水 中 の 月
 
「昼間の貴方とは別人だ」
 瓶子を手酌で注ぎながら、成信が言う。
 三条の行成の邸である。
 昼間あれほど厳しかった日差しが嘘のように、吹く風はすっかり秋の気配。
 旧暦の葉月(八月)のなかば、今で言えば九月の二十日過ぎだ。
 下弦の月が群雲を背負って、煙るように妖しく輝く。
 明日は雨に為るのであろうか。
 
 話しているのは源成信、権右中将。歳は二十二。村上帝の孫であり、道長の猶子。
後世、照中将と呼ばれる、匂うように美しい公達である。
 その向かいでやはり楽座で杯を傾けているのは、この邸の主、藤原行成。
 一条殿(藤原伊尹)の孫にあたり、後少将義孝の嫡子である。世に言う絶世の美男
子義孝を父に持つその漢(おとこ)は、成信の言葉を聞き流しながら庭に目を遣って
いた。美しい父親の血を引いて、なかなかに端正な顔立ちだ。
 だが、父親にはない陰翳が、この漢の瞳の奥には常に潜んでいた。
 整って取り澄ました面も、完璧な仕事ぶりもこの漢を語る全てではない。
 その陰翳の意味を知らなければ、この漢を解ったことにはならないのだ。
 それは、この漢にしか解らぬ事ではあるのだが。
 いや、本当のところはこの漢自身にも解っていないのかもしれぬ。
 
「何時にも増してムキになってしまった。もう少し考えて論議すべき事柄であったの
に。禁中では、何処で誰に聞かれているかわからないのだからね」
 最後のフレーズは、明らかに成信に向けて語られたもの。
 そう、成信はこの日の陣定(じんのさだめ)での一幕を、たまたま通り掛かって聞
いていたのだ。
 悪戯っぽい眼差しを成信に向けて、同意を求める行成。                                       
 その澄んだ眼差しは、成信にかけられたモーションか? いや、そうではない。
時々この漢は自分では全くそれと気付かず、相手をドキリとさせる表情をする。
 無意識のなかにしている事だと知りつつも、感受性豊かな成信にしてみれば、こう
いう思わせぶりな仕草は、心の内を読まれているようで心臓に悪い。
 行成は成信と居るときは、こんなに無邪気な表情をするのに、ひとたび旧事典礼や、
政務に関する議論となれば、他の追随を許さない慧敏な論客になる。
 その眼差し、凛として清明な光彩を放ち、時に辛辣とも思えるほどの鋭利な言葉で、
相手の論理矛盾や、無知を突く。
 成信にはそんな昼間の行成と、今目の前に居る行成が同じ人物だと言うことが、と
ても信じられなかった。そのギャップが、また行成の魅力となって、成信の視線を離
さずにはおかないのだが。
 
(わたしの心も知らず、良くヌケヌケとこんな事をしてくれる)
 思わず声に出しそうになる成信である。
 
 それでも、そんな気持ちは露ほども見せず、相手の目を見て無常を語る。
「貴方の足下ほどにも才が有れば、このように嘆かずとも済むのに。どうして、神仏
は学才、武勇、野心共に拙いわたくしに家柄の高さなどお与えになったのか」
 憂いに沈む成信の言葉を尻目に、優雅な仕草で杯を口に運びながら答える行成。
「そんなものより、成信には他の人間には真似の出来ない、天真爛漫、清廉純情な心
があるではないか。それとて、神仏のお与えになったもの。尊い宝珠なのだよ」
 にっこり笑ってそう言われると、何も言い返すことが出来ない。
 包み隠すことのない本心から、言ってくれているのが、手に取るように解るから。
 何よりも、成信が胸打たれるのは、行成が自分の無常の思いを知っていて、敢えて
それに触れるようなことを口にしないでいてくれること。
 
 無常について語れば、自分の寂寥の思いを和らげる為に催してくれた、このささや
かな宴の意味がなくなる。    
 今宵の宴は、いつもの”無常を思いっきり語ろう会”とは、その趣旨が違うのだ。
 無常の世を、誰より身に染みて感じているのは、他ならぬ行成自身。
 そのことは、自分にもよく解っていた。
 解らないのは、それでもなお俗世に留まる道を行成が選択すること。
 行成自身にとっては、出家の道は許されていないのだろうか。
 苦しみを甘んじて受け入れるという、つらい選択をする。 その心や如何。
 今宵の月は、行成の心と同じ。
 その尊い姿を雲の合間に見え隠れさせて、なかなか明らかにしようとはしない。
 時が経てば、自分にも行成の本心が解るようになるのであろうか。
 ”月暗く雲重なれど”、”夜深(ふ)けて微光の透ること有り”となるのか。
   《菅家草文 巻第一 十二 ”八月十五夜、月亭遇雨松月”》
 
