『ぐれた雛人形』


<登場人物>

(たちばな)勝彦;除霊屋橘家の当主。堅物のお爺様。

五十鈴(いすず)勝彦の息子、勝也の嫁。

 

 重たい蔵の扉を明けると、ひんやりとした冷たい空気が頬を撫でた。薄暗い蔵の中。一歩、中に踏み込んだ勝彦は、難しい顔で周りを見渡していた。

「これは・・・まいったな」

 彼が蔵の中に入るのは、もう数十年ぶりとなる。色々とあって、蔵には近づきたくなかったのだ。それなのになぜ彼がここにいるのか。

 きっかけは、テレビだった。普段はテレビを見ることはないが、たまたまその日は娘達がテレビを見ていた。内容は、柳川のひな祭りについて。そこで彼は、ふと気付いてしまった。いまだかつて、一度もこの家ではひな祭りをやった事がないという事実に。

 今年から、新しく養女に迎えた子もいる。娘達を祝福するためにも、是非ひな祭りを! と思ったのまではよかった。ずっと昔に使っていた雛人形一式があったはずなのだが、家の中からはとうとう見つけ出すことが適わなかった。

 ならば、もう蔵に仕舞ってあると考えるしかない。そういう経緯でここまで来たが、数十年ぶりに訪れた蔵は、まるで見知らぬ空間であった。それもそのはずである。蔵は途中から、とある人にまかせっきりで、その人が亡くなって以降、全く触れていないのだ。

「手探りで探すのも骨が折れそうだ」

 溜息をついて、仕方ないとばかりに探し始めようとしたその時、蔵の入り口から『勝彦様?』と声がかかった。勝彦の亡き息子の妻である五十鈴である。

「五十鈴か。どうした?」

「いえ、蔵に入るのを初めて見たもので。なにか、お探しのものでもあるならば、手伝おうかと思い至ったしだいです」

 丁寧でゆったりとした口調。蔵の雰囲気も、少しばかり和んだような感じがした。

「雛人形をな・・・」

 少し照れくさそうである。それを聞いて、五十鈴は嬉しそうに笑った。

「まぁ、一度も拝見した事がありませんでしたが、蔵の中に仕舞ってあったのですね」

「色々とあってな。あれを見ると、つい昔の頃を思い出してしまうんだ。だが、今はあれを見ても思い出として受け止められそうな気がしてな。しかし、探そうにも蔵の管理は他人任せであった。正直、どうしたものかと途方に暮れておったところだ。暇があるならば、付き合ってくれると助かる」

「はい、私でお手伝いできるのであれば」

 五十鈴は、快く賛同してくれた。

「探している雛人形とは、どのようなものなんですか?」

 薄暗い蔵の中を、二人一緒で探し回る。別々に探した方が効率がいいかもしれないが、蔵は広いし、なによりも何が眠っているのかが分からない。バラバラに捜索するには、リスクが高い場所なのだ。

「少なくとも二百年ぐらい前の品物だとは聞いている」

「そんなに古いものなのですか?」

「あぁ、後に何回か手を加え、人形も増えはしたが、元々はそれぐらいだと前当主から聞き及んでいる。だが、どのようなものだったかと言われると、雛人形だ、としか言えぬ。うむぅ・・・」

 それは仕方がないことですね、と五十鈴は朗らかに笑う。そんな折、カタリと物音がした。

 二人は即座に背中を合わせて身構えた。物音は、倉庫の奥から聞こえてきた。娘達が付いてきたとは考えられない。

 この蔵は、普通の蔵ではない。除霊屋が所有する蔵だ。単に物が収められているだけではない可能性は、捨てきれない。手に負えない品物、(あやかし)を封印している可能性だってあるのだ。他にも、侵入者用のトラップという線もある。そう、ここは危険地帯なのだ。

「勝彦様、妙な気配を感じます。心当たりはお有りですか?」

「いや、なんとも言えぬ。しかし、ここは一階だ。そうそう、物騒なものが置いてあるとは思えぬのだがな」

「なら、侵入者用のトラップでしょうか?」

「蔵が当主の私を異物と判断するとは考えにくいがな」

『うらめしや〜』

 なんともポピュラーな文言が届いてきた。それと同時に吹き抜ける生暖かい風。目を開けているのもしんどい強風の中、勝彦はその果てに少女の顔を見た。はっとなり、勝彦はその名を呼ぶ。

(なみだ)・・・涙ではないのか?!」

 途端、風は収まった。

「涙・・・? お知りあいですか?」

「あぁ、昔この蔵を任せていた子だ。涙、そこにいるのか? いるなら返事をしてくれ」

 勝彦の言葉が響く。すると、勝彦と五十鈴の少し前の空間がゆらりと歪み、一人の少女の姿が浮き出てきた。セミロングの髪に、左頬に青色の涙のペイント。年の頃は、まだ十代の半ばぐらいのその少女は、どことなく悲しそうに笑っていた。

