行 成 幻 想 奇 譚  ─ 紅 の 残 像 ─
 
 
 ・・・空蝉の世は夢の中・・・
 
 
 その日、行成は石山寺にあった。あれはその帰路での出来事。
 
──・・・笛の音・・・?
 はて、このような時間に、どなたが吹いているものか・・・・
 思うところ有って石山寺へ参詣した帰り、都も中程まで来たというところ
で、突然の笛の音に牛車の歩を止めさせたのは頭弁、藤原行成であった。
 どうやらその音は、この辺りの竹藪の奥から聞こえてくるようだ。
 物見を開けて目を凝らせば、月明かりに浮かぶ何れの方の邸。
 微かに響く妙なる調べは、其処から流れてくるものであった。

    「誰か聞かむ 竹の龍を嘯
(うそぶ)かしむることを・・・」
──桂の影清(さや)けし今宵、このように風情有るところで竜鳴を耳にする
とは。
 
 思わず菅公の詩”誰聞竹嘯龍”〔文草第五373〕を口ずさんだ行成は、その
澄んだ瞳を輝かせる。
 何処までも清浄なこの漢の瞳に映るのは、月の桂に照らされた秋の景色。
 
  秋の月 山辺さやかに照らせるは
       落つるもみぢの 数をみよとか    〔『古今集』289〕
 
 音もなく散る紅葉と天上の音が、うつつとは別の世界へ行成を誘い出す。
 
 その幻惑に罹かったのであろう。他の従者はその場に残し、惟弘のみを連れ
て壊れた籬
(まがき;垣根)を抜ける行成。
 邸へと続く道には、秋の錦が敷き詰められている。
 
「訪れる者も知れぬ、寂れた邸に如何なる方がお住まいか・・
のように突然の来訪は失礼であろうが、妙なる調べに誘われましたと申せば
許し
て下さるであろうか・・・」
 惟弘の方にちらりと視線を送って話し掛ける行成。
惟弘が返事に困るようなことを訊ねる時の行成は、決まって童心に返った悪戯
な表
情をする。長い睫の下から覗く純粋な瞳に問われれば、どうして否定出来
よう。
 だが、本来の立場から言えば、このような所へ立ち寄るのは止めねばならぬ
こと。
自分の言うことを素直に聞いて下さる主とも思えないが・・・
 
「ならば・・・三輪山の使いとでも仰いますか」
 そのまま返しても面白くないと思った惟弘が言う。
 三輪山の使いとは三輪山の神、夜のみ人の姿になって姫の許を訪れたという
蛇神
(龍神)である。一般的には大物主神と解釈されている。
 【『日本書紀』崇神紀】
 
「面白いね、斉信殿なら言いそうだ・・・」
 そう言うと満面の笑みを浮かべる行成。
 それを見て、惟弘は小さく溜息をついた。
結局いつもこの笑顔に押し切られてしまう。 ”困ったお方だ”、と思いつつ
主の
ことをにくめない、行成を心から敬慕している惟弘であった。
 
 笛の音はますます間近く聞こえ、やがて小径は途切れて邸の前庭へと出た。
 
 庭の向こうの母屋では、燈台の灯りが幾つもゆらめいている。
こんな時間だというのに、格子も下ろさず御簾越しに見える人影は、若い女性
のも
のであった。奥にも2、3の女性が居るようである。
 御簾近くの女性が笛を吹いていた。
 流れるような黒髪がたわわに衣の上に広がり、奏でる笛の音と相まって一層
幻想
的な気配を漂わせる。
 
 楓に混じって庭には大きな柿の木。月明かりのもと、庭に大きな影を落とす。
 
 そんな中で何を思ったか、懐から取り出した小硯箱を惟弘に持たせて、拾い
上げ
た柿の葉に和歌を書き付ける行成。普段、和歌より漢詩を嗜む行成にして
は珍しい。
 見詰める惟弘の顔も、主の意外な行動に少々驚いているようすである。
 行成はと言えば、卓越した妙技を以て事も無げに筆を運ぶ。流れるように運
ばれ
る筆先が艶やかだ。
 降りしきる紅葉と寂れた邸、そして妙なる楽の音が為せる趣向か。
 
