3scene
『汝、その名はネズ王』


「最近、ネズミが出て困るのよね」

 メイは、そんなことを溜息混じりに呟いた。屋敷は、築二十年程度。そこまでボロではない。ネズミもまったく出ないわけではないが、ここ数年は被害などほとんどなかった。しかし、ここ最近、やたらと食料が荒らされる。食い残された食材に付いた歯形から、ネズミである事は間違いない。そのためメイは、車庫で車を整備しているグレスの所に相談に来ていた。グレスは、正確な年齢は不明であるがまだ十代の後半ぐらいの美少年だ。いつも目深く黒い帽子を被り、寸分の狂いもなく衣服を着こなす。それが作業着であっても。そのため、どこぞの貴族のお坊ちゃまだと推測できるが――この家の住人は、基本出自不明であるため、メイに分かる事は、彼がとっても頼りになるということぐらいである。

「ネズミですか。分かりました。出発前にネズミ捕りを仕掛けておきます」

 明日から、主人であるイデルは彼と共に遠征予定である。その遠征も『仕事のため』という名目だけで、中身の事はちっとも分からない。ただ、毎回帰って来ると血の匂いやら獣の匂いやらがするので、相当危ない事をしていることは推測できた。しかし、イデルがなにも言わない以上、ただのメイドであるメイに追求する事はできない。

「お願いね。処分は私でするから。バケツの中に放り込んで、溺れ死ぬ様を見届けてやるわ」

 メイは、復讐に燃えていた。まさか、そのネズミ一匹が、とんでもない事態を引き起こすことになるとは――誰も思いもしなかった。

 

 数日後――。

 メイは渋い顔をしていた。グレスの仕掛けたネズミ捕りが、壊されていたのだ。それも一箇所だけ。他の所は全く触れていない。そして、食料はまた荒らされていた。

「・・・どういうこと?」

 グレスが仕掛けておいたネズミ捕りは、単純なものである。餌に釣られてやってきたネズミを、バネ仕掛けでバチンと挟み込むのである。そのネズミ捕りの挟む所が、正反対にひっくり返っていた。バネも完全にいかれている。まるで、降りた金具を強引に戻したかのように見える。ネズミにそんなことが出来るとは、到底思えない。

 メイは、次に食材の噛み跡に疑問を持った。噛み跡が、人間の口に相当する大きさなのだ。

「ネズミだと思っていたけど、まさか人間?」

 しかし、数日前の噛み跡は確かにネズミ相応の大きさであった。分からない。

「あ、エレンに聞いてみよう」

 屋敷の裏に構築された森は、自然に出来た森ではない。エルフであるエレンが、精霊魔術やエルフ特有の技術を使って作り上げた、まさに森による要塞である。エレンは、メイと一緒でメイドという立場ではあるが、屋敷には住んでいない。イデルとも滅多に口を聞かないほど、寡黙で何を考えているか分からない人なのである。しかし、そこはエルフという種族に期待する。エルフは、聡明で壮麗なる一族だ。彼女なら、何かしらの指針を与えてくれる事だろう。――多分。

「エレン〜・・・いる?」

 細い獣道のような道を辿り、エレンがいる東屋に辿り着く。相変わらず凄い木々や草花達であるが、以前来た時よりも一部巨大化しているようにも見える。目の錯覚だろうか、それともエルフの力の一部なのか。

「どうしたの?」

 椅子に座っていたエレンは、どこかけだるそうにメイを出迎える。エルフである証拠の長い耳も、やる気がなさそうに垂れていた。彼女にやる気がないのは、いつものことである。そんな姿でも、美しいのだから小憎たらしい。

「それがね、例のネズミなんだけど・・・これ見て」

 食い散らかされたニンジンを見せる。

「この噛み跡、大きいよね? こんな大きなネズミっているのかな・・・とか思って」

「・・・私に聞かれても分からないわ」

「あぁ、そうなんだ。そっか、何でも知っているというわけじゃないよね。ありがとう。ゴメンネ、邪魔して」

 メイは、あっさりと追求をやめた。まだ来て日が浅いエレンの扱い方が、彼女としてもよく分からないのだ。そそくさと逃げるようにメイは帰っていった。彼女の姿が完全に消えたのを確認して、エレンは立ち上がる。

 奥の茂みの向こう側。人の背丈ほどはあろう、巨大なニンジンが一本転がっている。

「・・・まさかね」

 そのニンジンには、小さなネズミのかじった跡が付いていた。

 

 結局、手がかりは何もない。かといって、何もしないわけにはいかない。町で、鳥もちを購入し、グレスの罠に設置した。挟むのがダメなら、絡め取ろうという魂胆である。

 

 それから三日が経った夜のこと――。

 ドスン! という猛烈な音で、メイは飛び起きた。屋敷が揺れたため、地震かと思ったが、音と揺れはほんの一瞬だけであった。

「な、なんだったの・・・?」

 首をかしげていると、またドスン! と音が響き、屋敷が揺れる。何が起こっているのか分からず、メイは目を丸くするばかり。寝起きで回らない頭が、混乱に拍車をかけていた。

 三度目の音が響く。ようやっとメイは、この屋敷で何かが起こっていることを認知する。部屋を出て、彼女は食堂へと急いだ。その理由は特にない。なんとなく、食堂の方ではないかと思っただけ。

 暗い廊下を走りぬけ、食堂に差し掛かろうとしたその時、メイはその食堂前に巨大な影があることに気付いて、慌てて足を止めた。

「な・・・なに?」

 不気味な吐息が聞こえる。赤い目を爛々と輝かせ、巨大な影はゆっくりと体の向きを変える。食堂の壁がぶち破られている。激しい音と揺れは、巨大な影が壁をぶち破っていたからのようだ。ずんぐりとした体格。突き出た頭。鋭く光る爪。二足歩行。色調は暗くて分からないが、メイはそれがなんなのか知っていた。だが、理解できなかった。

