第十四話『覚醒予兆 後編』


 およそ四百年前の話である。

 ある弱い男がいた。一族の恥さらしだ。長男であるくせに、弟や妹達にも劣る出来損ない。いつも泣いていた。だが、誰もそんな惨めな男に救いの手を差し伸べたりはしない。あざ笑い、軽蔑する。そんな彼にも、唯一といえる心の拠り所があった。(たま)(もり)の奥で、魂を管理する神、『月読(つくよみ)』である。伝承では、『(みこと)』――男性神であるはずであるが、なぜか美しい女性の姿。声音も、言葉遣いも女性のものである。月読は、弱い男を慈しんだ。弱い男も、月読を母のように慕っていた。

 そんなある日の事である、弱い男の前に一人の男が現れた。男は言った。

「力を望むか?」

 弱い男にとって、『力』を欲しなかった日はない。だから、彼は頷いてしまった。望んでしまった。『力』を。

 それが全ての始まりとなる――。

 

 夜道を疾走する櫻。虫の鳴き声さえ聞こえてこないのは、異常だ。やはり何かが起こっている。それは間違いない。刀の鞘を強く握り締め、櫻は急ぐ。

 しばらく走っていると、道路の脇に車が止めてあるのが見えた。近くに男が一人――いや、何かを抱えている。遠くからでははっきり分からないが、どうやら抱えている何かを車に乗せようとしているようである。

 直感する。男は敵で、乗せようとしている物が沙夜であることを。故に、敢えて大声を上げた。

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 男――いやまだ少年と呼ぶべきか、櫻の声に気づき、動作を一旦止める。距離としては、残り50メートルほど。一気に間合いを詰めようとしたその時、少年が黒い何かを取り出しこちらに向けてきた。

 櫻の野生の感が閃く。あれは、即死系のヤバイものだと。生命の危機を感じた彼女の動作は、恐ろしく正確であり素早かった。刀を抜き、額を守るように縦に構える。同時、パンという乾いた音が響き渡り、刹那、刀がキィン! と何かを弾いた。刀を持つ手が、その衝撃に(おのの)く。

「・・・鉄砲?!」

 それしかない。相手は、てっきり除霊屋に携わるものだと思っていた。除霊屋とは、とてもまじめで頭の固い連中の集まりである。己の力を絶対としているため、九藤家のような異端分子はいるものの、大抵は近代兵器なんてものを嫌っている。武士道に反する、という思いとかもあるのかもしれない。今回の相手は、いきなりそれを無視してきた。

「桜花! お願い!」

 櫻の声が響くと、彼女の前方にピンク色の桜の花びらが広がった。無数の花びら。たったそれだけのか弱い壁に見えるが、そうではない。呪力を帯びた、絶対障壁。多少の爆発程度なら防ぐ事ができる代物なのだ。そのため、再び放たれた銃弾は、花びらに包み込まれてそのまま大地にむなしく転がっていく。その間に櫻は、側にあった電柱の裏に姿を隠した。

「卑怯者め! 男ならガチで勝負に来い!」

「・・・予想外の展開だったりしますわね」

 愚痴る櫻のすぐ近くに、すっと姿を現す全長20センチほどの桜色の着物をまとった小さな女の子。長い髪の毛を高く結わえており、派手やかな金色の(かんざし)を挿している。それは絶世の美少女であるが、このサイズではどうしようもない。彼女の名は、『桜花』。櫻が契約している桜の精である。

「桜花、当主に連絡しといて」

 携帯電話を投げ渡す。それを受け取る桜花は、冴えない表情をしていた。

「戦うおつもりですの? 相手は、鉄砲持ちですよ。櫻さんは、今まで鉄砲とは戦ったことないのだから・・・」

「それでもやらないといけない! 分かるでしょ?!」

 桜花は、ため息を吐いた。やるといったらやる。ご主人の率直さに、桜花は呆れはするものの慈しみも感じていた。それだからこその櫻であり、主人なのだ、と。

「分かりますけど、心配ですもの」

「私は桜花を信じている。私と桜花なら・・・やれる」

「・・・いいですわ。櫻さんのことは心配ですけれども、ここで沙夜様を失うのはとても惜しいですから」

 渋々といった感じで、桜花は携帯を操作し始める。櫻は、電柱の影から少し顔を出す。直後、目の前でコンクリートが弾けた。思わず顔を引っ込めた櫻は渋い顔。

「正確無比、問答無用か。なら、一気にいくしかない」

 刀に力をこめ始める。刀身が、淡く光を放ち始めた。

「一・・・」

 ぐっと構え、いつでも飛び出せる姿勢を取る。

「二・・・」

 相手の気配を探る。しかし、それは適わなかった。相手は、足音どころか気配も完全に絶っている。もうここからは完全に賭けだ。

「三!」

 電柱の影から飛び出す櫻。少年は、こちらに向かってまっすぐに歩いてきていた様子で、距離も30メートルほど埋められていた。無慈悲な銃口が的確に狙いを定めてくる。それに恐れず、櫻は刀を大上段から振り下ろし、刀に込められた力を一気に解き放った。

