鹿児島県における尊厳死運動の成り立ち
(鹿児島県医師会報第689号(平成20年5月号)79頁〜83頁から転載)



  日本尊厳死協会 かごしま
    名誉会長  内山 裕




はじめに

 「健やかに生きる権利、健やかに死ぬ権利を、自分自身で守るために」と、鹿児島県尊厳死協会(後に日本尊厳死協会 かごしまと名称は変わるが)が誕生してから、既に10年余の歳月が流れた。私自身が「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)の普及に乗り出してから数えると、はや20年に近い。
 次第に記憶が薄れ、記録も散逸し始めてきている。せめて、どんな人が、どんな係り方をしてきたのか、記録に留めておく必要に迫られているといえよう。ともあれ、長い年月、尊厳死運動の中枢にいたものとして、尊厳死運動の足跡を辿ってみることは、むしろ私の義務かもしれない。ただ、薄れかけた記憶と、手元に残されたメモによっただけに、文中偏りや誤りがあるかも判らない。ご容赦を願っておきたい。

「弱者の視点」の刊行

 昭和25年以降、ただ一筋の道を一人の公衆衛生医として歩いてきた者として、「強者の視点ではなく、弱者の視点で、ものを考え、行動しているかどうか・・・」、そんな想いで、稚くとも、ひたむきに、エッセイや論稿を紡いでみたい。そんな想いで、昭和63年1月、一冊の本「弱者の視点」を世に送った。
 その中で、ターミナルケアにもかなりの紙数を割き、「尊厳死の宣言書(リビング・ウイル)」の紹介も書いた。思もかけず反響は大きかった。関連したテーマに関する講演の依頼が相次いだ。その頃の主な動きを時系列的に書き留めておきたい。(敬称は省略させていただいた。)

昭和63年2月、「尊厳さんクラブ」発足
  主唱した八幡正則(かごしまの食を語る会代表)は後年(平成8年3月)南日本新聞の論壇にこう書いている。「私が尊厳死の普及活動を始めたのは、内山裕さん(元県衛生部長)の著書「弱者の視点」がきっかけである。」
昭和63年 3月、講演・内山裕「老年医学懇話会」
昭和63年 5月、講演・内山裕「鹿児島県総合教育センター特別講演」
昭和63年 6月、講演・内山裕「国立南九州中央病院研修会」
昭和63年 7月、講演・内山裕「九州ブロック老人クラブリーダー研修会」
昭和63年 9月、講演・内山裕「鹿児島県心身障害児指導研究協議会」
昭和63年 9月、講演・内山裕「枕崎市医師会」
昭和63年11月、講演・内山裕「鹿児島県老人福祉大会」
昭和63年11月、講演・内山裕「鹿児島県小学校校長研究大会」
昭和63年11月、講演・内山裕「日本放射線技術学会九州支部会」
昭和64年 1月、昭和天皇崩御(前年9月から111日間の終末期闘病生活)
平成元年 2月、講演・内山裕「鹿児島市谷山健康まつり」
平成元年 9月、講演・内山裕「国分市健康の秘訣」
平成元年11月、講演・内山裕「錦江湾高校PTA総会」
平成 2年 3月、西禎弥(西クリニック院長)「鹿児島尊厳死を考える会」発足
平成 2年 7月、講演・内山裕「鹿児島県小中学校長研修会」
平成 2年 9月、ライシャワー元駐日米大使、尊厳死
平成 3年 5月、講演・内山裕「鹿児島県小中高教頭研修会」
平成 3年 7月、講演・内山裕「鹿児島県保育協議会研修会」
平成 3年11月、講演・内山裕「鹿児島県厚生年金受給者大会」
平成 4年 3月、日本医師会「生命倫理懇談会」報告書
平成 4年11月、講演・内山裕「吉松町健康まつり」
平成 5年 8月、厚生省「末期医療に関する国民意識調査等検討会」報告書
平成 6年 2月、上原久美子「鹿児島ホスピスを考える会」発足
平成 6年 5月、日本学術会議「死と医療特別委員会」報告書
平成 7年 3月、横浜地裁、東海大学附属病院事件で医師に有罪判決(医師による積極的安楽死の四条件)
平成 7年 7月、鹿児島県議会「ホスピス議員連盟」発足

 以上、記述した時期は尊厳死運動にとっていわば胎動期といっていい。記述した以外に数多くの集いが持たれており、「死」が伏せ字ではなく語られるようになって来はじめており、ターミナルケアが時代を象徴するキーワードとなったとも言えよう。」

鹿児島県尊厳死協会の発足

 命の終わりに、安らぎの中で輝きたい、そんな想いの有志一同、尊厳死の宣言書、所謂リビング・ウイルを持つ仲間が、既に560名に達してきていた。
 「尊厳さんクラブ」と「鹿児島尊厳死を考える会」を発展的に一体化し、新たに「鹿児島県尊厳死協会」を設立したのは、平成8年3月のことである。以下、その歩みの要約を記しておきたい。

