第十八話『裏切りの由紀子』


 時期:十二月の中旬

 

 (さくら)駅の待合室で、勝彦は水及(みなの)の旅立ちを見送っていた。大きな旅行カバンを片手に持ち、青い髪の少女――水及は、浮かない顔で勝彦に言う。

「すまない。このタイミングで町を離れるのは私としても不本意なのだが、だからといって『アレ』をそのままには出来ん」

「心得ております。こちらのことは我々に任せてください。心労は、毒でございます」

 勝彦は、水及を心配させまいと努めて明るく声をかける。だが、水及の顔が晴れることはない。彼女は、彼女なりに切迫した櫻町の状況を把握しているからだ。

 先月の櫻高校で催された文化祭で、その姿が確認された尼崎(あまがさき)九琥津(くくつ)。尼崎家の前当主、(はじめ)の側近中の側近であった彼が動いている事。いまだに彼の居場所が掴めないこと――それは、大きな不安の要素であった。

 尼崎家の急進派と呼ばれている連中が影ながらに動いている事は、勝彦達も知っていた。彼らだけならば、動きを抑制し続ける自信があったのだが、そこに九琥津が加わったとなると、話は変わってくる。動くか分からない相手から、必ず仕掛けてくる相手へと変貌(へんぼう)した尼崎家の急進派。一ヶ月、なにも音沙汰がないのが、逆に不気味であった。

 櫻町を守護する水及。数多(あまた)の災厄を退(しりぞ)けてきた彼女が、櫻町を離れるとなれば、連中がそのチャンスを見逃すはずがない。

 水及が町から離れる事は、すなわち臨戦状態へ突入する事を意味していた。それが分かっていても、水及はこの町を離れなければならない。彼女がこれから取り掛かろうとしている計画は、地方の小競り合いとはわけが違う。彼女が失敗すれば、日本全土が揺れる。そんな役目を、彼女は今背負っていた。

「勝彦。お前に、汚い仕事を押し付けてしまうな。ずっと昔にも言ったが、私はお前がどんな決断を下そうとも、味方であり続ける。理解し続ける。だから、常に『らしく』あれ。餅屋が焼いたせんべいは、まずい」

 水及の言い回しに、勝彦は思わず微笑んでいた。

「ありがたいお言葉、確かに拝聴いたしました。水及様も、どうか無事、大役をこなし、この町へと帰ってきてください」

「ありがとう。勝彦、帰ってきたらまた遊ぶのに付き合ってくれ」

「はい、謹んでお受けいたします」

「約束したからな」

 水及は、嬉しそうに微笑み、後ろで待っていた菖蒲(あやめ)(あきら)に声をかけ、改札口を抜けていった。

「晃、水及様をしっかりと支えるのだぞ」

「はい。誠心誠意、頑張ります」

 深く一礼して、晃も水及を追いかける。その後ろを、晃の監視役である菖蒲が何も言わずに付いていった。

「・・・行かれましたか」

 小泉家の当主である透子(とうこ)が待合室にやってくる。彼女の表情は、すでに戦いの気配を感じ取り、ピリピリとしていた。

「あぁ。後は、我々が上手くやらなければな。奴らの思い通りにはさせぬ。そうであろう、透子殿」

「当然でございます」

 勝彦も透子を連れ添って、待合室を後にしようとしたが、妙な感じを覚えて彼は足を止めて、振り返った。

「勝彦様、どうかなされましたか?」

「いや・・・一瞬、嫌な感じがな。まぁ、水及様に限って、何かあるはずがないか」

 彼の予感は、見事に的中する事になるのであるが、それはまた違う所の話である。

 

 その日の夜――。

 橘家にとんでもない一報が届いた。

神山(かみやま)(さとし)が、何者かに刺されて、重傷を負った』

 勝彦の思惑を遥かに超えて、敵は迅速に動いてきた事を思い知る。

 

 次の日の朝、橘家で緊急の当主会議が開かれた。

 (たちばな)家の当主、勝彦。

 小泉家の当主、透子。次期当主、章吾。

 水無月家当主、(なお)(ひさ)

 そして、赤鬼(せっき)専属研究員、尼崎月子(つきね)

