石蟹−新見
※作者の地元区間になります。
当頁は写真が50枚を超え、に達し、環境によっては表示に時間が掛かるかも知れません。恐れ入ります。
本HPはおよそ時系列順が原則ですが、場所順(石蟹→新見方向)へ並び替え中です。
(懐)1.1986年8月XX日 381系 「やくも?号」 |
2.2010年12月27日 381系 「やくも1号」 ※2011/1/1 写真差し替え |
《アクセス》 石蟹駅の下り発車シーン。踏切脇から。 上の2枚撮影当時とは状況が変わっており、編集現在(2022年)は、駅の裏手に 中学校と公園が造られたため、車や人の通行はそこそこある踏切。 《光線・レンズ》 南を向くので曇りの日向き。 1.は詳細失念。 カメラは田舎の叔母が所有していたミノルタの一眼レフだった記憶あり。 2.は10時頃で200ミリ相当。雪。 《コメント》 作者宅の最寄り駅を発車/通過するワンシーン。 1.は高校生の夏休みに帰省していた際に撮影したもの。 381系が当たり前のようにJNRマーク付きの特急色であったり、 石蟹駅にDD51牽引の貨物列車が待避していたり、 今となっては貴重な国鉄末期の姿だ 2.は雪の中を突き進んで来る「やくも」。なかなか迫力ある。 |
3.2022年4月3日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 石蟹駅の少し北、直線部分を線路東側の高梁川べりから望んだ。 《光線・レンズ》 9時40分頃で40ミリ相当。 この時間帯だと列車は順光だが花はやや陰る。 《コメント》 地元の人のみぞ知る?「石蟹の桜並木」の木陰から、 青空の下を駆けるやくもを撮影。 この桜並木たちにとっても、国鉄特急色を見るのは久しぶりであったろう。 |
4.2023年9月23日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 9時40分頃で50ミリ相当。 《コメント》 半逆光で金色に輝く稲田のあぜ道に咲く曼殊沙華の紅が強く効いている。 最近のカメラは搭載されるエフェクトも多彩で、肉眼に近い感じにもできるし、 作例のように写真というよりちょっとした「絵」のようにもアレンジできる。 その秋色の「額縁」の中を、国鉄特急色8号が、今日も岡山へと向かった。 |
(懐)5.1979年3月XX日 キユニ、キハ 普通 |
6.2022年5月21日 381系 「やくも9号」 |
《アクセス》 石蟹駅の北、線路と国道180号線が並走している箇所。 道ばたから撮影。 《光線・レンズ》 12時頃で70ミリ相当。曇りの日向き。 《コメント》 かつて石蟹駅からは、小野田セメント工場に続く貨物引き込み線があった。 5.の撮影当時は工場の操業は停止しており、半ば廃線跡のように線路だけが残っていた。 これまた今となっては貴重な記録だ。 そこから約40年以上の時を経て、復刻特急色やくもが走る(6.)。 新見にも外来種のオオキンケイギクが目立つようになったのは気になる。 |
7.2010年5月4日 115系 普通 |
《アクセス》 石蟹駅の北にある踏切を渡って線路の東側に出る。そこから少し左(=北)に進んだ 砂利道から撮影。 《光線・レンズ》 8時50分頃で50ミリ相当。後追い。 《コメント》 手前の畑には白っぽい菜の花が。菜種用か、あるいは食用(野菜用)であろうか… 後追いながらも、順光で湘南揃いの115系6連運用を春らしい情景で撮れた。 |
8.2023年5月21日 381系 「やくも5号」 |
《アクセス》 上に同じ。線路真横から。 《光線・レンズ》 10時頃で35ミリ相当。 《コメント》 青空の下、田植え前の水鏡に紫の車体が映る。 2023年晩春、この光景が見られるとは思っていなかったので、良い記録となった。 |
9.2024年5月25日 381系 「やくも1号」 |
《アクセス》 上に同じ。少し北の地点を川の土手から撮った。 《光線・レンズ》 8時10分頃で70ミリ相当。 《コメント》 牛丸大仙(写真右奥)バックの構図。 381系が風と共に吹き抜け、それに合わせて揺れる田んぼの早苗。 この光景はもうじき見納めだ。 |
10.2023年4月9日 381系 「やくも16号」 |
《アクセス》 上の直線、線路反対側(国道側)から上り列車方向に構えたもの。 《光線・レンズ》 13時45分頃で100ミリ相当。 《コメント》 今年は引き込み線跡に菜の花がよく咲いた。 国道沿いゆえ、通りすがりに立ち寄って見物・撮影していた人も多かったようだ。 |
11.2024年6月1日 EF64−1000+コキ 貨物 |
《アクセス》 上の直線を石蟹山城址(井倉−石蟹を参照)から遠望した。 (井倉−石蟹 を参照)。 《光線・レンズ》 9時10分頃で350ミリ相当。 《コメント》 国道180号線が伯備線と並走しているのがよくわかる。 作者が自宅から石蟹駅までの原付通勤で朝晩走っている区間だ。 昭和50年代初までは、もう一本さらに小野田セメントへの引き込み線が並んでいた。 現在もその面影は(ポイントを押さえて探せば)僅かに残っているが、 街並みはその当時とは大きく変わったものだ。 |
