春  日  の  夢
 
       ここ左近衛陣の座からは、南庭の桜がよく見えた。
     大きく枝を広げたその木は、春ごとに見事な花を咲かせ禁中の人々を喜ばせている。
       そんな桜も既に満開の時期を過ぎ、紫宸殿の前庭は桜色の衣を被せたようにすっかり
     散花で覆われていた。
     風が吹くと桜の羅(うすもの)がひらひらと波立つ。
     「昨日の風であらかた散ってしまったな。今年は満足に花を見ている暇もなかった」
       そう呟いたのは頭弁(とうのべん)行成である。
      早朝の伺候を終え何とはなしに左近の桜に足が向いたが、当の桜はほとんど散った後
     だった。
 
     「主殿(とのもり)のとものみやつこ心あらば この春ばかり朝ぎよめすな か」
 
    庭を美しく彩るさざ波に思わず行成が口ずさんだのは、かつて土御門中納言と呼ばれ
    た藤原敦忠卿が、実頼左大臣在職中にその求めに応じて詠んだ歌であった。
    (桜の花びらで覆われた庭の美しさに)主殿寮の下司よ、今朝ばかりは朝の掃き掃除
     をしないでくれ、という意味だ。
 
    ─市中の桜はみな散ってしまったのだろうか・・・
 
       行成は、昨年の彰子入内以来、休む間もなく次々と公事に携わり、先の如月には宮中
     の人々が最も注目した、彰子立后の儀式を終えたばかりであった。
     その間にも、命ぜられるままに、色紙を書いたり書写をしたり外題を書いたりと、政務
     以外の仕事も目白押しで、まさに目の回るような忙しさだった。
     あまりの忙しさに”命婦のおとど”(主上の覚えめでたき白い猫)にも加勢して貰えと
      は口さがない同僚の言葉であったか。
      散るところすら満足に見ていないのであるから、ましてや桜の花を風流に観賞してい
      るような余裕は全く無かった。
     漸く時間が出来たころには、すっかり桜は散っていたというわけだ。
     桜に心さわぐ気持ちを覚えるのは、行成とて同じである。
       美しい庭の花びらを見るにつけ、花を見過ごしたことが残念に思えた。
 
    ─終わったとなると、尚のこと見たいというのは是煩悩也か。
    思わず苦笑しつつも、一方で桜の名所を数え上げる。
    ─まだ桜が咲いているところといえば・・・ああ、あそこならまだ桜が見られるか。
     幸い夕方までお召しも無いことであるし・・・
 
    そう考えたら動かずにいられない、直ぐさま浮き立つ足で邸(やしき)に戻った。
    休む間も惜しんで騎乗の人となると、この時期に桜が見られる場所へと向かう。
    そこは、都の西辺よりさらに西になるところ、御室(おむろ)大内。
 
    「見事だな」
     その一言で充分だった。
 
      真言宗御室派総本山、仁和寺、宇多天皇が開基した寺だ。
    御室の桜はサトザクラであり、市中に多いヤマザクラと比べて、開花時期が遅く、花の
      期間も長い。
    境内はほぼ満開の桜に覆われて、匂い立つようであった。
    参詣がてら花を楽しむ人々もそこかしこに見られ、雅やかな衣裳が訪れる人の目を一
    層楽しませる。
    だがしかし行成は、人の多い所をわざわざ避けて、南御室の奧へと進んで行く。
    南御室は、宇多天皇が出家されて仏道修行されていたとき居所していらっしゃった場
    所である。
    人が疎らであるというだけで、吹く風も先ほどより冷たく感じるのはどういうわけか。
    穏やかな春の陽光(ひ)の中にあって雑事に囚われる事無く過ごすひとときは、何物
    にも代え難い贅沢であった。
    一人であれば尚のこと現実を忘れて思索することも出来たのであろうが、昨今の物騒
     な世の中、そうそう一人で気軽に出掛けることは許されない。
    御室へは惟弘を供にしての花見であった。
     橘惟弘(たちばなのこれひろ)は行成の乳母子(めのとご)であり、幼い頃から一緒
    に過ごした仲であれば気心も知れ、さして気を使うこともない。
    桜を眺める行成の眼差しも自然くつろいだ雰囲気になっていた。
    時折強い風が吹くと、舞い散る花びらが二人の衣の上に彩りを添えていく。
    散る桜を見ながら思ったことを、ふと口にした。
 
    「あの方の上にも花は降っているのであろうか」
  
    主の思い人”あの方”とは誰なのか、聞くべきかどうか考えあぐねている惟弘。
    それにはお構いなく、返事も聞かず直衣のままで、適当な場所を選んで腰を降ろす。
    相手の反応を伺うように、惟弘にちらっと視線をやりながら。
     そんなときの行成は決まって悪戯っ子のような目をしている。
    案の定惟弘の反応は、”そんなことしたら御衣が・・・困ります”という顔であった。
    それを見て、ますます楽しそうに微笑む。
    宮中ではほとんど目にすることのない童のような表情だ。
 