 計五人が、橘家の応接間に集まった。応接間は、畳敷きの古い(おもむき)。広さは、四十畳ほどもある。この辺り一帯を管理している橘家の当主勝彦が、上座へと座り、彼から見て右側に直久。左側に透子、その隣が章吾。勝彦の正面に、月子という配置。それぞれの表情は、様々である。勝彦は表情を変えていない。透子と章吾は、辛そうに眉根を細める。月子は、緊張でガチガチで、直久は勝彦とまた違う意味で、石像のように座していた。

 勝彦は、昨日の夜起こったことを全て彼らに伝えた。

 幸いにも、聡は一命を取りとめた。彼は、わざと生かされたのだ――と語ったのは、『マドモアゼルT』という名で裏社会に君臨する、暗殺者であった。

 聡が刺された一報を受けた勝彦は、彼が搬送された(てん)(みょう)にある救急認定を受けた総合病院、かつて(こう)()夏樹が事故に遭った際に、運び込まれた病院へと向かった。そこで、彼女――マドモアゼルTに会った。

 手術室の前で、透明なガラスの向こう側を静かに見つめる黒い髪を背中ほどまで伸ばした、美しい女性。勝彦は、最初神山聡の関係者だと思っていた。だが、彼女が勝彦に気付き、振り向いたその瞬間、『(いな)』と断定した。底知れない、黒き双眸(そうぼう)に宿る、計り知れない闇が、勝彦を絶句させた。思わず身構える勝彦に、彼女は言った。

「・・・随分とゆっくりでございましたね。橘勝彦さん」

 丁寧な声音であるが、そこには冷たい怒りが含まれていた。

「何者だ?」

「マドモアゼルT。そう呼ばれております」

 彼女は語った。神山聡を襲うことで、相手側は宣戦布告を行った。同時に、小泉由紀子(ゆきね)と親しい人間も、いつでも襲う準備が出来ているという、意思表示でもある――と。

「でも、彼らは大きな失態を起こしましたわ。それは、私を敵に回したこと。私は彼らを許さない。どんな手を使ってでも、皆殺しにいたしますわ。少しはそちらにも情報を回してさしあげます。けれども、あまりノロノロしておりますと、残飯(ざんぱん)も残りませんわよ」

 彼女の言葉に一切嘘が含まれていないことを知り、勝彦は久方ぶりに『戦慄(せんりつ)』を覚えた。

 目の前の女は、人の姿を借りた化け物。彼女ほどの手練(てだれ)と神山聡。どこに接点があるのか。神山聡は記憶を失ってはいるが、身の振り方から見ても、一般人であることは間違いない。彼女と――『戦闘工芸品(アーティファクト)』とまで(うた)われた殺し屋である、マドモアゼルTと接点があるとはとても思えない。だから、勝彦は『否』と判断したのだが――世の中、奇妙な縁もある。そう判断するしかなかった。

 なんにせよ、味方ではないが、有利な駒が一つ動いていることには違いない。

「神山聡は、マドモアゼルTが守ってくれる。放っておけば、彼女の牙が急進派を食いちぎるかもしれんが、それを待つわけにもいかん。なんとしても、我々の手で引導を渡す。異論があるものはおるか?」

 静かに透子が手を上げた。

「勝彦様、マドモアゼルTが・・・殺し屋である彼女が、信用に値するのですか?」

「神山聡との接点がなんなのかは分からないが、彼女が神山聡を守りたいという気持ちは本物であった。彼女は、彼女の怒りで、我々の都合など考えずに、ただひたすらに破壊を繰り返すだろう。信頼する必要はない。我々は、間違わなければいいだけの話だ。敵は、諸共(もろとも)に同じであると」

 透子が、話は理解したと頷く。他の者からも意見が出なかったため、勝彦は承認されたと受け取り、話を進めた。

「由紀子の護衛には椿を配している。その他の関係者の護衛には、小泉家と水無月家で当たってくれ。章吾、お前には敵の本拠地を探ってもらう。間違いなく奴らは、櫻町へ進入している。奴らが動く前に、マドモアゼルTの牙が届く前に、なんとしてでも奴らを捕捉し、殲滅(せんめつ)する!」

 そして勝彦は、一言も喋らずに座している月子に視線を移した。それに気付いた月子は、遂に来たか――と覚悟を決めていた。当主会議である以上、当主でもなんでもない、平たく言えば平社員の月子は、この場にいていい人間ではない。それにも関わらず、召喚された理由。それは彼女が隠匿している事実を、話せということである。