(懐)12.1983年8月15日 DD51+50系 普通 |
《アクセス》 石蟹駅から北へ約1キロの高梁川鉄橋。 鉄橋の両岸、両サイドのいずれからも撮影可能だが、 これは南岸の東側土手から撮影。 《光線・レンズ》 午前中の上り列車が順光。作例は6時半頃。38ミリ。コンパクトでの撮影。 《コメント》 電化直後の伯備線は、このような列車がごく当たり前に走っていた。 やっぱりDD51にはこの赤い50系がベストマッチングだったと思う。 当サイトのバナーにも採用した1枚。 |
13.2010年7月10日 113系 普通 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 10時10分頃で70ミリ相当。 《コメント》 撮影当時は、前日から当日にかけての梅雨による局地的大雨の影響が残っており、 850Mは113系の代走だった。 まさか向日町のハコを新見で見られるとは! 川べりに咲くねむの木のピンク色の花がいかにも初夏らしい雰囲気。 |
14.2010年12月27日 EF64−1000+コキ 貨物 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 9時50分頃で50ミリ相当。 《コメント》 バックに陸橋やショッピングモールが出来て様相が変わったが、 作者にとってのホームグラウンドポイントである事には変わりなし。 |
15.2015年9月22日 (DD51×2)+24系トワイライト編成 団臨 |
《アクセス》 同じく第10橋りょう。 《光線・レンズ》 9時50分頃で85ミリ相当。 《コメント》 秋晴れ快晴の完璧な撮影条件だった。 作者がここで客レを撮影するのは、実に上記9.の50系以来だ!(32年ぶり?!)。 |
(懐)16.1980年8月XX日 キユニ、キハ 普通 |
17.2022年9月3日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 第10橋りょうを川の南西側の土手から撮ったもの。 《光線・レンズ》 ポケットカメラで撮影していた気動車鈍行は詳細データ不詳。 やくもは9時40分頃で35ミリ相当。 《コメント》 昭和国鉄時の16.と、令和の17.。 およそ40年以上隔たりがあるこの2枚。 見比べると、 ・対岸陸橋の有無 ・石蟹駅から小野田セメントへ伸びていた引き込み線の鉄橋橋脚が残っている のが大きな違いだ。 16.は小学校の夏休みに遊びがてら写したものだったが、今となっては貴重な1枚。 この頃は、小野田セメント新見工場(昭和51年撤退〜54年閉鎖)の解体工事が 進められていた時期で、鉄橋は橋桁を残して既に無く、よく見ると対岸の空き地では 何やら工場の構造物らしき物体が横倒しになっているのもわかる。 17.はほぼ同じアングルで撮りなおしてみたもの。 |
18.2009年1月12日 DD51+ゆうゆうサロン岡山 大社臨 |
《アクセス》 第10橋りょうを西側から見たもの。 国道橋の下、河原に降りて撮影。 《光線・レンズ》 晴れていれば午後から夕方にかけて順光。 作例は9時10分頃で50ミリ相当。雪。 《コメント》 作者の実家から徒歩圏内の場所で久々に撮影してみた。 車両の手前をケーブルが通っているが、この角度だとあまり目障りにはならない(かな?)。 バックの特徴的な山の岩肌は、過去〜現在の写真を見返してみても、 殆ど姿は変わっていない。 |
19.2023年7月29日 EF64−1000+コキ 貨物 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 18時10分頃で40ミリ相当。 《コメント》 石灰岩肌の山を背に、EF64貨物が高梁川を渡る。 この山々、この鉄橋…作者が子供の頃から見ていた原風景は50年近く経っても 変わらずにいてくれている。 これからも眺め続けていたい、どこかホッとする真夏の夕刻。 |
20.2010年3月5日 115系 普通 |
《アクセス》 上に同じ。土手の上の国道歩道から撮影。 《光線・レンズ》 16時20分頃で50ミリ相当。 《コメント》 晴れていれば夕陽が綺麗に当たる筈であったが、肌寒い一日であった。 |
21.2022年6月18日 117系改 「WEST EXPRESS 銀河」 団臨 ※2022/8/14 写真差し替え |
22.2022年5月14日 381系 「やくも24号」 |
