山陰本線 福部−鳥取(一部大岩−福部含む)
1.2007年10月28日 キハ47+33 普通 |
《アクセス》 福部駅から南へ約1キロ。 道なりに山すその坂を登り、「レインボーふくべ」という、今は閉鎖された施設の 入り口付近から撮影。駐車は可能。 《光線・レンズ》 午前からお昼にかけて順光。11時半頃で300ミリ相当。後追い。 《飲食・トイレetc》 福部駅前に自動販売機等あり。撮影場所には何もない。 《コメント》 この大カーブは裏山からの見下ろし俯瞰がよく知られている(いた)。 現在は登れそうにないので、道から撮影した。高さが足らないので短い編成向きか。 |
2.3.4.2007年10月28日 DD51+あすか 臨客 (2.は大岩−福部間) |
《アクセス》 1.から道なりに山を登った先。ガードレール際から。 交通は殆ど無く、駐車は少し広めの所に寄せて停められる。但し坂道なので注意。 視界は大きく開けているものの、足場的にはあまり大人数向けという感じではなかった。 《光線・レンズ》 お昼前後がベスト光線か。 13時頃で2.が250ミリ、3.4.が300ミリ相当。 《コメント》 この日は天気も良かったので、「あすか」を山陰の風景の中で撮りたく、俯瞰を探してみた。 2.は遠くに日本海を望む。快晴だし、これは満足いく1枚だ。 3.4.は福部駅を発車するところ。 4.では小屋に登って撮影している人の姿が見える。 |
5.6.2007年12月24日 キハ47+33 普通 |
《アクセス》 4.で撮影者が写っている小屋付近。田んぼのあぜ道から。 《光線・レンズ》 10時前頃でどちらも85ミリ相当。晴れると6.は逆光。 《コメント》 曇っていればこのように上下どちらも撮れるが、短編成向きか。 国鉄末期の想い出が重なる50系客車の末裔キハ33は、個人的に気になる車両だ。 |
7.2009年10月14日 DD51+サロンカーなにわ 団臨 |
《アクセス》 両駅中間部の榎峠付近。 線路が大きくカーブしていて、農道伝いに歩いて線路と同じ高さまで歩いていける。 《光線・レンズ》 周囲を山に囲まれ、更に南向きに構えるため、おそらく曇りでないと 撮影しにくいと思われる。 14時10分頃で100ミリ相当。 《コメント》 福部−鳥取間にある榎峠は、かつて中間にスイッチバックの滝山信号所があった程の 勾配区間があり、県庁所在地駅の隣とは思えない山間部。 人工物をなるべく入れずに山あいの雰囲気を出そうとした(つもり)。 線路と県道がほぼ併走していて車でのアクセスはし易い。 |
8.2009年10月14日 キハ33+47 普通 |
《アクセス》 滝山信号所。 《光線・レンズ》 14時25分頃で100ミリ相当。 《コメント》 以前はスイッチバックの信号所として機能していたここ滝山も、 現在は鉄道遺産的な廃墟と化している。 周辺は荒れ果てて草木や標識、電柱電線だらけで、 今や安全な立ち位置で撮れるのは2連までが許容範囲のここくらい。 作者が大好きだった50系客車を気動車として改造して生まれ変わった珍車キハ33も 引退が近い。 側窓や乗降扉に50系の面影が残っていて、国鉄時代、乗り鉄していた頃の想い出が蘇る。 願わくばどこかで(津山で、という話も上がっているようだが)保存して欲しいものだ… |
(懐)9.1986年8月11日 DD51+江戸 団臨 |
《アクセス》 おまけ。同じく滝山信号所にて。 《コメント》 これは国鉄時代、旧き良き想い出の1枚という事で… 今は亡きジョイフルトレイン「江戸」が山陰にやって来た時の撮影。 牽引は当時米子機関区の所属だった1172号機だった。 国鉄東京南鉄道管理局(今でいうJR東日本東京支社)の車両が長駆遠征して来る事は 当時でも非常に珍しい事であり、岡山から18きっぷを片手にカメラバッグをかついで 津山〜因美線を乗り継ぎ鳥取駅に降り立った作者含む悪ガキ高校生3人組が、 汗だくになりながらレンタサイクルをこいで滝山まで行ったあの夏の日。 もう20年以上前の話だ(苦笑)。 |