 解き放たれた力は、微動だにしない少年の横をかすめていく。そして、櫻の狙い通りに、路駐していた車へと直撃し、車を半ばほどまで切断した。さすがの少年も後ろを振り返る。それが最大のチャンス。櫻は、一気に間合いを詰め、上段から剣を振り下ろした。その一撃を、少年は腰に携えていた刀で受け止めた。それも片手で。

「これで足は潰れた。観念しろ!」

 相手は片手だというのに、櫻が両手でいくら押しても微動だにしない。まるで鋼入りの板である。

 少年は、まだ中学生かギリギリ高校生ぐらいの容姿。線も細く、表情もまるでない。人形を思い起こさせるような、冷たい印象の子だ。四肢も細いというのに、この力。まるで不釣合いである。

 と、相手を観察していると足首に何かが巻きついてくる感触――次の瞬間、櫻は夜空をクルクルと舞っていた。

「えっ・・・?」

 戸惑いの中、少年の左腕から荒縄のようなものが一本伸びている事に気づく。あれが足に巻きつき、櫻を投げ飛ばしたようだ。ただの荒縄のようにしか見えないが、とんでもない力を有しているようである。そして、その荒縄は櫻にあることを思い起こさせた。しかし考えを整理する時間なんかは与えてはくれない。

 向けられる銃口。空中にいる櫻には、どうやっても避ける事ができない。なら、弾くしかない。

「桜花!」

 少年が放つ銃弾が、櫻の前に展開された桜の花びらで出来た壁に弾かれていく。無事着地した櫻に、少年は腕をかざした。次の手を打ってくるようである。櫻は、咄嗟に叫んだ。

「待って、兄さん!」

 少年が腕を止める。今まで表情を変化させなかった少年であるが、今は少し戸惑っている様子であった。櫻は、チャンスとばかりに言葉を続ける。

「その荒縄・・・兄さん、藤堂晃なんでしょ?!」

 両親を危め、櫻自身も額に消えない傷を刻まれた、忘れもしない荒縄の忌々しいその姿。後にも先にも、そんな特殊なものを使っていたのは、実の兄である藤堂晃の他にはいなかった。思わず、刀を握る力が強くなる。

「僕は、確かに『晃』と呼ばれている。でも、僕の妹は僕がこの手で殺した。生きているはずがない」

「そうよ。でも私は死ななかった。頭蓋骨の丸みで滑って、貫通しなかった・・・この傷が、その時の傷!」

 髪をかき上げると、左の額の上から頭頂部に向かって傷跡が残っていた。

「こんな所で会えるとは思わなかった。両親の無念、ここで晴らす・・・!」

 憎悪に表情を歪める、櫻。少年は、戸惑いの表情を浮かべたまま、動く事ができないでいた。

 

『沙夜・・・沙夜・・・』

 呼びかけに、少しぐずる。頬を軽く叩き、何度も彼女の名を繰り返す。そのかいもあって、沙夜は急速に覚醒へと向かっていった。うっすらと開いた瞳が捉えたのは、醜い死神の仮面だった。しかし、沙夜は恐れる事もなく、淡々とそれの名を呼ぶ。

「死神さん・・・?」

 死神の仮面に黒いマントを羽織ったそれは、沙夜の近くに時折姿を洗わず謎の存在だった。名前さえ知らないそれを、沙夜はルックスから『死神』と呼んでいる。しかし、それが死神らしい事をしているのを見たことはないが。所詮、沙夜がそう呼んでいるに過ぎない。

『早く外へ。大変な事になっている』

 相変わらずの無機質な声。男か女かも分からない。マントから伸びる細く白い腕を見ると、女性ではないのかと思えるのだが、それも憶測の域を出ない。

「待って、兄さん!」

 外からそんな声が届いてきた。それが櫻の声であることに気付いた時、急速に彼女の脳は回転を始めた。

「櫻さんの声? なにが・・・どうなっているの?」

 車から下りると、左手の方で細身の少年と櫻がそれぞれ刀を持って向かい合っている姿が見えた。その少年が、櫻の兄なのか? 考えを巡らせようとしたとき、死神が告げる。

『今はそちらよりも・・・こっちだ、沙夜』

 死神が指したその先には、血の海に仰向けで沈む由紀子の姿があった。

「えっ? 由紀子・・・さん? 由紀子さん!」

 慌てて駆け寄り呼びかけるが、半分ほど開いた由紀子の瞳はまるで動く事がない。瞳孔も開ききっている。手を取ってみると、ひんやりと冷たかった。由紀子は、どう見ても死んでいた。沙夜は、あまりの現実に目を見開く。

(やいば)が心臓に達していた。私には助けられなかった』

「そんな・・・いやぁーーーーーーーー!!」

 沙夜は慟哭を上げ、冷たい(むくろ)と化した由紀子に覆いかぶさる。

 そして、変化は起こった。

 

 暗い空間を、ただただ下へ下へと下っていた。感覚が曖昧なので、下に下っているような感じがするだけなのかもしれない。何が起こったのか分からないまま、彼女はここにいる。ぼんやりと誰かが呼ぶ声を感じていたが、心が動かない。ただただ沈みいくのみ。

 しばらくして突然変化が起こった。

『種・・・保・・・優先・・・目標・・・加える・・・性・・・対象・・・全・・・まで・・・能力・・・定す・・・』

 途切れ途切れにしか聞こえていない。何を言っているのかもさっぱりである。次の瞬間、周りの暗い空間が一気に赤い色へと染め上がる。そして彼女は、己の意識を手放した。

 

 妹だと、目の前の少女は言う。

 覚えている。頭から血を流し、力なく壁際でうな垂れる――最後の姿。確かに、死んでいると思った。しかし、バラバラになった両親と違って、妹は本当に死んでいたのだろうか。遠くから見ていただけで、その体には触れていない。本当は生きていた――?

