平成12年12月1日
午 年平成14年。西暦2002年は、十二支で7番目の『壬午(ミズノエウマ)』で動物では馬になります。
  『午の刻』は、午前11時から午後1時の間で、午前と午後を分けるのが正午です。午の方位は南、反対の北は、『子(ネ)』で、地球上の北極と南極を結ぶ大円を子午線(シゴセン)といいます。
  ウマは、哺乳綱奇蹄目ウマ科の一種、奇蹄目にはウマ科のほかにバク科とサイ科があり、ウマ科にはウマのほかにロバやアフリカのシマウマなども含まれます。化石から、始新世(約6000万年〜3800万年前)初期にいた『ヒラコテリウム(体長45p程度)』が最古のウマといわれます。
  現代『馬』を見るチャンスは少なく、映画の西部劇とダービーや天皇賞などの競馬の他は、警視庁に騎馬隊がいる事と大きな公園でロバと遊ぶ程度でしょうが、昔は生活に重要な動物だったのです。
  馬は、農耕用、軍用、乗馬用、サーカス、観光用、競技用、食肉用、愛玩用の他に野生も居て、極地以外の世界各国に分布していますが、第二次世界大戦以降は軍馬としての用途が無くなり、農業用も機械化の為に激減しています。尚、野生の馬は、軍馬を増やす目的で放牧したものを保護している程度です。
  ギリシャ神話の半人半馬のケンタウロスの伝説は、人馬一体の騎馬民族が原型です。ギリシャ、ローマの時代から、蒙古のジンギスカン、甲州の武田騎馬軍団、日露戦争のコサックとの活躍など馬は戦いに重要な存在でした。
  馬の『体高』は、前足から上に延長した肩の所の高さですが、源平戦以来、関が原の戦い、明治維新当時までの日本の馬は大きめのポニー程度で、肩までの高さが四尺程(120a〜130a)の小型で背中までは1bほどでした。
  源平戦に『ウマを担いで山を下った話し』がありますが、体の大きな武将の場合『背に跨ると足が地面についた』ほど小さかったようですし、馬で駆ける武将に足軽が付いて走れるほど速力も遅かったそうです。
  現代の大型の馬は、体高170〜200aにも達します。大型化した理由は、鎧兜と武器で武装した騎士の乗用の為に、ベルギーやオランダなどの人々が改良を重ねた結果です。
ミニ知識
  日本在来のウマは、蒙古ウマと同じ系統と考えられ、明治維新前は、徳川幕府の鎖国政策のために外国の馬が入らなかったので小型が多くなっています。そして、各藩が他藩に優良な馬を出さない政策も影響しました。
  藩毎に独自にウマの繁殖を行ったため、地方による特色があります。有名な産地では、岩手県の南部ウマ、福島県の三春ウマ、長野県の木曾ウマ、鹿児島県の薩摩ウマ、北海道の道産子などがあります。
  ウマを初めて家畜としたのは、紀元前2000年頃、黒海のウクライナ地方に住んでいたアーリア系の古代民族で、その頃のウマは、体高135a程度、二輪車を二頭で引き、戦車や運搬用として用いられ、それが、インド、エジプト、ヨーロッパへと広がっていったそうです。
  諸説ある中で、最古の競馬は、紀元前十六世紀に、エジプト第18王朝のトトメス一世が、アラビヤ産の馬を宮廷の広場で競走させたのが始めのようです。古代オリンピックの花形は戦車競争で、勝者は英雄とされました。
  その後、競技が発展して、映画の『ベン・ハー』のような戦車競争では、谷間を利用して観客席を作り、真ん中に一周6百mほどの競技用の小山を作って、30万人も収容するほど大掛かりな競技場もあったようです。
  紀元前10世紀頃のエジプトやローマ、ギリシャなどの戦争では、一万頭にも及ぶウマを戦車として使っていますから、当時の日本と比べて格段の違いを感じます。(日本は、卑弥呼が三世紀と言われ、千数百年も遅れています)
  競走馬に使われる、アラブ種は、体高が150a程度で体重は470`程、アラビア半島の砂漠地帯で血統を厳選して改良された純血種であり、近代のほとんどの品種に血液が導入されているそうです。
  サラブレッド種の原産はイギリスで、体高160〜170a、体重は450〜600sですから、アラブ系より大きめです。尚、現代の競走馬の速力は、時速60`ほどです。
  馬の肉は『サクラ肉』として昔から食べられ、皮は、靴、カバン、ベルトなどに加工され、毛は毛筆や織物に、バイオリンの弓の糸には、上質の白馬の毛が用いられ、骨は「にかわ」、脂は火傷の薬、血清などにも利用されます。
  『馬は賢い』といわれますが、ウマの知能に関しては、象、類人猿、イヌに次ぐ4番目程度といわれます。ウマの寿命は25年程度で、50年も生きたウマもいるそうです。
  飼料の基本は草で、冬は乾燥して保存した草を与え、エンバク、オオムギ、トウモロコシなどの穀物やニンジンなどの野菜も食べます。一日の飲み水は25〜30g以上必要で、草食の為に腸は長く25bもあるそうです。
  馬が重要だった時代の馬を扱う仕事には、馬喰(バクロウ)→牛馬の売買や斡旋をする人。馬方又は馬子→馬に人や荷物を運ばせた職業。馬飼→馬の飼育や調教にあたる人。また、旧満州を荒らし回った馬賊も有名でした。
  馬の背に
     乗せる期待は
        果てし無し


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