「月子殿。戦いが本格化した場合、確認する時間がない可能性がある。そうなった場合、我々はその事実を知らなかったばかりに、過ちを犯すかもしれない。章吾に、大手町を洗ってもらった」

 それを聞いて、月子の表情が少しばかり変化した。

「ある程度、私も予測が付いている。神山家の末裔(まつえい)であれば、可能な話だ。そろそろ、話してくれても良いのではないか?」

「・・・一つ約束をしていただけませんか?」

「聞こう」

「神山聡の安全と立場を保障して頂きたい。私が真実を明かすことで、あの人に不利益がもたらされるのであれば、私は知っている事を棺桶まで持っていきます。どんな事があろうとも、話しません」

「保障しよう。内容如何(いかん)に問わずな」

「・・・では、お話いたします。聡さんと主の話を」

 月子は、勝彦の言葉を信じて、遂に十年間隠し続けた事を口にし始めた。

 

 由紀子は、朝食を食べ終えた後、メールを確認するために携帯電話を開いた。メールの着信を知らせるアイコンはやはり出ていない。由紀子は、難しい顔で溜息を一つ吐いた。

 昨日の夜、聡に送ったメールの返信がないのだ。メールを送ったのは、八時頃だった。仕事も終えているし、寝ているわけでもない時間である。彼がメールを返さない――ということは、今までになかったことである。

 そんな事もある――由紀子は、気持ちを切り替えて携帯電話を閉じた。学校が終わるころには、メールを返してくれるに違いない。彼女は、カバンを手に取り、学校へと向かった。

 家の外に出ると、椿がいつものように待っていた。椿が学校に行くようになってからは、これが日常となった。ただ、いつも明るい顔をしている彼女が、今日に限って笑顔の作り方が変だったのが気になった。直感的に由紀子は、椿が何か隠し事をしていることを悟るが、わざわざ聞き出すことも出来ない。由紀子は、努めていつもと同じように椿と接した。

 学校近くで、藍と合流。藍も藍で、表情が硬かった。いつもなら、顔を合わすと『あぁ、学校、行きたくない』とけだるそうに言うのだが、それもない。椿と同じで、藍も変な表情の取り(つくろ)い方をしていた。

 何かがおかしい。ちぐはぐな感じ。妙な気持ち悪さを由紀子は感じていた。下手な取引をしているような、会話をしながら櫻高校へと辿り着く。下駄箱で、唯一いつも通りの神華(しのか)と合流する。

「今日は通常通りのご出勤ですか?」

「由紀子さんが最近遅刻しないので、私も頑張らないと立場が危ういもので。遅刻数ナンバー1の栄光は、常に由紀子さんと共にあるべきなのです」

 由紀子がからかうと、神華も合わせておどけてくれる。

「私には力強い後ろ盾があるからね。遅刻王の看板を神華さんに譲るのも、時間の問題だね」

「手っ取り早く、椿さんを闇に(ほふ)るのがよろしそうですね」

「わ、私をですか?!」

 突然話をふられて、戸惑う椿。神華は、怪しく笑っていた。

「私、これでも色々と知っていますよ。色々と・・・ふふふっ・・・小説」

 神華の言葉に、椿の表情が固まった。擬音語を付けるならば、『ピシッ』といった感じである。

「な、なぜそのことを・・・?」

 椿の鋭い視線が由紀子に向けられる。由紀子は、慌てて手を横に振って、違うと言う。

「喋ってないし!」

「小説?」

「藍さんは、何も聞いてないです」

 メキメキと音が鳴りそうなほどの力で椿は藍の肩を掴んで、死神のように囁く。

「私は何も聞いてないから! だから、痛い! 痛い! は、な、してぇ〜! 砕ける!」

 神華のおかげなのか。どこか不協和音を奏でていた関係は、元の音色へと戻っていく。そのメロディに耳を傾けつつ、靴箱を開けた由紀子は、靴の上に白い封筒が置いてあることに気づいた。真っ白な封筒には、何も書かれていない。不思議そうに手紙を手に取る。