『お前が、両親と妹を殺した。俺と来い。どうしようもないお前を救えるのは、この俺だけだ。俺と共に来れば、願いの叶う扉が開く。そこでお前は、全ての罪を清算することができるだろう。来い、晃!』

 全てを失った時に、彼――()神皇(しんのう)は現れて、そう言った。彼にすがるしかなくて、彼と共に歩く道を選び、それからの記憶は曖昧でよく覚えていない。

 ただ、妹は死んだものだと確信していた。それは何故なのか?

 そもそも、願いの叶う扉とは――そんな都合がいいものがあることを信じていたのか?

 なぜ、あの場所に鬼神皇がいたのだ?

 今まで、一度も暴走しなかった阿蛇螺が、なぜあの時に限って暴走したのか?

 なぜ――。

 今まで考えもしなかった事が、次々に疑問として湧いてくる。霞が晴れていくように――。広がっていくは、現実の世界。怒りを込めて振るわれる、復讐という刃。

 妹は、笑っていた。

 暗く、澱みを孕んで。

 それを見た瞬間、晃は悟った。

「櫻・・・なんだね・・・」

 

 防戦一方の兄――晃に叩きつけるように刀を振るう櫻。なぜ反撃してこないのか、なぜ距離をとらないのか、そんなことはどうでも良かった。

 壊す。殺す。この男を――殺し尽す。そのためだけに生きてきた。そのためだけに腕を磨いてきた。そのためだけに、橘家に尽くしてきた。そう、この時の、この瞬間のために全てはある。

 今まで、冷たい氷の中で生きてきたようなものだった。

 兄を殺すその日が来るまで、橘家から捨てられないように橘家のために尽くし、橘家にとってふさわしい姿を演じてきた。ただ、生き残るための毎日。そこに楽しいとか、嬉しいとかいう感情はなかった。

 刀を振るうたびに、心が躍る。

 刀がきしむ音を聞くたびに、嬉しくなる。

 生きている。今、確かに生きている。櫻は、暗い感情の中で嬉々としてそう感じていた。

「殺す! 殺す殺す殺す殺す殺す!! 壊してやる!」

 櫻の一撃が、晃の防御を崩す。今まで、暴風のような攻撃をひたすら防御し続けてきたのだ。限界は、必ず来る。ここまで保ち続けたのが、奇跡に等しい。なにせ櫻の一撃は、巨木を両断する。普通の人間であれば、刀で弾こうとしてもそのまま切り捨てられるのがオチだ。それを片手で止め続けた晃は、人と呼べるのだろうか。だが、今この状況でそんな疑問を持つものはいなかった。

 絶対的なチャンスを得た櫻は、刀を素早く切り返し、大上段からの一撃に打って出ようとしていた。しかし、その一撃は振るえなかった。背後から凄まじい力の波が押し寄せてきたからだ。

「な・・・なに? この力・・・!」

 櫻も思わず、立ち止まる。とても冷たい無機質な力だ。何の方向性もない、ただただ破壊を実行するだけの、単純なもの。その力は赤い光の柱となり、闇夜を切り裂き、空を貫く。

「由紀子さん!」

 沙夜の切羽詰った声が聞こえてきた。次の瞬間、力の中心部から凄まじい速さで何かが走り寄ってきた。身構える櫻であったが、それはまっすぐに晃へと襲い掛かった。

 ゴッという硬い音。突然の展開に対応できなかった晃が顔面を殴り飛ばされ、民家の塀をぶち壊してその向こう側へと転がって行った。

 櫻は、刀を構えて間合いを取る。襲い掛かったそれは、女だった。腰まである長い髪がゆらゆらと不気味に動く。彼女の体からは、まるで炎が立ち上るかのように赤い光が噴出している。しかし、それは火でない。純粋なる彼女の力が単に赤い光を帯びているだけである。

 女がゆっくりと櫻に顔を向ける。不気味に輝く血のように赤い瞳が、櫻の姿を写しこむ。ぞっとするような、獣の瞳だ。

「・・・赤鬼!? どうして・・・!」

 櫻は、それを知っていた。知っているだけに、大きな疑問に直面する。しかし、状況は櫻に考える余地を与えなかった。塀の向こう側から伸びてきた荒縄が、女の首に巻きつく。ゆらりと姿を現す晃。ペッと血をはき捨てる。凄まじい勢いで殴られたにも関わらず。割と平気そうである。この頑丈さは、やはり人間のものとは言い難い。

