春風・夢幻(はるかぜ・ゆめまぼろし)
重家は思う人の気持ちが、自分だけのものでないことを良く知っていた。
だからといってどうだというのだ。たとえ相手が自分以外の者に心を残して
いようとも、我が胸に顔を埋めているその人をほかっておく事など出来ようか。
何ものにも代え難い愛しい人であるのだから。
人目を忍んで、道ならぬ恋に身を委せるふたり。
許された短い時間のなかで、精一杯の慈しみを与え合う。
忍び込む冷気もふたりを隔てるものではなかった。
”青水の渓の辺(ほとり) ただ素意
綺羅の帳(とばり)の裏(うち) 幾ばくの黄昏”
《『菅家文草』巻第五 388より;
青く澄んだ渓川の水のほとりに、人生の宿願に適うような美しい人に逢っ
た美しいうすものの帳(とばり)を下ろした寝所のうちで、幾夜の楽しい
語らいの夕暮れどきを迎えたことか》
燈火の揺らぎの中に浮かび上がった相手の姿態に、そんな詩の一節が思い出
される。自分はこの先何処に落ちていくのだろう・・・
─”二蟲(にちゅう)趣(おもむき)を異にすといへども 性に適して共に逍
遙(しょうよう)す”か・・・
《『文草』第四 333;二つの蟲はおもむきがまるで違うけれども、もって
生まれた本性に適して、自由にふるまうという点では一致している》
我が身を振り返って、憫笑する。
似たもの同士の自分たちということか・・・
長保二年(1001) 梅見月(陰暦二月)
有明までにはまだ時間があった。
* * * * * * * * *
この日から遡ること数日前。
重家は妻の邸にいた。
久しぶりにゆっくりと子らの相手をしてやる。
元来家庭を大事にする家族思いの漢(おとこ)であった。
どちらかと言えば子煩悩なほうだ。
この日は特に子供を抱き寄せて、優しく髪を撫でる。
─おまえ達を残していく父を許しておくれ・・・
そなた達を嫌いになって出て行くのではないのだよ・・・
母上の力になって寂しい思いを振り払っておくれ・・・
自分に都合の良い事ばかり言っているのは、わかっていた。
偏(ひとえ)に責められるべきは自分であると。
父親の気持ちなど知りもせず、無邪気に笑う子供の声が重家に一層の罪悪感
を募らせる。
─だがもう後戻りできない・・・
その時、重家の美しい面に一筋の涙が流れたのを誰も知らない。
* * * * * * * * *
成信が叶わぬ恋に身をやつしていることは、その姿を側で見ている重家には
痛いほど良く解った。誰よりも守ってあげたい人だから。
そして、その想う相手が誰であるのかも・・・
重家にとっては知りたくないことであったが。
これほどまでに成信が苦しんでいるのに、何故相手は気付かないのだろう?
だが、却ってその方が互いにとって良いのかもしれぬ。
相手が成信の気持ちに気付かなければ、お互い掛け替えのない友として永き
に渡って麗しい友情で結ばれていくことが出来るのだから。
否、それ以外の、如何なるかたちで相手の側に存在できるというのだ?
相手は清浄実直な性格故、成信の本当の気持ちを知ったなら、今まで通り
につき合うことは無理だろう。
ならば、自分の想いはひた隠しにしても、側に居られる幸せを選ぶのが賢明と
いうものか。
しかし、それは成信にとっては、まさに生きながら獄火に焙(あぶ)られる
ような拷苦であった。相手の優しい眼差しも、いたわりの言葉も、元気づける
ための包容も、全ては美しい友情という名の下に行われるものであったから。
どんなに相手が成信のことを思っていても、所詮は成信自身の想いとは次元
を異にするもの。
では、そんな想いを知った上で、なお成信を求める自分は一体何なのだろう。
成信の何になろうとしているのか?