「その封筒は・・・?」

「なんだろうね」

「ラブレターにしては、味気のない」

 中には、また味気のない白い紙が一枚。そこには、こう記されていた。

『放課後、体育館裏で待つ』

 ラブレターではないのは、明白である。明白であるが、どうだろうか、この面白みのない文章は。由紀子は、その場ではイタズラか何かであろうと、簡単な気持ちでさらりと流した。学年が違う椿と別れ、藍と神華と話しながら、教室に入り――そして、由紀子はそこで手紙の本当の意味を知る。

「なっ?! 誰よ、これ!? 冗談じゃない!」

 藍が走っていった。黒板消しを掴み、叩きつけるように黒板を(いろど)る白い文字を消しにかかる。神華もそれに続いた。

 九月ごろに二回あった。由紀子を誹謗中傷する内容を、黒板に列記する事件。それは、たったの二回で終息を向かえた。由紀子の思惑通りに。少し浮かれていた気持ちがしぼんでいく。起こりえないことが起こってしまった。いや、起こって欲しくない事――知られたくなかった事を知られてしまった。

 由紀子は震えていた。手紙は、もう逃がさないという意味だった。恐怖が、心を縛る。

 今すぐに、死にたい気持ちになった――。

 

 放課後、体育館裏に由紀子と、藍、神華、椿たちは集まっていた。由紀子は何も語らず、暗い表情で座り込んでいる。彼女は、(こば)まない代わりに望みもしなかった。椿達がここにいるのは、それぞれ勝手に集まっているに過ぎない。こんな状態の由紀子を、一人に出来ない。だが、由紀子にはどんな言葉も届いていなかった。

「現れませんわね」

 椿が周りを見渡しながら、呟く。時計は、すでに十六時三十分を回ろうとしていた。すでにここに集まって三十分以上、経過している。重苦しい空気が、彼女らを包む。その中心部に座る由紀子の姿が、痛々しい。

 このまま均衡状態が続くのか――。周りを注意深く見渡していた椿は、その時、僅かな物音を聞いた。ゴトッという、硬い物音。彼女は、その音がした場所を正確に把握した。それは、由紀子の真上――!

 植木鉢だった。それがゆっくりと重力に引っ張られ、落ちていく。由紀子の頭部に向かって。

「由紀子さん!」

 頭を左腕で庇い、椿は由紀子を全身を使って覆った。植木鉢は、左腕に直撃し、砕け中身をぶちまける。パラパラと降り注ぐ、土の(きらめ)き。椿は、大丈夫だと微笑んで見せた。だが、由紀子にとってその笑顔が、どれだけ辛かった事か――。

