平成13年11月6日
 ( ま ゆ )
  私が子供の頃の長野では、農家の現金収入の副業として『養蚕(ようさん)』をしていました。
  昔の養蚕の仕事は大変で、寝る間もないほどの激務になります。重労働の農作業のほかに、春、夏、秋と三回も繰り返してカイコを育てるのですから、農家の人たちのご苦労は計り知れません。
  カイコを育てるのに桑を食べさせるわけで、大根や野沢菜を作る畑の周りに高さが5メートル程度の大きな桑の木を植えてある場合と、1b50aほどの小さな桑の木だけの畑があったのを思い出します。  
  養蚕とは、箱に沢山入った7ミリほどのカイコの赤ちゃんを買ってきて、それに桑の葉を食べさせて8a程度の大きさに育てます。最初は白いカイコが50日ほどで成長するとクリーム色に変わってきます。
  クリーム色になると、桑の葉を食べなくなりますから、わらや木枠で作った特殊な棚に入れますと、口から糸を出して器用にマユ玉を作り始めます。その繭を湯につけ、ふやかして糸を取り出すのですが、カイコの口から出たマユは一本の糸で出来ていますから、数本をまとめた糸は面白いように繋がって行きます。
  カイコのマユ玉から取れた糸が『絹糸』ですから、本来の絹糸は明るいクリーム色なのです。それを染めて鮮やかな高級和服や軽くて上品な洋服となっているわけです。
  緑色の桑の葉を食べていたのですから、緑色の系統の糸が出来るのが当たり前なのに、クリーム色なのが不思議ですが、世の中には楽しい事を考える人がいるものです。
  日本の養蚕は、昭和30年代以降、コストの関係で中国に負けて生産が激減していますので、『色付きのマユを作れないものか?』と群馬県の試験場が研究を始めたそうです。そして、『桑の葉をすりつぶした中に染料を混ぜる』というアイデアを考えたのです。
  桑の葉に混ぜる染料を工夫すれば、好きな色のマユを作ることが出来るそうですから、最初から色がついている絹糸には、染めた物とは違う色や艶があると考えられますので、是非、拝見したいものです。
  衰退していく、日本の養蚕の生き残りを掛けるともいえる大作戦ですが、でも、その技術を、中国に指導して利益を上げようと画策する日本の繊維会社も出てくるでしょうから、中国が真似をするのは時間の問題です。ですから、『敵は身内にいる!』というのが実態の歯がゆい状況なんですねぇ。
真  綿
  布施明の歌に、「真綿色した、シクラメンほど・・・」という歌詞があります。その『真綿』を木綿と勘違いする方が多いのですが、実は、木綿ではなくて、あまり出来の良くない絹糸のくずを言うのです。
  出来の良くない繭があると、人間の頭髪の枝毛のようなものが沢山出来てしまいますから、その様な繭だけをまとめて、糸にしないで綿のようにしたものが『真綿』なのです。
  そのくず繭を、ぬるま湯で軟らかくしてから、一本ずつの糸としてほぐさず、一個の繭を30センチ四方程度の大きさの形枠に広げ、それを重ねてから乾かしてから保存し、一枚ずつはがして使うのです。
  例えば、チャンチャンコの場合、中綿を木綿ワタだけで作ると、長い間には綿がちぎれてでこぼこになるのが普通ですが、チャンチャンコの綿を伸ばした真綿で中の木綿綿の周り全体を薄く包めば、真綿でガードされた綿が千切れないで、しっかりした仕上がりになって長持ちするわけです。
  布団や座布団も同じことで、現在のようなテトロンなどの化繊綿の無かった時代には、真綿を利用する事で、保温と形状の安定を保っていた事になるわけです。
  下の写真は、鮫洲店の奥さんから頂いた『綿の木』です。木と言っても、一年で枯れる草なのですが、鉢に植わっている緑色の玉が割れると左のような綿が開きます。本場印度では1bを超し、綿も沢山つきます。
  生 涯 を
    桑の葉だけで
      カイコ逝き


Copyright(C) Taketosi Nakajima 1997-2003