成信の想い人には到底及ぶべくもないのに。
そしてまた、成信は自分に何を求めているのか・・・
目の前の建物を見ながら、埒もない考えばかりが浮かんでしまう重家だった。
大内裏──
嘗ては威容を誇った豊楽院も、今では華やかなりし頃の姿は見る影も無い。
崩壊激しく異形を曝(さら)すその建物は、何物も時の流れには逆らえない自
然の理(ことわり)を現していた。 そこに漂うものは、世の無常観。
重家の隣でこの建物を眺めている成信も、思いはやはり同じであろう。
その横顔は憂いに煙り、唯でさえ消え入りそうなその姿はより一層儚げなも
のとなる。このまま本当に何処かに消えてしまいそうだ。
そうした存在自体の危うさ故に、重家は成信をほかっておくことが出来
なかった。
最初は、決して邪(よこしま)な気持ちなどでは無かったのだ。
友として年上の部下として、心配するという当たり前の気持ちから発したもの。
それがいつの間に、押さえきれない怪しの気持ちに変わっていったのだろうか。
重家─左近衛少将 藤原重家─は父顕光に似ず、俊慧な子であった。
顕光(藤原顕光;道長の従兄弟にあたり、右大臣)と言えば、道長をして
”至愚之又至愚也”〈馬鹿者の中の馬鹿者〉と言わせしめた愚蒙な公卿である。
その顕光の一男重家は、親とは違って誰からも有識通達と認められる優秀な
官吏であった。その上、眉目秀麗にして女房たちからの支持も熱い。
かと言って、あながちな恋に落ちるようなこともなかった。
親を助け、家庭を大事にする生真面目な人間が陥った唯一の罠・・・
それが、成信だった。
成信の儚さは、この正義感に満ちた男の心を捕らえるのに十分であった。
傷つきやすい成信の繊細さが、この男の琴線に触れたのは当然のことであろう。
一方、成信─右近衛権中将 源成信─は村上天皇の孫という格式高い家柄
に生まれ、道長の猶子として将来を期待されながら、学才・政才ともに全くも
ってお粗末なものと言わざるを得なかった。
しかしながら、その性格は清純で情味に富み、まるで童(わらわ)のように
純真な心根の持ち主である。
妻をめとり、子を成した今でも変わらなかった。
どこか頼りなげなその儚さは、美しい面に一層の色香を添える。
それは、本人の意図しないところで様々な人々の思惑を呼んだ。
成信を情欲の波に翻弄することになるのも、その儚さ─弱さ─故であった。
晩冬の逢う魔時(おおまどき)、成信の美しさは妖しい異彩を放つ。
《おおまどき;大禍時:夕暮れの薄暗くなりつつある時》
静寂な景色のなかに聞こえるのは二人の呼吸ばかり。
胸の早鐘に気づかれてしまうのではないかと思うほどに、重家の気持ちは高ま
っていた。 明らかに友情とは違う種類の気持ち。
打ち消しても、打ち消しても、闇の底から湧き上がってくる淫靡な思い。
そんな重家の心には構わず成信が言う。
「昨日、頭弁に酷いことをしてしまった・・・
いつもこんな茶番の繰り返し・・・もう疲れた・・・」
寂しい微笑みを浮かべる成信の横顔は、重家にはこの上もなく残忍に映った。
押さえきれない感情に、思わず荒々しく成信の身体を引き寄せる。
暫くそのままきつく抱きしめると、成信の震える肩を優しく撫でた。
「残酷なことを言うのだね。それでも貴方の元から離れられない自分は愚か者
だ・・・」
重家の言葉に、成信の瞳からは銀の珠が零れ落ちる。
それは、夜雨のように偸(ひそ)かに重家の直衣を濡らしていった。
何も言わずに身を委ねる成信の乱れた心が手に取るように解る。
やはり、言うべきではなかったのだろうか・・・
だが、言わずには居られなかったのだ。
これ以上、成信が当てのない恋に傷つくのを見ているのは堪えられなかった。
求めても、求めても手に入れられないものを追い続けている成信。
望んでも望んでも叶えられない思いを抱き続けている成信。
苦しい胸の痛みに耐えかねてそのように身を震わせるなら、何故もっと素直
に助けを求めてくれないのだ。
貴方の我が儘ならば全て受け入れよう、この身にかえても貴方を守ろう。
それでもなお、わたしでは駄目だというのか。
重家は成信の身体を離すと、やっとのことでもの狂おしい気持ちを抑えて
言葉を繋ぐ。
「・・・酷いことを言っているのは、わたしの方だね・・・
今のまま、そのままの貴方を受け入れるようと思っていたのに・・・
