MeIderuErenの旗が揚がるまで
1話


 ※この物語は、一部の固有名詞を現代の言葉に翻訳しております。

 

 0.後悔

 エレンは、思った。なんでこんなことになったのか――と。

「すまないねぇ〜、本当に助かったよ。それは私の命を繋ぎとめた、大切な物だからね。見つからなかったら、どうしようかと思っていたところなんだよ」

 ルビーのような赤い色の輝きを纏う石。しかし、それは単なる『宝石』では済まされない、不思議な波長を放っていた。エレンは、森の中で偶然それを拾い、その宝石を探していた女性と巡り合った。

「そうですか。良かったです」

 大きなリュックを背負い、薄汚れた登山服のような物を身に纏ったその女性にエレンは石を返した。

「・・・不思議ね。もうここで別れたら二度と会えないはずなのに、あなたとはまた会えそうな予感がするわ。その時、このお礼は必ずするから。また、会いましょう」

 女性は、晴れやかに笑って去っていった。

 いいことをした。そう思った。

 しかし――。

 どこにも逃げる場所なんてないのだろうか。目の前で繰り広げられる戦い、その向こう側で魔導師の側に立つ少女がいる。

 なぜ、彼女は追ってきたのだろうか。彼女に、エレンを助ける理由なんてないはずだ。

 なんでこんなことになっているのだろうか。

「私は・・・あの時、やっぱり死ぬべきだった・・・」

 今まで一度も思わないようにしていた言葉が、自然と口から零れ落ちた。

 

1.     失踪したエレン

 ネズ王。それは、巨大化したドブネズミが自称した単語。原因はまったくの不明。好きなだけ暴れて、朝になったら普通のサイズに戻って死んでいた。

 そして、エレンはいなくなった――。

 

「こりゃぁ〜、派手にやらかしたぜ」

 馴染みのある大工が、壊れた玄関を見てそう感想を述べた。

 壊れたものは修繕しなければならない。現在、(あるじ)であるイデルがいないからといって、そのままにしておくわけにもいかない。メイは、早速大工を呼び寄せた。

「お願いできますか?」

「おう、それが仕事だからな。まずは片付けるか。おい! 早速始めんぞ!」

 部下に声をかけて、大工は早速仕事に取り掛かった。メイは、彼らに会釈した後、その場を離れようとした。餅は餅屋。メイはメイで、しなければならないことが山積みである。

「メイ」

 そんな彼女を呼び止める渋い声。五十代の渋いおっさんである。彼は、屋敷を下ったところにある、北の大国ルイメランに続く道を管理する関所の駐屯部隊の隊長、ガレンス=オルソンだ。メイは、彼の姿を見て萎縮した。ガレンスが、強面(こわおもて)だから――というわけではない。イデルが屋敷にいないときは、駐屯部隊にお世話になっており、イデルが兄のような存在ならば、このガレンスは非常に厳しい父親のような存在なのである。

「来なさい」

「はい」

 ガレンスに連れられて、関所の中にあるガレンスの部屋までやってきた。彼の内面を現すかのような、質実剛健の(おもむき)。木張りの床が、踏むたびにギシギシと音を立てる。

「状況を説明しなさい」

 ガレンスは、部屋の中央まで来るとくるりとメイのほうに向き直り、立ったまま話を促した。この部屋には、客をもてなすものなんてものはないのだ。

 メイは、自分が体験したことを、憶測を交えず淡々と語った。ガレンスとの付き合いは長い。どう話せばいいのかも、メイは熟知していた。

「事の始まりは、ネズミが食料を漁り始めた事でした」

 その食料を漁っていたネズミがどんどんと巨大化し、そしていつのまに『ネズ王』と名乗るほどの知性を持ったモンスターになっていた。エレンの森の中で巨大化した野菜を見たことも、この時付け加えておいた。メイに、エレンを(かば)う理由はどこにもない。

「あとはご存知の通りです」

 駐屯部隊に助けを求め、彼らと共に屋敷に戻ってきた時には、すでにネズ王の姿はなく、一匹の普通のサイズのネズミの死骸(しがい)があるのみであった。そして、屋敷の裏に勝手に森を形成していたエルフのエレンの姿も忽然(こつぜん)と消えていた。

「・・・ネズミのことはまだしも、エレンの失踪は問題だな。我々が見つけるのが先か、ダークエルフに殺されるのが先か」

 メイは、ガレンスの言葉に驚いた。

「ダークエルフに・・・? エレンが、なぜダークエルフに? 彼女は、罪人だったんですか?」

 ダークエルフ。それは、闇の精霊と契約したエルフのことであり、エルフの罪人を処刑する死刑執行者のことでもある。

「フェルムハラートから出たエルフは、例外なく処刑される。彼女は、イデルに保護されていたから、今まで生きていられただけだ。その保護がない今、ダークエルフに殺されるのも時間の問題だろう」

「・・・探さなきゃ」

 恐怖が体を駆けた。メイも学生だ。『エルフ問題』を知っている。フェルムハラートが鎖国を宣言したのが、三十年ほど前。その直後に出された『総エルフ帰還命令』。それを守らなかったエルフは、一部を残してダークエルフの手にかかって殺された。その数は、十万を超えるという。現在、フェルムハラートに対して宣戦布告を検討している国は数知れない。フェルムハラートに隣接しているここヒュランでも、この『エルフ問題』は関心が高い話題の一つである。

 エレンは、イデルの保護がなければ確実に殺される。それは『かも』とか『だろう』なんていう憶測を含まない。『絶対』、『確実』。このままではエレンは死ぬのだ。人がいつか死ぬように、そんな自然の流れとして。

「待ちなさい!」

 部屋を出て行こうとしたメイを、ガレンスは止めた。振り向くメイ。その瞳に込められた強い意志は、ガレンスにも怯まず美しく輝いていた。

「私は、行きます!」

「待ちなさい。落ち着きなさい。君は、彼女の事を何も知らない。闇雲に飛び出して、どうするというのだ。いいから、今は落ち着きなさい」

 ガレンスは、メイの両肩を掴み、視線を合わせて静かに(さと)した。メイは、唇を強く噛んでいた。何も力を持たない、己を悔やむように。

「・・・部屋に戻っていなさい。エレンは、我々が探す。見つけたらすぐに知らせる。だから、いまは休みなさい。その時が来るまで」

 ガレンスの言葉は、正しい。しかし、正しいものをただただ吸収できるほど、人間の(うつわ)というものは出来が良くはない。ゆっくり咀嚼(そしゃく)して、少しずつ浸透させていく。

「・・・お願い・・・します」

 辛うじて、それだけを言葉にして、メイは関所の中にある彼女専用の部屋へと向かっていった。それを見送った後、ガレンスは舌打ちをした。

「イデルめ・・・!」

 このような事態が起こりえることをガレンスは予測していたし、イデルにも再三忠告をしてきた。しかし、イデルは決してそれを受け入れようとはしなかった。イデルに対する怒りが増すのは、当然の事であった。

 部屋に戻ったメイは、崩れるように座り込んだ。エレンに対しては、なんら思い入れもない。問題なのは、イデルがエレンをメイに託して遠征に行ったということ。エレンがいなくなったとなれば、メイがその責任を負わなければならなくなる。

「勝手に出て行かないでよね・・・!」

 段々と怒りがこみ上げてきた。

 今は、とにかくこの恐怖と怒りに耐えるのみ。ガレンスがエレンを無事に見つけてくれる、その時まで――。

 

2.     安息の地を求めて

 交易都市マリュヘル。東の山を越えた先にある北の大国ルイメランとの交易の拠点となる、ヒュランの三大都市の一つ。マリュヘルは大きく分けて、旧市街と新市街に分けられる。その旧市街の東側、住宅が密集している地域のやや北、そこに小さな公園がある。エレンは、今そこにいた。

