きっかけ

私の故郷、静岡では周りのほとんどが巨人ファンだった。一番身近にいた叔父も古くからの巨人ファン。年に1度、春のオープン戦で静岡草薙球場に巨人軍が来ると、出場選手が控え中心であろうと球場は超満員。切符はプラチナチケットだった。どうしてみんな巨人ばっかり応援するんだろう。
そう思い始めたころ、地元の草薙球場に来ていた大洋ホエールズの春季キャンプを見に行った。
大洋の選手も頑張ってるんじゃない。注目されないのは不公平だ!
周りに反発するように私は大洋ホエールズを応援するようになった。
やがて1974年、地元のスター、山下大輔が大洋に入団。ちょっとした関係があり、月に1度草薙球場での公式戦のチケットを、商売をしていた実家で販売したりした。でもいつも試合は閑散とし、数千人の観客しか集まらなかった。



私だけのスター達    山下  松原

みんなが長島や王に声援を送る中、みんながほとんど知らない選手たちが私の中ではスーパースターだった。
山下大輔、中塚政幸、シピン、松原誠、ボイヤー、伊藤勲、江尻亮、平松政次、
小谷正勝、
監督は、別当、土井など魅力的なスターがいっぱいいた



オバQ登場!   田代

やがて2流選手の中から突如としてキラ星登場。田代富雄・通称オバQ。その打球の飛距離はビックリ。キャンプでもボールが場外に飛び出さないように、田代の打球が飛ぶレフトスタンドの最後部に普通の2倍くらいの高さの特製ネットが張られた。しかし彼の弱点はサードの守備。キャンプ中毎日、通常の練習終了後たった一人でコーチの特守を受けていた。練習上がりで着替え終わって通りかかった中塚が「頑張れ頑張れ、タシロ〜」と声で叫んでいたのが印象に残っている。    
高校に入って人生の師と仰ぐ先生と遭遇。その先生が熱狂的な巨人ファン。授業の合間に毎日舌戦が繰り広げられていた。


応援本格化  
 応援団用手ぬぐい(はちまき)

以前の聖地・川崎球場には行けずじまいだったが、高校を卒業して東京に出て、初めて横浜スタジアムへ。開幕戦(対巨人)に思い出を作ろうと徹夜で並んで一番乗り。たまたま通りかかった私設応援団長の目に留まり、声をかけてもらった。お弁当やビールを差し入れてもらった。それ以後は応援団(横浜鯨援隊)のお手伝いもするようになった。何と言っても入場無料にしてもらえるうえに、飲食代も出してもらった。まだ応援歌もない時代、太鼓だけの応援だった。
最初に浜スタに行ったときに買った応援メガホンをずっと使い続けた。ぼろぼろになった。やがて何度か買い換えたが、初代のメガホンはいつか日本シリーズの大舞台で使うことを夢見てそっととっておいた。
当時のスターは、オバQ、高木由一、長崎慶一、ミヤーン、入団したばかりの斉藤明夫、遠藤一彦たちであった。やがてポンセ、基、屋鋪、高木豊、若菜らが大活躍(?)しながらもほとんどBクラスの低迷が続いた。 
通っていた大学が飯田橋にあったため、授業が終わると後楽園(現東京ドーム)や神宮に走っていた。神宮球場ではコーラ売りの売り子のバイトもしたが、ゲームばかり見ていてまったく売れずに2日でクビになった。



名前が変わった!

大洋ホエールズがいきなり横浜ベイスターズに変わった。名前を変えるという話は聞いていたが、本当はマリナーズになると思っていた。そのために地元の商店街もマリナードという名前に変わったし、海にぴったりの名前だと思っていた。しかし直前にロッテ・オリオンズがなんとマリーンズになってしまった。その関係もあるのだろうか、結局ベースターズになった。 なじんでいた「いくぞ、大洋」という応援歌も変わってしまった。それでもスタンドでは応援団は新しい応援歌とともに「いくぞ、大洋」も歌い続けた



優勝!!!

1998年10月8日。甲子園球場。ピッチャー佐々木が阪神の新庄を三振に抑える。この瞬間、私は生まれて初めて優勝の瞬間を味わった。翌日のチケットは持っていたが、大事な仕事もありこの日はテレビの前だった。大洋時代の応援グッズを身にまとい、ぼろぼろの初代メガホンを握りながら涙が止まらなかった。翌日は子供の運動会のために会社を半日休んだのだが、横浜の川に飛び込んで死んだのではないかと心配していた友人は一人や二人ではなかった。この日の試合、スポーツニュースはビデオで保管。臨時の号外はいまだに額に入れて飾ってある。
日本シリーズのためには徹夜してチケットを確保。相手は西武。埼玉に住みながらベイスターズの応援ユニフォームを着て電車に乗り、6試合のうち3試合応援。もちろんぼろぼろのメガホンを握っていった勝てば「いくぞ、大洋」も歌った

<お宝紹介>
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1:大洋時代から使い続けたメガホン。日本シリーズに連れて行って今は引退。大切に保管している。
2:徹夜してゲットした日本シリーズのチケット。写真は第1戦、横浜での史上初のシリーズ。
3:リーグ優勝翌日の新聞。まだ全部とってある。もちろん日本一の時のものもある。
4:神奈川新聞の号外。パネルにして飾ってある。
5:歴代メガホン。一度も投げたことも捨てたこともない。右の金色のものは優勝記念バージョン。



負けても負けても

考えてみればお金を出して楽しむレジャーなのに、2回に1回以上は不愉快な思いで帰路につく。それでもまた応援する。弱くても、人気が無くても、きっといつまでも応援すると思う。応援する人が少ないだけに、自分だけの宝物。たまに意気投合する人に出会えば、その人は貴重な分かち合える仲間である。大勢の中のプライド高きマイノリティー。





私とホエールズベイスターズ

横浜湾岸明星軍の部屋