どうして自分の気持ちを押しつけてしまうのか・・・」
頭では解っていても、自分で自分をどうすることも出来ないのが恋である。
これまでは人から勧められるままに、与えられた道を歩んできた二人。
自分で決めた事など、何一つなかった。
すべては、家のため、親のため、家族のため。
親の期待に応える申し分ない息子であり、純真な心根で禁裏に花を添える見
目麗しい公達。
そういった世間の柵(しがらみ)から解き放たれて、自分の気持ちのままに
素直に進もうとした。
だがしかし、初めて自分自身で選んだ道は、余りにも険しく辛いもの。
己の無力さを嫌と言うほど思い知る。
そして、無為に時が過ぎた後には、無常という名の虚無感だけが残された。
互いの胸を去来するのは、思うに委せぬ世の辛楚。
春待月(陰暦十二月)の黄昏は短い。
いつしか辺りには宵闇がせまっていた。
成信の声が冷たい夜気の中で震える。
「”よそに見て折らぬ嘆きはしげれども なごり恋しき花風の君”
・・・自分でもどうして良いかわからぬものを・・・どうしたら・・・」
重家は何も言わずに、成信の震える声にそっと唇びるを重ねた。
─わかってほしい・・・誰よりも貴方を思う心を・・・
成信の想い人にはかわれないという嫉妬にも似た焦燥感が、成信に一層深い
唇づけを強要する。
出来ることなら力ずくでも自分に従わせたい・・・
そんな思いに身も心も引きちぎられんばかりに悶えた。
「貴方一人でみ仏のもとへ行かせはしない。
何処までもこの身は貴方と共に・・・」
恋わたる心が重家に囁かせたのは、嫡子にとっては許されざる言葉。
腕の中の成信は低い嗚咽を漏らしてそれに応える。
再び成信の唇を求めると、重家は陶酔のなかに身を投じていった。
深い闇が、迷妄の闇に墜ちていく二人を包み込んでいく。
月を隠す雲井の闇よりも、猶深い闇へと・・・
世の憂きも 人のつらきも忍ぶるに
恋しきにこそ 思ひわびぬれ 藤原 元真
* * * * * * * * *
あれはいつの事だったろう。
行成のことを、嬉しそうに語る成信の話を平常心で聞いていられた頃は。
成信の行成に対する思いを初めて知ったあの日・・・
それはこんな話だった。
その日、成信は行成らと共に春霞たなびく野辺にいた。
皆を包むのは、暖かい春の陽射しと躍動感に満ちた自然の息吹。
時まさに夢見月(陰暦三月)─
その名の通り成信にとっては夢のような一日だった。
行成が、まだ今ほどは忙しい身でなかったころ、気心の知れた友人らを招い
て開いた酒宴。
この日は、普段行成に忠義を尽くす従者たちにも一献が振る舞われた。
行成自ら盃を執って、常日頃の労をねぎらう。
身分の違いを超えて分け隔て無く接する行成に、一層尊敬の念を篤くする成
信。 禁裏で見せる顔とはまた別の一面であった。
笛を能(よ)くするもの、笙を能くするものが、散る花を愛おしむように、
座に相応しい曲を奏でる。それに合わせて扇で誰かが拍子を取れば、酔いの回
った連中から催馬楽が飛び出す。のどかな春の野は、たちまちに賑やかな宮の
宴へと変わっていった。
行成は自らもそこそこ酒を口にしながら、決して乱れることはない。
この完璧な能吏は、皆の楽しむ様子に満足して、専らもてなし役に徹していた。
そういうところが、また成信の心を惹き付ける。
常に周りに気を遣い、相手が気持ちよく過ごせるように配慮する漢。
洗練された身のこなしで、隅々にまで気を配る。
そのどれも、事も無げにやってのけるのが行成であった。
成信はそんな行成を、唯ただ羨望の眼差しで見詰めていた。
宴もたけなわとなった頃、一つの事件が起こる。
春特有の突風が野辺に設えた筵(むしろ;酒宴の席)に蘭入したのだ。
春風の狼藉に、土器(かわらけ)はひっくり返り、桜は可哀想なくらい夥(お
びただ)しい数の花弁(はなびら)を散らす。
人々の衣は、風に煽(あお)られ翻り、冠は幾つも宙を舞った。
そんな中で成信が見たのは、突然の出来事に慌てる人々とは対照的に花弁
の雨のなか自然体で佇む行成であった。
風に嬲(なぶ)られるがままに髪を靡(なび)かせ、自分も風の一部になって
その悪戯を楽しんでいるかのようだ。
その姿は、あたかも風の精。
一瞬時間が止まってしまったような錯覚に陥る。
目の前の出来事は、現実(うつつ)のことなのか?