 早朝。日が昇ったことを感知したエレンは、茂みの中から姿を現した。茂みの中に結界を作って、夜が明けるまで潜んでいたのだ。

 耳まで隠れる大きな白のチューリップハットを目深にかぶるエレンは、しなやかに体をうんと伸ばした。茂みは小さい。体を丸くして隠れていたため、完全に体が固まっていたのだ。

「やっと日が昇った」

「そうやなぁ。今の所、ダークエルフは感知できんようや」

 エレンの声に反応したのは、彼女の肩に乗っかっている体長二十センチほどの茶色のトカゲ。ただの爬虫類(はちゅうるい)が言語を(かい)するわけがない。見た目はトカゲでも、ちゃんとした精霊――エレンと契約を結んでいるイフリルという名前の精霊である。

「そう、さすがに街中では襲ってこないのね。それとも、この町にいることが知られてないのかな」

「追手は、旦那が殺してしまったからな。もしかしたら、まだ見つかっていないかもしれんの」

 旦那とは、エレンを助けたイデルのことである。

「でも、奴らの目ざとさは別格や。早いうちに、逃げたほうがええ」

「そうね。どっちにしたって、ここには長居できない」

 エレンが振り返った先には、住宅街が広がっており、その先に小高い丘が見えた。その丘には、イデルの屋敷がある。

「イフリル、どっちに行けばいいの?」

 未練を、後悔を、振り払うように背を向けた。

「旧市街を抜けて、新市街を抜けて、そこから街道に入って、途中から北上や。人間も手を出していない原生林が、その先にあるんや。今は、そこに潜むしかないやろう。ちと・・・いや、かなり寒いがな」

「寒くても、命を失うよりかはマシよ。行きましょう」

 エレンは、新市街に向かって歩き始めた。

 まだ朝が早いため、住宅街は静けさに包まれている。中央通りに出てしまうと、この時間帯でも人が通っているため、住宅街を縫うように進んだ。

 エレンの歩みは遅い。エルフは、狩人と職人とに分けられており、エレンは職人のほうであった。家の中に閉じこもって、日用品や工芸品を作る毎日。そのため、ほとんど外を出歩いた事がないのだ。エレンの息は、すぐに上がってしまう。

「大丈夫か、お嬢?」

「平気・・・その内、慣れるわ」

 住宅街の様相が変わってくる。今までは木で作られた建物が多かったが、徐々にレンガ造りの建物が増えてくる。旧市街の中心部に近づき始めたのだ。人の気配も段々と多くなっていく。

「・・・お嬢、もう戻りませんか? 悪気があったわけやないし、謝れば許してもらえるんやなかろうか」

 エレンは、一旦足を止めて、呼吸を整えた。

「私がいれば、迷惑になるわ。どっちにしても出て行かなければいけなかったの。ただ、予定よりも早かっただけよ」

 イフリルは、溜息を吐いた。エレンが頑固なのは昔からである。この先の長い道のりを、エレンの足で踏破できるのかは、(はなは)だ疑問であったが、それを告げたところで彼女は歩くのを止めないだろう。彼女が弱音を吐くまで、待つしかなかった。

 細い路地を抜けると、急に視界が開ける。マリュヘルの旧市街の中心部にやってきたのだ。ここは、ヒュラン鉄道の終着駅であるマリュヘル駅が存在する。東と西の物資が一つに集まる所。その賑わいは、三大都市の名に相応しいものであった。

 すでに時刻は、八時を回っている。今までとは桁違いの人の多さに、エレンは戸惑いを隠しきれない。蒸気車の煙に(むせ)、涙目となっていた。

「さすが、マリュヘルの中心部やな。大丈夫か、お嬢?」

「・・・平気」

 あくまで弱音を吐くつもりはないらしい。

「それよりも、奴らの気配と・・・ここ、そのまま突っ切っても大丈夫なの?」

「ダークエルフの気配はさすがにないな。そろそろあの家の子も気付いている頃合やから、迂回しているほうが時間を食うでぇ。人ごみに紛れで、新市街まで行くしかないなぁ」

「そう・・・」

 帽子が飛ばないように抑えつつ、雑踏の中を進んでいく。

 マリュヘル駅前を通る大通りを渡り、少し北上。大通りが途中から西に分岐しているので、それに沿いつつ新市街を目指した。

 旧市街は、その名の通り昔からある古い町だ。レンガ造りの町は、コンクリート造りの町へと変わっていく。新市街は、鉄道が引かれて出来た。首都は、風竜王が空を飛ぶのでそれを懸念して高いビルを建てられないが、中央都市マンチェイロ、そしてここマリュヘルの新市街は、現在の技術の粋を集めた高層ビルが立ち並んでいる。

 マリュヘルを東から横断してきたエレンは、いままでの町の歴史そのものを歩いてきたようなものであった。

 左手に鉄道が走っているのが見える。鉄道は新市街の端にあるマリュヘル西駅を通過して、マンチェイロへと向かっている。

「鉄道沿いは人が多いから、襲撃される心配はないはずや。気になるのは、警察の目ぐらいやなぁ」

 イフリルは、周りを警戒している。ここでは彼の言う通り、ダークエルフよりも家を出たエレンを探している、警察か――まさか軍隊まではないだろうが、そういう連中の方を気にすべきであった。しかし、特に問題などなく、エレンはヘトヘトになりつつも新市街を抜けた。新市街で働いているが賃金が思わしくない人たち、低所得者のための住宅街を抜けると、広い平野へと出る。ここから先は、しばらく街道と農耕地だ。街道から少し離れたところに、鉄道は走っている。昔は、鉄道側の道を使っていたが、蒸気の煙を避けて今は、エレンが歩いている街道を好んで使われるようになった。

 鉄道を使えない人や、鉄道以外で運搬するほうが効率が良い人などで、街道は賑わっている。出店で、クルミのパンを購入する。鉄道に乗れるほどの金は持っていないが、食事を買える程度の金は、エレンの手元にはあった。もしもの時を考えて、森を出たときに持ってきていたものを、イデルに換金してもらっていたのだ。エレンは、エルフであるためいざとなれば、草木からエネルギーをチャージできないこともないが、非常に効率が悪い。そもそも、その方法で生きていられるのであれば、エルフの消化器官は退行して、物を食べることができなくなっていただろう。今でも普通に食物を摂取できるという事は、それだけ必要とされているということである。

「凄い人ね。町を出てもまだ・・・」

 エレンは体を小さくしている。

「三大都市を結ぶ最大の街道やからなぁ。極端にこの辺りだけ、人が多いんや。ちょっとでも北か南へ行けば、誰もおらんのがこの辺りの特徴やな」

「そう・・・南は、フェルムハラートがあるしね。北は・・・寒いんでしょ?」

「北にはなにもあらへんからなぁ。山を越えた先は極冠の大地や。流通するもんがなんもない。大量の資源が眠っていると訴える学者もおるが・・・あんなところに眠っている資源を掘り出すくらいなら、他の国から輸入したほうが安いっちゅうもんやなぁ」