 惟弘は書かれたものを受け取ると、母屋の前へと歩み出る。
「主(あるじ)がご主人様に訊ねてまいれと・・・お伝え申し上げます」
簀に続く階のところで、吾が主の来訪を告げ、柿の葉の文を取り次ぐ惟弘。
 
 このような時間に突然貴人の訪問を受け、驚いているであろうに、意外にも
中の人々の動きは落ち着いていた。笛の女性
(ひと)がこの邸の主なのであろう。
やはり家人に紅葉を取らせると、それに返しを読む。やがて、侍女の女房を通
して紅葉の文が惟弘に渡された。戻った惟弘は、それを恭しく行成に差し出す。
その仕草に、あぶない火遊びを窘(いさ)める乳母子の心遣いが感じられた。
 
 一際紅い楓に書かれていたのは、麗しい手蹟になる伊勢の和歌である。
それは、行成が寄越した枇杷左大臣(びわのおとど)の歌に呼応して書かれたもの。
 
    人住まず荒れたるやどを来てみれば
        今ぞ紅葉の錦織りける   〔『後撰集』458 藤原仲平〕
 
  返し
    涙さえ時雨にそひてふる里は
        紅葉の色もこさぞまされる 〔『後撰集』459 伊勢〕
 
 この場の状況を物語になぞらえた行成の遊び心に、同じように応じてくる
風雅な
女性。行成の突然の思い付きにも気分を害していない様子だ。
 
 気がつけば廂の間に立つ女房が、母屋の方へと二人を差し招く。
妖しい雰囲気を醸し出すその仕草に、主の袂を心持ち引いてみる惟弘である。
「行成様・・・危のう御座いませんか。わざわざ危険なところにお連れする
わけに
は参りません。それでなくても・・・何かあれば、わたしがうるさく
言われます」
 そう言う惟弘の顔が僅かに曇って見える。
行成の方はといえば、ここまで一緒に来ておきながら何を今更という呆れた
表情を
見せていた。
「三輪の神さまなら何も恐れることは無かろうに。 惟弘の恐がっているのは
妖し
ではなくて、あの御仁であろう? お小言ならば直接わたしが聞こう。
惟弘が唆(そそのか)した訳ではないのだから・・・それに多少の色恋心は
公達には必要不可欠なものだそうだよ」
 行成は、童(わらし)のように無邪気な表情を浮かべてそう言う。
”色恋”の駆け引きという貴族好みの口実を口にする割には、月明かりに
照らされ
たその横顔には清浄な心根が映し出されている。
 
 この色恋などとは凡そ無縁な主を、怪しい世界へ突き動かすものは何であろう。
 抗うことの出来ぬ行成の口振りに、真意が解らぬまま従うより無い惟弘で
あった。
 あの鋭い目つきの陰陽師に、後々問いつめられたならば、何と答えよう。
 その時の言い訳ばかりが頭を過(よ)ぎる・・・
 
 階の手前まで来てみれば、母屋へと続く廂の間に、何時のまにか酒席が用意
され
ていた。まるで行成達の来訪を予期していたかのように。
 
 簀に侍るのは幼い女童(めのわらわ)
小さな頭を膝に付けんばかりに深く頭を下げると、可愛らしい声で言う。
「ようこそおいで下さいました。主が心ばかりのお持てなしを申し上げます」
 続いて艶やかな衣を纏った女房が、円座(わろうだ)の方へと二人を招く。
 
 御簾の中の女主(おんなあるじ)は、二十歳過ぎといったところか。
親が未だ存命なのか、或いは常陸の宮の姫のように後見もなく寂しく暮らして
いる
のかは定かでない。だが、取りあえず”ふつうの”人間の邸のようであった。
 