《アクセス》 この2枚も「10鉄」を西側から見たもので、 「銀河」は靴屋さんの裏手にある空き地から、 国鉄色やくもは陸橋から撮った。 《光線・レンズ》 銀河は5時20分頃で40ミリ相当。 やくもは17時40分頃で50ミリ相当。 《コメント》 立ち位置と条件を変えて人気列車を2枚。 バックの石灰岩むき出しの山は作者の家の窓からも見える「故郷のカタチ」。 |
23.2004年8月8日 115系 普通 |
《アクセス》 鉄橋の北岸、陸橋上の東側から撮影。 《光線・レンズ》 午前中の早い時間帯のみ順光。作例は16時頃の下り。100ミリ相当。 《飲食・トイレetc》 付近に大きなショッピングモールが最近造られ、たいていの調達は可能。 ファミリーレストランやコンビニも国道180号沿いにある。 《コメント》 ここは作者の実家(新見市正田地区:2021年〜より自宅)という事で、 小学生の頃からの馴染みの場所だった。 しかし、サンパークの開発で、付近の光景は激変した。 (この後の作例写真でもいくつか「ビフォーアフター」が出てきます) |
(懐)24.1985年8月X日 DD51+12系 普通 |
《アクセス》 上の写真のややローアングル。 撮影から30年以上経ち、現在は河原に降りるのは困難。 《光線・レンズ》 50ミリ。 《コメント》 一眼レフを持ち始めて間もない高校時代の作品。 |
25.2010年8月14日 381系 「やくも11号」 |
《アクセス》 第10鉄橋を、裏山に登って少し標高を稼いでのミニ俯瞰。 《光線・レンズ》 曇りの日が好条件。13時頃で200ミリ相当。 《コメント》 緑やくものお盆9連運用。 今月から定期便のやくもは全て「ゆったり」化されたため、 緑色の編成は事実上予備車扱いに。 今後このような編成を見られる機会はあるのだろうか… |
26.2010年1月5日 381系 「やくも10号」 |
《アクセス》 23.の振り返りアングル。上り列車を撮影したもの。 《光線・レンズ》 10時40分頃で135ミリ相当。 《コメント》 陸橋の北側歩道からUターンラッシュ増結の「やくも」を撮影。 9連だとギリギリの構図だ。 架線柱の影が先頭車両の顔に掛かるため、もう一息引き付けられなかった。 |
(懐)27.1983年8月14日 DD51 貨物 |
《アクセス》 第10鉄橋から約300m新見寄りの大カーブ。 《光線・レンズ》 38ミリ。コンパクトカメラで撮影。 コメント》 夕焼けに映える貨物列車。 この場所は、右の田んぼがあった所が全て巨大ショッピングモールに 生まれ変わり、このアングルでの撮影は現在不可能。 |
(懐)28.1987年8月X日 EF64+12系 普通 |
《アクセス》 上の位置を、もう少しサイドからロングショット気味に。 《光線・レンズ》 50ミリ。 《コメント》 電化後も1日に2往復設定されていた伯備線の客車普通列車。 DD51+50系/DD51+12系/EF64+12系 の3パターンが存在していた。 前述の通り、この場所での撮影は現在不可能。 この写真を見てここを訪れたら、あまりの変貌ぶりにおそらく絶句してしまうだろう… |
(懐)29.1981年12月29日 キハ181系 「やくも7号」 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 38ミリコンパクト。 《コメント》 作者のコレクションに唯一残っている、キハ181系フル11連やくもの写真。 この機会にデジタル化してみた。 当時の〇カチ〇ンカメラで小学生が撮っているゆえ、画質も構図もはなはだ怪しい1枚だが、 現在のサンパークカーブ踏切で写した懐かしい記録だ。 |
(懐)30.1982年3月21日 381系 試運転 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 38ミリコンパクト。 《コメント》 こちらは電化開業迫る昭和57年の早春。 たまたま撮影していた新型やくもの試運転。 ピカピカの振り子特急電車が、それまでのキハ181ディーゼルとは見るからに違う速度で カーブをガビーンと曲がっていく。 新見に、そして日本に新しい時代がやってくる! 見ていて感動すら覚えたものである。 |
31.2022年8月2日 281系 団臨 |
《アクセス》 上に同じカーブ。アウト側から。 《光線・レンズ》 13時半頃で200ミリ相当。 なお、バックの陸橋上に停まっていたおっかけ車と人は レタッチで消去した。 かまぼこ型の坂道かつカーブしていて見通しがきかない陸橋上での駐停車は非常に危険。 《コメント》 カーブの向こうから車両が見えてきた途端、背後から「イヤーん可愛い〜」の 妙齢の女性たちギャラリーの声があがる中(笑)集中を乱されないようシャッターを切る。 いやホンマに、上に掲載した数枚と同じサンパークカーブである。 現在はインからの撮影は過去帳入りし、 アウトカーブ望遠の定番構図となる。 撮影時は、倉敷から来られたという少年とお母さんが キティはるかとやくもを撮影していた。 暑い中待ち続けて懸命に撮っている姿に、数十年前の自分の姿が少しかぶって、 思わず号泣しそうに?なったのは内緒(笑) また一緒に撮れればいいですね。 |
