伯備線 新見−布原(信)

1.2005年2月12日
DD51+14系シュプール編成 臨客
《アクセス》
新見駅から布原方面に500mほど。
途中陸橋を渡って駅の裏側に出て、製材所のある辺りまで歩き、
切り通しに沿った歩道から撮影。

道が狭いうえ途中で行き止まり(歩行者は通り抜け可能)なので車は入れないと思った方が良い。
《光線・レンズ》
上のアングルだと午前〜昼前後の上りが順光。
作例は時半頃の上り。70ミリ相当。
《コメント》
バックの街並みが若干うるさいが、駅に近いので、諸事情により駅から遠くに行けない場合や、
車両重視、光線重視であれば(作例は曇っているが)便利な場所だ。

2.2005年2月12日

381系 「やくも7号」
《アクセス》
1.の写真の逆アングル。
《光線・レンズ》
こちらは午後の下りが順光。
作例は11時半頃の下りで50ミリ相当。
《コメント》
---

3.2021年12月18日

381系 「やくも8号」 ※2021/12/31 写真差し替え
《アクセス》
1.のカーブの先にある踏切脇から。
《光線・レンズ》
8時半頃で150ミリ相当。
《コメント》
雪晴れの朝。県境の峠区間から降りてくる「やくも」。
線路が山影となる時間帯が長く、光線条件は曇りベターか。

4.2015年8月29日

DD51×2 回送

5.2015年11月10日

(DD51×2)+24系トワイライト編成 団臨
《アクセス》
上の2枚はいずれも3.に同じ。
《光線・レンズ》
DD51回送は12時15分頃で100ミリ相当。
トワイライト団臨は9時半頃で100ミリ相当。
《コメント》
2枚いずれも曇り空での撮影。
回送の方は、晴れていればDD51の正面が影になっていたと思われ、曇り空が幸いした。
逆にトワイライトは、欲を言えば晴れて欲しかったところ。

6.2023年8月12日

381系 「やくも8号」

7.2024年5月11日

EF64−1000+コキ 貨物
《アクセス》
この2枚は鳶が巣山からの大俯瞰。
《光線・レンズ》
やくもは9時半頃、貨物は8時45分頃。
2枚いずれも450ミリ相当+トリミング。
《コメント》
山頂付近から新見駅越しに西方地区を遠望。
相当な距離があり、天候・空気の透明度に恵まれないと撮影は不可能。
また長いレンズ性能も必要で、作者のD500&70−300ではまだパワー不足だ(苦笑)
作例2枚も、トリミング+PLフィルター的効果の画質補正 を加えている。
ともあれ、制式色を纏ったEF64や381系がヤマを降りる姿は、
昭和国鉄時代をも彷彿させる。
仮にうまく撮影できず、目に焼き付けるだけになったとしても、脳内永久保存の涙もの。

8.2005年2月12日

381系 「スーパーやくも13号」
《アクセス》
1.2.の場所から布原方面に1.5キロほどの地点にあるカーブ。
新見から進むと近くに「矢崎部品」という工場があり、そこを過ぎてしばらく進んだ集落から、
線路際に出られる。
足場は5,6人くらいなら大丈夫そう。付近は生活道路ばかりで駐車スペースは無い。
《光線・レンズ》
昼前後の下りが順光。
作例は14時半頃の下り。50ミリ相当。
《コメント》
新見で鉄道撮影と言えば何と言っても一世を風靡した布原信号所だが、
煙が消え、電化されて以降、架線や信号ケーブル系統の機器変更により、
上質な撮影ポイントは無くなった。
あの「D51三重連」の鉄橋も現在は撮影不可能。
かつて撮影者が押し寄せ、屋台まで出現した伝説の撮影ポイントの姿は
遠い記憶と記録の彼方に消え、今の布原は静かな山里に戻っている。
と言う訳で、ここではトンネルの新見駅側の撮影ポイントを紹介。
この場所は日中の下り列車を順光で狙える。但し山影が多くきれいに日が差す時間は短い。
作例のように曇った時の方が撮りやすいかも知れない。