 不思議な月夜の持てなしを、心から喜んでいるかのような行成とは対照的に
りの光景にかなり神経質になっている惟弘。
「惟弘、そんなに心配か?」
 あまりにびくびくしている惟弘が、少し可哀想になって行成がそっと囁く。
 日頃から、狢(むじな)連中の公卿相手にポーカーフェースで渡り合う
行成と、場数を踏んでいない惟弘とでは、明らかに危機対応能力が異なるのだ。
 何しろ行成は、彼の陰陽師”安倍晴明”をも舌を巻いた人物である。
 九条流を継ぐ名家の嫡男として生まれ、祖父・父を早くに亡くし、幼いとき
から
政争の狭間で育ってきた彼は、大抵の修羅場には動じなかった。
 不安や、悲しみなどの負の感情を抑える丈を早くから身につけてきた。
 それを辛いと意識したことなど無く・・・それほどまでに自分を厳しく律して。
 さればこそ、人に対する思いやりはひとしお。
それが、自分の身内や親友、身内同様の人間であれば尚更である。
惟弘とは、行成の乳母子として兄弟同然に育ってきた仲。
厳然たる身分の隔たりはあるものの、兄弟を持たない行成にとってはまさに掛
買いのない人間であった。
 
 行成が惟弘を思いやるのは当然である。
 それがまた惟弘には心苦しい。気を遣うべきは自分であるのにと・・・
 
 そんな二人の思いが交錯する中、御簾内から鈴を転がすような声で詩の
一節が詠
(うた)われた。
「”春風桃季 花の開く日、秋風梧桐(あおぎり) 葉の落ちる時、
  西宮南内 秋草多し、落葉階に満ち紅(くれない)(はら)わず”」
 その続きを促すように女主の声が途切れる。それに応えて響く行成の声。
「”梨園の弟子 白髪新たなり、椒房の阿監 青蛾老いたり、
 夕殿に蛍飛びて思い悄然、秋燈挑(かか)げ尽くして未だ眠ること能わず”」
 
 白居易の有名な長編詩『長恨歌(ちょうごんか)』の一節である。
【春風に桃花咲く日も、秋雨降って桐の葉が落ちる時も、思い出すのは
楊貴妃のこ
とばかり。 西の宮殿も南の内もとかく引き籠もりがちの
(玄宗皇帝の)心そのま
まに秋草が生い茂り、落ち葉は階段の上に
積もって掃く人も居ない。・・・夜の宮
殿に蛍が飛び舞う折、心は悄然
として燈火燃え尽くし深更になってもなお眠れない】
 
 この歌は、”紅葉門深く行跡断え”という邸の様子そのままであった。
では、この邸の主は、嘗ての幸せな日々に胸塞がれて過ごす世捨て人というわけか。
 
「わたくしどものような、訪れる者とて無い邸にお越し下るのは、どちらの君
で御
座いましょうか? 歌にお応え下さいまして大層嬉しゅう御座いました。
まさかわ
たくしの思いが凝って創り出した幻というわけでもありませんでしょう」
 寂しい境遇の姫が紡ぎ出す言葉は、やはりどこか哀愁を帯びていた。
それを受けて語る行成の声は包み込むように何処までも優しい。