「イフリルは、物知りね。昔からそう思っていたけど、驚いたわ。何でも知っている」

「こんなこともあろうかと、情報収集しとった成果や」

「ありがとう。私があそこにいた間、色々としてくれていたのね」

「それが、俺の役目やからな」

 イフリルは、少し照れくさそうだった。

「お嬢、さすがにここら辺で一回休憩したほうがいいでぇ」

 町から少し離れ始めたところで、イフリルがそう切り出してきた。エレンは、結局一度も休まず黙々と歩き続けていたのだ。

「・・・平気」

「いや、休憩したほうがえぇ。もう少ししたら、北へ走る街道に出る。そこからは、次の町まで休む所なんてない。夜になるでぇ、下手したら」

「夜・・・そう、さすがにそれは辛いかも。分かった。茂み・・・」

「そこの川に入りなさい」

 エレンの背後、いつのまにかイフリルと同じぐらいの大きさの少女が一人宙を浮いていた。体は不定形な青色――エレンと契約している水の精霊『ウィデル』である。

「ウィデル・・・あなたまで出てこなくても」

「少しでも多く休みなさい。結界は、私が維持してあげるわ」

「ちょいまち、俺はどうするんや? 水の中には入れんでぇ」

「アンタは、外で見張ってなさいよ。適材適所、地味な役割がお似合いですわ」

「・・・燃やすぞ、ゲル野郎!」

「トカゲに出来て? これを契機、『アイス・リザード』なんてのも宜しくてよ」

「お前ら、いい加減にしろ」

 一触即発の間に入り込んできたのは、アルマジロのような姿の精霊。背中は、石でできている。エレンが契約している精霊ノールムル。イフリル、ウィデル、ノールムル、これでエレンが契約している精霊は全てである。

「ノールムル・・・? 止めにきたの?」

「お前がどうなろうが、俺には興味はない。ただ、小うるさいのが我慢ならなかっただけだ」

 ノールムルは、それだけ告げて消えてしまった。

「・・・いわゆるツンデレという奴かしら? 相変わらず、面白みのない石っころですわね」

「液体女の言葉に同意はしたくないが・・・俺もそう思うでぇ。頭も心も、ゴツゴツや。あそこまで言わせておいて、ええぇんか」

「・・・ウィデル、結界をお願い。疲れたわ」

 ウィデルと共に、エレンは川の中へと姿を消した。

 

3.     襲撃

 関所の作戦室。一番高いところに、隊長であるガレンスの席があり、前方に大きな空間がある。それを囲むように、オペレーターが座っている。前方の空間は、下部に設置された照射機を通じて、情報が展開する仕組み。今そこにはマリュヘルの地図が、二次元の図面として浮かんでいた。

 それを見つめるガレンスと、側で控える中年の男。関所の魔導師の長であるパイロンド=オルスマイヤーである。ゆったりとした黒いローブを身に纏い、顔は面長で冷たい印象を受ける。

「意外にてこずっているようですね」

「世間知らずのお嬢さんだと思っていたんだがな」

「・・・エルフである以上、よほど賢い精霊を従えていると推測できますね。困ったものです。無駄な時間が増えてしまいます」

「苦情は、イデル宛だ」

「承知しておりますよ。あの若造、帰ってきたらどうしてくれようか。欲しい材料は山ほどありますし、それともあの実験の実験体になってもらうのも・・・」

『ゴブリン1から、ボスへ。駅周辺に、お姫様の姿はありません』

 パイロンドの言葉を遮って、通信が飛んでくる。ボスは、ガレンスのこと。ゴブリンは、部下達のことで、お姫様がエレンのことである。

 現在、ガレンスは部下達を使って、エレンを探させていた。エレンがエルフであることを知っているのは、ガレンスとその一部だけ。そんな彼女を探し出すのに、警察は使えない。そもそも、町の警察と関所の駐屯部隊は、犬猿(けんえん)の仲。協力を申し込んだら、どんな見返りを要求されるか、分かったものではない。そのため、町に潜っている部下達も目立たないように、エレンを探すしかなかった。もし、このことが警察に知れたら、どんなペナルティを掲示してくるか――確執が、捜索をさらに難しくしていた。

『ゴブリン3から、ボスへ。好みの幼女を発見したので、追跡します』

『ゴブリン1から、ゴブリン3! お前、なに言ってやがんだ! ボス、ゴブリン3の討伐命令を申請する! 奴は、危険人物だ!』

『ゴブリン4から、ボスへ。腹が減りました。ご飯ください』

『ゴブリン2、これはいくらなんでも分が悪いぜ。お姫様は、ばっさり辻斬り完了に三万円だ』

『ゴブリン1から、ゴブリン2! てめぇ、後から鼻ケチャップの刑にしてやる!』

『ゴブリン4、ホットドックが食いたくなったので、店を探してきます』

 ガレンスは、飛び交う馬鹿な会話を完全にスルーしていた。彼らは、なんだかんだ言いつつも、ほっとけば仕事をするのだ。ここで口出しすれば、余計に面倒な事になるだけなのである。

「相変わらず、馬鹿な連中ですな」

 パイロンドも、すっかり慣れているので表情を変えずにぼやく。ガレンスは、肩肘をついて、小さく溜息をついた。

「・・・有能な連中なんだがな」

「馬鹿にしておくのにはもったいない連中である事は認めます。あぁ、分かりました。有能な人材というのは、すべからくどこか人として欠陥品でなければならない、そういう真理なのかもしれません。これは、素晴らしい真理だ」

「そんなクソみたいな真理などいらん・・・! お前ら! いい加減にしやがれ! あの子が泣いてもいいのか! もし、見つからなかったら、あの子の相手はお前らがしろ! 泣き止むまで、帰さんからな!!」

 分かっていても、我慢の限界というのは来る。ついに、ガレンスが突っ込んでしまった。

『ゴブリン3、メイちゃんは私が美味しく頂いていきますので、あしからず』

『ゴブリン1から、ボスへ。ゴブリン3の射殺命令を申請します・・・!』

『泣いているメイちゃんを優しく撫で回すのか。それは、実に美味しいな』

「変態の集いですね。やはり、有能な連中は人格に問題があるようです。これは、真理です」

「ボスから、ゴブリンどもへ・・・いいから仕事をしやがれ!!」

『ゴブリン4から、ボスへ。お腹が空きすぎて死にそうです』

 そんな状態でありながらも、彼らはやはり有能なのだろう。二十分後、有力な情報が飛び込んでくる。

『ゴブリン3から、ボスへ。お姫様と思わしき少女の情報を得ました。新市街へ向かう大通りを西へ進んでいたそうです。目深く帽子をかぶっていたとのこと、肩にトカゲのような生き物が乗っていたこと、合わせて極めてお姫様の可能性が高いかと』

「トカゲ・・・精霊ですな」

 ガレンスの瞳にも活力が宿る。

「周辺地図を展開! 西か、どこへ向かう?」

 マリュヘルの周辺地図が、瞬時に展開される。

「・・・北ですな」

「根拠は?」

「南は論外。西は、隠れる森があまり多くはありません。ならば、北。シャラロル山脈の原生林地帯。あそこに逃げ込まれれば、私たちはおろか、ダークエルフたちでさえ補足するのは難しいでしょう」

「よし、ボスからゴブリンどもへ! ゴブリン1と2は、北へ続く街道を押さえろ! ゴブリン3は新市街を、ゴブリン4は念のため、西への街道だ!」

『ゴブリン4から、ボスへ。よりにもよって、ボクが一番遠いです。若い連中か、痩せている連中で、お願いします』

「お前は少し痩せなければならない。ぐだぐだ言うと、夕食を規制するぞ!」

『ゴブリン4、可及的速やかに現場へ向かいます!』

「さて、これで見つかりますかな。見つからなかった時は、隊長の顔はドロだけですな。あの子に泣かれるのは、私も正直辛い所があります。どうなぐさめるか、考えておりますか?」

「必要ない。それは、俺の役目ではないからな」

 ガレンスは、そうきっぱりと言い放った。

 

 水の揺らぎと煌き。それがすっと解け、眩い太陽の光が届いてきた。川から出たエレンは、のどかな田園風景に囲まれた土手に姿を現した。そこは、川に潜った場所とは違う場所であった。