 荒縄をしっかりと引きつけ、彼は銃を女に向ける。そして、躊躇うことなく発砲。乾いた音が、再び響き渡る。しかし、銃弾は女の前で赤い透明の壁に塞がれ霧散する。それでも構わず晃は発砲を続けつつ、別の荒縄を動かし、死角から女を狙う。次の瞬間、女はそのまま跳躍した。荒縄で繋がっていた晃諸共。

「なっ・・・?!」

 驚きつつも何とか空中で姿勢を整えようとしていた彼の腹に、容赦なく拳を叩き込む女。そのままアスファルトに叩きつけた。アスファルトが砕け散り、雨となる。

 状況を見ていることしか出来ない櫻。彼女の前で、女が再び空へと舞う。さきほどの衝撃で出来たクレーターから晃が姿を現し、また発砲。しかし、それはやっぱり通じない。着地した女は、再び晃へと突っ込んでいく。晃はそこで、(きびす)を返して商店街の方へと走り出した。

「場所を変える気? って・・・あぁ、どうなっているか、全然分からん!」

 状況がまったく掴めないため、苛立つ櫻。そんな彼女の下に、沙夜が慌てた様子で走り寄ってきた。その彼女の側には、見慣れない黒いマント――死神の仮面をつけた不気味な存在が。

「櫻さん! ゆ、由紀子さんが、なんだか、その、赤くなって・・・!」

「とりあえず落ち着いて」

 櫻は、ちらりと黒いマントを伺う。今の所、何かしてくる様子はないが、不気味すぎるため油断するわけにも行かない。これ以上、状況をややこしくしてほしくないんだけど――というのが、櫻の素直な思いだった。

「私の質問に答えて。あの赤い瞳は、小泉由紀子?」

 ゆっくりと焦らずに聞く。それは沙夜のためでもあり、また櫻自身のためでもあった。

「う、うん」

「小泉由紀子に何があった?」

「小泉由紀子は、君が戦っていた『晃』という男に斬り殺された。その後、突然蘇り、あの状況だ」

 沙夜の変わりに、黒いマントが答えた。櫻は、黒いマントを睨み付ける。

「アンタは?」

「答えろ。あれはなんだ?」

「こっちが質問している。答えろ」

 静かに睨み合い、嫌な雰囲気。慌てて沙夜が間に入り込んできた。

「あ、あの、ダメ、喧嘩、今はダメ」

「喧嘩じゃない。聞いているだけ。なに、この不気味な死神野郎は?」

「私が物心付いた時から側にいるの。悪い人じゃないよ」

「私のことはどうでもいい。答えろ。あれはなんだ?」

「機密事項だ。話せない。これからは除霊屋の管轄となる。一般人は退避しろ」

 櫻と黒いマント。一歩も引く気が見えない。間でおどおどしている沙夜。その彼女の手を、黒いマントが握った。

「行こう。コイツは論外だ」

「えっ?」

「行くって、退避しろと言っている!」

「小泉由紀子を討つつもりなんだろう? そんなことさせるわけにはいかない」

「由紀子さんを・・・討つ?」

 信じられないといった表情で、櫻を見る。櫻は、そんな沙夜の視線から逃げるように顔をそらした。

「それしか方法がない。小泉由紀子のためでもある!」

「論外だ。沙夜なら救える」

「何が出来る?!」

「機密事項だ」

 櫻が刀を構える。それに対して、静かに沙夜が右手を突き出した。

「櫻さん、私由紀子さんを助けに行きます。私にならできる?」

「沙夜にならできる。私が側にいる」

 黒いマントは、いっぺんも迷わなかった。沙夜が、深く頷く。

「なら、私はあなたを信じます」

「沙夜・・・」

「ごめん・・・なさい。でも・・・私・・・やらないと。由紀子さん・・・大切だから。私を・・・私が、ここにいるのも・・・由紀子さんがいたからだから。失いたくないから」

「待って」

 櫻が刀を納める。

「本当はダメだけど、そちらが方法を開示してくれるのであれば、私も情報を開示する。交換条件だ」

 沙夜を見て、黒いマントを見る。沙夜も黒いマントのほうを見ている。

「・・・分かった。全ては話せないし、説明もできない。それでいいなら」

「私も赤鬼についてはそこまで詳しくは知らない。それでいい」

「ならば、そちらから話してもらいたい」

「分かった。情報があれば、やり方も変わるしね。小泉由紀子は、『赤鬼』という化け物を体の中に飼っている。『赤鬼』がなんなのかは、実は分かっていない。ただ、一度目覚めれば全てのものを壊すと言われている。いまだかつて、『赤鬼』に取り憑かれた者は全て処分されてきた。小泉由紀子も覚醒したからには・・・」

「・・・あれは一種の防衛本能だ」

「防衛本能?」

「『生きたい』、『死にたくない』。そういう純粋なる力の波動。『赤鬼』とは、本来そういうものなのかもしれない。ならば、心の鍵をこじ開け、内で眠る由紀子に声をかければ、治められる」

「そんなことができるの、彼女に?」

「彼女の本当の力は、『扉を開く』ことだ。感応も霊媒も、その力の副産物に過ぎない」

「扉を開く・・・?」

 沙夜の頭を優しく黒いマントが撫でた。櫻は、そこで黒いマントの手を初めて見て、そして軽く驚いていた。無機質で冷たい声、無駄のない台詞――しかし、黒いマントの手は同じ年ぐらいの少女の手にしか見えない。一体、この黒いマントは何者なのか。今は、残念ながらそれを追及するときではないが。

