平成13年10月30日
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  世間一般の景気の常識は、3年か5年の周期で好景気と不況の大きなうねりがあり、不況は3年もすれば景気が上向いていき、6年以上不況が続く事は無いと思っているのが普通だったでしょう。
  それなのに、すでに10年目に入る平成の大不況は、いまもって回復の糸口さえ見えません。それどころか、テロからアフガンの影響まで加わってますます状況は悪化しているのには困ります。
  その不況の中で、「機関銃や鉄砲の弾を作っている会社は、残業続きの好景気だ!」といわれると、なるほど、戦争で需要が増す産業もあるわけで、『これを良いといえるのか?』とため息がでるのです。
  10月26日に、大阪で行なわれたクリーニングの機械や資材の展示会に、工場長達と出かけました。週末の三日間行なわれる展示会は、東京と大阪が毎年交代で展示会場となっているのです。
  バブルの当時は、晴海の展示会場を5箇所も使うほどの大規模な展示会でしたが、不況の時代を反映してだんだん縮小となって、今年は、最盛期の3分の一とも思えるほどです。
  それでも、外国からの見学者も加わって入場者は3万人ほどになるのですから、それなりに活気があり、私も遠方の知人などと会える楽しみと、便利な品物や珍しい材料などを見つけながらの見学会でした。
赤 い 糸
  下の写真の赤い糸について書いてみます。これは、『宝のネーム糸』というものです。
  私がこの業界に入った頃は、紙で作った『ナンバータグ』が無かったので、赤いネーム糸を使ってお客さんの名前を縫っていました。今でも、古い洋服の襟などに縫ってあるのを見かけることが有ります。
  糸でお客さんの名前を縫うのですから、『ね・わ・ま』などの文字は縫うのが大変です。そこで、自分たちだけが分るカナや記号を使います。確か、『シは、I』 、『ツは、−』と略して縫っていました。
  この赤いネーム糸は、世田谷区にあるクリーニング関係の機材商の『宝田さん』という方の先代がドイツの技術を元に発明された縫い糸で、一社だけの独占の製品だったと思います。
  製造元の宝田さんいわく、「最盛期から見れば、30分の一の出荷になったが、今でも愛用してくださるお客さんが居るので作り続けている」とのことでした。
  太平洋戦争の前はドイツ製だったものを、宝田さんの先代が昭和21年から日本で作り始め、ドイツのラフトールという染め粉を二種類混ぜ合わせて醗酵して染めると、ドライクリーニングや水洗いはもちろんの事、漂白などにも色落ちしない染めの強い糸になるわけです。
  宝田さんのお話しによると、最盛期には、年間に15万個もボビンを出荷したのに、現在では、3000から5000個とのことですから、今でも名前を手縫いで頑張っている同業者がいるわけです。
  以前は、ボビンに木を使っていたのですが、カビが生えるために現在ではプラスチックになっているそうです。尚、ボビンの大きさは、直径4センチで長さは5センチです。
  現状の出荷数では採算的に合いにくいが、長い間のお客さんのために生産を続けていても、染め粉の確保とボビンの巻取りをする所がなくなっていく為、「あと何年続けられるのか心配です」と仰っていました。
  宝田さんに、「この事を文章にしても良いですか?」とお聞きしたら、「どうぞ、ご自由に・・・」と仰っていただいた上に、記念に送っていただいた現物を写したのが下の写真です。
  『売約』の
    札が寂しき
      展 示 会


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