「・・・ここは?」

 エレンの肩にイフリルが飛び乗ってくる。

「街道は、エレンを探しているっぽい連中がおってなぁ、ちょっと下流に下ってきたんやん。少しは休めたんか?」

「えぇ・・・助かったわ。今、昼前ね」

 太陽の傾きから、エレンはそう判断した。早朝に出て、あの川までがおよそ三時間。一時間ぐらいは休憩した事になろうか。

「ありがとう、ウィデル」

 ウィデルは、笑って手を振った後、虚空に消えた。契約がある以上、表に出ている間はエレンの魔力提供を受けてしまう。その負担を軽減するために、ウィデルは早々に姿を消したのだ。

「イフリル、どっち?」

「上や」

 川とは反対方向をイフリルが頭で示す。低い草で覆われた土手をよじ登ると、一気に視界が広がった。広大な田園風景。いくつもの細い畦道(あぜみち)が、網の目のように走っている。人の姿はまったくなく、少し肌寒い風がエレンの髪を優しく撫でていく。帽子が飛ばないように押さえ、エレンはさらにその向こう側の景色に目を奪われていた。

「・・・あれが目的地?」

 視界を遮る、巨大な山脈。雲を貫いており、頂上は見えない。そのあまりの大きさに、エレンは己の矮小(わいしょう)さを知る。

「シャラロル山脈や。ランダイル大陸で最大の山やな」

 ランダイル大陸とは、今エレンがいるこの大陸のこと。惑星イルシュでは、最大の面積を誇る大陸である。その広いランダイル大陸の中で、一番大きな山。それは、まさに神の鎮座する座席のような、荘厳(そうごん)さをかもし出していた。

「ダークエルフはおらん・・・か。畦道を抜けて、山を目指すで」

「・・・静かな所ね」

 耳鳴りのするような静けさ。今は、風の囁きしか聞こえない。

「どれぐらいかかる?」

「お嬢の足で、二週間もあれば余裕やな」

「二週間・・・あんなに近くに見えるのに」

「距離にして、三百キロ程度はあるでぇ、あれでも」

「三百キロって言われても、分からないわ」

「今まで歩いてきた距離が、およそ十キロ程度やな」

「・・・遠いね」

 距離が実感でき、しみじみとエレンはそう呟いていた。

 イフリルの指示に従って、畦道を進む。今は、新緑の季節。青々しさが、眩いほどである。会話もなく、黙々とエレンは歩み続ける。その心に、後悔と後ろ髪を引かれる思いを(つの)らせながら。

「・・・?」

 エレンが不自然な事に気づいたのは、それから間もなくの事であった。先ほどと変わらず静かな場所であるが、その静かさの『具合』が妙な事に気付いたのだ。今までの静けさは、自然の出す音以外存在しないという、そんな静けさ。しかし今は、その自然の音さえも押し黙っているような、異様な静けさになっていた。エレンが歩む音も、大きく聞こえる。

「変ね」

 事が起こったのは、それから刹那(せつな)の後――!

「お嬢、前方にダークエルフや!」

「えっ?! ど、どこ?!」

 前方と言うが、ダークエルフの姿などどこにもない。エレンもイフリルも咄嗟(とっさ)の事で、失念していたのだ。ダークエルフは、肉眼では捉えられない。『影覆い(インビジブル)』と呼ばれる魔法のせいだ。この魔法は、常に特殊な波長を放つ魔法で、その波長は瞳を通して脳に直接働きかけ、『見えている』という情報を『見えていない』という情報に書き換える。こうすることによって、肉眼的には見えてはいるはずだが、認知できない、すなわち『見ることが出来ない』状態となるのだ

 エレンの失念は、そのことを忘れていた事。そしてイフリルの失念は、自分が見えているものがエレンに見えていないことを忘れていた事だ。

 インビジブルを破る方法は、いくつかある。イフリルは、常にアナライズを施行していた。そう、いくら『見ることが出来ない』状態でも、それは脳がそう判断しているに過ぎない。フィルターを通す事で、簡単に破ることが出来るのだ。そのため、イフリルにはダークエルフの姿が、『データ』として見えていた。

「そうやった、今、リンクしちゃるけん・・・!」

 イフリルの持っている情報を、エレンに繋げようとしたその時、エレンが崩れるように前方へと倒れた。その背後には、黒いローブを纏う――別のダークエルフの姿があった。

「しまった・・・!」

 ダークエルフは、単体では動かない。彼らは、必ずチームで動く。前方のダークエルフにアナライズの的を絞ったため、背後のアナライズに空白が出来た。その間隙(かんげき)を別の場所に潜んでいたダークエルフに突かれたのだ。

 エレンが奪われる。イフリルだけでは、ダークエルフに対抗できない。恐怖と絶望が体を駆けたその時――。

「悪いけど、その子は譲ってあげられないの」

 イフリルは、軽い調子の女の声を聞いた。

 

4.     挑戦状

 作戦室の扉を潜る。その音を聞いて、ガレンスとパイロンドが振り返った。

「・・・メイか。どうした?」

 ガレンスの声音は、どこか優しい。彼は厳しくもあるが、誰よりもメイを心配してくれている。

「私にも・・・なにか、出来ないかなって・・・思って・・・」

「なら、そこにいなさい」

 メイは、ガレンスの横に来て、展開されている地図を見上げた。

『ゴブリン1から、ボスへ。北街道付近、お姫様見つかりません。間違いなく、クルミのパンを買ったのはお姫様だと思うんですが・・・どこに行っちゃったのかなぁ』

『ゴブリン4から、ボスへ。こっちはダメです。まるで目撃例がありません。そろそろ帰っていいですか? 空腹で死んじゃう』

『ゴブリン3から、ボスへ。こっちにはもう戻っていないっぽい』

『ゴブリン2から、ボスへ。同じく、手がかりが途切れた。本当に、分が悪い賭けになってきたぜ』

「・・・どういうことだ?」

 エレンが向かいそうな場所の見当が付き、見つかるのも時間の問題かと思われていたが、現実はこの様。エレンは、どこに消えてしまったのか。

「また、精霊の入れ知恵ですかね。見つからないということは、どこかに潜んでいる可能性があります。広域でアナライズを展開しつつ、探してみてください。それと、ダークエルフは見つけましたか?」

『ゴブリン1、了解。ダークエルフっぽいのは、見かけてないです』

『ゴブリン2、了解。そうそう簡単にアイツらの尻尾を掴めるとは思えないぜ』

『ゴブリン3、了解。ダークエルフは、面倒なのでいらない』

『ゴブリン4、了解です。ダークエルフは、いませんね。それよりも空腹ですよ』

「ダークエルフが姿を現していない以上、少なくともまだお姫様は大丈夫でしょう」

 その言葉は、ガレンスではなくメイに向けられていた。メイは、その言葉を聞いて重々しく頷いた。とりあえず、まだ生きてはいる。こちらが見つけるのが先か、ダークエルフが見つけるのが先か。嫌な緊張感が、場を支配していた。

「精霊の反応あり! 基地内に侵入してきました!」

 緊張感を壊す、オペレーターの声。

「精霊だと?」

「属性『火』、ランクは3弱です」

 精霊は、属性と魔力の保有値でランク分けされている。ランク1が、神にも近い力を有する精霊で、最下層のランク5まで存在する。ランク3弱ということは、ギリギリランク3に該当するという表現の仕方である。

「もしや、エレンの精霊でしょうか」

「結界解放! 精霊を通せ!」

 ガレンスは、迷うことなくそう指示を出した。

 精霊は、それから間もなくして壁を透過し、作戦室へと飛び込んできた。トカゲの姿をした精霊だ。酷く慌てた様子で、ガレンスの前まで飛んでくる。

「エレンの精霊か?」

「はい、俺はイフリル。エレンと契約している精霊や。頼む! エレンを助けて欲しいんや!」

「元からそのつもりだ。詳しく話せ」

 

 話を聞き終えた後、捜索に出ていた部下を呼び戻し、作戦室に集まった。先ほどまでガレンスがいた場所は、司令室である。作戦室は、その名の通り『作戦』を提案し、論議し、展開するまでの過程を構築する場所だ。