「斉信卿であれば尚のこと風情漂う朗誦が適いましたでしょうが・・・わたし
の応
対にもそのように喜んで頂けて恐縮です」
 謙遜して言う行成。だがその穏やかな響きには、斉信とはまた違った、人を
惹き
付ける魅力があった。
「先程のような美しい竜鳴をお聞かせ頂けるならば、再びまた召しにこたえて
参り
ましょう、龍田姫の許に」
「本当で御座いますか・・・嬉しい・・・でも、三室の君となって、わたくし
の袖
を時雨で濡らしたりはなさらないでしょうか」
【立田川もみぢ葉流る神なびの みむろの山にしぐれ降るらし (古今 284) 】
「同じ三室でも、わが庵は三輪の山もとなれば、貴女様の袖を冷たくしたりは
致し
ますまい・・・」
 女性を射落とす手管は斉信からの直伝か。 行成の言葉が色めく。 
  《三室山は、斑鳩の神奈備山の名称であると共に、三輪山の別称でもある》
【わが庵は三輪の山もと恋しくは とぶらひ来ませ杉たてる門 (古今 982) 】*
 
 雅な都人特有の言葉遊び。
 美しい秋の錦が織りなす風景のなか、二人の会話も言葉の綾をなす。
 
 惟弘には二人の織りなす言の葉は、唯ただ、溜息ばかりの美しい世界であった。
だが、美しいものはまた儚くもある。一夜限りの契りと互いに知っていながら
回を約する刹那の恋はそれ故妖く輝く。
 
 龍田の姫の鈴路なる声。
「・・・わたくしの笛などでもそのように喜んで下さいますなら・・・今暫く
お聞
かせ致しましょう」
 その言葉を聞いて、行成の瞳に今までとは違う光が宿る。
「それは願ってもないこと。ただ、一つわたくしの頼みを聞いては貰えない
でしょ
うか?・・・こちらの笛で吹いて頂きたいのです」
 そう言うと袂から立文様のものを取り出す。
それは、紅葉の折枝が添えられた紅の薄様に立文よろしく包まれていた。
僅かに御簾を持ち上げると、その隙間から”文”を中へと滑り込ませる。
 
「・・・どの様なものに御座いましょうか・・・まぁ、美しき紙だこと。
・・・ぁ・・・これは、もしや・・・
でも何故ここに・・・いくら探しても、見つかりませなんだものを・・・」
 それを受け取った姫の声は初め驚いた様子であったが、やがて低くすすり
泣くよ
うな調子になる。
「どのように縁の品かは存じませんが、さるお方からこの辺りで笛の音響く
邸が有
れば、この笛をその主に渡すようにと言付かって参りました」
 
 時は緩慢に流れ、あたりは不思議な気配に包まれる。
 その気配は、龍田姫の手元にある文と笛が作り出すもの。
 文が載せてきたものは笛の他には、和歌が一首。
 流麗典雅な行成の手蹟になる和歌は、艶めかしくも哀恨に彩られていた。
 
    ひとふしにうらみなはてそ笛竹の
        声のうちにも思ふこころあり 〔『後選集』雑二・1185〕
 
「この笛は、わたくしが初めて大御息所様(藤原温子;基経女、宇多天皇中宮)
お仕え致しました折、弟君の仲平様から頂戴したものでございます。大和に
帰る際
どさくさに紛れてどこかに失せてしまっておりましたものを・・・
まさか、このような形で再び手にすることが叶いますとは・・・・・・
貴方様は何故にこの笛を・・・?」
 龍田の姫は、涙ながらにか細い声で行成に尋ねる。
「わたくしは、安倍晴明殿から言付かってきたまで。詳しい事情は存じません。
でも、お探しのものが見つかって宜しゅうございました」
 そう言うとにっこり微笑む行成。
 
 だが実際のところは、まさか百年も昔の話を聞かされるとは思ってもなかっ
たろ
う。ただ、晴明に先程の和歌を書いて欲しいと頼まれたときから、何やら
怪しい気
配は感じていた。またしてもあの好々爺の術に填ったか。
 そう思うと知らず苦笑が漏れた。どう足掻いても、相手の方が一枚上手だ。
 晴明の用意した一時の余興に、うつつの憂さを忘れる行成であった。
 
