼育されたが、現在はコスト高になるために極端に減っています。
  平賀源内が日本で初めて毛織物を織ったのは1771年ですから、今から230年ほど前の出来事ですが、数千年の毛織物の歴史のある外国とは比較にならない差が有ります。
  ぬくもりを
     羊 に 託 す
          政治不信


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