9.2013年8月26日

381系 「やくも15号」
《アクセス》
上のカーブをアウト側から撮影。
《光線・レンズ》
15時10分頃で50ミリ相当。
《コメント》
ケーブルが車両の手前にかかる事さえ気にしなければ(それこそが一番気になってしまうのだが)
急カーブ、急勾配の伯備北線らしい構図である。

10.2006年1月15日

381系 「スーパーやくも10号」
《アクセス》
布原信号所から道に沿って山道を登り、旧県道(と言っても細いが)に合流して
少し備中神代方面に歩くと、鉄橋を見下ろす作例の位置が見つかる。
足場自体は5,6人くらいなら充分可能だが、夏場は草木の成長の制約を受ける。
周辺の山道は狭く見通しも良くないので駐車の際は注意。
《光線・レンズ》
トップライトの場所。一応は午後が順光。作例は11時頃で150ミリ相当。
今後数年すると周辺の木々が成長してかなり撮り辛くなるかも知れない。

《コメント》
崖下に見える鉄橋がかつてのD51三重連鉄橋。
布原信号所は鉄道写真の歴史遺産?だ。俯瞰撮影が好きな方は一度体験あれ。

11.2007年1月6日

EF64+ゆうゆうサロン岡山 大社臨
《アクセス》
上にほぼ同じ。少し立ち位置を変えて撮影。
《光線・レンズ》
10時頃で100ミリ相当。ここも周辺の木々が視界を妨げつつある。
《コメント》
今年は暖冬で布原にも雪が無い。単なる冬枯れ景色の中を走るロクシク+岡サロ、
純岡山ブランドの大社臨。

12.2022年12月18日

381系 「やくも16号」

13.2023年4月30日

381系 「やくも8号」
《アクセス》
10.11.の位置から新見方向へ少し戻った地点。
《光線・レンズ》
「雪やくも」は13時40分頃。
「新緑やくも」は9時半頃。2枚いずれも85ミリ相当。
晴れると信号所付近の線路は山影となる。
また、阿哲峡によく発生する霧や雪などで視界が効かない日も多い。
程よくクリアーな条件になる確率はあまり高くない。

《コメント》
布原信号所とその集落を俯瞰。
光線や天候には注文が付くが、四季折々に箱庭的な光景を楽しめる。
銀世界の中と新緑。季節を変えて1枚づつ撮った。
眼下の信号所を走りゆく国鉄型車両は何ともノスタルジックで、
ひと昔前を思い出す方も多かろう。
D51三重連で沸いた昭和国鉄時代からさほど周辺の雰囲気は変わっていないが、
入山料徴収騒動や休日に屋台まで出現していた往時の狂騒曲は遠い昔話で、
今では時折り通りかかる車(「鉄」確率高し)以外には訪れる人も少なく、
その数も今で言う「激パ」などという表現を超越していたあの頃とは比ぶべくもなかろう(笑)
中国山地も過疎化が進み、普段は静かな山里だ。

14.2010年5月26日

381系 「やくも4号」
《アクセス》
布原を出て新見に向かう上り列車を生活道脇から撮影。
《光線・レンズ》
7時半頃で50ミリ相当。晴れると日陰っぽくなるので、曇りの日向き。
《コメント》
伝説の「三重連発車!」地点だが、現在はこのような形くらいでしか撮りようがない。

15.2010年5月26日

115系 普通
《アクセス》
上に同じ。サイドから構えた。
《光線・レンズ》
6時半頃で35ミリ相当。
《コメント》
田植え直前で水鏡となっていた小さな田んぼがあったので、115系G編成の2連を収めた。
右端に写っているほこらは、かつての「布原信号所」「D51三重連」に青春を燃やした世代の
方達であれば見覚えがあるはず(鉄橋のひな壇お立ち台からちょうど見える位置にあった)。

16.2010年5月26日

キハ120 普通
《アクセス》
これも上記にほぼ同じ。鉄橋を向いて構えた。
《光線・レンズ》
7時20分頃で35ミリ相当。曇り。
《コメント》
昭和は遠くなりにけり…かつての上り出発信号塔の跡であるコンクリ土台の上には
雑草が茂っている。
そしてSL世代のファンなら誰もが歩いて渡った「伝説の三重連鉄橋」の下には
皮肉にも周囲の光景の中で一番目立つ鮮やかなオレンジゲートが建てられた。
勿論、あのひな壇状態だった鉄橋向こうのお立ち台は影も形も無くなり、列車通過時間以外は
清流の流れと鳥の鳴き声だけしか聞こえない、静かなジャングルに戻っている。