 黒板の前に、パイロンド。その近くに、ガレンスが座っている。二人と向き合うように、ゴブリン1からゴブリン4、今回の作戦に参加する部下達が座っていた。ゴブリン1のレック。細身の若い男で、大変真面目そうな顔立ちである。ゴブリン2のザック。駐屯部隊の制服を着崩しており、座り方もどこかだらしない。ゴブリン3のスエル。むすっとした顔で座っている。どこか、陰気な印象だ。ゴブリン4のオムリック。椅子から体がはみ出ている。大柄と言うか、単純に太りすぎている男だ。

 彼らの後ろに、メイとメイの肩に乗るイフリルが居た。

「エレンの精霊であるイフリルからの情報により、エレンはダークエルフに連れられて、北の外れの町ファムールの朽ちた教会に居る事が判明しました。正直、私は不思議でなりませんが、それ以外のお話は疑う余地がないものでしたので、今はとりあえずこの情報を信じるしかありませんね」

 パイロンドは、率直な意見を口にする。それは、彼だけが抱いている疑問でない。ダークエルフが、自分達の本拠地である南の森、フェルムハラートに行かず、なぜ北上したのか。しかも、彼らにエレンを掴まえて篭城(ろうじょう)する理由がない。とっとと殺して、森に帰っていいのだ。さらに、イフリルの逃亡。ダークエルフが、それを見逃すほど甘い相手ではない事を、誰もが知っている。

 疑わしい事は多いが、イフリルが語った逃亡の経緯は、十分に納得できるものであった。イフリルが、エレンと行動を共にしていたことは間違いない。情報も、現在他にない。ならば、もうこの話に(すが)るしかなかった。

「今回は、ことがことですから、大きな作戦行動は取れません。ダークエルフを速やかに排除し、エレンを救助する。では隊長、作戦内容をお願いいたします」

 ガレンスは、部下の前に立った。

「教会は、すでに廃墟だ。静かな町だからな、派手なドンパチはどっちにしても避けたいが、避けられないなら教会を吹っ飛ばす気概で挑んでもらってもいい。今回は、狙撃できそうなポイントがない。ゴブリン1は、ゴブリン3と4と共に正面から突撃。4は1と組んで、正面からダークエルフの鎮圧を目指せ。ゴブリン3は、それをサポートしろ。ゴブリン2は、裏側から周り、隙をついてエレンを確保しろ。俺は、後方に位置し、サポーターと逃走にかかったダークエルフを粉砕する」

 ダークエルフには、決まった行動パターンが存在する。行動部隊は、常に二体で一組。失敗すれば、一体が(おとり)になり、一体を逃がす。それに加えて、各地に潜んでいるサポーターと呼ばれる役割のダークエルフが、後方からの援護射撃や逃走にかかったダークエルフのサポートをしたりする。そのため、ダークエルフを相手にするときは、常に三体いることを前提に作戦を立案しなければならない。

「パイロンドは、突撃する三人の防御を頼む。カースやアベンジャーは、なんとしてでも相殺しろ」

「心得ております。その場合、そんなヘマをやらかした方には、お仕置き・・・してあげなければなりませんがね」

「うっわぁ・・・敵はダークエルフだけじゃないぜ」

 レックがげんなりと呟く。

「俺は、メイちゃんへの愛だけでどんな苦行も耐えられる」

 真顔でそんなことをのたまうスエルを、レックは睨み付けた。

「・・・言い忘れてた、お前も敵だ」

「撃ったら、斬り殺す」

「上等だ・・・!」

 二人が口論するのはいつもの事なので、周りは気にしない。彼らの後ろ、今までじっと黙って座っていたメイが、手を上げて立ち上がった。

「あの・・・私も・・・付いていきます」

 ガレンスは、じっとメイを見つめた。ガレンスの厳しい瞳に、メイは毅然(きぜん)と立ち向かう。折れたのは、ガレンスだった。

「まったく・・・パイロンド、手間だがメイと共に行動してくれないか?」

「その手間賃、誰かが負ってくれるならば、受けましょう」

「私、なんでもします!」

「なんでも?」

 パイロンドにそう反芻(はんすう)されて、言葉を詰まらせるメイ。

「えと・・・できることはお手伝いしようかなって、そういう意気込みって・・・大切なのかな、とか思って・・・」

「意気込みなんてものは、足しになりません。不必要です。まぁ、いいでしょう。なにか、楽しい事でも考えておきますよ。引き受けましょう」

 彼の言う『楽しい事』は、彼にとって『楽しい』に過ぎない。メイにとっては、『悪夢』のような内容であることは、容易に想像できた。しかし、それを呑まなければならない状況であり、メイは諦めた表情で『お願いします』というのが精一杯だった。

「くれぐれも作戦の邪魔にならないように。約束を守れるな」

「はい」

 メイの言葉を信じて、ガレンスは深く頷いた。

 

 自動車に乗って、北の町ファムールを目指す。車は、二台。一台は、レックが運転し、ガレンス、パイロンド、メイが乗り合わせている。もう一台は、ザックが運転し、スエルとオムリックが乗り合わせた。

 夜の(とばり)が下りようとしている。

 のどかな田園地帯を通り過ぎていく。遠くにそびえるシャラロル山脈が、夕日を浴びて神々しく輝く様を、メイは静かに見つめていた。エレンは生きている。それが分かっていても、焦燥(しょうそう)が心を(むしば)む。夕日の輝きは、そんなメイの心をどこか寂しくさせた。

 北の町ファムールへ差し掛かる。レンガ造りの家が並び、どれもどこか古く冷たい色を帯びている。人がほとんど外に居らず、その少ない人も場違いな文明の塊である自動車の姿を、『面倒ごとか? 鬱陶(うっとう)しいな』と言わんばかりの目つきでねめつけている。

 ファムールは、ヒュランの最北に位置する町。付近の田園地帯を管理する家々は、別個にあるため、ここに住んでいるのはシャラロル山脈周辺の森で生計を立てている狩人がほとんどである。冬の間は、都市へと出稼ぎに出かけるが、今の新緑の時期から夏にかけて狩人たちが戻ってくるはずなのであるが――町の静けさから考えて、まだ戻ってきていない狩人が多いのだろう。

 目指す教会は、さらに北の外れにあった。住宅街から少し離れた所に(たたず)む古い教会。建物は半壊しており、シンボルとなるものもまったくなくなっていた。

 車は、教会から百メートルほど離れたところで止まった。

「・・・ここにエレンがいるんですね」

「あぁ、お嬢はここにおる」

 メイの肩が気に入ったのか、イフリルはずっとそこに乗っかっていた。彼は精霊だ。重みはほとんどない。

「寂しい所」

「元は風竜王様の教会だ。ここら辺は、シャラロル山脈を発端とする自然信仰が強い地域だからな、浸透させる事ができず、壊されたんだろう」

 ガレンスが、教会のことについて説明してくれる。ヒュランは、その国民の七割が風竜王を信仰している。それは人類が壊滅的な打撃を受けた『大崩壊』のあと、風竜王が難民を救済するためにヒュランを作ったことに始まっている。風竜王を信仰している人間は、その時の末裔が多い。現在は、北の大国ルイメランとの交易も始まり、他民族も流入してきたため、東側で圧倒的な信者を抱える聖アンティス教も多くなってきている。それとは別に、『大崩壊』以前から存在する土着の宗教というものがある。フェルムハラート周辺の『(もり)(がみ)信仰』。そして、シャラロル山脈周辺の『自然信仰』がその最たる例である。フェルムハラート周辺の『森神信仰』は、フェルムハラートが封鎖された事から衰えを見せているが、『自然信仰』は違う。彼らは、風竜王を『侵略してきた化け物』と認識しており、時には強い反発を見せる。この教会が朽ちたのも、それに起因しているのだろう。