    「どのようにしたら、あの方のような書が書けるのであろうか」
     桜の花を見上げながら続ける。
     その言葉を聞いて、初めて惟弘には、”あの方”が誰であるのか解ったようだ。
    ”あの方”とは小野道風、行成が私淑して止まない能書家であった。
    「およそ形式に囚われること無き天真爛漫な字形、それであって俗に流れず飄逸、
     運筆は抑揚変化の妙境に達し、古雅にして素朴。いったい何時になったらあの方の
    境地に達することができるのか・・・」
     どこかずっと遠くを見ているような目をする。
    まだまだ一切の現実に囚われずに居られない今の自分と比べて、余りにも違うその人
     の偉大さに敬服するより他無い、という感じで語る。
 
    そんな行成の様子を見ながら惟弘は思う、
    ─当朝の能書家としての名を欲しいままにしている人であるのに、今の言葉にそんな
    奢(おご)りは微塵も見えない。あの物欲だらけの禁中にあって、何時までたっても
    童のように一途に理想を追い求める純真さはどこから来るのであろう?
 
    惟弘は、我が主でありながら俗世に染まることのない行成のそういう頑ななところを
    尊敬し、また好ましくも思っていた。
    相変わらず、見えぬ姿を追い求めているような主に、惟弘は言う。
    「行成様の書は、今のままそのままの在りようで真に素晴らしいと、どなたも仰って
    いらっしゃいます。彰子様御入内の折りお書きになった屏風和歌に至っては、禁中感
    嘆しない者は誰一人おりません。なぜそのように・・・」
    最後まで言い終わらないうちに行成が遮る。
 
    「惟弘、老蒼にして古淡かつ古雅にして素朴、そうであるのに依然としてその書の特
    徴は艶めかしく光彩放つところにあるとは如何なる事であろう。
    道風殿と同じように屏風の和歌を書く光栄に預かった身ではあるが、およそそのよう
    な境地に達することは無かった。
    ・・・我欲の為すところであろうか・・・・・あの選択で正しかったのか?・・・・
    あれしか無かったというのは己の詭弁ではなかったか?」
    最後の方はまるで自分自身を問い詰めているような口調である。
    行成が”あの選択”と言っているのは、道長の娘彰子立后の件に関して彼が選んだ立
    場であった。 それはまた、一条帝の代弁でもあった訳だが。
 
    行成の切れ長の目が憂いに煙っていた。
    こんな時、惟弘はただ黙って行成の話を聞くことにしている。
    たとえ何か言ったとしても、今の行成にとっては何の役にも立たないことを良く知っ
    ていた。
    枝から零れる陽射しに目を細めながら、満開の桜を眺める行成。
    流麗な書そのままの端正な容貌に、蔭が差すのは枝葉のせいばかりでは無かった。
    相手の返事を求めるでもなく行成の言葉は続く。
    「延喜の帝(醍醐天皇)が御宮の袴着(はかまぎ)のために屏風を作らせられたとき、
    屏風に貼る色紙の和歌を書かれたのが道風殿であった。
    伊勢御息所(いせのみやすどころ)の歌が届くあいだ、お待ちになるあの方の気持ちは
    如何なるものであったろう・・・」
    想いにふける行成には、惟弘のことなどもはや眼中にない。
    「あの歌のように、尾張国春日の里の桜はどのようであろう・・・
    散ってしまったのだろうか ?」
 
    行成が”あの歌”というのは、伊勢御息所がその時詠んだ歌のことである。
 
       散り散らず 聞かまほしきを ふるさとの
                 花見てかへる 人も会はなむ
      (桜の花が散ってしまったか否か訊ねてみたい
                 故郷の花を見て帰る人に会って)
 
   どこまでも澄んだその瞳に映るのは御室の桜に重ねられた、春日の桜か。
 
   「道風殿の教えを直に被ることが出来るのなら、少しはこの胸の痛みも軽くなるので
    はないか? ”君をのみ”と思いつつ、未だ一度も夢に見ることすら叶わぬが・・・」
    そう言って、ようやく惟弘の方を見た行成の目は微笑んでいた。
    ─不思議なお方だ。普通夢にまで見たいと言えば、愛しい女のこと。
    それなのに、行成様ときたら・・・
    そんなことを思う惟弘の顔も、つられてほころびる。
 
    春の陽に照らされた満開の桜。
    梢を渡る鳥たちの声と、風のざわめきの他は聞こえない。
    音もなく降る花びら。
    行成の心の内を吹き抜ける思いは如何か・・・。
    或いは、道風の『屏風土代』に書かれた朝綱の詩のようであったか。
    もっともその時代、愛でるのは桜ではなく、梅であったが。
 