「椿! だ、大丈夫?! 折れなかった?」

 走り寄ってくる藍。土で薄汚れた椿は、左手に積もった土を、左手を大きく振って振り落とした。

「これぐらい、問題ありません。それよりも・・・」

 椿は、最後の言葉を(つむ)げなかった。由紀子が突然走り出したからだ。

「由紀子さん?!」

 椿の声も届かない。由紀子は、体育館の表側に出て、上を見上げる。校舎と学校を繋ぐ連絡路。影がちらりと見えた。それを追いかけるようにして、由紀子も学校へと入った。

 由紀子は一番近くの階段へ向かう。荒い息を整える事もせず、由紀子は顔を上げ、踊り場に立つ人物を見据えた。夕日が明々と照らし出すその人は、いつものように笑っていた。

「どうしたの、ユッキー? 忘れ物?」

「夏樹・・・」

 (こう)()夏樹。小学校からの親友の姿最初から分かっていた、ごく当たり前の答えが、そこにあった。

「どうして・・・?」

 願うように語り掛ける。あなたではない。あなたは、私の友達だから――と。

「どうしてアンタなの?!」

「ユッキーが、私の大切なものを傷つけたからだよ」

「神山さんの事? でも、私は・・・」

「そう、ユッキーは私のメッセージに気が付いてくれて、ちゃんと手を引いてくれた。その後、メールでやり取りしていたみたいだけど、それはいいの」

 メールの事を知られていた。その事実が一つ、由紀子の心に突き刺さる。

「知っている? 聡さん、昨日刺されたんだよ」

「えっ? 刺された・・・? ウソ・・・」

「嘘? さすがに私、そんな嘘はつかないよ。意味がないし。本当の事。そして、それはね、ユッキーのせいなんだよ」

「私の・・・? 意味が分からない。それよりも、神山さんは?」

「大丈夫。生きているよ。でも、これからまた襲われるかもしれない。だから、決めたの。もう、ユッキーを殺すしかない・・・てね」

 夏樹の瞳に宿る殺意。それが本物である事に気付いた時、由紀子は思わず一歩後ろに下がっていた。

「待って。どうして・・・分からない! どうして夏樹が! 私、そんなに恨まれるような事した?!」

「私、聡さんのことも好きで、ユッキーの事も好きだったよ。大好きだったから、悔しいの。どうして、聡さんと出会ったの? 出会わなければ、殺さずにすんだのに」

「だから、待ってよ。なんで私のせいなの? 神山さんが刺された事が、どうして私と関係があるの?!」

「ユッキーは、何も知らない。知らされてない。面白い事を教えてあげる。ユッキーはね、普通の女子高生じゃないよ。とっても、(いびつ)禍々(まがまが)しい存在。『赤鬼』・・・そう呼ばれている、災厄の一つ。だから、椿さんが側にいたのよ。ユッキーを監視するために。もっと言えば、ユッキーのお母さんとお兄さん、あの人も・・・」

「止めなさい!!」

 椿が割り込んできた。どこから持ってきたのか、薙刀(なぎなた)を右手で持ち、切っ先を夏樹に向けていた。遅れて、藍と神華も合流する。椿達は、ずっと近くにいたが、空気を読んで隠れていたのだ。

 夏樹と由紀子。二人の問題は、二人で解決するべきである。そう思っての行動であったが、夏樹が語り始めたのは、そんな問題を超越していた。彼女が知っているはずがないのだ。由紀子が抱えている、出生の秘密を。そして、それを明かされるということは、今までそれを隠してきた者達の努力を(ないがし)ろにする事でもあった。

「椿さん・・・」

「ユッキー、聞いた? 止めろだって。話すなって。そうやって、隠し続けてきたのよ。小泉由紀子なんていう女の子は、この世界には最初からいないことを」

「えっ?」

「黙れ!!」

 椿が駆けた。

「夏樹さんの口を使って、ベラベラと!」

 椿の強烈な突き。轟音を伴い、夏樹の首を狙う。寸止めのつもりだった。少しでも、彼女の口を閉ざす事ができれば――そんな思いの一撃は、あっさりと、まるで冗談のように止められてしまった。

「えっ?」

 夏樹が、右手で薙刀の棒の部分を掴んで止めていた。恐ろしいまでの力で。引いても押してもまるで動かない。椿は両手で、全力であるにも関わらず。

「私は、夏樹だよ。正真正銘。天使様が、色々と教えてくれたんだ。尼崎家の前当主の娘、雪の子とか書いて、雪子(ゆきね)。彼女を捕獲して、『赤鬼』の災厄を永遠に封じるために上書き保存した人格、それがユッキー。そして、眼鏡は力の流出を抑えるための、(せき)。本当は、裸眼で2.0らしいね。まだ知っているよ。ツインテールにしているのは、尼崎家の残党に見つからないようにするためで、それが当たり前であるように、インプットされていることとか。ユッキーが当たり前にしている事は、全部仕組まれた事なんだよ。でも、結局尼崎家の連中に見つかってしまった。八月に、赤鬼が発現しちゃったから。もう分かるよね? 連中は、本格的にユッキーを手に入れようと動き出したの! そのための宣誓布告、たったそれだけのために、聡さんはね、刺されたの! ユッキーが生きている限り、聡さんは彼らの標的にされ続ける。聡さんだけじゃない。神華さんも! 坂田先生も! 皆、標的にされている! そんなの全て守りながら戦うなんて無理だよね、椿さん。でも、簡単だよ。最小限の被害で、この事態を収拾する方法があるじゃん」

「由紀子さんを殺す、ですか」

「何でそんなに一生懸命なの? 最初は、処分するはずったのに。最初から、いなかったと考えればいいじゃん。私は、もうそう決めた。小泉由紀子なんて、存在していなかった!」

 凄まじい力で薙刀を押し返され、椿は慌てて後ろへと飛び、着地した。

「ユッキー。綺麗さっぱり消しちゃうから。存在も、記憶も・・・なにもかも!」

 夏樹の背中から、夕日よりも濃い血のような色をした赤い羽根が一対姿を現した。制服が、真っ赤な聖衣に。両足に真紅の鋼の靴を履き、いつも左腕に付けているリストバンドからは、鎌のような曲線を描いた羽が付いている。ぞっとするほど冷たい空気が舞い上がると、真っ赤な仮面が空中に現れ、夏樹の表情を覆った。左頬に、星のペイントが宿る。