「奴らもすでにこちらに気づいているはずだ。一気に仕掛けろ!」

 ガレンスの命令が下った。無駄話もせず、部下達は作戦通り分かれ、メイはパイロンドと共に教会を目指した。

 朽ちた教会からは、今の所なにも動きはない――。

 

 5.教会での決戦

 冷たい風の囁きで、エレンは目を覚ました。埃が堆積した木の床の上に転がされている。両手と両足は縄で縛られており、転がる事は出来ても起き上がることは出来ない。割れたステンドグラスの向こう側に、うっすらと暮れ行く空が覗いていた。

 木で出来た祭壇の上に座る、黒衣の存在。顔は見えないが、ダークエルフだと――思われる。確定できないのは、目の前の存在が、ダークエルフとして色々と不自然であるからだ。

 まず、なぜ殺さないのか。生かしておく理由なんてないはずである。次に、なぜ『見えている』のか。彼らの『インビジブル』の魔法がある以上、視覚で認知できないはずである。それなのに、目の前にいる存在は確かに見えていた。

 疑問を抱くが、それを言葉にして問う事はできない。恐ろしくて、そんな気にはなれないのだ。これからどうなるのだろうか――エレンは、ダークエルフっぽい存在から視線を逸らして、覗く空を見上げる。

 空が黒に染まっていく最中、動きがあった。

「キタ・・・」

 エレンには、気配などまったく感知できていなかった。ただ、ダークエルフっぽいなにかには感じたのだろう。ダークエルフっぽいなにかの眼前に浮かぶ、白く輝くエネルギー体。右手を、左から右へと水平に滑らせる。

「サァ・・・目覚メヨ」

 エネルギー体が収束を始める。そして、弾けてぶわっと広がった。黒いカーテン――それは、徐々にある形を成していく。足は存在せず、巨大な鉤爪のような手が二本と、人の頭のようなものが乗っかっている。それは、解放された喜びを表すかのように、大きな産声を上げた。

 同時、誰かが教会に入ってきた。知らない顔、知らない顔――エレンの表情が、凍りつく。

「メイ・・・」

 なぜ、彼女がここにいる。彼女に迷惑をかけないために、あの家を出たのに。

「やめて・・・!」

 震える彼女の声は、誰にも届かない。戦いは、始まった。

 

「なんじゃこりゃぁ!?」

 レックが、目の前の巨大なモンスターを見て、驚愕(きょうがく)(あらわ)にする。

「悪霊・・・?」

 呟くメイ。側に立つパイロンドは、懸念そうな顔をしていた。

「・・・ダークエルフが従える邪精霊って、こんなに大きかったか?」

「いやぁ〜、これは違うんじゃないかな。そう思うところだけど、パイロンド先生、どうでしょうか?」

 スエルの言葉をオムリックが否定する。パイロンドも、オムリックと同意見だった。

「邪精霊ではありませんね。どちらかというと、『ゴースト』に類するもののようです。ダークエルフがゴーストを従えるなんて・・・そんな前例聞いた事がありませんね」

 今回の事件は、やはりダークエルフの仕業ではないのではなかろうか。そう思う所であったが、今はそれを考えている時間はない。なんにせよ、前の敵は倒さなければならない。パイロンドは、敵のアナライズを開始した。

「とりあえず、ゴーストが相手なら物理攻撃は無効化されます。武器の属性は、『ニュートラル』にセットしておいてください。敵がなんであれ、私たちのすることには変わりがない。可及的速やかに、敵を殲滅、エレンを確保します。これ以上の時間の浪費は、許しません」

「ソード、ニュートラルセット・・・突撃開始」

 スエルがロングソードのメモリを操作すると、ブゥンという音と共に刀身が淡く輝く。

「了解! 属性ニュートラルにセット! とりあえず、初手で一発喰らいやがれ!」

 レックは、ライフルを抱えて教会の端へと移動し、机の上に銃身を乗せて引き金を引いた。ライフルの弾は、スエルの武器と同じように淡い輝きを纏っている。射出される前に、属性攻撃を上乗せしているのだ。銃弾は、ゴーストの左肩付近を吹き飛ばした。ゴーストの悲鳴が響き渡るが――傷はすぐに修復してしまう。エネルギーの総体が大きすぎるのだ。だが、効いていないわけではない。巨大な力を持つ相手との戦いは、いかにしてそれを削るかにかかっている。今のような攻撃を重ねて重ねて、敵を小さくしていくのだ。

 今の攻撃で、ゴーストは狙いをレックに定めた。体をレックのほうに向けて、顔を突き出す。そして、雄たけびと共に白い直線の光を放った。

 オムリックが射線に割り込み、巨大な盾を地面に突き立てる。

「属性ニュートラルセット! どっせぇーい!!」

 盾の周辺が僅かに開くと、そこから透明な壁が出現する。白い光は、それに阻まれて霧散していった。

「今の攻撃・・・単なる指向性のエネルギー波? 魔法が使えるほどの知能はないと」

 パイロンドの元に、次々とアナライズで得られた結果が集まってくる。

「属性闇。このパターン・・・単なるゴーストという割には、闇の色合いが深い。これは、魔族の眷属にも・・・今、考えても仕方がありませんね。弱点は、光。四属性には、耐性なし。武器の属性は、『ライト』で調整してください。盾の属性は、『ニュートラル』を維持」

「ゴブリン3了解。ライトソード・・・セット!」

 スエルは剣の操作を行い、属性を『光』へと切り替える。レックに狙いを定めているゴーストの背後に回りこみ、その体を袈裟切りする。攻撃を受けたことで、ゴーストは腕を横凪に振るってくるが、それを華麗にバックステップしつつ、確実に避ける。

「・・・ノロマ。あたるか」

 後退しつつ、ポケットから手榴弾のようなものを取り出す。これは、()榴弾(りゅうだん)と呼ばれる、魔法の力が込められた爆弾である。ピンを抜き――。

「属性光、炸裂しろ」

 と魔榴弾に言葉をかけてから、ゴーストへと投げつけた。次の瞬間、眩い光がゴーストの体に炸裂した。閃光の中、悲鳴が響く。

「チャンス! ぶち込め! ぶち込め!」

「暇なんで・・・『光の槍(ライト・ランス)』」

 盾の影からレックが銃を撃ち、オムリックが魔法を放つ。見事な連係プレーで、確実にゴーストを削っていった。

 その頃、教会の裏側。窓から忍び込むザック。ガラスは割れていたため、侵入は容易だった。闇と埃が支配する世界。もう、人が住んでいた頃の名残なんてものは、そこにはなかった。

「・・・こっちか」

 慎重に歩みを進める。ぎっぎっと床が軋む音が、やけに耳に残った。本堂へと続く扉を発見し、ザックは周囲を確認しながら近づいた。ドアノブを回し――押してみたが、開く様子がない。逆に引いてみても、結果は同じだった。

「ちっ、そう易くはないか。『開錠(アンロック)』・・・」

 小さな端末を取り出し、ドアノブに近づける。端末の中には、現在確認、そして開錠の方法が判明しているデータが入っている。施錠する魔法、『施錠(ロック)』は、魔法という形を取っているが、その実、他の物理的な鍵と変わらない。ただ、その鍵となるものが、魔法という形でデータ化されているだけ。そのため、開錠するためのデータさえあれば、『開錠(アンロック)』できるというわけである。

「・・・ちっ、該当するデータがねぇし、別にシールドされているのか? 読み込みも出来ねぇ」

 データの本来の役目は、作業の短縮にある。データがない以上、鍵穴をロードし、開錠するためのデータを作成していかなければならない。しかし、今目の前のロックは、ロードすることを妨げる別の処理が施されていた。

