平成13年10月9日
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  10月1日の伝統的な巨人阪神戦を最後に、絶大な人気者であった『長嶋さん』が引退されました。
  長嶋さんは、新人としての開幕試合で、金田投手から4打席連続三振の屈辱を受けながら新人王になるなどの活躍ぶりで、オーバーなアクションも実に華やかで絵になり、全国民を楽しませてくれました。
  何となく、一つの時代が終わったような気がしますし、王監督が国民栄誉称を受けているのに、国民のアイドルであった長島さんがその対象でないのは不思議な気がするのですがねぇ。
  国民栄誉賞の皆さん。敬略称、王貞治、古賀政男、長谷川一夫、植村直巳、山下康裕、衣笠祥雄、美空ひばり、千代の富士、藤山一郎、長谷川町子、服部良一、渥美清、吉田正、黒澤明、高橋尚子の15名です。
影 武 者
  武田信玄は、戦場に向かう途中で病気が悪化した為、甲州に帰る途中の信州の下伊那郡波合冶部(駒場という説もある)で亡くなりました。没年は53歳です。
  信玄は遺言として、「信玄の死を知ると敵の攻撃が激化する故、3年間は死を公表するな・・」と申し渡したので、織田信長などは、生死の確認のために『見舞い』と称して実情を探りに特使を送ります。
  武田家では、信玄の代わりに弟を布団に寝かせて、薄暗くなってから接見させたために、使者は見破る事が出来なかったようですが、現代のように、写真などはありませんから誤魔化す事も可能だったのです。
  真田幸村は、自分と同じ赤い鎧を着せた10人の影武者に馬上から足軽を指揮させて、「我こそ幸村!」とそれぞれが戦場を駆け巡って敵を錯乱させたといいますし、戦国の武将に影武者は当たり前でした。
  ところで、アラブ系の人たちの顔は、目つき、鷲鼻、髭などが似ていて区別がつきません。
  今回のテロの親分も、かなりの影武者がいるようですから、降参した敵が、爆撃で死んだ遺体を持ってきて、『親分です』と言われたときに、さて、どうやって本人かを確かめるのでしょうか。
安 売 り
  先日の号外で、渋谷の道玄坂にあったパソコンショップ『J&P』が閉店した事を書きましたが、パソコンの需要が激減している事に加えて、ヨドバシカメラやビックカメラなどの安売りも影響したのでしょう。
  スーパーのマイカルの経営が難しくなって、関連会社である『サティ』の自由が丘店が7月頃に閉店し、今度は、その場所で、『コジマ』のライバル『ヤマダ電機』が営業を始めました。
  9月28日に開店したヤマダ電機は、三日間の開店特別サービスに、DVDプレーヤーが5980円。 14型テレビが1980円。アイロン280円、ドライヤー58円などと目玉商品が沢山あります。
  開店二日目に私が行ってみたら、お客さんが大勢詰め掛けて、店内に鳴り響く、『♪ヤマーダデンキ!』の音楽に心が弾みますし、店員だけでも100名を超す人数で対処していますからとても賑やかです。
  新聞と同じ大きさのチラシを大量に撒いて、メーカーから駆けつけた販売員も、自社の品物の売込みに必死でしたから、開店サービス三日間の売上はかなり良かったのではないでしょうか。
  パソコンの器具や部品も揃っていますから、それなりに便利な店なのですが、私には、ビックカメラやヨドバシカメラと同様に、パソコンの取り扱いなどの質問をすると分らない店員ばかりなのが不満です。
  『J&P』なら、「ポプラの中島です」と電話をするだけで、担当者が何でも答えてくれただけに、『安さ!』だけを追求する量販店には、取り扱い方などのソフトの面のアフターサービスに不満が残ります。
  そして、開店したヤマダ電機から50メートルほど離れたところにある、家電のナショナルショップは、とつぜん出現した驚異的なライバルの迫力に圧倒されて、お気の毒としか言いようがありません。
   丹 精 が
      生きて笑顔の
         秋 祭 り


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