従者が捕まえた自分の冠を、ニコニコしながら受け取る行成を見て、ようや
く我にかえる。 この時から行成の存在は、成信の心を捕らえて離さないもの
になっていった。
行成に対する思いは、初めは尊信と敬慕の念だった筈。
それが、次第に恋慕へと変わって行く。
畏友としての行成を恋の対象にしてしまった日から、成信は言いようのない
苦しみに煩悶することになる。
それでも、その気持ちをどうすることも出来なかった。
唯一成信が楽になれたのは、この邪欲な心を吐露出来たとき。
親友の重家には、どんなことでも話すことが出来た。
親同士はどちらかと言えば不仲なのに、不思議なことにこの二人は幼い頃か
ら波長が合った。
重家は口の堅い漢(おとこ)であったから、成信は憚りなく自分の気持ちを
打ち明けられた。童(わらわ)の純真さを以て、話を聞く重家の懊悩には気付
きもせずに・・・
成信の苦しみが少しでも軽くなるなら、どんな話も聞くつもりであった。
成信が自らの背徳心に怯えている時は抱きしめて安心させてやったし、行成
の思いやり溢れる態度に感動している時は同じように喜んでやった。
それが朋友の道として、当たり前に出来たころ。
まるで蝶の夢《『荘子』”胡蝶夢”》の如く遙かに昔のことのようだ。
・・・もう限界なのだ・・・とっくに気付いていたこと。
成信を思う気持ちは、友情などではないと・・・
包容力溢れる友人を演じ続けていくのは、もう無理だ。
成信の心が自分以外の所に有るのを知るのは辛かった。
ならば成信から遠ざかればよいものを・・・
そんなことが出来るくらいならば、これほどまでに苦しみはしない。
此処より他に行くところなど有りはしないのだ。
成信を守っていた筈の自分が、いつの間にか、成信なしではいられない自分
になっていたことを思い知らされる。
* * * * * * * * *
長保二年(1001)
梅見月(陰暦二月)の暁の空は、恐ろしいほどにどこまでも澄み切っていた。
重家は、自分の胸にしどけなく抱かれる成信の髻(もとどり)の解けた髪を
撫でながら、いまだ夢ともうつつともつかぬ微睡(まどろ)みの中にあった。
よそにのみ あはれとぞ見し梅の花
飽かぬ色香は 折りてなりけり 素性法師
家族を裏切る罪の意識は幾ばくか残るものの、自分の選んだ道に後悔はして
いない。
貴方を一人で行かせるわけにはとてもいかない・・・
─父上、この親不孝をお許し下さい・・・親をも家族をも捨てて己の心のまま
に行くことを・・・
たとえこの身は天罰を受け、地獄の業火に焼かれようとも、唯ただ残された人
々に我が罪業の及びませんことを・・・
夢や夢 うつつや夢と分かぬかな
いかなる世にか 覚めんとすらん 赤染衛門
長保二年 梅見月 四日
顕光一男 藤原重家、道長猶子 源成信とともに三井寺にて出家。
重家二十五歳、成信二十三歳の春寒のことであった。
前途有望な良家の子息たちの突然の決断に、多くの人々の哀惜の情は尽きな
かった。
残された親、家族、友人の悲しみは喩えるべくもない・・・
”衆生は常に苦悩し 盲妄にして導師なし
苦尽の道を識らず 解脱を求むることを知らずして
長夜に悪趣を増し 諸天衆を減損す
冥(くら)きより冥きに入り 永く仏の名を聞かず
今仏最上 安穏無漏の法を得たまえり
我等及び天人 これ最大利を得たり
是の故に咸く稽首して 無常尊を帰命したてまつる”
《『法華経』化城喩品第七より》
* * * * * * * * *
長き世の 尽きぬ嘆きの絶えざらば
なにに命を かへて忘れん 謙徳公
《死後までの長い世の あなたに逢えなくて尽きない嘆きが絶えない
としたならば、何に命をかえて嘆きを忘れたらいいのでしょうか》
この作品は、「月桜」の葉つき みかんさまに、お誕生日のプレゼント
として差し上げた駄話です。
葉つきさまから頂きましたお題はズバリ”成信と重家”。
果たしてお望みのものに仕上がっておりますでしょうか・・・
麗しきイラストの数々・・・葉つきさまのサイト「月桜」へはこちらから
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夢や夢 うつつや夢と分かぬかな
いかなる世にか 覚めんとすらん
この歌は『新古今』巻第二十 1973にある赤染衛門の歌です。
《夢が夢であるのか 現実が夢であるのかと 区別がわからないことよ。
いったいどのような世に覚めようとするのだろうか》
というような意味で、人間の身は夢幻のようだと見る仏教的思想を描き
出した和歌です。
拙駄話の題名にある”夢幻”はここからきています。
”春風”は『和漢朗詠集』の「落花」の部にある大江朝綱の詩序によります。
これは『白氏文集』「杏園花落時招銭員外同酔」(巻十四 0270)を踏まえ
ており駄話中の挿入話はこの詩と、『源氏物語』「若紫」の源氏、君達と帰還の
場面と「若菜上」の六条院の蹴鞠の場面を合体させて鴈の宿が妄想全開で創り
上げたものです。^^;
何処かで見たようなと思われた方・・・その通り!
くれぐれも史実だと思われないよう・・・そんなこと思う人はいないでしょう
が。(汗)
読者のみなさま方には、毎度このような鴈の宿の妄想にお付き合い下さいまして
ありがとうございます。 m(_ _)m