八咫烏(やたがらす)、招来」

 椿が右手を軽く振ると、その影から一人の男が姿を現した。長い黒い髪に、顔は半分ほど隠れている。すらりと身長が高く、黒いコートをまとった、まさに黒尽くめの男である。

「由紀子さんたちを連れて、逃げてください。ここは私と・・・韋駄天(いだてん)(りん)、招来」

 椿の影から、今度は金髪碧眼(へきがん)の若い男と、着物を着た手の平サイズの女の子が姿を現す。

「彼らで、なんとか致します」

「椿様」

 八咫烏の黒い瞳が、椿の左腕――さきほど鉢植えを受けた腕へと注がれていた。それを隠すように、椿は腕を抱く。

「異論は受け付けません」

「だってよ。さっさと行けよ、根暗カラス。ここは、俺と椿様の二人でなんとかなるんだよ。雰囲気が暗くなるから、とっとと行け」

「韋駄天、あなたは黙って」

「・・・御意」

 韋駄天が不服そうにそう言った後、八咫烏もどこか不服そうに『御意』と呟く。

「夏樹さん、あなたが(まと)っているモノ、剥ぎ取らせて頂きます」

 椿が韋駄天を伴って、階段を駆け上がっていく。

 戦いは始まった――。

 

 夏樹の蹴りは、突風を伴う。ギリギリで避けた椿の髪を巻き上げ、体の自由を奪う。流れるような動作で、次々と放たれる鋭い蹴り。薙刀で受け止めるたびに、薙刀が軋んだ。

「くっ・・・!」

 押されてばかりというわけにもいかない。最小限の動きで相手の攻撃を受け、すかさず薙刀を転進、鋭い突きを放つ。当たらない。頭を目掛けて一撃、避けられる。続いて、右即腹部。避けられる。左大腿部中央、これも避けられる。当たらない。相手の動きが早すぎる。

 椿の次の攻撃は、夏樹の右下腿中央。ほんの十センチ程度の細い標的を的確に狙うが、それは背後に飛び下がる事で避けられてしまう。そこへ――。

「うらぁーーー!!」

 隠れていた韋駄天が、横から槍で鋭い突きを放った。それも紙一重で避けられてしまう。驟雨(しゅうう)のような連激。瞬きをする間も与えないその攻撃でさえ、避けられ、時には流される。韋駄天の表情に、僅かばかりの焦りが見えた。

 間合いを無視して、韋駄天は二歩ほど踏み込む。槍は振るえない距離。だが、それでいい。韋駄天は、与えられた役目をこなすだけ。空いた左手で、夏樹を激しく突き飛ばす。その後ろは、化学室。扉は開けられており、夏樹はよろめきながら教室の中へと押しやられる。

 そこに、先回りして教室に入り、机の上で待機していた椿が飛び出し、夏樹の羽目掛けて、薙刀を大上段から振り下ろした。

「頂きました!!」

 夏樹と戦うにあたっての椿の方針は、彼女を出来るだけ傷つけずに、憑依(ひょうい)している何かを物理的に切り離す事であった。憑依しているモノが一体どんな存在なのか、それが分からないため、とりあえずそれっぽい所を切り離す――ということで、第一候補が背中の羽。第二候補が、リストバンドから生えている羽、それを狙っていた。

 間合いからしても、夏樹の体勢からしても、椿の一撃は避けられない。だから、彼女も勝利を確信していたのだが――相手は、椿の予想を遥かに上回る化け物だった。切り落とそうとしていた真紅の羽が、グニャリと曲がる。それは放たれたアンカーのように急速に伸び、椿の右足首に絡みついた。