 成信にはそんな自信は全く無かった。ただ解っているのは、行成を尊敬し、掛け替
えのない人だと思う己の気持ちのみ。
 成信にとって行成は、歳上の友人というだけでは説明できない特別な人だった。
痛みを経験した人間にしか解らない、相手を思いやる本当の優しさを持った人。
 禁中には行成のことを、嘲笑的な意味で”恪勤の上達部”などと呼ぶ人々もいた。
だが成信は、行成の本当の優しさを知れば知るほどに、悲しい気持ちになる。
 一条帝が行成を寵顧する気持ちも、成信には良く解る。
 
 
 ・・・ん、ふと気付いたが、今宵の行成は杯を左手で運んでいる。
(左利きでは無いはずだ・・・はて・・・)
 たまたまなのかも知れない、それでもどうにも聞かずにはおられなかった。 
「手を如何された?左利きでは無いはずであろう」
 その問い掛けに、行成の杯を持つ手が微妙に揺れる。
「気にするほどの事ではない。それより、このような月の夜は詩を吟じるのが風流で
あろう。成信、菅公の詩でも朗誦してはくれないか?」
(自分に都合の悪い時は、話を逸らすいつもの癖だ。
 それならそれで良いだろう。自分で言わないのなら、こちらから仕掛けるまで)
 そう思うと、素速く身体を行成の前へと移動する。
 
 次の瞬間、その漢の右前腕を強く掴んだ。
 同時に漏れる行成の低い声。
「・・・痛っ・・・」
 左手を成信の右手に重ねるようにして、上体が前に傾く。
 そのままの前傾姿勢で、痛みを堪えている。慌てて手を離す成信。
 一体どんな酷いことを行成にしてしまったのかと、その身は動揺した。
「す、すまない・・・なんで・・・」
 何故そのように痛むのかと、聞きたいのだが後が言葉にならない。
(どうして、自分はこういう余計な事をしてしまうのだろう。
話したくないのは、何か訳が有るはずと解っていたのに・・・)
 自責の念に駆られる。
 
 そんな成信の気持ちを察してか、行成の方から事の次第が語られた。 
 訳を聞けばたわいないが、行成らしいこと。
 子供を庇(かば)って、自分の腕を柱にぶつけたという。
 如何なる時でも冷静に見えて、子供のことになると案外そそっかしい。
走り込んで、危うく柱にぶつかりそうになった子供の身代わりになったという。
 経房が聞いたら、思いきり笑いそうだ。
”弁官が腕を痛めてどうするんだい。それじゃ仕事に成らないだろう”と言いながら。
 子供や、北の方の手前もあり、その場を繕って大事無いように振る舞ったのだが、
今になって痛んできたというわけだ。ほんとは、ぶつけた時点でかなり痛かった筈。
 
「漢薬を適当に塗っておいたから、じき良くなる。そう心配そうな顔をするな」
 行成は、成信を気遣って努めて楽観的に言う。
 
 いつもそうだ。気を遣わせるのはいつも自分の方。
 その思いが澱(おり)となって、心の底に溜まっていく。
 自分の周りには、己が容貌や養父道長の権力目当てに、言い寄ってくる連中が山ほ
どいた。だが行成は、彼らとは明らかに違う。
 何の才も持たない自分に、見返りを期待しない無償の優しさを与えてくれる。
 友とするのに、もっと相応しい人間がいるであろうに何故自分など選ぶのか。
 一条帝の側近、道長のブレイン、世の手書き、そのどれも完璧にこなす人に、この
自分はおよそ相応しくないだろう。
 だが、そんなことは本人には聞けなかった。
聞けばきっと悲しい顔をする。そんな顔は見たくなかった。
 行成の笑顔を見ている時が、しあわせだから・・・ 
 
 奥の対から、風に乗って『別鶴操』の曲が聞こえて来る。
 北の方が奏でるものか。
 どう足掻(あが)こうと所詮現(うつつ)の世界なのだ。
 勝ち目は無いのだと痛烈に思い知る。
 それでも、少しは出来ることがあるはず。
 