『もう忘れ去っておいでかと思っておりました』

「本当に涙なのか?」

 信じられないと、勝彦は言う。そう彼女、橘涙はもうずっと昔に死んでいるのだ。

『死期を感じ始めた頃から、この蔵の最下層にある品物に術を施しまして、(つく)喪神(もがみ)として残存しておりました。当主様がいつこの蔵に来てもいいようにと、ずっと待っておりましたのに・・・全然来てくれないんですもの。本気で恨んでやろうかと、最近は鬱々としておりましたのよ』

 涙の愚痴に、苦笑する勝彦。

「すまない。この蔵に来ると、涙の事を思い出してしまってな。辛かったんだ」

『・・・左様ですか。それならばよいでございます』

 満足したとばかりに、涙は笑う。それは、子供っぽい愛らしい笑みだった。

「五十鈴、涙だ。かつて橘家の本家で重宝されていた感応者だ」

「本家の? それは貴重な」

 五十五年前に(きゅう)(どう)家によって滅ぼされた東京の橘家の本家。彼女はそこの生き残りだという。

『五十鈴様、初めてお会いいたしますね』

「私のことをご存知で?」

『息子様からお聞きしております』

「数馬から・・・」

 息子の名前が出てきたためか、五十鈴が母親の顔で微笑む。

「あの馬鹿は、蔵の中に進入しておったのか」

『私がお助けしなければ、そこら辺で餓死していましたよ』

 くすくすと妖艶に笑う。その息子の母親である五十鈴には、笑い事ではない。

「息子がご迷惑をおかけいたしました」

『ふふっ、ずっと一人で寂しかったので、とても楽しく過ごさせて頂きましたわ』

 生前と変わらない様子の涙の仕草に、勝彦も頬が緩んでいた。

「涙、すまないが、一つ探し物を頼んでもよいか?」

『はい、どうぞ。私は、この蔵の管理人。ここにあるものであれば、瞬時にお答えできます』

「雛人形を探しているのだが」

 涙の表情が、少し険しくなる。

『あることにはありますが、色々と問題が』

「問題? 壊れているのであれば、すぐに修復させる」

『いえいえ、保存状態は良好というか、良好すぎるというか。そうですね、実際に目の当たりにしてもらった方が、分かりやすいと思います。雛人形は、現在最下層です』

「・・・嫌な予感がしてきたぞ」

 勝彦は、げんなりとした表情でそうぼやいた。

 

 涙の案内で、最下層までまっしぐら。一番下まで来ると、さすがに何も見えない。しかし、涙が軽く手を動かすだけで、光が次々と燈っていく。さすが管理人。思うがままである。

 最下層となれば、空気の陰気さは桁が違う。何が出てきてもおかしくない雰囲気であった。いや、実際に下手を打てば何かが出てくるのだろう。さすがに、勝彦も五十鈴もその陰気さに眉根を細めていた。

「・・・凄まじいなぁ」

『ここら辺にあるものは、一個でも表に出れば町の一つや二つ、巻き添えにしかねないようなものばかりです。地下という環境と特殊な呪印で、少しずつ力を削いでいるのですが、完全に無効化するまでおよそ五百年はかかるようなものばかりで、先が見えませんの』

「ぞっとしないお話ですね」

 勝彦と五十鈴が案内された場所は、蔵の半ばほどに作られた個室の前だった。よく見ると、その先の部屋はずっと個室になっており、物が一切置かれていない。時折、カリカリという壁を引っかく音や、うなり声のようなものが聞こえてくるのは、きっと気にしてはいけないことなのだろう。

『このお部屋で管理しております。私が言うのもあれですが、正直新しいのを買ったほうがいいと思いますが』

 オススメできないと涙は言う。しかし、わざわざこんな最下層までやってきたのだ。勝彦も、引き返すつもりはなかった。

「見てから考える。鍵を開けてくれ」

 涙が鍵を開け始める。その間に、勝彦は五十鈴に伝えるべきことを伝えた。

「戦いになるならば、私が前に出る。五十鈴は、下がっていてくれて構わぬ」

「・・・いえ、ブランクはありますが、戦えます。これでも、かつては小泉家の斬り込み隊長を務めた女です。戦わせてください」

 勝彦は、仕方がないと溜息をついた。

「無理はするなよ。お前が傷つけば、娘達が悲しむ」

「それは勝彦様とて同じことが言えると思いますが」

「私はいいのだよ。どうせ、死ねないのだからな」

 達観した表情で、勝彦がさらりと言う。『死ねない体』。橘家の鬼神と呼ばれた男。その身は、何度串刺しにされようとも怯むことなく、どれほどの血を流そうとも、剣を振るうのを止めない男に付けられた異名。五十鈴は、まだその本当の意味を知らない。