「私と共にいればいい。さすれば扉は開く。後は、己を信じよ」

「・・・分かった。私、やってみる。自分が出来る事を」

「じゃ、私は援護するから。さっき橘家の当主に連絡をしたから、すぐに駆けつけてくる。一回しかないから、チャンスは」

「一回で十分。急ごう。時間を使いすぎた」

「うん」

 黒いマントは沙夜を抱き、凄まじい勢いで走り出した。それは櫻も目を見張る瞬発力だった。

「ちょ・・・と、待ちなさい!」

 櫻も、慌てて二人を追いかけた。

 

 晃は、途中から住宅街へと入り込み、櫻町の西端である大槻湾へと赤鬼を誘い込んだ。今は、さすがに誰もいない。静かに波の音だけが聞こえてくる。砂浜で迎え撃ち、三回ほど攻撃を退けてから、間合いを取った。赤鬼の度重なる攻撃に、両腕は阿蛇螺で補強したとはいえ確実にダメージが蓄積していた。だが、それもこれまでである。

「・・・あなたにやられるわけにはいかないのです。僕は、()神皇(しんのう)様に聞かなければなりません。今抱えている疑問の答えを・・・だから、恨みも何もありませんが、あなたには壊れていただきます」

 赤鬼は、本能の赴くまま、晃の台詞が終わる前に攻撃を仕掛けてくる。単調であるが、一撃一撃が速くて重い。しかし、これぐらいならば晃の敵ではない。攻撃を避けつつ、首にかけてあった剣の形をしたネックレスを手に取り――。

「誓いの剣よ! 我、久遠と誓いを結びし者! 答えよ、そして示せ! 我らの誓いを!」

 剣の形をしたネックレスが光を放ち、長い剣へと姿を変える。まっすぐの刀身は、両刃で一メートルと五十ぐらいはあるだろうか。全体的に飾り気がなく、それは銅剣を思い起こさせる形であった。だが、今のような密着状態では剣は振れない。だから――。

 赤鬼の振るってきた右手に手を沿え、流す。間合いは空いた。倒れることなく、なんとか姿勢を保ち続ける赤鬼の背中に、晃は剣を豪快に振り回し、大上段から遠心力と共に振り下ろした。それは、姿勢を整えることで精一杯の赤鬼には防ぐ事ができない一撃であった。

 勝負は決まった。そう晃も確信していた。必殺の一撃だった。

「なっ・・・んで?」

 だが、そうはならなかった。刃は、赤鬼には届いておらず不気味な赤い透明な手に握り止められていた。引いても押しても動かす事ができない。万力のように締め付けている。姿勢を整えつつある赤鬼であるが、晃はそれを見ていなかった。

 赤い透明な手は、一本ではなかったのだ。次から次へと無数に地面から湧いて出てきて、それだけでは飽き足らず、顔、体――無数の赤い手は、いつのまにか無数の赤い人たちに変わっていた。子供もいれば、老人もいる。男も女も――その数は、ざっと三十人ほどであろうか。どれも赤い瞳を爛々と輝かせていた。

 晃は剣から手を離し、ポケットから手榴弾を取り出してピンを抜き、投げ放つ。しかしそれは、赤い人たちの一人が無造作に掴み、空へと投げてしまった。手榴弾は、虚しく空中で爆発した。その爆発の間に、また別の赤い人が晃から奪った剣を投げつけてきていた。その行動に気付いた時には、もう回避不能だった。剣は、彼の右足に深く突き刺さり、勢い余って地面を穿った。

「ぐっ・・・!」

 それでも彼は諦めなかった。刀を右手に、左手には拳銃を。最後の一瞬まで戦い抜く。そんな様子がありありと見て取れた。

「ちょっと待ちなさい!」

 そこへ、彼女らは現れた。堤防の上、抜き身の刀を片手にした櫻の声が、美しく響き渡った。

 

 鎮めの契りを外し、ポケットの中に突っ込む。少しだけ、世界が少しだけクリアになったような気がした。黒いマントの死神は、堤防に着くなり姿を消した。だが、沙夜は確かに感じていた。自分の中に、死神の存在を。だから、鎮めの契りを外すのも怖くなかった。守ってくれているような気がしたからだ。

「私がかく乱するから、後は頼む」

 櫻の言葉に頷き、『お願いします』と答える。沙夜の側に、桜花がやってくる。

「私の力で、周りが桜の花びらで覆われても見通すことができますの。信じていますわ」

 小さな桜花の姿に、驚きを隠せない沙夜。彼女の様子を見て、桜花は自己紹介をしていないことを思い出したようだ。

「あらあら、私としたことが。私は桜花。櫻さんと契約を結んでいる桜の精よ」

「そ、そうなんですか」

「私のこと、櫻さんったら全然表に出してくれないのよ。ずっとお話がしたかったの、あなたと」

「そこ! 無駄口叩いてないで行くよ!」

「はいは〜いですわ。もう・・・では、また会いましょう」

 桜花が手を振っていたので、沙夜も手を振り返す。姿は櫻を小さくしたような感じではあるが、性格はまるで正反対である。櫻が表に出したがらないのも、よく分かる。

「桜花!」

「はい、桜花絢爛、その目でしかと見よ」

 櫻の声に呼応して、桜花が舞う。吹き荒れる桜の花びら。一寸先さえ見えないピンク色のカーテン。しかし、沙夜には相手の姿がはっきりと見えていた。ようはマジックミラーなのだ。相手側からは見えないが、こちら側からははっきりと把握できる。卑怯な能力である。