 その横で、これまでの経緯(いきさつ)を聞きながら、まるで狐に摘まれた
様な顔をしているのは惟弘である。
 
 それもその筈。宇多天皇─寛平─の時代と言えば、繰り返し言うが今から
百年も
昔の話なのだ。顔色一つ変えず、昨日のことのようにその時の話を聞く
自分の主の
心の内が全く解らない。生まれたときから一緒に居る惟弘にも解ら
ないのだから、
ましてや他の人間に行成の心の内など解るわけがない。
不思議な方だ。
 
 ・・・にしても・・・惟弘は思うのだった。
”吾が主は、美しい”
 月明かりに照らされたその横顔に、思わず釘付けになる惟弘である。
勿論これには行成に対する敬慕の念も少なからず含まれていることは間違いない。
 だが、惟弘がそう思うのは、何も姿形に限ったことではないのだ。
見た目のことだけを言うなら、斉信や公任のように美しい公達は他にも沢山居る。
 しかし、行成の持つ美しさは見た目のそれではなくて、自身が持つ篤実な性
格に
由来するものであった。
 童のように澄んだ切れ長の目。一見穏やかな、それでいて不義理・不条理を許
さぬ
厳しい性格。周りの者まで幸せな気持ちにさせる魅力的な笑顔。
完璧なまでの仕事
ぶり。豊富な知識力。尽きることのない向学心。
血の滲むような努力を微塵も見せず、全てをそつなくこなす。
 そのすべてが、行成の美しさであり、健全な色気であった。
 惟弘は、このような主を心から尊敬している。
 
 美しい明景の月──
 
 聞こえてくるのは、紅葉の降る音だけ・・・
 時が止まってしまったかのような空間。
 恐いほどの静寂・・・
 
 いつの間にか、母屋内の燭台の灯りは消えていた。
 
 周りを照らすものは、旻天(びんてん;秋)の望月ばかり。
 思う間にお付きの侍女が捲った御簾の間から、二人の前に龍田の姫が姿を現す。
唐紅の鮮やかな表着が、月明かりのなかに浮かび上がる紅葉襲ねの似合う女性。
 そのまま思い人の笛を手に庭へと舞い降りていった。
 
 龍田の姫は、紅葉降る庭に舞い降りた素娥《そが;月の天女》。
 
 笛の音が秋の夜空に心地よく靉靆(たなび)く。
 高く、低く、激しく、穏やかに・・・妙なる調べが紡ぎ出される。
清らかで神聖なその楽の音は、龍田の姫自らの穢れなき心を表しているようだ。
 それは、美しいが故に尚のこと残酷な現実を浮き彫りにした。
 宝珠の如き調べに誘われて、姫の許へと降り立つ行成。
 姫を見詰める行成の眼差しは、ひたすらに優しい。
儚いものをそっと包み込むような眼差し。
 
 ふたりのあいだには、何時しか別の世界が織り出されていた。
 互いを隔てる百年の歳月も此処では意味を成さない。
 
 やがて素娥の舞が終わる。
 
「よい音(ね)でございました・・・」
 行成の言葉に浄らかな微笑みで答える龍田の姫。
その大きな黒曜石の瞳には月の光が宿っていた。揺れる水面に映る金鏡。
 零れて衣を濡らす前に、手を差し伸べてそれを拭い取る行成。
そっと龍田の姫の肩を引き寄せると、瞳に映った月の光を柔らかな唇づけで隠す。
 唇を伝う冷たい感触。まるで儚い姫の過去世を物語るような・・・
 堪らず堅く抱きしめて言う。
「”佛は来ることなく去(い)ぬることなく、前も後もなし。
ただ願わくは汝が障難を抜除したまはむことを”」
【 佛無來去無前後 唯願抜除我障難 〔『菅家後集』507〕を踏まえて
;仏陀は虚空に遍満し一切の場所に居るから、別に改めて去来することもなけ
れば、
仏前仏後ということもない。時間空間を超越して、一切衆生の煩悩を断
とうとして
いる。どうかこの障難を払い除き艱苦を抜き捨てたまえ】
 