32.2010年1月5日 EF64+コキ 貨物 |
《アクセス》 新見市正田地区、国道180号線の北側、現在はショッピングモールや運動公園と なっている地点の踏切脇から。 《光線・レンズ》 9時45分頃で100ミリ相当。 晴れていれば午前の上りが順光となる。 《コメント》 ガードレールが都合良く線路寄りに出っ張っており、路上から構えられる。 先頭の数両分しか入らないが、機関車の「顔」だけ撮れればOKなら 都合が良かろう。 |
33.2009年12月31日 213系 普通 |
《アクセス》 上の場所から少し西へ進んだ、山すそに神社がある付近。 線路南側にある空き地から撮影。 《光線・レンズ》 12時頃で70ミリ相当。雪。 《コメント》 ちょうど車両に隠れて写っていないが、バックの山すそにある小さな神社は、 作者が子供の頃(当然非電化時代)よく遊んでいた想い出の場所だ。 今は運動公園となっている敷地には当時小野田セメントの大工場があり、 石蟹駅から専用の貨物引き込み線が敷かれ、チビロコが入れ替えをしていた。 当時の姿を収めた写真もあり、機を改めて公開したい。 |
34.2022年4月3日 EF64−1000+コキ 貨物 |
35.2023年3月31日 381系 「やくも10号」 |
36.2023年4月1日 381系 「やくも9号」 |
《アクセス》 作者の地元、正田地区「栢森(かやもり)神社」前にて。 《光線・レンズ》 34.の貨物は9時頃で50ミリ相当。 35.は10時40分頃で70ミリ相当。 そしてJNRマークが眩しい36.は12時10分頃で50ミリ相当。 《コメント》 自宅から最寄りの神社。 境内と鳥居の間に線路が通っており、桜の古木がある。 列車を撮れる構図と時間帯は限られるが、何せ家から歩いていける場所で このロケーションなら満足マンゾク(笑)。 |
37.2023年9月18日 381系 「やくも24号」 |
《アクセス》 上に同じ、踏切脇から。 《光線・レンズ》 17時40分頃で100ミリ相当。 《コメント》 近所の踏切脇に咲くコスモス脇をさんぱーいちが駆ける秋も もしかしたら最後なのか? それにしても新兵器α6700の能力は凄い。 作者が導入に踏み切った一番の目的はダウンサイジング、要はコンパクト軽量による 身体的負担の軽減だったのだが、 曇天の夕刻という苦しい条件ながら、APS-C+高倍率キットレンズ でも いい色が出ているし、目玉商品たるAIAFは手前にかかる花を程よくボカして 構図奥から向かってくる列車にはガチピンだ。 |
38.2024年1月8日 381系 「やくも9号」 |
(懐)39.1980年3月XX日 キハ58系 「伯耆3号」 |
《アクセス》 柏森神社の境内から線路を見たもの。 《光線・レンズ》 伯耆3号は当時の時刻表を見ると15時半頃、ポケットカメラでの撮影。 381やくもは12時頃で35ミリ相当。 《コメント》 この2枚の間にはなんと約40年以上の歳月が流れている。 伯耆3号のバックに見えていたのは、かつてこの地にあった小野田セメント新見工場。 昭和51年操業終了し、撮影時は既に廃墟と化しつつあった巨大な構造物は (今でこそ時効?かもだが)誰もいなくなった建物内や貨物引き込み線がいい遊び場だったと 記憶している。 ちなみに画面右端に工場の購買(売店)だった建物が見えていて、 個人的な思い出だが保育園時代の作者が生まれて初めて祖母に連れられていわゆる 「買い食い」をしたお店なのだ(買って食べたのは作者が今でも好物のM製菓アポ●チョコ。) そして紆余曲折を経て、現在その場所は「憩いとふれあいの公園(ピオーネ球場)」となった。 敷地内の一角には小野田セメント跡地の石碑も立っている。 列車撮影ポイントではないが、作者の幼き日の原風景が見える場所の一つである。 |
40.2004年11月22日 DD51+あすか 臨客 |
《アクセス》 両駅のほぼ中間地点。 伯備線と国道180号線がクロスする陸橋からカーブした築堤と鉄橋を望む。 国道の歩道なので足場は安全だが、周囲に張り巡らされた電線やフェンスの処理が難しく、 スイートスポットは狭い。 《光線・レンズ》 昼〜午後早い時間の上りが順光。作例は14時半頃。250ミリ相当。 《コメント》 貴重なスノープロウ無しの元亀山区DD51−1043を、 実家近くのポイントにて撮影。 |
41.2009年8月19日 381系 回送 |
《アクセス》 上に同じ。地上から。ちょうど国道180号線陸橋の真下となる。 《光線・レンズ》 14時10分頃で375ミリ相当。 《コメント》 へんぴな場所だが(苦笑)一応は編成写真を撮れる。 作者の幼少時は、頭上の国道陸橋はまだ無く、この写真の立ち位置付近に 踏切があったのを覚えている。 |