 櫻が飛び出す。右側から弧を描くように。沙夜は、反対側から行こうかと考えたその時。

『上だ』

 脳裏に無機質な声が響いた。どうやって――と思ったのは一瞬、沙夜は大地を蹴り空高く舞っていた。無数の赤い透明の人々の中心に由紀子の姿。こちらには気付いていない――そう思ったが。

「・・・・・・?!」

 幾人かの透明の人が、沙夜の方に顔を向けてきた。視覚も能力もかく乱されているこの状況で気付く。相手の力が、櫻の力を大きく上回っているという事である。迷えば、櫻は負ける。だから、沙夜はそのまま右手を突き出したまま突っ込んだ。

「由紀子さぁぁぁぁん!!」

 沙夜の瞳が鋭い光を放つ。声に気付き振り向いた由紀子の赤い瞳を確実に捉えたその瞬間、沙夜の意識はその中へと吸い込まれていった。

 

 気付くと真っ赤な空間にいた。ふわふわと舞いながら。

「ここは・・・?」

 呟き驚く。声は、脳内に直接響いていた。

『由紀子さんの心の中だ』

「えっ? 誰?」

 少女の声音に驚く。聞いた事のない声だった。

『死神だ。ここでは声が偽れない。気にするな』

 やっぱり同じ年ぐらいの子なんだ――と、納得する沙夜。なぜ死神の中身が少女なのか気になるところであるが、今はそんな状況ではない。

『感じろ・・・由紀子さんを』

「感じる・・・?」

 意識を集中してみると、僅かであるが由紀子の気配を感じ取る事ができた。それを辿り進んでいると――。

「あれは・・・?」

 長い髪の少女が顔を膝の中に埋めて座っていた。沙夜の気配に気付いた様子で、ゆっくりと顔を上げる。それは由紀子ではなかった。だが、その瞳は真紅に輝いていた。

『誰?』

「えっ・・・あ、さ、沙夜、氷女沙夜・・・です。は、はじめまして」

 変な挨拶をしているのは分かっていたが、どうすることもできない。その挨拶に対して、少女は表情を変えない。能面のような表情を向けてくるばかり。彼女の気配は、ものすごく微弱だった。

「沙夜・・・あなたが・・・私は茜」

『由紀子さんは、どこにいる?』

 死神の声が響いた。

雪子(ゆきね)? あの子は・・・死んだわ。私が・・・殺した・・・」

「えっ?」

「その子に話しかけても無駄よ」

 驚く沙夜に、背後から声をかけてくる。立派な真紅の着物を着た、これまた真紅の瞳の見目美しい女性だ。

「あなたは・・・?」

「今はそれを語るときではないわ。サトリの後継者、氷女沙夜。祈り、歌いなさい。心を穏やかにする、優しいメロディを。それだけでいいわ」

「祈り・・・歌・・・」

 目を静かに閉じ、由紀子を思う。その思いが、青い光となり赤い空間を満たし始める。そして――赤い世界は、音を立てて崩れ落ちた。

 

 赤い人たちが消えていく。折られてしまった刀を片手に、櫻はその様を見ていた。

「・・・やったの?」

 赤い人たちが全て消えてしまった後には、眠る由紀子を抱きしめる沙夜だけが残った。沙夜は優しく由紀子を抱きしめている。その表情の穏やかさで、櫻も終わった事を実感し、嘆息を吐いた。

 だが、これで終わりではない。櫻は、振り返る。晃は、一歩も動いてはいなかった。二本の足で、しっかりと立ち静観していた。右足は、己の剣で串刺しにされていたはずであるが、その剣もなければ晃自身も足をかばったりはしていない。目の錯覚だったのかと、思わせるほどに彼は自然に立っていた。その彼の胸には、銀色の剣のアクセサリーが小さく輝いている。

 櫻は、ゆっくりと間を詰めた。距離にして三メートルほど。櫻なら、一足で相手を捕捉できる位置である。半ばから折れた刀で、深く腰を沈め構える。静かな波の音が響く。

「・・・最後に君の前を聞かせてもらえませんか?」

 櫻は、今更何故、名前を問うのだろうかと、不思議そうに眉根を動かす。

「櫻よ。妹の名前も忘れてしまっているなんてね」

「櫻・・・あぁ、藤堂櫻・・・僕の名前は・・・藤堂・・・晃」

 本当に嬉しそうに、晃は笑っていた。ずっと探していたものが、見つかったかのように見える。

「ずっと・・・忘れていた・・・僕の苗字。藤堂・・・」

 戦闘態勢に入っていた櫻も、戸惑いを隠せなくなっていた。晃には、まったく戦う意思がない。そんなもの関係ない、とばかりに踏み込んでしまいたいところであるが、何故か最初のときと違って足が動かなかった。