「えっ?」

 そのまま椿は投げ飛ばされ、窓をぶち破って廊下側の窓もぶち破って、外へと放り出された。落下する寸前に、身を捻り受身を取りつつ、アスファルトの上を転がる。

「くっ・・・インチキすぎる・・・!」

「椿様ぁ〜!」

 控えていた淋が、慌てて椿の下に飛来する。彼女の力は、『癒し』。淋の思いが、椿を癒す。

「大丈夫ですか、椿様」

 韋駄天も駆けてくる。

「大丈夫。まだ、やれます」

「すいません、椿様。奴の手を読みきれませんでした」

 謝る韋駄天に、椿は苦笑しつつ首を横に振った。

「羽が伸びるなんて、冗談にも程があります」

「見た感じ物理的なものに見えましたが、あれは一種のエネルギーフィールドですね。切り落とせるかどうかさえ、怪しいと思いますが」

「でしょうね。ここはすっぱり諦めましょう」

 夏樹が空中を飛びながら、校舎から出てくる。椿は、迎え撃つべく立ち上がり、薙刀を構えた。

「夏樹さんには申し訳ないですが、全損一歩手前で行きましょう! 目を覚ましたら、ごめんなさい、で済ませればいい話です!」

「あいよ、全損一歩手前、オーダー入ります!!」

「二人とも程ほどに・・・」

 淋の言葉は、きっと届かなかったのだろう。椿と韋駄天は、今まで以上に闘志を燃やして夏樹へと突っ込んで行った。

 

 由紀子は、八咫烏に手を引かれつつ、学校の校門を目指していた。椿が夏樹と戦うために対峙していた背後で、由紀子は夏樹の言葉、それを否定しなかった椿の態度に、困惑、混乱していた。

 小泉由紀子なんていう少女は存在しない。由紀子は、上書きされた人格。そんな馬鹿な――と一笑してしまえばいい話であるが、それができなかった。由紀子は、常日頃、何かが違うと齟齬(そご)を感じていたからだ。答えが明確に掲示され、由紀子は思わず納得している部分があった。だからといって、それを受け入れられるかどうかは、別の問題だ。

 夏樹の事、自分の事。まとめて一緒に並べられて、整理が出来ない。八咫烏に、逃げるように促された時、由紀子はこう言った。

「椿さんに確かめなきゃ。今の話・・・本当なのか・・・分かんないよ。私!」

 由紀子の気持ちも分かる。だが、現状はそんな状況ではない。夏樹の殺意は本物だ。だから、椿も使い魔を召還して、本気で戦おうとしている。由紀子の意見は、受け入れられない。

「ここは退きましょう」

 八咫烏はそう声をかけたが、由紀子は受け入れなかった。だから、八咫烏は由紀子の手を引っ張った。

「ここは退くのです。心を落ち着かせてから、話を聞くべきです。お時間はあります。だから、()いてはいけません」

 静かであるが、強い声音。由紀子は納得はしきれてはいなかったが、八咫烏の手を振り払わない程度には理解できていた。八咫烏に手を引かれ歩き出す。その後ろを、神華と藍が遅れて付いてきていた。

 下駄箱を抜けて、運動場へ。誰一人として話さない。由紀子はうつむいて歩き、藍はどこか上の空。神華は、誰よりも深刻な表情をしていた。

 運動場も半ばほどまで来た時、八咫烏は足を止めた。校門の前に立塞がる少年がいたからだ。年の頃は、由紀子達よりも一、二歳若く見える。背は小さく、ボサボサの髪はすっかり褪せきっている。ガリガリに痩せているが、目だけはギラギラと獣のように輝いていた。

「渡してもらうヨ」

 少し前屈気味の姿勢。両腕をぶらりと下げている。不気味な少年だった。八咫烏は、何も答えずに、下げていた刀を抜き放った。

「下がっていてください。すぐに終わらせます」

「あは・・・アンタ、俺を瞬殺するつもりなんだ。そうか、俺、弱そうだもんな。まぁ・・・実際、俺は強くないが、コイツは・・・強いゼ。来い、兄弟」

 夕日によって長く伸びた影から現れたのは、身の丈五メートルを越そうかという勢いの巨大な、筋骨隆々の男――いや、それはまさしく『鬼』と形容していい存在であった。伝承通りに、巨大な金棒を片手に、グルルルルっと獣のようにうなっていた。しかし、それに驚いていたのは、由紀子だけであった。神華は眉根一つ動かさない。八咫烏もまるで空気扱いである。そんな最中、藍だけは別の行動をしていた。小型のナイフを取り出し、神華に見えないようにして左の手首を真横に刻んでいた。傷つけられた(とう)(こつ)動脈から、血液が滑り落ち、藍の足元に溜まっていく。