「どうなってやがる。『分析(アナライズ)』」

 右手を扉に向けて、アナライズを施行した。左腕に装着してる端末の画面に詳細が刻まれていく。パイロンドのように、画面を空間上に形成する技量があれば必要ないものであるが、魔導師ではない彼にはそこまで要求されていない。現在は、魔法至上主義の時代ではない。魔法の不便な所は、機械が補ってくれている。ザックが使用しているものは、この国では標準的な装備だ。

「シールドというよりかは、結界なのか・・・これは手におえん」

 ロックは鍵に限局しているが、シールドはその周囲の壁全体――そのまま本堂全体を覆っているようだった。これだけ大掛かりなものになると、専門の装備でもない限りは、熟練の魔導師を連れてこなければ、太刀打ちは出来ない。

「ゴブリン2から、ボスへ。裏手はダメです。強固な結界が施されています」

 扉から少し離れて、左腕の端末を通して通信する。

『ボスからゴブリン2へ。そこはもういい。ゴブリン1たちが、ゴーストと交戦に入った。そちらに周ってくれ』

「了解・・・って、ゴースト?」

『あぁ、今はとにかく敵を殲滅し、エレンを確保する事が最優先だ』

「改めて了解。ゴブリン2、支援に入ります」

 妙な突っかかりを感じているのは、彼だけではなかった。溜息を一つ零し、ザックは来た道を戻っていった。

 通信を終えたガレンス。彼は、現在自動車の側にいた。ここから鳩の姿をした人工使い魔を放ち、広域のアナライズの結果をまとめていたのだ。警戒すべきは、サポーターと呼ばれるダークエルフ。しかし、広域のアナライズの結果、少なくとも半径十キロ範囲内に、ダークエルフの反応は、教会の中の反応一つのみ。必ずペアーで動くダークエルフが、単体で動き、しかもサポーターもいない。さらに、ゴーストまで呼び出す――これを、ダークエルフの仕業だと断定する事は、もう無理な話であった。

「反応は確かにダークエルフ・・・だが、理論上偽装は出来る」

 種族によって、属性や魔力のパターンというものがそれぞれ違っている。アナライズはそれを分析し、適合する存在を表示している。だから、その属性や魔力のパターンをまったく同じように外へと放出さえすれば、アナライズはそれがダークエルフではなくても、ダークエルフだと認識するのだ。それを得意とする種族も存在するが、ガレンスは生憎そんな種族と交戦したことはない。そもそも、この地域には存在していない。それらの種族は、どちらかというと水辺に多いのである。人間に擬態するスキュラなんかは、最たる例であろう。

「・・・なんだこの物が歯に挟まったような不快感は。踊らされているのか? エレンを狙っているのは、ダークエルフ・・・だけではないのか?」

 ガレンスは、広域のアナライズを続けるように使い魔に指示を出した。

 

 戦いは、ザックが参加したことによって、確実にゴーストを追い詰めていた。ただ、ゴーストの耐久力が、とんでもない。長期戦の様相を見せ始めたことにより、疲労が各々の動きを徐々に重たくさせていった。

「これは行けませんね」

 下手に攻撃すれば、敵に狙われるため、手を出さなかったパイロンドが苦々しく呟く。彼の場合、部下が疲弊している事よりも、無駄な時間が増大している事に対して、イライラしているのだろうが。

「メイさん、決して側を離れないで下さい」

「はい・・・」

 パイロンドは、両手で杖を持ち、少し高めに掲げる。

「『魔力増幅(マッジク・ブースト)』」

 杖が煌くと、風が杖を目指すように吹き上げる。魔力を吸い上げているのだ。続いて、パイロンドが聞き取れない言語をブツブツと、しかも早口で積み上げていく。魔導師固有の『圧縮言語』だ。時間にして、十秒ほど――。

「射軸にいる方は退避しなさい! 聖属性魔法を使います!」

「おおっ?! 閃光防御! 目をやられるぞ!」

 レックが、サングラスを付けながら叫ぶ。射軸にいたスエルは、再び魔榴弾を放り投げて、下がっていく。今度のは氷結魔法。ゴーストの体が、地面に縛り付けられる。その隙を突いて、ザックも後退していく。

「『神聖なる矢(ホーリー・アロー)』!」

 眩い光がパイロンドの杖から放たれる。初期は螺旋(らせん)を描き、徐々に収束し、ゴーストに直撃するまでに一本の矢に練り上げられていく。

 着弾。神聖系統固有の着弾効果が発生し、ゴーストの体を包むように白い光の塔が建ち上がる。神々しい光の中で――ゴーストは、ゆらりと姿を現した

「倒れない・・・?!」

 パイロンドは、舌打ちした。強すぎればゴーストを貫通し、後ろのエレンに影響が出ると踏んだため、ある程度魔法のランクを下げ、魔力増幅で細かい調整を行ったのだが――パイロンドの予想よりも多くのエネルギーをゴーストは残していたため、倒すには至らなかった。これは、最悪のパターンだった。

 いまや最大の標的だと認識されたパイロンド。その側にはメイがいる。ゴーストは、残りの力を振り絞って、パイロンド目掛けて突進してきた。

「まったく・・・しぶといにも限度がありますよ。『魔力障壁(マジック・シールド)』!」

 青白い光が、パイロンドの前に展開される。その後ろで――。

「『光の剣(ライト・ソード)』・・・!」

 イデルから護身用としてもらっていた小剣に自前の魔力で光の効果を付加させ――。

「だぁーーーーーーーー!!」

 メイが雄たけびを上げて、突進した。

「メイ・・・!?」

 パイロンドは、これまでの中で一番の驚愕を露にした。

 ゴーストは既に手を振り上げきっていたが、パイロンドを狙っているため、メイは眼中に入っていない。ギリギリまで踏み込み、下から掬い上げるように小剣を振るった。

「あ、あたった・・・キャッ?!」

 攻撃は当たってゴーストは怯んだが、その突進力が相殺されたわけではない。メイは、ゴーストの頭に跳ね飛ばされて、反対側へと落ちていった。

「今回のラッキー賞は俺だな」

 床に叩きつけられる前に、ザックが拾い上げる。

「メイちゃんは、俺の嫁だぁー!」

 と、少し遠くにいたスエルが叫んでいる。

「怯んだ! 総攻撃チャンス! ってやつだなぁ、総員突撃!!」

 レックが銃を置いて、ロングソードを持ってゴーストに突っ込んでいく。その号令に合わせて、オムリックもロングソードを持ち、突貫。

「この悲しみ、癒えるまで俺は殴り続けるぅーー!」

 スエルは、なぜか涙を流しながら突貫していく。

「お姫さま、一仕事終わらせてきます。このお礼、楽しみにしてるぜ」

 ザックは、意味深に笑って、仲間に続いて怯んだゴーストを叩きにいった。それを見送った後、メイは自分の立ち位置に気付く。ゴーストを越えたという事は――慌てて振り返ると、やはりその先には黒衣のダークエルフが座っていた。その後ろには、涙を溜めているエレンの姿があった。

「返して」

『もう・・・手放してはダメよ』

「えっ?」

 幼い女の声が聞こえたかと思うと、目の前にいたはずのダークエルフが消えていた。メイは、唖然となった。

「・・・今の声、どこかで聞いたことがあるような」

 疑問を振り払い、エレンの下に駆けつける。

「エレン! 無事?!」

「メイ・・・」

 縄を解こうとしたが、触れただけでぱさりと縄は落ちてしまった。そもそも縛っていなかったのだ。

「良かった・・・とりあえず、本当に良かった・・・!」

 エレンの前で、うな垂れるように座り込むメイ。彼女の髪に触れようとしたエレンであったが、途中でそれを止めた。

「どうして・・・? 私なんかいなくても・・・」

 その瞬間、メイはエレンの胸倉を掴みあげていた。メイの瞳は、怒りに燃えていた。

「ふざけないで! アンタがイデルのいない間にいなくなったら、私が責任を負わなければならないのよ?! イデルに嫌われたら・・・私・・・私には・・・この世界の居場所なんてないのに・・・! 出て行くなら、イデルに話をつけてからにしてよ・・・!」