「櫻・・・僕は、確かめないといけない。なぜ、あの場所に鬼神皇様がいたのか、なぜ、あの時に限って阿蛇螺が暴走したのか、なぜ、僕の記憶を操作していたのか・・・」

 晃は、櫻に向き直って笑って見せた。それは櫻が知る、優しい兄の笑顔だった。

「だから・・・少し、待って。全てを聞き出せたら、戻ってくるから。その時僕は、櫻からの裁きを受けるよ」

「それは・・・ダメ」

 櫻は、ほとんど迷わずにそう口にしていた。なんの確信もないにも関わらずそう言い切った背景には、言い知れぬ『不安』があったからだ。ここで別れれば、もう二度と会えない。そんな予感が、彼女を苛んでいた。

「真実なんてどうでもいい。私が、お前を殺す。それで・・・終わり。私は、お母さんとお父さんの所にいける。やっと・・・終われる」

 櫻は、涙を流していた。両親を失ったあの日以来、初めて流した涙だった。

「そんなのダメです!」

 櫻の言葉を聞いて、沙夜が背後から呼びかけた。

「櫻さんがいなくなるなんて、そんなのダメです!」

「あなたには分からない。あの事件の記憶は、私には重すぎた。生きるのが辛い。だから、せめて・・・仇を成すまで・・・そう頑張ってきた。もう・・・生きたくない」

「私には・・・櫻さんの気持ち、分からないです。でも、私だって辛かった! こんな能力を持って生まれたために、私は何度も死のうと思って、何度も腕を切って・・・! でも、私、今は生きていて良かった、て思えている! 櫻さんと一緒だから、私はそう思えているの! だから・・・わがまま・・・だけど・・・櫻さんがいなくなるなんて、そんなのはダメ! 櫻さんが死ぬなら、私も自殺する!」

 沙夜は、櫻の背に絶対に離してなるものかとしがみ付いて泣いた。櫻は、彼女の涙を背にしながら、思い返す。

 本当に、生きるだけの毎日だっただろうか――と。

 櫻自身は、確かにそう思って生きてきたかもしれない。しかし、笑ったことがあった。沙夜と優子と一緒にいて、それを楽しいと感じていた。あれも、『生きている』と言えるのではないだろうか。

 辛い事ばかりの毎日。苦しい事ばかりの毎日。

 十年前の事件の記憶は、大きな影となって櫻の心を覆っていたが、それでも――。

 生きる事は出来ない事はなくはないか。

 沙夜と一緒なら――。

「水族館・・・約束したよね・・・そう言えば」

「はい、明日です」

「そっか・・・もう少し、私は・・・生きないといけないのかな」

「もう少しじゃないです。ずっとです」

「・・・辛いなぁ。でも・・・楽しいかな」

「はい。私、頑張ります」

「・・・私、生きてもいいんだね」

 櫻の心の中に光が差し込んでいく。ずっと暗かった世界が、明るく見えた瞬間でもあった。

 晃も、二人の姿を見守る。優しく、そして嬉しそうに。

 彼も帰らなければならないと感じていた。ずっと一緒に育ってきた久遠に会うために。今までとは、違う形で久遠と話せそうなそんな希望を抱いていた時、晃の心を惑わす声が響き渡った。

「絆によって、修羅になりそこねたか。藤堂櫻」

 いつからそこにいたのか。堤防の上に、一人の男の姿があった。眩い金色の瞳に、ぼさぼさの黒い髪。不気味に微笑むその男の姿を見て、晃が『鬼神皇様』と呟いていた。

「鬼神皇・・・あれが・・・敵!」

 折れた刀を握り締めて、上から見下ろしてくる鬼神皇を睨みつける。

「まぁいい。晃、そんな所で突っ立っていないで、殺せ。そこの二人を」

「・・・聞きたいことがあります」

「あぁん? 俺は殺せと言っただろうが。聞こえなかったのか?」

「どうして、あの場所に鬼神皇様がいて、これまで暴走しなかった阿蛇螺があの日に限って暴走したのか、教えてください!」

 鬼神皇は、冷たい瞳で晃を見下ろしている。底知れない、金色の瞳は空に浮かぶ月よりも鮮やかに輝く。彼が口を動かそうとしたその時――。

「三文芝居だな、鬼神皇」

 横から口が挟まれた。

 青い髪に青い瞳の見目美しい、薄い青色の衣を身に纏った少女が鬼神皇と同じく堤防に立っていた。鬼神皇は、その姿を認めて薄く笑った。

水及(みなの)か。久しいな」

「千年振りであるな」

 水及と呼ばれた彼女は、晃の方に顔を向けた。

「晃殿の疑問、この私が代わりに答えよう。十年前の藤堂一家殺人事件を仕組んだのは、この男、鬼神皇である。晃殿の腕に宿りし阿蛇螺は、この男が晃殿の前世である佐助殿に植え込んだ妖。外部から制御し、暴走のように見せかけるなど、朝飯前であろうな」

