「出雲」メモリアル2.牽引機の過去画像

あと僅かとなった「出雲」を任せられているのは、後藤運転所所属の5両のDD51。
山陰一筋に走り続けた精鋭たちも現在の仕業はこの「出雲」だけ、
いよいよ追い詰められてきました。
国鉄時代は福知山区と米子区を中心にDD51だけでも実に100両近い仲間が
在籍しており、生き残りの5両もかつては様々な運用に就いていました。


1.1121号機(当時米子区)    1986年8月12日 〜保津峡駅〜
《コメント》
1121号機は現在「出雲」の担当5機の中で唯一の三菱製です(他4機は日立製)。
山陰本線の京都口電化が迫っていた、旧保津峡駅最後の夏に訪れた時の撮影です。
京都行き50系客車を牽いて保津峡駅に到着した1121号機。
名物の吊橋も写っています。
このページ中で当時唯一の米子所属機で、後藤全検入場を示す白いホース掛けと、
「岡山式」と呼ばれる増設手すりの付いた前エプロンが特徴です。
当時の作者はこの姿をした米子区のDD51に異常なこだわりを持って撮影していました。

2.1179号機(当時福知山区)    1985年12月28日 〜谷川駅〜
《コメント》
餘部鉄橋への旅行中、谷川駅で加古川線から福知山方面への接続待ちの間に撮影した
12系の大阪行き普通列車です。
周囲には架線柱が立ち並び、福知山線も電化開業が近かった事が分かります。

3. 1186号機(当時福知山区)     1986年3月13日 〜浜坂駅〜
《コメント》
チョコレート色の外観、ニス塗りの木製の室内を柔らかく照らす、
まるでろうそくの灯のような暖色の白熱灯。
国鉄末期の当時でさえノスタルジック度満点だった荷客合造車「オハニ36 11」に
乗車した時の撮影です。
この車両は朝晩の福知山−浜坂間1往復のみの運用でした。
写真は夜の浜坂駅に到着後、引上げ線に入った所をバルブ撮影したものです
(機関車次位がオハニ36 11)。
後に1186号機はお召し牽引の大役を担う事でも知られますが、作者にとっての
「1186号機」と言えば、幻想的な車内のオハニ36に揺られたこの夜。
忘れられない想い出です。

4.1187号機(当時福知山区)    1986年8月12日 〜保津峡駅〜
《コメント》
上の1121号機を撮影したのと同じ日です。
共にDD51牽引による12系と50系の普通列車交換風景。
写真奥に見えるのが電化後のトンネル新線と新しい保津峡駅の工事風景です。
現在の駅はトンネルに挟まれたコンクリート橋の上に移転しました。
かつて吊橋を渡るハイカー達で賑わったこの旧駅は山陰本線電化と共に役目を
終えましたが、トロッコ鉄道と「電車でGO!」で今も変わらない姿を見る事が出来ます。
もちろんファンの記憶や写真の中でも。

5.1188号機(当時福知山区?) 1985年8月9日 〜米子駅〜
《コメント》
1188号機は何故か作者が目にした時はいつも「出雲」「だいせん」など
優等列車の牽引だった気がします。
という訳で写真も「出雲2号」の先頭に立つ米子駅でのものです。
5枚の中じゃ唯一今でも撮影可能な絵?
でも14系客車、湘南色の115系、茶色塗装にキャンバス貼り丸屋根の名物車
「オハフ33 389」の姿…
日の長い時期である事すら、やっぱりもう見られない光景です。
昭和50年代に一大ブームまで巻き起こした「ブルートレイン=魅力的な商品」という時代が
確実に終わりつつあるのは、いち鉄道ファンにとって本当に残念な事です。