 普段は、『マスター』と呼ぶイデルを名前で呼んでいる。感情の高ぶりが、そうさせているのだろう。メイの鬼気迫るその表情と言葉に、エレンはようやく自分の過ちに気付いた。メイに迷惑をかけないため――そんなのは詭弁(きべん)だ。ただ――。

「私は・・・自分が傷つけられるのが怖かっただけ・・・」

 そう、立派なご題目をぶら下げて、逃げている事を正当化しているに過ぎなかったのだ。

「ごめんなさい! 私・・・私・・・」

 言葉にならない。もう、頭も心もぐちゃぐちゃだった。そんなエレンの様子を見て、ある程度吐き出してしまったメイのほうが、簡単に落ち着いた。

「・・・帰ろう」

 メイは、エレンの手を取った。

「さて、一件落着・・・というわけには行きませんよね」

 いつのまにか、メイの後ろにはパイロンドが立っていた。すでに、ゴーストは打ち倒されており、部下たちは先に外へと出ていた。メイは、罰が悪そうな顔で振り返った。

「あ、あの・・・」

「言い訳なんて私が必要としていると思っているのですか? それは滑稽(こっけい)ですね。あなたは、私たちの言いつけを破った。メイ、覚悟は出来ていますね?」

「・・・待って。彼女はなにも・・・」

「黙りなさい」

 エレンの言葉を、パイロンドは一蹴(いっしゅう)した。

「私は、あなたとは話もしたくありません。無駄な時間を積み重ね、簡単な約束も守ってもらえず、これほど無駄に疲れたことはありませんね。報いは受けてもらいますよ」

 パイロンドは、そう吐き捨てて教会を出て行った。

「うぅ・・・まずった・・・パイロンドさん・・・マジギレしてたよ・・・」

 メイは、泣きそうな顔で呟き、体を小さくした。

 

 冷たい夜風が走り抜ける、静まり返った隘路(あいろ)。その風に紛れて、黒い風が吹く。

「ふぅ・・・」

 黒いイブニングドレスを身に纏った、まだ幼さを残す少女が姿を現す。直後――。

「止まれ」

 そこにガレンスが来た。ロングソードを抜き放ち、無駄なく構える。少女は、振り返ると同時に、人の身の丈はあろうかという鎌を出現させ、構えを取った。ガレンスの表情に陰りが生まれる。少女の構えに、一切の隙がなかったからだ。もし、ここで剣を交える事になれば、一撃必殺。一瞬で、そんな状況がここに産み落とされていた。ガレンスは、緊張で寒さの中でも汗を掻いていた。

「何者だ?」

 一見すると、女の子にしか見えない。が、その『黒さ』は、人ではないことを指し示していた。高位の魔族――しかし、それを象徴するはずの『角』が存在しない。

「噂には聞いていたけど、本当に優秀な人なんだ。安心して。私は、別に敵ではないから。エレンのことを懸念していたのは、なにもあなた達だけではなかった・・・ただ、それだけの話。剣を引いてもらえないかな。もう・・・今日はただ消えるだけだから」

 少女から、完全に戦意は消えている。仕方なく構えを解くと、少女は極上の笑みを浮かべた後、『ありがとう』と残して闇に消えていった。

「・・・風竜王様の使いか? それぐらいしか思いつかないが、魔族を使役しているなんていう話は・・・ふっ、一国の主であった男が、魔族を使役しているなんていう話が出回るわけがないか。蛇の道は蛇、というわけか」

 結局、よく分からない事で振り回されたいたことを悟り、ガレンスは深々と溜息をついた。

 

 6.終息、そして未来へ

 メイは、眉根を寄せて、デッキブラシの柄で肩を叩く。彼女は今、関所の男性トイレを作業着を着て清掃中。勝手な行動をしたことで、ガレンスにこってりと絞られたメイは、『無償の奉仕』を罰として二週間することとなった。ようは、二週間のタダ働きである。屋敷は修復中なので、早朝五時から夕方八時までみっちりと関所に監禁、仕事をさせられていた。

 エレンはというと、鍵のかかる部屋――拘留室で、言葉のあやではなく、監禁されていた。イデルが帰ってくるまで、この処置が続くとのこと。

 ネズ王の一件から、エレンの家出、そして確保までの一連の騒動は、とりあえず終わった。諸々の問題は残っているが、それはイデルが帰ってこないことには、どうにもならない。

 ネズ王。結局、エレンが実験していた植物の成長を促進させる『人工魔力素子』が、植物だけではなく動物にも影響するという、大失態の果ての結果だったとのこと。なぜ、そんな実験をしていたかというと――。

「・・・ただ、お世話になっているだけでは申し訳ないと思いました。それで、私が出来る事を考えて・・・」

 エレンは、エレンなりに考えての事だった。それを聞いていたメイは、エレンをすっかり許してしまっていた。居場所がないものが、一生懸命に居場所を確保しようとして失敗する事は、多々あることである。実際、メイにも苦い思い出があり、そんな自分の姿とエレンが重なって見えていたのだろう。

 ただ、メイの失敗と違って、エレンの失敗は笑って済まされるものではない。駐屯部隊の一部とはいえ、それを動かしてしまった以上、多額の請求が発生する事だろう。それにガレンスのお仕置きは、メイが背負う事になったが、パイロンドは沈黙を保ったままだ。彼は、何一つとして納得していないのだろう。

「・・・身から出た錆とはいえ、パイロンドさんのお仕置き・・・やだなぁ・・・」

 それを考えると、憂鬱で溜息が零れる。

「お仕事、お疲れさん」

 そこに、レックが現れた。彼は、いつも通りの快活な笑みを浮かべている。

「休憩して、コーヒーでも飲まないか? さっき町でケーキ買ってきたんだよ。なっ?」

「ケーキ! あ、でも・・・」

「ばれなければ問題ないって。だいたい、隊長も大人気ないんだよね。一日、十五時間労働で二週間タダ働きとか、教科書に載りそうなほど前時代的労働環境だぜ」

「それだけのことをやっちゃったんで・・・仕方がないかなって、思ってます」

「あぁ、健気だね、メイちゃんは。そんなに真面目でなくても、人生怒られないって。俺が言うんだから、間違いねぇよ」

 そんな和やかな会話をしていると――。

「メイちゃんが、男性トイレの清掃をしていると聞きつけ、ここに参上!」

 スエルも男性トイレに現れた。その姿を見て、メイが悲鳴を上げて顔を伏せた。背中を向けていたレックが振り向く前に、スエルが言葉を続けた。

「しかも、ズボンは既に脱いできた!」

「この変質者が!!」

 レックの右ストレートが、本当にパンツ姿で仁王立ちしていたスエルの頬を捉えた。

「ごめん、メイちゃん。責任持って、裏の山に捨ててくるから。ケーキは、またな」

「は、はい。もう、この際だから燃やしてください。もう嫌です」

 メイは、晴れ晴れとした顔でレックに言う。その言葉に、『分かっているよ、メイちゃん』と言わんばかりに、レックは親指を立てる仕草をして、気絶したスエルを引きずって行った。

「はぁ・・・あの人、本当に素でキモイ・・・。喋らなければ、カッコイイ人なのに」

 黙っていれば、モデル級。口を開いた途端、コンマ一秒で下衆野郎認定という、極端な男、それがスエルである。

 

 イデルがいつ帰ってくるのかは、まだ分からないという。今は、ただ彼が帰ってくるのを、ここで待つしかない。考えれば考えるほど、気分が盛り下がっていくので、気を紛らわせるようにメイは掃除を再開するのであった。

 

 END

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