「出雲」メモリアル1.過去撮影分

学生時代に撮影したものを中心に公開します。
当時は青春18きっぷによる乗り歩き旅行がメインでしたので、殆どが駅撮りです。


1.1983年3月30日
  (DD51 44)+14系「出雲3号」 〜米子駅〜
《コメント》
当時中学生の作者が初めて見たナマの「出雲」でしたが、ヘッドマークがありません。
がっかりしました。この頃は付いたり付かなかったりしていたようです。
それでも初期型0番台のDD51が14系の先頭に付く姿は今となってはお宝画像です。

2.1985年3月30日
  (DD51 1131)+14系「出雲2号」 〜直江駅〜
《コメント》
出雲大社への乗り鉄旅行の途中、列車交換待ちで撮ったものです。
かなりのスピードで通過して行きましたが、逆光の中でもはっきり分かる程
ヘッドマークがピカピカです。

3.1988年12月29日
  (DD51 1108+1115)+14系「出雲3号」 〜米子駅〜
4.(DD51 1040+1114) 機回し 〜米子駅〜
《コメント》
山陰旅行中の撮影です。詳細は失念しました。
当時の「出雲3号」は米子で機関車交換が行われており、米+福の重連になる事も多く、
重連から重連への交替だと一度に4両のHM付DD51を見る事ができました。

5.1986年8月12日
  (DD51 1130)+24系「出雲1号」 〜福知山駅〜
《コメント》
これも18きっぷ乗り鉄旅行で福知山駅に駅ネした時の撮影です。
当時は「出雲」が2往復運転されており、比較的撮影し易い時間帯を走る
14系の2・3号に比べて、24系の1・4号はなかなか出会う事が難しい列車でした。
半分寝ぼけながらのバルブ撮影だったような覚えがあります。
福知山駅も現在は高架駅に生まれ変わりました。
あの日食べた「栗めし」駅弁はまだ売ってるのでしょうか。

6.?年12月30日
  EF64+14系 「出雲3号」 〜伯備線 石蟹−新見〜
《コメント》
詳細は全く失念しているのですが、山陰本線の電化工事とは別の事情で
伯備線を2日間迂回運行した時の「出雲3号」です。
2日連続で撮影に行きましたが、翌日は1000番台のEF64が牽引しており、
作者が0番台のEF64牽引によるブルートレインを見たのはこの日が最初で最後でした。

7.8.9.1998年5月3日
  (DD51 1104)+24系「出雲4号」 〜浜田駅〜
《コメント》
この年は、7月改正で登場する「サンライズ」に発展・整理される関係で
「出雲」の浜田便廃止が決まっていた事もあり、「出雲4号」に念願の乗車。
しかも鉄道趣味人生で初の個室A寝台を奮発。
ホームに入線した所で同業のファンらしき人に1枚撮ってもらいました。
《コメント》
浜田駅改札です。
今では少なくなった「ベストテン方式」の発車案内板には「特急 東京行」の文字が
誇らしげに現示され、ホームにはDD51と24系が入線しています。
駅舎は平屋建てで、構内にはかつて「出雲」の牽引を担当したC51,57やDD54が
休んでいた機関庫も隣接しており、いかにも長距離列車の終着駅らしい旅情がある駅です。
《コメント》
この時のAネ券です。券面は「米子−東京」となっていますが、実際には始発の浜田駅で
カレチ氏に申し出て全区間乗車しました。
出雲市までは日本海に沿った風光明媚な沿線風景が続き、倉吉あたりまでは日も
明るかったので、DD51牽引のA個室ブルートレインによる贅沢な旅を
存分に楽しむことができました。
次は見なくてもいいです。

10.1998年5月3日 鳥取付近
《コメント》
オロネ25 9 個室A寝台車内で睡眠中の作者(ウソ。セルフタイマー撮影による芝居)
これじゃ独房だよ(笑)