 水及の瞳が、晃が、櫻が、そして沙夜の視線が全て鬼神皇に集まる。彼は、その視線のなかで、ふっと笑って見せた。

「どうだかな。そんな昔の事、覚えてねぇよ」

「嘘つけ。私のことを覚えていたお前が、十年前の事を覚えておらぬはずがなかろう。相変わらず、嘘が下手な男だな、お主は」

「ほざけ、老婆。お前は、インパクトが違うだろうか。忘れたくても忘れられるか」

「誰が老婆だ。私よりも長く生きているお前にだけは言われたくないな」

 鬼神皇は、そこで話を切るように『晃!』と叫んだが、呼ばなくても、晃はずっと鬼神皇を見つめていた。そんな彼に、鬼神皇はわざとらしく手を差し伸ばした。

「お前が決めろ! 俺と共に来れば、お前の罪は償われる。失ったものも手に入れることができるだろう。それに、お前にあてがった久遠も帰りを待っている! お前の進むべき道は、この俺が示してやろう。お前の苦悩、悲しみ、迷いはこの俺が全て消し去ってやろう。だが、俺を裏切るというのであれば、その時はそれ相応の覚悟を決めろよ。俺は、お前にとって最大にして最強の壁となり、必ず立ち塞がる。お前が大切にしているものすべてを、俺の(かいな)で爪で(あぎと)で、粉々してやろう! さぁ、選べ! 俺と共に来るか、俺と戦う道を選ぶか! さぁ、選べ!」

「・・・無茶振りもいいところだな」

 水及の言葉は、さらりと流した。今、彼女の相手をしている暇はないことは、鬼神皇も分かっていた。時間が経過すれば、この町を縄張りにしている橘家が動く。いくらなんでも、一人で橘家と戦うのは得策とはいえない。

「僕は・・・」

 一度うつむき、そして櫻の姿を見る。櫻は、何も言わずに見届けていた。静かに、穏やかに。その瞳には、最初に会った頃の暗い炎はもう成りを潜めていた。

 もう一度鬼神皇を見上げる。

 一緒に暮らしてきた久遠の横顔が横切っていく。鬼神皇を裏切る事は、久遠を裏切る事になる。久遠と戦わなければならなくなる。それでも、晃はすでに決まっていた答えが揺るがない事に気づき、そして宣言した。

「鬼神皇・・・あなたを倒します」

「そうか」

「今までお世話になりました。あなたに頂いた力を、このような形で返すことになってしまいましたが、十年前の事件にあなたが関わっていると知った以上、僕はあなたとは一緒にはいられない」

「久遠はどうする?」

「彼女が望むなら、連れ出します。望まないなら、望むように努力します」

 鬼神皇は、再び愉快で愉快でたまらないといった様子で笑い出した。

「そうか。それならそれでいい。俺は、そこのババァと違って、裏切りには寛容だぜ。新しい世界で、俺の与えた力をより磨け。精進せよ。俺の強さは、俺の恐ろしさは、お前が一番知っているはずだ。強さとはなんなのか。人の強みとはなんなのか。それを学べ、体感しろ。今まで化け物として育ったお前が、人として生き、人としての強さを持って俺に挑んでくる日を心待ちにしているぞ!」

 鬼神皇は、堤防から飛び降りると一目散に走り去っていった。その後姿を、水及は面白くなさそうに見つめていた。

「まったく低能な男だ」

 いまだに余韻冷め切らない様子の晃。静かに鬼神皇が去っていった方向を見つめている。そんな彼に、櫻は歩み寄った。

「良かったの?」

「・・・うん。櫻を、また一人にするなんて僕には出来ない。それに、鬼神会へ戻ってしまったら、僕は元の僕に戻ってしまう。それは、僕が殺してしまったお父さんやお母さんに悪い気がして」

 『でも』と晃は続ける。不安に揺れるその瞳は、今にも泣き出しそうに見えた。

「僕は、これからどうしたらいいんだろう。いつも、あの人に言われていた通りに動いていた。何も迷わず、何も考えず・・・でも、これからは僕自身で考え、生きないといけない。どうしたらいいのか・・・分からない」

「一緒に考えていけばいい。兄さん・・・お帰りなさい」

 涙を流す兄を、櫻は静かに抱きしめた。

 

 暗い畳敷きの六畳間を照らすのは、部屋の隅に置かれた四本のロウソクだけ。そこに四人の着物を着た男が円を描くように、正座して座っていた。その距離は、少しでも動けば頭が相手にぶつかるほどに近い。

「やはり生きておられましたな」

「十年・・・よもや十年・・・もう希望も潰えてしまう所でした」

「よくもまぁ、この十年もの長き間、隠し通したものだ。悔しいが、さすが我らが仇敵」

『だが』

「あのお方が生きているのであれば、我々はこんな狭い箱庭から開放される」

「新たなる時代を刻める」

「それが忌々しい赤き瞳の子であろうとも、正統なる後継者である事には違いない」

「妥協するほかあるまい」

「問題は、飼いならす事ができるかである」

「できるできないではない」

「そうだ。成すのだ。我らが。もはや他の分家は、牙を抜かれ社会に溶け込んでしまった」

「そう、もう我らしかいないのだ」

尼崎家(あまがさきけ)復興を!』

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