「ね、ネズミ・・・?」

 それは確かにネズミに見えた。体長は軽く三メートル弱。しかも二足歩行をしているが、それ以外の特徴がネズミと一致している。それにそのネズミっぽいなにかの右手には、メイが改良したネズミ捕り改が付いていた。間違いない。コイツが犯人だ。しかし――。

「こんなに大きいなんて聞いてないよ!」

 どうしたものかと、考える。さすがにこれだけ巨大なネズミを駆逐する術などない。主人のイデルがいれば、これぐらい簡単に倒してしまうのだろうが――いつ帰ってくるかもわからない。町の警備隊か、ハンターの人たちに頼むしかないだろう。夜であっても、夜警の人たちがいるはずだ。

「ニンゲンカ」

 行動に移そうとしたとき、誰かがそう呟いた。周りを見渡してみるが、声の主を確認できない。首を捻っていると――。

「罠ヲ仕掛ケタニンゲンダナ。知ッテイルゾ。オ前」

 ネズミの口が動いている。ネズミが喋っている。若干くぐもって聞き取りにくいが、間違いなく目の前のネズミは、人語を解している――!

「うそっ・・・!」

「俺サマハ、ネズ王。ネズミノ王。ニンゲンメ、貴様ハ俺サマヲ二度モ傷ツケタ」

「・・・それは、アンタが勝手に食料を漁るからでしょ?!」

 メイは負けずに言い返す。

「コノ世ハ、弱肉強食ダ」

 四文字熟語まで駆使するとは。ふざけたげっ歯類である。

「俺サマ、オ前・・・丸齧リ!」

 ガバッと口を開いて、襲い掛かってくるネズミ――いや、ネズ王。メイは、それを大きく後ろに飛んで避ける。

「や、ヤバイ! こんなのさすがに無理!」

 次は、下から掬い上げるような一撃。後方に華麗にステップ。動きが早くない。後ろにスペースがあれば、避けるのは難しくはないが、ここは屋敷の中だ。いずれは追い詰められる。

 屋敷を出なければ――。

 ネズ王の攻撃を後ろに下がりつつ避ける。玄関へと続く廊下に差し掛かると、一気に背を向けて玄関に向かって走った。後ろを気にしている様子はない。いち早く、屋敷を出なければ。町に下りれば、なんとでもなる。メイは、玄関のノブに手をかけた。

 が――。

「えっ? あ、開かない!? なんで!?」

 鍵はかかっていないのに、扉がびくともしない。後ろを振り返ると、二足歩行から四足歩行に切り替えたネズ王が、信じられないスピードで迫ってきていた。さすが獣。四足になると、スピードが桁違いだ。

 揺れる屋敷。メイは慌てて、すぐ近くの応接間に飛び込んだ。凄まじい音が響く、屋敷が崩れるのではないかと思えるほどの振動が起こる。メイは、立っていられなくなって、転倒した。

「アイタタタ・・・」

 不気味な吐息が聞こえた。入り口に、ネズ王がいる。体が大きくて中に入れないらしく、顔だけを突き出している。

「終ワリダ、ニンゲン」

 一旦、顔が戻っていく。そして、再び屋敷が揺れた。ネズ王が、入り口の拡張工事に入ったのだ。壁に亀裂が入り、ボロボロと崩れ行く。壊されるのは、時間の問題だ。

 メイは、窓へと向かった。カーテンを開けて――。

「な・・・に・・・これ?」

 窓にびっしりと黒い何かがしがみ付いている。それはモゾモゾと時折動いている。それがなんなのか理解した時、メイは短い悲鳴を残して、後ずさりしていた。

「ね、ネズミ・・・?」

 窓にびっしりとしがみ付いているのは、ネズミの群体。玄関が開かなかったのも、これのせいだろう。

 窓は開かない。入り口の拡張工事も、そろそろ終わりそうだ。少しずつ、ネズ王の体が見えてくる。メイは周りを見渡した。武器になる物を探しているのだ。彼女は、追い詰められたからといって、泣き喚くようなメイドではない。逃げる所がなければ、戦う。それがメイだ。

 武器になりそうなものは、見当たらない。仕方なく、持ってきていた小刀を取り出した。あれだけの巨体だ。少々刺したり切ったりした所で効果はないだろう。鈍器のほうが、よっぽど確実なのだが、ない以上仕方がない。

 騎士であったイデルから、型だけは学んでいる。静かに構えを取り、呼吸を整える。

 まずは一太刀。狙うは、両目のどちらか。怯んだ隙に、巨体を潜り抜けて逃げ出す。頭の中でプランを組みあげる。

 もうすぐネズ王が入ってくる。

 その時であった。

「勇ましい人。その魂の輝き、素敵だよ」

 背後からそう声が聞こえた瞬間、ザン! という音が響いた。窓を覆っていた無数のネズミが霧散、窓も壊れる。外へと繋がる道が出来た。

 メイが振り返った時には、もうそこには誰もいなかった。ただ、真っ暗な外へと続く道だけが残されていた。

 メイは、疑問に思う前に窓を潜って外へと出た。後ろから、ネズ王の声が届く。

「馬鹿ナッ! 俺サマノ結界ガ!」

 メイは、もう振り返らない。そのまま走り、町へと向かった。

 メイが、夜勤中の警備隊を連れ出して戻った時には、すでにネズ王の姿はなかった。ただ、夢ではなかった証拠に、屋敷はボロボロ。

「・・・いない。どうして?」

 警備隊の人が屋敷中をくまなく探したが、見つかったのは小さなネズミの死骸、一匹だけだった。

 

 つづく

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