42.2023年2月23日 381系 「やくも20号」 ※2023/3/12 写真差し替え |
《アクセス》 岡山−新見間では最後の13番目にあたる高梁川橋りょうの南岸側から。 この鉄橋は伯備線と高梁川本流が出会う全13橋のうちで最北となる (井倉−石蟹間の新線区間にコンクリ橋が2つあり、橋りょうの名称としては 第11橋りょうとなる)。 《光線・レンズ》 15時45分頃で50ミリ相当。 《コメント》 鉄橋に少し近づいて撮ってみた。 この立ち位置は夏場は草木が超ボーボーで撮りにくいかもしれない。 ※本ページ最下段の「おまけ」も参照。 |
43.2022年6月19日 115系 普通 |
《アクセス》 11鉄橋を北側、焼肉屋さんの裏手の高梁川土手に沿った歩道から眺めたもの。 《光線・レンズ》 朝早めの時間帯なら光線は悪くない。8時頃で100ミリ相当。 《コメント》 初夏の第11橋りょうを湘南色が渡る。 ここは上り列車だと音で列車の接近を知る事ができるが、 下り列車は音もなく作例の画面左端から突然現れるので、 撮影タイミングは少し難しいかもしれない。 |
44.2022年10月29日 381系 「やくも15号」 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 15時頃で135ミリ相当。 《コメント》 秋晴れの昼下がり。 逆光でススキ、そして高梁川の水面がキラリと輝く中、 新見へと向かうやくもが11鉄橋を渡っていく。 長く活躍した古豪381系も新車置き換えが発表され、こうした秋風景もあと僅かとなった。 |
45.2024年5月5日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 9時40分頃で100ミリ相当。 《コメント》 川岸の菜の花がキラキラ輝く中、 国鉄特急色が(いつものように)岡山へと向かう。 来年の5月連休には、この美しい勇姿を見る事はできない。 地元民・地元鉄としては381系には本当に愛着と感謝しかない…。 残された期間も頑張ってほしいものだ。 |
46.2023年11月5日 381系 「やくも9号」 |
《アクセス》 上の鉄橋を反対側(線路西側)の市道橋上から見たもの。 幅員があまり広くない道なので車の通行には注意。 《光線・レンズ》 12時頃で50ミリ相当。 《コメント》 雲一つ無い秋晴れの空であった。 背後の橋たもとには作者や母が通っていた幼稚園(+小学校)があったが、 現在は統廃合により姿を消し、立派な給食センターとなっている。 入園式の写真なぞを見返すと感慨深いものがある場所の一つ。 |
(懐)47.1983年3月XX日 381系 「やくもX号」 |
48.2022年7月2日 キハ87系 「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」 団臨 ※2022/8/14 写真差し替え |
《アクセス》 第11鉄橋の北側土手から下り列車を撮影。 《光線・レンズ》 やくもは詳細失念。 瑞風は16時20分頃で35ミリ相当。 《コメント》 曇り気味、もしくは夏場の夕方近くになれば下り列車を好条件で撮れる。 作例は電化開業ほどない頃の381系やくもと、 そしてそれからおよそ40年経ったのち新見にやってきた「瑞風」。 鉄橋や周辺の雰囲気は殆ど変わっていない。 |
49.2024年1月2日 115系 普通 ※2024/5/5 写真差し替え |
《アクセス》 上に同じ。振り返って上り列車を撮ったもの。 なおこの土手は車両の乗り入れ、通り抜けはできない(自転車でも困難)で、 徒歩アクセスが前提となる。 《光線・レンズ》 13時20分頃で70ミリ相当。 晴れていればお昼前後が順光。 《コメント》 長い編成は入れられないので、短編成もしくは「先頭だけ写りゃOK」的な構図。 |
50.2015年11月3日 (DD51×2)+24系トワイライト編成 団臨 |
《アクセス》 こちらは11橋りょうの北側。 国道180号線の歩道が立ち位置となる。 《光線・レンズ》 9時45分頃で70ミリ相当。 《コメント》 地元の特ネタとなった2015年トワイライト団臨。 この日も撮影者が多く集まっていた。 本来は後述の湘南セブンを撮影した日のような季節・時間帯がベターだが、 この季節でも朝のうちならほど良い光線で撮れる。 |
51.2010年5月1日 115系 普通 |
52.2007年5月20日 EF64−1000 +コキ 貨物 |
《アクセス》 ここからは鉄橋を渡った先の「金谷カーブ」。ラジオ塔が目印。 この2枚は高梁川の東岸(国道歩道)からロング気味に撮ったもの。 《光線・レンズ》 「湘南セブン」は6時50分頃で100ミリ相当。 EF64貨物は9時頃で85ミリ相当。 《コメント》 湘南色115系の7連運用は、今や地元でも滅多にお目にかかれない貴重な獲物だ。 所定の「やくも」よりも長い堂々とした編成で(笑)南へ走っていく。 この季節、この天気だと新見発車直後のこの時間でも朝日が当たってチリバツだ。 |
