─ 行成幻想奇譚 時の流れを超えて ─
 
 
     ”君をいかで思はむ人に忘らせて 問はぬはつらきものと知らせむ”
     行成の手にする文に書き付けられた和歌である。
     鳥の子色の薄様に香(かぐわ)しき白い花を付けたこの消息が、行成の許に届けられた
    のは今朝早く。折から急な参内のために邸を出ようとしていた行成は中身を確認する暇も
    なく、女童(めのわらわ)から文を受け取るとそのまま牛車に乗り込んだ。
     本日物忌みにもかかわらず行成が出かける訳は、一条帝からの命であるため。
     此度の用件は、或いはこのごろお加減の悪い院(東三条院・詮子)についてのことかも
    しれない。”物忌み”という大義名分を掲げて、今日こそは休みが取れる・・・と思ったの
    も束の間、淡い夢と化した。実際は夢を見る間も無いくらいの忙しさだが──
 
     邸に帰ったと思ったらすぐ呼びつけられ、たまの休みだと言えば斉信殿と公任殿のけん
    かの仲裁をさせられ(?)、ゆっくり邸で過ごしたのは何時のことか。
     文の如く憾み言を言われたところで、”問い尋ねないのは”偏に我が都合では無いこと
    を解って貰いたいのだが・・・
     それを言えば、また男の勝手とぴしゃりとやられてしまいそうだ。
     その跳ね返りの強いところがまたあのひとの魅力でもあるのだろう。
     ただ一首の和歌だけの文も、添えられた美しい花も妙に行成の心を騒がせる。白い花弁
    の真ん中は、黄色い杯のようなかたちになっていて、それがまた目をひいて可愛らしい。
 
    ─久しぶりに梅津を訪れてみたいものだ・・・
    見慣れぬ珍しき花の名を尋ねるだけでも良いのだから
 
     その思いが実現できたのは、それから二日後のこと。
     ここ梅津は京洛の外港として栄えた港。貴族の山荘もかなりある。
     行成は、我ながらこの忙しい日程の最中よくやって来られたものだと思う。
     やはり体力の20代! 30代に突入した斉信殿や、公任殿とは違う。
     不言実行!そしてそれが出来るフットワークの良さ、素早い判断力、処理能力。
     完璧に段取りしてきたつもりだ。誰かさんのように”仕事をサボってうつつを抜かして
    いる”と後ろ指を指されるようなことは断じて無い(ハズ・・・)。
     朝まだき光の中、濃い紫の直衣がうっすら積もった雪の白さに映えて一際艶やかだ。
    今はこうして駒で来られる此処も、あともう少しすれば雪に閉ざされてしまうだろう。
     この庵のあの方はどうされるのだろうか・・・
 
 
    「美しいとは思いませんでした?いろは楓や山茶花に淡雪が積もっておりましたでしょう。
    昨夜の雪は物思うわたくしが降らせたのですよ」
     愛らしい口許をちょっと窄めて黒曜石の瞳で語られれば、意地悪な言葉も全ては愛の囁
    きになる。白い衣より、なお透き通るような白い肌はほんのり薄桃色に染まっている。

    「わたしを呼び寄せるために降らせた”想い涙”だと? 可愛いことを仰るのですね。
    文に添えられた花を見た途端、どうしても此処を訪ねたくなってしまいました。貴女に
    会って
この花の名を聞かなければと思った次第です」
    「まあ、それだけのためにで此処へいらっしゃったの? 冷たいお方なのですね。
    やはり噂の通り・・・」
     庵の姫の瞳にわずかに寂しげな色が漂う。
    「行成様の性格を、その流麗温雅な書風と同一だと思うのは大きな誤り・・・」
    「なかなかに手厳しい。して、そのような空言は何処から?」
     尋ねる行成の目は案外真剣である。
    「お聞きになりたい?」
    「是非に・・・」
 
     悪戯っぽく姫の瞳が輝くと、行成の耳許に唇を寄せて囁く。
    「あなたさまご自身が・・・」
    「えっ・・・何と?」
    「いつぞや仰ったでは有りませんか。わたしは冷たいのかもしれないと。
    余りに幾多の政争を見聞きしてきたために、上手く世間を渡っていく処世術ばかり身につ
    けて、人としての感情を表に出すことの出来ない冷たい人間になってしまったかもしれな
    いと・・・」
     言われて漸く、そんなことも口にしたかもしれないと行成は思う。
     この姫になら強(あなが)ち、そうでないとも言いきれない。
 
