<><> SUMIO'S HOME PAGE <><>楽 書 帳 23燕 岳 に 登 るH20.8.1〜2![]() 所属の山楽会(阪神シニアカレッジの現役、OBの山の会)の今年度の特別例会として計画された燕岳登山に参加した。参加者34名の大グループで、引率される側からは楽しく一寸した期待感をもって極く気軽に参加したのだが、メンバーをまとめるリーダーの苦労は並大抵なものではなかったことを思うと感謝の念で一杯だ。また山道での行き違い、追い越しする人達に少なからず迷惑になったことだろうと恐縮もしている。 まずこの山についての大雑把な位置づけを見る。下の山名表を眺めれば自ずとわかるが、燕岳は長野県西部、北アルプスのほぼ中央東縁にある山で、東は高く急激な断層崖で松本盆地を望む。(登った日の午後9時ごろは天の川が見える星空で、眼下遥かに明滅する安曇野の街の灯と思われる夜景が幻想的だった。) 山頂からは北に後立山の峰々、西に野口五郎岳や三ツ俣蓮華岳のカール群、南に槍ヶ岳の鋭い峰が望まれ、その展望は雄大。飛騨山脈の前山をなす常念山脈はこの付近からはじまり、大天井岳、常念岳、大滝山と南に 続く。 東麓の有明、中房 温泉から燕岳、大天井岳、槍ヶ岳を経て上高地に至る縦走路は、アルプス銀座として最も多数の登山者で賑わうコースである。ただ今回の自分達はシニア世代で且つ団体であり、その上殆どが初心者であることから整備の行き届いた中房⇔燕岳の単純な往復コース(燕山荘一泊)が選ばれた。 ![]() ![]() 8月1日午前7時半過ぎ快晴に近いのを喜びつつ、前泊した旅館を小型バス2台に分乗し出発。かなりの勾配の林道らしき舗装路を約30分登ると中房温泉の登山口に着く。ここでストレッチ体操や付近の散策に小1時間過ごす。すぐに登り始めないのは約700mの前泊地から一気に1400m付近まで上がってきたので高度に対する馴応を考慮してのこと、その辺りの配慮に内心感心する。 いよいよ山に入る。いきなり階段状の急勾配の山道、あっという間に汗が流れ始めた。ただそれはしばらく続いただけで後は比較的ゆるやかな道になった。途中何度かの小休止を入れながら第一ベンチを過ぎ、第二ベンチに着いたのは上り始めて1時間20分程が経っていた。 次のベンチは第3、富士見である。このようにこの登山路は要所々々に休憩用の木造ベンチを用意してくれていて嬉しい。一息ついて喉を潤すのに格好な場所だ。第2ベンチを過ぎると本格的な急登が続く。その上足場がとても悪い。木の根っこが幾重にもなったところだったり、小岩が乱れて出ていたり、設えられた足場の木が古くなって、足の力がかかるとかしいでグラりとしたりして兎も角、少しも気を許せない。あえぎ喘ぎ進んでいって「合戦小屋まであと7分」の小さな標識が目に入った時は本当に内心ほっとした。だが自分達のペースは疲れもあったか遅いようでそこから10分以上かかり、焦りかかった時、急坂からいきなり小屋の一寸した広場に出られた瞬間はやれやれ助かったと心底安堵。 まずは汗でぐっしょりのTシャツを着替える。殆ど絞れそうにまで濡れていた。この小屋は美味しい西瓜を売っていることで知られているが、冷たいものの前に昼食を済ませておこうと握り飯に被りつく。本当に疲れきると味がしなくなるものだが幸いにしてこの時は非常に旨いと感じた。朝旅館が作ってくれた僅かな漬物が付いただけの簡単な握り2個をすぐに平らげた。 その後試しに西瓜をということになり、通常の大きさの半切れを求め、更にそれを二つに切って貰い二人で分けた。成程それだけでもよく冷えていて甘くいい味だった。これを登ってきた直後に口にいれたら多分生涯忘れられない程の感激になるであろうことは十分頷けた。 40分程の食事休憩を終え今夜の宿泊小屋の燕山荘を目指して登山再開。これまで登ってきた一帯はかなり太く大きな木が林立していたが、いつの間に少なくなっていて這松が多くなってきた。合戦小屋の標高は2380m、この辺りの森林限界は2500mと聞いていたがそれに近くなってきているようだった。三角点標識のある合戦沢の頭を過ぎて急坂になったり、ゆるやかで歩きやすくなったりの繰り返しが続く。雲が多くなるにつれて日差しがなくなり、また晴れていたら見通せると思われるところも見えなくなっていた。