「・・・リアクション、薄くねぇ?」

 八咫烏は無言で構える。少年が呼び出した鬼も、八咫烏が放つ殺気に反応し、少年を守るようにして立ち塞がった。相当警戒しているらしく、鬼は手を出してこない。八咫烏も八咫烏で、警戒していた。少年や鬼相手にではなく、彼らが囮ではないか、伏兵がいるのではないかと。

 いつまでも立ち止まってはいられない。八咫烏が意を決めて、大地を蹴り上げたその時――。

「血塗られた騎士よ!!」

 力強い言葉が、八咫烏の背後から。声を張り上げたのは、藍だった。彼女の言葉に反応し、足元の血液が大地を走り、幾何学模様の陣を形成。そして、まさに血のような赤い光を放つ。藍の背後から、彼女が形容した通りの、血に染め上げられたような赤い甲冑を纏った、身の丈四メートル弱程度の巨人が姿を現した。左手には、同じく赤く巨大な盾を。右手には、巨大な両刃のグレートソードを持っている。出現するや否や、巨人はグレートソードを振り上げつつ、巨人の出現で一旦足を止めていた八咫烏に襲い掛かった。

 振り下ろされるグレートソードは、まさにギロチンの如く。八咫烏は、最小限の動きでそれを避けると、グレートソードは大地を易々と破砕した。回避行動を取った八咫烏を、今度は鬼が金棒で追撃してくる。さすがに、八咫烏の表情も少しばかり曇った。

 藍はそれを見つめながら右膝を付き、左手首をハンカチで止血していた。

「・・・アンタも敵か」

 由紀子の冷たい言葉。表情は、もうほとんどなくまっさらであった。

「ゴメン」

 藍は、由紀子を見ることが出来ずに視線を逸らしていた。

「謝らないでよ。もう、分かった。私は、やっぱりこの世界にいてはいけなかったんだ。私は、もっと早く死ぬべきだった」

「それは違います、お嬢様」

 由紀子の真横に、彼はいた。藍でさえ、この時ばかりは驚いていた。長身の黒い髪の痩せた男。あの時、文化祭で由紀子に占いを申し出た時と同じように、不気味な笑みを浮かべていた。

「お嬢様には、尼崎家を復興するという大役がございます」

「それは、雪の子と書くほうの私のことでしょ?」

「どちらでも構いません。我々は、お嬢様を欲しております。その命、必要でないというのであれば、我々に頂けませんか?」

 優しく手を差し伸べる男。由紀子は、感情のない瞳で男の手の平を見つめる。その間に、神華が割り込んできた。

「由紀子さんは・・・渡しません」

「神華さん、危ないから。私が行けば、それでいいみたい。だから・・・」

「聞きません。由紀子さんは、由紀子さんです」

 神華の言葉は、由紀子の心を打った。彼女の瞳に、僅かばかりの感情が蘇る。同時に、男の瞳に殺気が宿った。

「そうですか。ならば死ね」

 男は手を動かそうとしたが、神華の瞳を見てすぐに止めた。神華の瞳が、僅かばかり赤く染まっており、並々ならぬ力を醸し出していたからだ。だが、次の瞬間、神華は急に意識を失ってしまった。

「神華さん!」

 慌てて、神華を抱きとめる。男は、不思議そうにしていたが、気を取り直したのか不気味な笑みを取り繕った。

「私と来てくだされば、友達には手を出しませぬ。約束いたしましょう。しかし、どうしても聞いてくれないというのであれば、その子のまずは耳から千切りましょうか。次は、鼻。目もほじって、指は一本ずつ切り落としましょう。お嬢様が、一緒に来てくれると言うまで、嬲りましょう。いかがです? 私は、そのほうが楽しいですが」

「止めてっ! 誰も行かないとか・・・言ってない。連れて行って。どこへでも、連れて行けばいい。私の居場所は・・・もうどうせここにはない・・・」

「賢明な判断でございますが、ちと残念ですね。では、行きましょう」

 由紀子の手を取り、抱き寄せる。それから彼は、藍のほうへと視線を向けた。

「藍、お前の両親は、役目を終えたぞ。お前も、木偶の坊と共に盛大に散れ」

 不気味な笑い声を振り撒いて、男は由紀子を抱えて去っていった。

「・・・お父さん、お母さん。本当にこれでよかったの?」

 藍は、静かに涙を零していた。

 

END

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