平成12年1月25日
新年会にご出席下さいまして誠に有難うございました。 
  新年会には、108名のお客様にご来臨を頂きまして、ささやかでは御座いますが、賑やかに2000年のスタートを祝う事ができました。寒い中をお出でくださいまして心より御礼申し上げる次第です。
  例の2000年問題で、石油ストーブを貸し出したダスキンと、泊り込みで警戒する人達が使用する貸し布団やさんは大繁盛だったが、スーパーは大量に売れ残った水の置き場所に往生しているとか、それにしても『七輪』を買った人達はどうするのでしょうか。サンマを焼く季節には、かなり間があるようで。
老  舗
  正月の四日に、浅草の観音様にお参りしてきました。三が日は大混雑の観音様の境内も、四日ともなると大分緩和されて、お参りの行列もスムースに進んでいきます。
  今回浅草にした理由は、川崎大師の場合には、食事をするところが大師の商店街の角のそば屋だけで寂しいのですが、浅草には限りなく沢山の飲食店があり、食べる事が趣味の私としては、ご利益よりも食べ物の魅力のほうが比重が高かったということです。
  で、妻と二人の夕食は、かま飯で有名な『かま飯春=xに行き、五目かま飯とカキかま飯の二つを注文したのですが、あそこのかま飯は美味しいけれど量が少なく、大人の茶碗で一杯程度しか有りません。
  食事の前に、観音様の境内で味噌おでんや煮込みを食べた後だから良かったが、そうでなければ全然足りないところでした。
  どんなに美味しいものを食べても、沢山食べ過ぎると鼻につくが、量が少ない時とお腹が空いているときは、何でも美味しく感じるのが食べ物の不思議なところです。
  そこで思った、かま飯春≠ェ『かま飯の量を少なくして、美味しかったと錯覚させるテクニック』も、そして、『量が少ないのは、上品の証拠!』と理由をつければ形は完璧に作れるようで、これぞ、老舗を継続する究極の極意であると睨んだのですが、誤解でしょうか。
年 賀 状
  私が今年皆様に差し上げた年賀状は、かなり派手なデザインでした。
  その年賀状について、何人かの方からご質問やご連絡を頂いたのですが、「コンピューターで年賀状を作ると、綺麗なのが簡単に作れて羨ましい!」と仰る方が多かったのです。
  そして、「この頃は、コンビニで買ったものやパソコンで簡単に作った年賀状が多いから、手作りの有り難さを感じない」とも言われるのです。
  「そうだねぇ!」と相手の話に一応相槌は打ってみても、私の場合、パソコンで簡単に作っているわけでなく、結構、時間を掛けてバランスやイメージを作っているだけに『簡単!』でもないのです。
  どうも、世間の皆様は、『パソコンなら、何でも簡単に作る事が出来るから、手間要らず!』の解釈の方が多いようなので少しだけご説明を致します。
  私の知り合いが、暮れの年賀状を作るために、昨年の10月にパソコンを購入しました。そして、寝る間も惜しんで勉強し、その成果である年賀状を私にも出してくれたのです。
  でも、二ヶ月にしては良くやったと言う程度でした。ですから、文字を書くのが得意の方は、『パソコンの年賀状は、心がこもっていない』とおっしゃいますが、本当は、『パソコンでも、簡単に作れるわけではなく、かなり手間を掛けた手作りの作品』もあることを知って欲しいのです。
 新聞を読んでいたら、下重暁子さんが『自分は誰にも年賀状を出さないのに、元日には、いそいそと郵便受けに年賀状を取りに行くのが、自分ながらおかしい』と書いてありました。何となく笑えるお話しですねぇ。
『窮すれど
 無事で居る』との
     賀 状 あ り


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