53.2022年5月5日 381系 「やくも8号」 ※2022/8/14 写真差し替え |
《アクセス》 同じ金谷カーブを、高梁川の西岸土手に立って撮ったもの。 撮影の際は、周辺の農作業に支障なきようくれぐれも配慮されたし。 《光線・レンズ》 9時40分頃で70ミリ相当。 朝から午前中早め時間帯が順光。 《コメント》 大きなインカーブ。 長い貨物列車も撮れるが、国鉄特急色やくもの6連運用くらいが好バランスか。 新緑と青空が素晴らしい大型連休中のひととき。 |
54.2004年10月23日 285系 「サンライズ出雲」 |
《アクセス》 上の対面アングル。 田んぼのあぜ道なので、足場や車両乗り入れは配慮が必要。 《光線・レンズ》 本来はバックの石灰岩切り出しの山がいいアクセントになる場所なのだが、 光線は終日逆光。 よって雪が降ったり、作例のように霧が出てくれたりした方がむしろ好都合。 作例は7時半頃で70ミリ相当。 《コメント》 この日のお目当ては迂回「出雲」だったが、通過時刻(これより約1時間後)には すっかり晴れ上がってしまい、モロ逆光となってしまった。 |
55.2022年9月23日 381系 「やくも9号」 |
56.2023年12月23日 115系 普通 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 秋のやくもは12時頃。 雪の115系は9時頃。2枚いずれも50ミリ相当。 《コメント》 黄色い稲穂が秋らしく、そして雪景色が冬らしい。 が、田んぼ風景はどの季節でも絵になる。 日本の田んぼとはそういう美しいものだ。 バックの「新見のマチュピチュ(作者命名)」もよく見えている。 |
57.2022年12月25日 381系 「やくも8号」 |
58.2023年12月17日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 金谷カーブの上り列車構図。 《光線・レンズ》 いずれも9時40分頃で、イン構図は40ミリ相当、 アウト構図は200ミリ相当。 《コメント》 緩いインカーブから広角系レンズで、高速シャッター一発で特急電車を仕留める 醍醐味を味わえる。 作例のような雪晴れにでもなれば寒くても気分爽快? かたやアウトカーブ構図の方は…雪中を突き進む迫力こそあれ、 こりゃあ撮ってて気分爽快とはいきませんなぁ(鼻水) |
59.2024年1月14日 381系 「やくも5号」 |
60.2024年3月3日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 上に同じインカーブにて。 《光線・レンズ》 紫やくもは10時10分頃で35ミリ相当。後追い。 梅の花と国鉄やくもは9時40分頃で28ミリ相当。 《コメント》 2枚いずれも素晴らしい青空であった。 紫やくもの日はちょうど地元では「とんど焼き」の日で、構図奥の広場から 煙りが立ち上り始めていた。 通過があと少し遅ければ、モクモクと煙が立ち昇る中を走る風物詩シーンが見られていた筈だ。 そして3月に入り、線路際の梅の花が終焉迫る国鉄色やくもを見送る。 早春の陽光に花がキラキラ輝いているようにも見えた。 春は出会いと別れの季節。撮っていて清々しくも少し寂しい気分に。 |
61.2024年1月8日 381系 「やくも1号」 |
《アクセス》 上に同じ。下り列車を撮ったもの。 《光線・レンズ》 9時10分頃で70ミリ相当。 《コメント》 こちらの下り列車アングルは6連ギリ、かつ(晴れると逆光となるため) 撮影列車の選択と通過時の天候条件がポイントとなる。 |
(懐)62.2006年7月30日 EF64−1000 +コキ 貨物 |
《アクセス》 金谷カーブ付近を俯瞰したもの。 《光線・レンズ》 トップライトなので昼間から午後にかけてならほぼ大丈夫と思われる。 作例は15時頃で250ミリ相当。曇り。 《コメント》 作者が小さかった頃によく遊びに来ていた山上。 そこから貨物列車を大俯瞰で狙ってみたが、アレレレ?EF64が変な色になってるぞ? 国鉄制式色が健在の岡山区も遂に更新が始まっちゃったんだろうか… →その後、写真のカマは検査の代替機として高崎からレンタルされた 1044号機であると判明。そうかそうか。 |
63.2024年5月26日 381系 「やくも1号」 |
《アクセス》 こちらは金谷カーブを、北側の山の中腹にある雲居寺(うんごじ)の 境内から見たもの。 《光線・レンズ》 早朝が順光。8時10分頃で250ミリ相当。 《コメント》 あまり高さがない俯瞰ゆえ、列車の収め方はシビアになるが、 バックに新見のマチュピチュ(作者命名)のような石灰岩の切出し山容が大きく入り、 ある意味新見らしい構図かと思う。 この雲居寺は普段は静かな禅寺。 地元では悲しい伝説と共に「お花観音」と呼ばれて親しまれている千手観音の石像が あることで知られている。 |