その代りというか足もとに可憐な花(生憎名前を教えてもらってもその端から忘れてしまう悲しさ)があちらこちらに見えている。 這松の中を進むとガスがかかってきて前方が少しかすんできた。先を歩いていた同じグループの一団から「小屋が見えるぞ」との声が聞こえてきた。見上げるとガスの中にぼんやりと木造の建屋らしきものが目に入ってきた。 ここでも先程の合戦小屋に着いた時と同じ「やっと来たか」と嬉しさと足がどうやらもってくれたという安心感があわせて体中を過ぎった。こうなると後は早い。一段と沢山の花々が咲いているお大花畑を横に見ながら上りきると右に燕岳の山頂、左すぐが燕山荘の分岐に出て、やがて小屋に到着。時刻は14時35分、昼食の大休憩を除いてほぼ5時間、ややゆっくり目ではあろうが齢を考えれば上々の出来である。男性19名、女性15名の大部隊から落伍 者はおろか遅れたりするものも1人も出なかったのは手前味噌ながら大しものと思う。
![]() 燕山荘の部屋割り(といっても蚕棚式の一区画に5人が中央を走る廊下に直角になって横になる)を受け、リュックをおいて一休みするのも惜しく、この山行きを誘って呉れた友と生ビールを飲みに向かう。殆どのメンバーはそれから山頂まで行ってくることになったが、それは後回しとばかり早速小屋のテラスで祝杯の大ジョッキを傾けた。「美味い!」 これ以外に云いようがない。このテラスはさっき登ってきて方向を見下ろす。本来なら東面のいい景色が望まれる筈だがガスがかかっていて殆ど何も見えない。それを気にすることもなく、しばらくはただひたすらビールをこころから楽しんだ。後から分かったのだが、この時頂上を目指さなかったのは自分達二人だけだったらしい。 しかし自分と相棒の二人で 「旨い!美味い!」 とやっていたこの時にとんでもない事が起きた。懐中の携帯が鳴り出したのである。驚いて耳に当てると家からでY氏の訃報だった。7年前の阪神シニアカレッジ入校が機縁で昵懇の間柄になった友人の1人である。携帯が通じることに驚き且つ又その中味に驚愕させられたことだった。直ぐに一緒の友にも知らせ共にY氏のご冥福をまず祈った。そして兎も角気がついた範囲での連絡を家人に依頼する。しかし細かい点で洩れもあって十分な対応がとれなかった。その夜横になってもいろいろなことが浮かんでは消え寝つきが悪く困った。 燕山荘に一夜を世話になってこの小屋のことに触れないわけにはいかない。山小屋としては出色の存在らしく、確かに全般的に設備がしっかりしている。トイレは簡易ながら水洗で清潔。食堂も広く生ビールは前記の通りだし、淹れ立ての珈琲、ケーキまで売っており、夕と朝の食事の質もいいようだ。夕食時にオーナーがアルプホルンを吹いて聞かせてくれたが、ここの名物になっているらしい。ただ人気があるので600人収容でも普通の山小屋と同じぎゅうぎゅう詰めで、寝る時に使える広さは変らない。まぁ仕方のないことだが。 寝苦しい状況に更に友人の死という悲しい出来事が加わっての悶々とした一夜ではあったが、5時前の御来光を拝むべく早々に身支度をして待った。しかし綺麗な日の出にはならずで残念だった。がその後、しばらくして快晴の空となった。お陰で小屋からの展望をほしいままに出来たのは誠に幸運だった。槍や劔、立山等など周囲ぐるりと一回り出来る眺めでいつまでいても飽きなかった。 朝食を取って6時40分早めに下山の途に着く。それから約3時間半、午前10時15分頃に出発点の中房温泉に無事戻ってこれた。ただ途中登ってくる人の多さにうんざりし、また下りの急坂の連続に膝が笑い出しそうで困った。好天のせいもあって下るにつれ気温が上がって発汗もひどく、この下山行程は思いの他難行だったと思う。前日はこんなに昇ってきたのかと自分でも訝しく思うほどだった。それだけ激しく足を運んでいた為だろう。このせいか家に戻っても筋肉痛で、数日は階段がまともに降りれず閉口した。 以上のような顛末でどうやら年寄りの冷や水とまともにいわれる心配もなく、この夏のメーンイベントを事無く終えることが出来た次第。山楽会の規定でOBの在籍は3年間となっているので今年度が丁度期限であり、記念となる自分の最後の高い山行きになったことと思っている。 以 上 ![]() ![]() ![]() |