(懐)17.1983年10月2日

DD51+ヨ、ワム他 貨物
《アクセス》
もはや説明不要、三重連鉄橋のお立ち台から。
《光線・レンズ》
38ミリコンパクトでの撮影。午前10時頃と思われる。
《コメント》
作者は新見市出身のくせに?SL世代からは少し遅れて生まれているので、
この鉄橋ではDC、DL、また381系やくもしか撮影していない。
SLが消えた後も、昭和末期頃まではこのお立ち台では何とか撮影が出来ていた。
現在は前述のようにお立ち台の跡形は全く無くなっており、鉄橋を渡る事さえ出来ない。

18.2023年1月7日

381系 「やくも5号」
《アクセス》
16.にほぼ同じ。河原に降りて撮影。
《光線・レンズ》
10時15分頃で50ミリ相当。
《コメント》
ボタ雪舞う中、トンネルから顔を出し、かつての三重連鉄橋を渡る381系。

19.2023年6月25日

DD51 回送
《アクセス》
上に同じ。
《光線・レンズ》
13時40分頃で85ミリ相当。
《コメント》
上のモノトーンの雪景色から一転、緑濃い夏山に赤凸の「差し色」が強烈。
今時の車両には少なくなった、通過前(トンネルから姿を現す前)から感じるDD51の
重量感ある気配が、シャッタータイミングを待っていて堪らない瞬間だ。
長く鉄道撮影をしている諸氏ならこの感覚、わかって頂けるだろう。

20.2023年4月30日

381系 「やくも9号」
《アクセス》
上に同じ。鉄橋下からアップ気味に見上げる角度で。
《光線・レンズ》
12時10分頃で50ミリ相当。
《コメント》
381系は40年以上「やくも」で現役を張っている。
期待の新鋭振り子特急が走り始めた’82年夏、
作者とその友人、親戚たちは、まさにこの「三重連鉄橋」の真下で
泳いだり釣りをして夏休みを満喫していた。
その頃に見ていたJNRマークと国鉄特急色が
令和の世になって布原に戻って来るとはねぇ。

21.2024年6月14日

381系 「やくも19号」
《アクセス》
上に同じ。
《光線・レンズ》
18時20分頃で50ミリ相当。
《コメント》
最終日の緑19号が布原の三重連鉄橋から飛び出してきた。
落石の影響でダイヤが乱れており、所定(17時20分通過)から約1時間の遅延となったが、
なんとか露出のあるうちに通過してくれたのは本当に幸運であった。

22.2024年6月14日

381系 「やくも24号」
《アクセス》
信号所にて。
《光線・レンズ》
18時40分頃で50ミリ相当。
《コメント》
最終日の国鉄24号はここで待つと決めていた。
上の16.でも写っている、SL時代の出発信号機土台跡がある場所だ。
静かな谷あいの信号所がD51三重連狂騒曲で沸き返ったのは、
ちょうど作者が生まれた昭和44年頃。
「あの頃」を知る世代の方は、この場に立って空気に触れるだけでも
強烈な懐かしさと高揚感を感じられるのかもしれない。
何せこの写真の立ち位置付近は、押し寄せる撮影者目当ての屋台まで
出現していたのである。
まさに「昭和国鉄タイムマシン」な佇まいを今に残す布原だ。
16,の撮影からだけでも既に15年近く時が流れているのか。
そりゃあ年も取りますわなぁ(涙)

無煙化後の昭和47年、キハ181系で登場したやくもは、
昭和57年電化にて381系に替わり、都合50年以上にわたって
国鉄特急マークがこの渓を駆け抜けた。
電化開業初年度に中学生だった作者にとってさんぱーいちには、
撮影に乗車(新見に帰ってからは特に頻繁に)
そして日常のワンシーンにと、感謝と愛着しかない。
しかしいよいよ別れの時だ。
目の前を通り過ぎた国鉄特急色は、三重連トンネルの奥へと消えた。
そしてなんでだろう、涙が出た。

トップページに戻る                   鉄道写真館に戻る