64.2023年9月23日 381系 「やくも9号」 ※2023/10/14 写真差し替え |
《アクセス》 金谷カーブの先、踏切脇付近から。 《光線・レンズ》 12時頃で70ミリ相当。 《コメント》 この踏切脇も自転車や原付バイクで気軽に撮影に来られるようになった。 曼殊沙華の紅と、田んぼの黄色い稲穂が鮮やか。 |
65.2023年8月12日 381系 「やくも21号」 |
《アクセス》 上で写っている線路脇の公園辺りから下り列車を見たもの。 《光線・レンズ》 18時頃で135ミリ相当。 《コメント》 今年から登場したヒマワリ畑。 381系との夏は、最初で最後のコラボになるのだろうか… |
66.2023年6月25日 381系 「やくも2号」 |
《アクセス》 新見市金谷地区の直線区間、市道に面するお店の駐車場脇にて。 《光線・レンズ》 6時40分頃で50ミリ相当。 《コメント》 線路際に咲く綺麗な紫陽花は、毎年この時期に目を楽しませてくれる。 ここはA級グルメで知られるお店の駐車場。 訪れる際は保冷バッグ持参で。 お店が空いていない時間帯だと、名物の自販機千円ガチャ廻しがマストで、 今夜のご馳走おかずをゲットだ(笑) |
67.2006年11月3日 EF64−1000 +コキ 貨物 |
《アクセス》 新見市内の鳶が巣山(とびがすやま)山頂付近から。 山頂は公園のように整備されていて、以前は訪れる人も多かったようだが、 現在は荒れ果てている。 国道180号線の新見高校付近から細い市道に折れて山を登っていくが、 途中に数カ所分かれ道があり、少し道順が判りにくい。最初は迷ってしまうだろう。 《光線・レンズ》 朝が順光。作例は9時半頃で250ミリ相当。 《コメント》 新見市街地を見下ろす「鳶が巣山俯瞰」。 中央に見えるのはJR西日本岡山支社の備中鉄道部新見運輸センターで、 キハ120が待機している。 その向こうには新見駅も見える。 画面右下には(かなりわかりにくいが)現在は撤去されて過去帳入りした アーケード商店街「新見銀座」の在りし日の姿が確認できる。 作者の出身地であるここ新見は、SL時代は伯備線のD51三重連で全国に知られており、 かつては立派なターンテーブルと扇形機関庫を持つ機関区があった。 |
68.2023年6月4日 115系 普通 |
《アクセス》 上に同じ。但し以前とは立ち位置は変わっている。 《光線・レンズ》 6時45分頃で280ミリ相当。 《コメント》 久しぶりの鳶が巣。 以前の撮影(上記)時は、眼下の新見銀座通りはまだ全蓋式(ぜんがいしき)アーケードだった。 アーケードが撤去されたのが2012年だから、地元でありながら(ここからの撮影は) かなりのご無沙汰となる。 山頂付近も少し様相が変わったが、眺めの爽快感は相変わらずだ。 普段の通勤の足:844Mが湘南Dを先頭に新見を発車していく。 このシーンもいつまで見られるのだろうか。 |
69.2023年7月17日 381系 「やくも2号」 |
《アクセス》 上の付近を山裾の坂道から見たもの。 実はこの前後↑↓数枚の写真は、どれも列車の位置はほぼ同じで、 見ている方向や高さが違うだけである。 《光線・レンズ》 6時40分頃で200ミリ相当。 《コメント》 鳶が巣の山頂俯瞰まで行くのがだるい(笑)時は、 自宅から原付バイクで10分弱のこの見晴らし坂へ。 春から夏にかけて空気の澄んだ晴れた朝なら 新見の旧市街を眺めながらすがすがしく撮影できる。 綺麗な収まりを求めるならやや短め編成が条件ベストであろう。 |
70.2024年5月26日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 上の付近を山裾の雲居寺(うんごじ)へと続く坂道から見たもの。 雲居寺境内からの撮影は前出を参照。 《光線・レンズ》 9時45分頃で150ミリ相当。 《コメント》 手前に見えるのは、江戸時代新見藩の藩学にルーツを持つ「思誠(しせい)小学校」。 新見の旧市街と歴史ある校舎を横目に、終焉迫る国鉄さんぱーいち8号が 今日も岡山へと向かった。 |
71.2023年9月3日 381系 「やくも9号」 ※2023/10/14 写真差し替え |
《アクセス》 江道橋(えどうばし)の上、歩道から。 《光線・レンズ》 12時頃で50ミリ相当。 《コメント》 この辺りは古くからの街並みが続く下町。 ちょうど列車が水鏡となる場所で、山の色によって季節感も分かり、 足場もアクセスもいい。お気に入りの場所の一つ。 |
72.2022年12月23日 115系 普通 |