 行成の篤い信仰心が、龍田の姫の霊性を呼び覚ます。
 
 降り行く紅葉の中は、この世でもあの世でも無い世界。
 肩から落ちた紅の衣の上に、庭の錦が後から後から綾をなしていった。
 
 
 
 
「・・・弘、惟弘・・・大丈夫? もう車を出して構わないよ」
 牛車の横に佇む主が心配そうに言う。
 その声に我に返っる惟弘。見れば、其処は先程牛車を止めた場所である。
しかし目の前に有るのは今しがた見た風景ではない。
 かなりの時間が経っているだろうに、見上げる月は元のまま。
さほども傾いてはいない。松明の明かりも時間の経過が無いことを現していた。
 
 一体これはどうしたことであろう。
 
「行成様・・・これは一体・・・」
 思わずどういう対応をして良いか解らぬ惟弘。
 それには構わず、行成は美しい肌合いの斐紙(ひし)に筆を走らせる。
書き終えると、それを立文にして惟弘に渡す。
「後ほどこれを晴明殿の邸へお届けするするように」
 相変わらず気持ちの整理が付かない惟弘を余所に、行成の面はいつものポーカー
フェースである。惟弘が一番よく知っている人物は、同時に、惟弘にとって一番
く解らない人物でもあった。 
それがまた主の魅力でもあるのだが・・・
 
 
 
 ──── * ──── * ───── * ───── * ──── * ──── 
 
 
 土御門大路にある安倍晴明の邸である。
 
 夕暮れから宵へ移ろうかという時間。(午後七時前)
顔を見せて間もない十六夜月が都の甍(いらか)を照らす。
”ただそこにあるだけ”という庭の草木も、趣深くそれぞれに彩り鮮やかだ。
女郎花、桔梗、吾亦紅、藤袴・・・萩、そして紫苑。
 
 南廂に置かれた花籠には、錦木と一緒にたっぷりの紫苑の花が入れられていた。
小菊に似た素朴な花、それは素直で飾らない幼い日の面影を宿す。
 
 先程からそこで持てなしを受けているのは、頭弁行成であった。
目の前の高坏の上には、秋の味覚──焼栗に銀杏、胡桃。
その向こうに、硯箱の蓋に食べやすく剥かれたとりどりの果物。
 行成はそれらを時々口へと運びながら、庭の草木に目を遣る。
このところの忙しさから、仕事でも詩会でもなく、ただ漫然と秋の庭を見て過
ごす
こんな時間が何にも代え難い贅沢であると感じられた。 
 そうする内に奥から、瓶子を手にした女童が現れると、行成の隣に侍る。
 高坏の上の杯に瓶子を傾けようとするのを、すんでのことで行成が押しとど
めた。
 
「いえ、まだこのあと左府へと詣ず身。酒(ささ)は謹んで遠慮いたします。
お気持ちだけで・・・」
 きっぱりそう言う行成に、好々爺の笑顔で答える晴明。
「ほう、それはそれは、では代わりに薬湯でもお持ち致しましょう」
 そう言うと、女童に合図して薬湯を持ってこさせる。

──本当に薬湯か?
またいつぞやのように怪しい幻術を仕掛けるつもりではなかろうな・・・ 
この笑顔には気を付けないと・・・
 晴明が良からぬ事を企んでいまいかと、敵の心中を探る行成であった。
 
 二人の杯に同じ銚子から薬湯が注がれる。晴明がそれを啜るのを見た上で、
自分の杯に徐
(おもむろ)に口を付けて行成が尋ねる。
「すべては晴明殿の思惑通りに動いたというわけですね。
わたくしがあの場所で立ち止まったのも、柿の葉に枇杷殿の和歌を書き付けたのも。
・・・術を掛けたのは、宮中で後撰の和歌を所望された時ですか」
 行成の目に些か憤然とした色が見られる。
 勝手に術など掛けて操られたとなれば、誰でも良い気持ちはしないだろう。
「術などとは、人聞きの悪い・・・・いやいや、この爺ではなくあの笛が行成
様を
あの場所にお導き申し上げたまで」
 やはり笑顔のまま言う晴明。
 ”爺”という言葉で全てを許容しろというわけか?・・・
 