      見説林花處々開   見説(みるな)らく林花処々開くを
      晨興並馬共尋来   晨(あした)に興(お)き馬を並べ共に尋ね来る 
      青絲參出陶門柳   青糸くり出す陶門の柳    《本当は糸偏の横に參の字》
      白玉裝成ユ嶺梅   白玉装いを成すユ嶺の梅
      香迸宣張雙袖受   香迸(ほとばし)りて宜しく雙袖を張って受くべし
      花勾愉折一枝廻   花勾(まが)って愉(ひそ)かに一枝を折りて廻る
      翻嫌春鳥欺遊客   翻って嫌う春鳥の遊客を欺くを
      空勸提壺不勸盃   空しく提壺を勧めて盃を勧めず
 
    繰り返される花びらの舞。温かい陽射し。
    考えても考えてもただ一つの正しい答えなどあるはずもない。
    そう解ってはいても、行成は無限に続く流転の渦の中に身を投じてしまう。
    目の前にあるのは、この世の無常とはまるで無縁の春の一日。
    この景色はまこと現実のものだろうか?
    疲れた行成が夢の世界へ落ちていくのに、それほど時間はかからなかった。
 
    桜の下で見る夢は、どのようなものであろう?
    美しい夢であろうか?それとも・・・
    美しいものはそれ故また怖ろしい。
    ”その如月の望月のころ”と詠んだのは、後の歌人西行であったが、美しいというこ
    とは同時に残酷なことであった。
    生と死、雅と醜、互いに相反するもののようでいて、実は同じものの他の側面である。
    《西行『山家集』より; ”願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ”》
 
    行成の静かな寝顔を見ながら、忠実な従者である惟弘は思う、
    ─出来ることなら、この方の苦しむ姿をこれ以上見たくはない。
    さりとて一条帝に欠かすことの出来ない行成様であれば、この苦しみも避けて通るこ
    との出来ない道。
    今の苦しみは過去世における罪の償い、現世の行とでもいうべきものか・・・
    神仏をひたすらに求め、徳深き方なれば必ずやその冥護がお有りになるはず。
    どうか行成様のことお守り下さい。そのためなればいかなることも厭わぬ所存。
 
    相変わらず鳥がさえずり、花が散る穏やかな陽射しの中で、眠ってしまった行成に寄
    り添うようにして、花を眺める惟弘であった。
 
    遠くで聞こえる時の音。半時ほどが過ぎたのか。
    微睡(まどろ)みの時間は終わり、ゆっくり目を覚ます行成。
    「余りに気持ちが良くて、眠ってしまったな」
    少しは疲れが取れたのだろう、目覚めの良い顔だ。
    「お逢いになれましたか? 思い人に」
    「まだまだお目通り叶わぬようだよ。 和歌の一つも詠めないとだめなのだろう」
    戯けて話す行成の笑顔に、惟弘も一緒になって笑うのだった。
 
    そのあと幾らもしないうちに、内裏に引き返してきたのは、お召しの前に片付けなけ
    ればならなかった雑事を急に思い出したから。
    御室から邸へ立ち寄る時間もないままに、内裏へ直行する。
    着替えは後で惟弘に持たせることにした。
    後涼殿の間を通って校書殿へと向かう途中、左中将源経房に会う。
    経房は源俊賢の弟で、道長の猶子(養子)であり、行成とは気の置けぬ間柄でもあった。
 
    「おやおや、これは頭弁殿。斉信(ただのぶ)卿の向こうを張っての参内ですか?
    この時期に桜重ねの出で立ちとは、さぞや後宮の女房たちに受けるでしょうな。
    特に風流好みの少納言の君にはね」
    行成にしては珍しく慌てて参内したため、御室の桜を連れてきてしまったらしい。
    桜が彩りを添えたのは、表が白で裏が二藍の直衣に濃紫の指貫。
    「斉信殿に対抗しようなどとはとんでもありません。和歌も吟詠もとてもとても足下
    にも及びませんよ。 きっと”風に散る花”の悪戯でしょう」
    それでなくても忙しいときに、経房と関わり合っている暇はないという様子の行成。
    相手の誘いをさらりとかわすと宿所へ急ぐ。
    後日、少納言の君から経房の勘繰りについて聞かされたことは、言うまでもない。
 
          言の葉は 露もるべくも なかりしを
                 風に散りかふ 花を聞くかな
                 《 『枕草子』で清少納言が経房に送った和歌 》
 
    時、長保二年(1000年) 春 弥生(三月)
    一条帝が最も華やいだ”中宮”定子の時代は終わりを告げ、新たな転換の時期を迎え
    ようとしていた。
    それと共に行成も、己の無力を思い知らされる時代の奔流に、巻き込まれていくことに
    なるのであるが。
 
            若き日の黄金の時
               わき出ずる無垢と 愛と 真実
             信じがたい輝き
               ああ 青春のあえかなる夢よ
                         (L・キャロル 『孤独』より)
 
    夢の続きは夢物語の中で─