《アクセス》 上の写真で左端にチラリと写っている、商店街に続く橋(金谷橋:かなやばし)のたもとから。 《光線・レンズ》 8時40分頃で70ミリ相当。 《コメント》 クリスマス寒波で、新見市街地も真っ白に。 「やくも」や芸備線は軒並み停まっていたが、 新見以南の普通電車はかろうじて定時運行されていた。 |
73.2023年5月5日 381系 「やくも9号」 |
《アクセス》 上に同じ。 《光線・レンズ》 12時10分頃で85ミリ相当。 《コメント》 5月5日のこどもの日。 新見市内の高梁川では恒例の「にいみこどもマス釣り大会」が行われる。 この釣り風景と伯備線の組み合わせを撮ってみるのは、実は初めて。 作者もかつて長く渓流釣りをしていたので、列車を待つ間しばらく橋の上から見学させて頂いたが、 川原は家族連れやグループなど大勢の人たちで賑やか。 しかし、よく見ると実際に竿を出している多くは「こども」ではないのにはなんとも…(苦笑) |
74.2022年4月2日 381系 「やくも4号」 |
75.2022年4月9日 381系 「やくも8号」 |
《アクセス》 城山(じょうやま)公園の遊歩道から。 駐車場から立ち位置付近までは5〜10分程度のプチ山歩き。 《光線・レンズ》 74.は7時半頃で40ミリ相当。 75.は9時40分頃で50ミリ相当。 《コメント》 新見市民のお花見スポット「城山公園」。 作者が新見に帰って最初の満開を迎えた。 やはり故郷の桜はいい。ここから桜に囲まれながら新見の街と伯備線を見るのは、 作者にとっては至福のひととき?(ちと大げさか) 74.はお花見スポットである事が分かるよう、雪洞(ぼんぼり)を入れて撮った。 コロナ禍に高齢化、人口減少…地方都市を取り巻く状況は厳しいが、 いつか夜桜で公園が賑わう日々が戻ってきてほしいもの。 75.は桜の花びらが舞う中、国鉄特急色「やくも8号」が新見を出て岡山方面へ向かう。 眼下に見えるのは新見の旧市街と商店街通りで、かつては「新見銀座商店街」として、 昭和のレトロと賑わいを地で行くようなアーケード商店街であった(2012年に撤去)。 その写真を残していないのが残念。 |
76.2024年4月7日 381系 「やくも3号」 |
《アクセス》 同じく城山公園。こちらは駐車場側(南側)に続く遊歩道から。 《光線・レンズ》 9時10分頃で85ミリ相当。 《コメント》 復刻した緑やくもと城山公園の桜。 最初で最後の光景をしっかり目にもカメラにも焼き付けた、2024年春。 |
77.2024年9月29日 273系 「やくも15号」 |
《アクセス》 同じく城山公園。 《光線・レンズ》 15時10分頃で50ミリ相当。 《コメント》 9月の城山公園は、山を紅く覆いつくす…とまで言えばチト大げさだが、 多くの彼岸花が咲く。 273系にとっては初めて見る新見のお彼岸風景だ。 遊歩道からでも充分見物&撮影できるので、わざわざ草花の中に踏み入って 花を傷めたりせぬように。 |
78.2024年11月24日 273系 「やくも6号」 |
《アクセス》 同じく城山公園。 《光線・レンズ》 8時40分頃で70ミリ相当。 《コメント》 城山のいちょうも遅まきながらいい色づきとなった。 山を横目に今日も「やくも」が行き交う。 長年勤めあげたさんぱーいちに替わり、今年からは273ブロンズが 安養寺の石州瓦と出会う秋が始まっていく。 |
79.2022年12月30日 381系 「やくも9号」 |
《アクセス》 新見銀座通り商店街の駐車場付近から。 《光線・レンズ》 12時10分頃で50ミリ相当。 《コメント》 年末ふるさとに向かう人たちで「やくも9号」の車内は数年ぶりの盛況に見える。 かつてのアーケード商店街に代わり、帰省客をお出迎えするのは 「大阪冬桜」という、冬になると咲く八重桜だ。 商店街駐車場の一角に、地元の方がお孫さんの成長を願って 十数年前に植えられたんだそうな。 つまりこの桜も、国鉄特急色やくもを見る初めての冬なのかもしれない。 |
(懐)80.1972年XX月XX日 D51ほか |
《コメント》 作者の実家の押し入れに眠っていた旧いアルバムより「発掘」した1枚。 撮影日、撮影者は不詳。この地からのSL撤収の声が聞かれ出した 昭和47年春の撮影と思われる。 作者は幼少の頃、山すそから機関区が見渡せるこの場所によく連れて行ってもらい、 SLを眺めるのが好きだったようである。 この頃のお宝写真はいずれ何らかの機会があれば公開したい。 |
【おまけ】
40.の鉄橋で、昭和46年4月21日に撮影されたものです。
当HPの10万ヒット達成時のトビラ写真にも引用した、
伯備線を走ったお召し列車。
牽引したD51−838号機は井倉洞に静態保存されています。
(※石蟹−井倉【おまけ】を参照)
撮影は作者ではありませんが、撮影者(親類)の横に祖母に手を牽かれて
立っていた(はず)です。何せ物心付くか付かないかの頃でしたので…
せめて生まれるのがもう5年早ければ…なんて(笑)