 質問の切り口を変えて再び行成が問う。
「そう仰るならそれで良いでしょう。では、あの場所でわたくしが出会ったの
はやはり伊勢の御息所
(みやすどころ)だったのですね。でも彼女の晩年は
それなりに幸せだったと聞いておりますが・・・」
 それに答える晴明は、先程来の笑顔に皮肉っぽい表情を加える。
「行成様、人の幸せとはどの様なものを言うのでしょう?
高い身分、それとも誇れる財力でしょうか、あるいは誰からも尊敬される人望
・・・恐らくそういったことは行成様が一番ご存じの筈。
あの場所で行成様が出会ったのは、伊勢そのものではなく、あの女が一番純粋
であ
ったときの情念。それのみが本体から離脱して、彼女が生まれ育ったあの
因縁或る
五条の場所に棲みついたのでしょう。行成様の高い霊性なればこそ、
陰態を通って
そこへ行くことが出来たのです。今頃は伊勢の情念も昇華を果た
し救われており
ましょう」
 その答を聞いてもいまひとつ釈然としない行成。
「わたくしの霊性が、と言うわけではなく、わたくしの血筋がと言った方が宜し
いの
ではございませんか。 晴明殿が仰って下さるほど自分は清廉潔白、清浄
な人間
では有りません故」
 行成の蔭のある笑みとは違って、本当に嬉しそうな顔の晴明。
「行成様にはかないませぬなぁ・・・そのように言われましては、この爺は
身も蓋
も御座いませんぞ」
 言葉とは裏腹に困ったような様子は微塵もない。
 
 今行成が言っているのは、例の紅葉の邸─伊勢の御息所の五条の邸─への
使者と
して自分が遣わされたわけ。
 
 先ずは伊勢とはどの様な人物か簡単に話しておこう。彼女は、宇多帝の御代
にお
いて女性歌人としてその名を知られ、三十六歌仙の一人でもある人物。
早くから宇多天皇の后藤原温子に仕え、その異母弟仲平との熱烈な恋愛は有名
であ
る。この恋は結局破れるのであるが、その後宇多帝の更衣となり一男を
もうける。
だが、まもなく子どもも夭折し、宇多帝出家後はその皇子敦慶親王
と結ばれ一女を
得る。そのような波瀾万丈の人生を歩んだ彼女であるが、行成
とも不思議な縁を持
っていた。
 それは、伊勢が敦慶親王との間にもうけた子─中務─と、源信明との間に
出来た
子ども「ゐとの(井殿)」は行成の祖父伊尹に嫁しているのだ。
 
 そんな偶然の繋がりが、伊勢の元へと自分を行かせたわけであると行成は
言って
いる。それが、晴明が自分を撰んだ理由。五条のあの場所に留まった
ままの伊
勢の情念へと、仲平の笛を届ける使者として。
 晴明が言うように己の霊性が高い云々などは関係ないことだと・・・
 

「ところで行成様、伊勢の情念は冷とう御座いましたか?それとも熱う御座い
まし
たか」
 二人に薬湯を注いでいた女童と行成を交互に見ながら言う晴明。
その様子に最初訝るような表情を見せた行成であったが、にっこり微笑む童の
顔を
見詰めるうちにその意味に気付く。
 同時にサッと顔を赤らめる。
この女童は、伊勢の邸で自分を迎えた童ではないか・・・
 