「冷やした?鞠華(菊花)を試してみた? 枇杷の葉は? 白及が有れば一番良いの
だけど」   《はくきゅう:紫蘭の根茎;腫れ物の毒を除き、打撲骨折に効く》
 矢継ぎ早に聞いてくる成信に、苦笑しながら曖昧に返事する行成。
 成信は、こういった雑学には妙に詳しい。
 相手の煮え切らない反応に、自ら怪我の程度を確かめに行く。
 今度は細心の注意を払って、慎重に行成の腕を取る。
 手早く狩衣の袖を捲ると、その腕に己の手を当ててみた。
 熱を持って、見た目にもそれと解るほど腫れている。
 これなら、かなり痛んで当然だ。
 
(こんな状態なのに、酒を飲むなどどうかしている。
身を削ってまですることではない)
 気が付けば無意識の内に行成の腕をさすっていた。
 
「冷たい・・・気持ちが良いよ。すまなかったね・・・折角の月見の宴がわたしのせ
いで興醒めだな・・・」
 行成のその言葉を聞いた途端、成信の口にすることの出来ない思いが涙となって溢
れ出す。
 
 こんなに近くにいるのに、こんなに優しい思いで包んでくれるのに、この漢の気持
ちは自分が求めるものではない。
 その愛は、大きく自分を包み込んでくれるが、一切の見返りを求めない愛。
 そう、子供に対して注がれるのと”同じ”無償の愛なのだ。
 この場を共有していても、その思いは全く別のもの。
 いつまで経っても、決して交わることはない平行線の世界。
 求めれば何でも与えられた幼子のころに戻りたい。
 到底叶えられないその思い、伝えることの出来ないこの気持ち。
 
 その全てが珠となって、次から次へと零れ出た。
 
 行成が成信の涙に気付いたのは、雫が手を伝うその感触から。
 うつむいて手をさすっている成信の顔は見えないのだから。
 何時までも童のように泣き続ける成信の背中を、左手で優しく撫でる。
「痛い思いを代わってくれるの・・・その優しさこそが神仏が与えられた瑠璃の心な
のだよ」
 行成の仏心を語る言葉が、成信を一層苦しめる。
 
(そんな清浄なものではない。こんなに欲心に満ちた心なのに・・・)
 許されるならば、思いきりそう叫びたかった。
 
 最初から、間違っていたのだ。              
 行成相手にこんな不毛な思いを抱いたこと自体。
 水に映った月と同じ。
 すぐ間近で手が届きそうだが、実態のないその姿は掬(すく)っても掬っても、指
の間から零れて、空しい。
 いつからだろう・・・こんな思いに変わったのは。
 貴方が余りに優しいからだ・・・
 
『世皆無常にして、会へば必ず離(わか)れ有り』とはまさしく真理であった。
  《遺教経より》                 
”隨念 了知す これ宿因なりといふことを” 《菅家文草 巻第三 二四○》
【すべてはこれ前世の宿因のしからしめるところと、自分の過去世を思念分別して、
とっくり納得する】   
 そんな言葉が成信の頭の中でこだましていた。 
 
 
 泣き疲れて、何時しか行成の膝を枕に、子供のように眠り込んでしまった成信。
 そんな姿を見ながら、ここにも何も出来ない己の身を歯痒く思う漢が一人。
 行成とてもその心の虚しさは同じ事であった。
 
 成信ほどの純真さがこの己にも有れば、こんな現世(うつしよ)に何時までも留ま
ってなどいないのに・・・と。 
 成信がさすってくれたその腕を見ながら思う。
 心なしか先程より痛みが和らいでいるように感じていた。
 
 
 それぞれの懊悩を乗せながら、相変わらず地は廻り、天は輝く。
 人の世は、神仏の御心のままに。
 
      海ならず たたえる水の 底までも
              清き心は 月ぞ照らさん
                       (菅原道真)
 
 
   『水中月』  《菅家文草 巻第二 一一六》
満足寒蟾落水心  満足せる寒蟾(かんせむ) 水心に落つ
非空非有兩難尋  空にあらず 有にあらず 兩(ふた)つながら尋ね難し
潜行且破雲千里  潜(ひそか)に行きて破らむとす 雲千里
徹底終無影陸沈  底に徹(とほ)りて終(つひ)に影の陸沈することなし
圓似江波初鋳鏡  圓(まろ)なることは 江波(かうは)に初めて鋳る鏡に似たり
映如沙岸半披金  映りて 沙(いさご)の岸に半(なかば)披く金の如し
人皆俯察雖清浄  人みな俯して察(み)て 清浄なりといへども
唯恨低頭夜漏深  ただ恨むらくは 頭を低(た)れて夜の漏(とき)の深きことを
 
                        《 寒蟾;兎とヒキガエルのこと》