    「貴女もそう思われますか?・・・行成は冷たい人間だと・・・」
     尋ねる行成の澄んだ瞳に微かに映る陰翳。
    「だったら此処へは尋ねていらっしゃらなかったでしょう。お優しすぎるのですわ・・・
    余りに優しすぎて、触れるのを畏れてしまわれる・・・たとえ一時の夢、幻でもわたくしは
    幸せですのに」
     そう言うと、庵の姫は行成の肩に頭を凭(もた)れさせる。
 
     白妙の羽衣が音もなく肩から滑り落ちて、辺りに立ちこめる甘い香り。
 
     それは、文に添えられた「雪中華」《水仙》の香りと同じ。
     清楚な香りはまるで淡い初恋のよう──
 
     夢かうつつか、うつつか夢か
 

        たずねゆくまぼろしもがなつてにても 魂のありかをそこと知るべく
                                     『源氏物語』
 

    真面目一筋の”世のてかき”藤原行成にも、こんな人目を忍ぶ逢瀬があったのかも・・・
 

     儚い恋の行方は誰も知らない──
 
 
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以前”逍遙小径”にショートショートとして書いたものを焼き直してup致しました。
     恐るべき手抜き?図々しい奴です。
     でもこんな短い話ですが結構時間掛かったのを覚えております。
     と言っても所詮日記ですから知れてますが・・・ 
     ”逍遙”派(そんな物好きいるのか?)で、うっかり読み逃した向きには受けるかも?
    
     冒頭の「君をいかで思はむ人に忘らせて問はぬはつらきものと知らせむ」は、
     『源氏物語』「若紫」で、光源氏が葵の上に対する嫌がらせ(いやみ)として発せられた
     「時々は世の常なる御気色を見ばや。堪へがたうわづらひはべりしをも、
     いかがとだに問ひたまはぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」
     に対して「問はぬはつらきものにやあらむ」と答えた葵の上の引き歌から来ております。
     (葵の上が詠んだのではなくて、引いてきた本歌です)
     お題を頂戴し駄話を書くのは、鴈の得意とするところ。
     (ちいとは自分で考えろって・・・)
     蛇足ですが、歌の意味は大体以下の通り。
     ”あなたをどうかしてあなたの思い人に忘れさせて、問い尋ねてくれないのは
     つらいものだと思い知らせたい”
     
     鴈の好きなシチュエーションだぁ・・・(ここで妄想全開・・・^_^;)
     行成さん、そうやって実は多くの女性を泣かせてきたのですね。(15〜23人?!)
     いや〜ん、いけずなお方。
     
      さてはて、行成さんの恋はこの後どうなったのでしょうか?
      1、悲恋 姫にふられた
      2、悲恋 行成さんがふった
      3、悲恋 相思相愛だったが無情の世が引き裂いた
      4、ハッピーエンド 北の方にばれずに結構長く続いたがその関係は清い恋だった
      5、ハッピーエンド 行き着くとこまでいったがドロドロせずに大人の関係だった
      6、お互いおとなの関係で逢えば恋人だが、それ以外の時間は拘束しなかった
      7、別れた後友人として長く付き合う
      8、・・・・・・・・
          いい加減にせぇよぅ・・・(^_^;)/
 
     そして、水仙についても、深く言及しないように。
     「水仙」自体日本に伝わったのは平安末期なのさ・・・
     こんーな物書き心をそそる”花”なのに、
     行成さんの時代には日本では未だ知られていなかったのです。
     一般に、九条良経さんが描いた色紙が日本で最も古い水仙の記録とされています。
     一方世界に目を移せば、水仙は、『千一夜物語』、『ギリシャ神話』、『旧約聖書』等にも
     登場するかなりポピュラーな花です。
     ちなみにこの花の学名”ナーシッサス”は、ひとつにはギリシャ神話で
     復讐の女神メネシスによって、池に映る自分の姿に恋をさせられて水死した、
     美少年ナルキソスの遺体が姿を変えたものから来ているとも言われています。
     (この展開は、拙別サイトの構想として使えそうだな・・・なーんて)
    
     如何でしたでしょうか。
     フムフム、肝心のショートショートより、
     水仙のうんちくの方が面白かったって?!(T_T)
     そりゃ、殺生なぁ〜(-_-;)   


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