『開きました』

 カチンという音が響き、扉が重たい音をたてて開く。今までとは比べ物にならないほどの、怪しい風が一気に流れ出してきた。

『誰じゃ、ボケェ!!』

 踏み込む手前、中から響いてきたガラの悪い声。さすがの勝彦も、直前でたたらを踏む始末。何事かと思っているうちに、涙が暗い室内に灯りを燈した。広がる視界。そこに展開されていた光景に、勝彦も五十鈴も絶句し、驚きを超えて呆れ返っていた。

「一体、これは何事だ」

「・・・美しくない」

『ね、元気でしょ?』

「美しくありません!」

 五十鈴の叫びが、室内に響き渡ると、各方面から『黙れ、ババぁ!』、『アンタみたいな、婆さんに言われたくねぇよ!』、『マジ、空気読めや!』と非難の嵐。

 室内には確かに、内裏雛もいれば、三人官女もいる。五人囃子も、随身も、仕丁も、とにかく全て揃っているが、その全てがなぜかヤンキー座り。曲がるはずのない関節を折り曲げ、取りえないポーズでそれらは座り、全員がメンチを切っていた。

 これは確かに美しくない。

「当主、滅敵指示を。私の美的意識に反します。滅ぼしつくしていいですか?」

「ま、待て。落ち着け。とりあえず、話を聞いてからだ」

 最近は穏やかな性格で過ごしていた五十鈴であるが、若い頃は血気盛んな女性であった。その時の彼女が、どうやら舞い戻ってきているようである。

『当主様がほったらかしにしていたものですから、ついにぐれちゃったんですよ』

「保存状態良好と言うよりかは、完全に妖化してしまっているではありませんか」

 五十鈴が言うのも最もである。とっくに目の前の雛人形は、雛人形である事を放棄していた。

「そうか。古い品物だったからな。もともと妖化しかけていたのだろう。これは、私の責任である。謝るしかあるまい。本当にすまなかった」

 勝彦は、自分の非を素直に認めて、深々と土下座をした。その様子に、雛人形達もざわめいた。

『あぁ・・・当主様、頭を上げてください』

 男の内裏雛が、前に進み出てきた。この中では、リーダー格なのだろう。

『当主様にそこまでされると、我々も立つ瀬がないといいましょうか・・・』

 すっかり言葉を改めて、戸惑いを隠しきれない内裏雛。彼らとて、今まで大切にしてもらっていた家柄の当主に、頭を下げられてしまってはそれ以上はなんとも言えないのだろう。

「もし、私のことを許してくれるのであれば、もう一度我が家に飾られてはくれまいか?」

 勝彦は、頼むと頭を下げた。男の内裏雛は後ろを振り返り、女の内裏雛に目配せをした。今度は、彼女が前に出てくる。

『当主様。我々は、心配だったのです。突然、蔵の中から出してもらえなくなり、一体何があったのか。橘家はもうなくなってしまってのではないのか。心配で、辛くて、苦しくて、悲しくて。それが怒りへと変わってしまうほどの年月を、この中で過ごしてしまいました。当主様、教えてはくれませんか? 私たちと共に過ごした、あの子達の行く末を』

 勝彦は、頭を上げる。その顔には悲痛が満ち溢れていた。

「・・・皆、君達を見ていたものたちは、死んでしまったよ。銀河も、絹も、涙も、夜衣も、里駆も、皆」

『左様・・・ですか』

 雛人形達は、涙を流していた。

『それで、我々を蔵から出せなかったのですね』

 男の内裏様が、勝彦の心を察してくれたようである。

「すまない。君達を見ていると、どうしても思い出してしまいそうでな。だが、今はあの時の事を思い出に出来るぐらいには、余裕が出てきた。娘達が、大きくなったんだ。あの子達の成長を、一緒に祝ってはくれまいか?」

「お願いいたします」

 五十鈴も、遂に膝を折った。

 雛人形達は、深く頷き彼らの気持ちを受け止めた。次の瞬間彼らは、本来の姿へと戻っていた。

「・・・妖化したままでも面白かったのだがな」

「冗談でも止めてください」

 五十鈴にきっぱりと言われてしまった。

 

 人形を片付けて、蔵から運び出す。涙は、蔵にくくられているため、出ることが出来ないので、蔵の出入り口から勝彦たちを見送った。

「涙、また遊びに来る。今度は、娘達を連れて」

『はい、お待ちしております』

 笑顔で手を振る涙。その笑顔には、寂しさはあっても明るさに満ちていた。

 

 三月三日。橘家の居間に、家族全員で並べた雛人形が飾ってあった。

 雛人形たちの顔はどれも明るいものであり、見る人の心を和ませた。

 

 毎年毎年、娘たちの成長を見守ることができる。

 慈愛に満ちた笑みは、きっともう二度と絶えることはないだろう。

 

 

 END

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