「以前、行成様が妖しきところに行かれる際は、この爺か爺の差配した者がご一緒
すると申し上げませなんだか?」
**
 答えに窮する行成の瞳を覗き込むようにして意地悪く言う晴明。
 その顔が好々爺お得意の笑顔になる。
行成の素直な反応が面白くて仕方ない、といったところか。

 首筋までの紅くした行成は、何とか晴明から目を逸(そ)らすと『月が・・・』
と言って簀の方へと場所を移してしまった。
 この漢(おとこ)の何処までも純真なところが、またどうにも可愛いと思う
晴明である。 ただ、”これだから、妖しも近付いてくる”そんな危惧の念も絶えな
かった。
 
晴明はそれ以上行成を苛めるのは止め、同じように簀に出て無射(ぶえき;陰暦九月)
の風を聞く。しっとりした秋の夜風が心地よい。
 
 空を仰げば、”春を渡り夏を渡って”今に至る秋の月。
 
「美しいですなぁ・・・
”千悶消亡す、千日の酔い、 百愁安慰す、百花の春。
一生に三秋の月を見ざらませば、天下に腸断ゆる人無からまし”」
               〔『菅家文草』巻第三 195 「秋月天」〕
 
 
 美しいものは、またそれ故残酷でもある。
 物事の内部には全く相対するふたつの属性が存在しているから。
そのふたつ共を備えてはじめて一つの事象が現出するのだ。
この世に現れるすべての出来事は、一体の中にそのように互いに関連し対立
する属
性─陰・陽─を内在している。
 
 清(さや)かな光を放つ月もその例外ではない。
 
 晴明同様、月を見上げる行成の心の内を去来するものは何であろうか。
 
 ふたりの間に置かれた行成の書だけが、その漢の心を現すものなのかも知れない。
 
 
    寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたは
       蝉の世ぞ夢にはありける     〔『古今』833 紀友則〕
 
   だいたい今生きている現世の方が夢なのだ・・・
 
 

 行成幻想奇譚、続きはまた夢のなかで・・・
 
 
   
   天長地久有時盡  天は長く 地は久しくとも尽きる時有り
   此恨綿綿無盡期  この恨み 綿々として尽きる時無し
 天地は永劫に変わらぬものと言いながら、いつかなくなる時が有るだろう
 だが、それに比べて離れまいと誓いながら離れ去ったこの恋の恨み、別れの
 恨みは綿々と続いて尽きることはないであろう
                      〔白居易『長恨歌』末尾〕***
 
    
 
 
 
 

 
 
* ”わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉たてる門”(詠み人知らず)は
  恋破れ傷心の時、伊勢が仲平に送った次の和歌(『古今集』780)
  ”三輪の山いかに待ち見む年ふとも たづぬる人もあらじと思へば”
  の元になった歌と言われている。
  大和の国府は三輪山の麓にあり、伊勢の父親は大和守であった。
  其処に身を置こうとしていたとき詠んだ歌。


紫苑の花言葉は”追想”

** 拙短編「牡丹の精」参照

雑学的知識”柿の葉”考;柿の葉は、歌一首を書き付けるのに充分な大きさ、厚手で素晴らしい墨乗り
            の良さである。「一名錦葉」と延喜十八年(916)ごろの著作とされる『本草和名』
            に記すほどの鮮やかな色彩模様など、柿の葉片が、一首の和歌をしたためて
            贈るのには極上の料紙に相当するとさえ言えるほどなのである。
                     〔藤岡忠美『平安朝和歌 読解と試論』風間書房 より〕


*** 恋渡り、添い遂げたいと思っているときの心の内は如何であろう。例えばこのようなものか・・・

  在天願作比翼鳥  天に在りては 願わくは比翼の鳥と作(な)り
  在地願爲連理枝  地に在りては 願わくは連理の枝と為らんことを
                        〔白居易『長恨歌』より〕
  
   対する末尾の詩句が余りに壮絶であり、そして耽美に悲しい。


以上、蛇足解説お許しの程。


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