発足当初の役員
  会長   内山 裕(元県衛生部長・医博)
  常任理事 八幡正則(食を語る会代表)
  理事   西 禎弥(西クリニック院長・医博)
  理事   牧角仙丞(県医師会副会長・医博)
  理事   大薗純也(南日本新聞社・専務)
  理事   板根庸子(歌人)
  理事   奈良迫ミチ(作家)
  理事   伊東安男(県社会福祉士会副会長)
  監事   萩之内照雄(会社員)
平成8年4月、「鹿児島県尊厳死協会」設立総会・記念講演会
記念講演「尊厳死と末期医療」(国立病院九州がんセンター名誉院長 大田満夫)
  トークセッション(対話集会)
  コーデイネーター 内山裕
  パネリスト  牧角仙丞、八幡正則、上薗登志子
  アドバイザー 大田満夫
平成8年6月、「鹿児島県ターミナルケア懇話会」設置
委員:内山裕(元県衛生部長)、上原久美子(鹿児島県ホスピスを考える会会長)、川島望(国立南九州病院院長)、佐藤俊一(鹿児島経済大学助教授)、下稲葉康之(福岡亀山栄光病院副院長)、種村完司(鹿児島大学教授)、徳丸垂水子(県看護協会会長)、平山亮一(県ホスピス議員連盟会長)、外西寿鶴子(鹿児島女子短大教授)、牧角仙丞(県医師会副会長)、吉村望(鹿児島大学附属病院長)
平成8年6月、講演・内山裕「鹿児島政治経済同志会」
平成8年8月、「ターミナル・ケア医療従事者研修会」
特別講演「末期医療の問題点」(九州lガンセンター名誉院長 大田満夫)
平成8年10月、「尊厳死とホスピス」
  コーデイネーター 内山裕
  パネリスト    伊東安男、上原久美子、牧角仙丞
平成8年12月、「鹿児島県地域医療研究会」
  特別講演「死にゆく人の医療」(日本医師会副会長 森岡恭彦)
  シンポジウム 座長 内山裕
  シンポジスト 牧角仙丞、上原久美子、財部マチ子、宮原宏典
  特別発言 吉村望   助言者 森岡恭彦 
平成9年2月、「ターミナル・ケア医療従事者研修会」
  特別講演「QOL向上を目指す全人的ケア」(福岡亀山栄光病院ホスピス長 下稲葉康之)、座長(内山裕)
平成9年4月、「平成9年度総会・公開講演会」
  特別講演「未来長寿社会を語るー尊厳死を軸としてー」(国立長寿医療研究センター長 井形昭弘)
  トークセッション「老年期痴呆をめぐって」
    コーデイネーター 内山裕
    パネリスト 岩下周子、徳留真由美、
    アドバイザー 井形昭弘
平成9年4月、対談「ノーマライゼーションと在宅ケア」
  井形昭弘・内山裕、司会 伊東安男
平成9年6月、講演・内山裕「尊厳死運動とホスピスケア」
平成9年10月、「尊厳死を考える、奄美の集い」
  講演「尊厳ある生と死を求めて」(内山裕)
  対話集会「末期医療の課題」 司会 伊東安男
   パネリスト 小代正隆、五十嵐志朗、向井奉文、内山裕
平成9年11月、県民フォーラム「ターミナル・ケア末期医療のあり方を考える」
  基調講演「末期医療をめぐって」(国立病院九州がんセンター名誉院長 大田満夫)
  パネルデイスカッション「末期医療のあり方を考える」
   コーデイネーター 内山裕
   パネリスト 川島望、上原久美子、種村完司
   コメンテーター 大田満夫
平成10年3月、講演・内山裕「曽於地区医療従事者研修会」
平成10年3月、鹿児島県ターミナルケア懇話会(内山裕会長・12人)、報告書「鹿児島県におけるターミナルケアのあり方について」を公表
平成10年4月、「平成10年度総会・公開講演会」
  講演1「尊厳死、問答有用―寄せられた会員の声に応えてー」(県尊厳死協会会長 内山裕)
  講演2「尊厳死か、安楽死かーホスピスの現場からー」(福岡亀山栄光病院ホスピス長 下稲葉康之)
平成10年5月、講演・内山裕「歌誌にしき江全国大会」
平成10年5月、講演・内山裕「呆け老人をかかえる家族の会」
平成10年5月、講演・内山裕「鹿児島生協病院学習会」
平成10年6月、講演・内山裕「ホスピス設立記念講演会」
平成10年8月、講演・内山裕「鹿児島市薬剤師会学術講演会」
平成10年9月、講演・内山裕「鹿児島県ホスピス議員連盟」
平成10年10月、「尊厳死を考える集い、イン鹿屋」
  講演1「老年期痴呆をめぐって」(県医師会副会長 大勝洋祐)
  講演2「ターミナルケアと尊厳死」(県尊厳死協会会長 内山裕)
平成11年4月、講演・内山裕「産業保健講演会」
平成11年4月、「平成11年度総会・公開講演会」
  講演1「介護保険とターミナルケア」愛知健康プラザ・健康科学総合センター長 井形昭弘)
  講演2「在宅ケアをめぐって」(メデイカルクリニック毛利院長 毛利通宏)
  対話集会:井形昭弘、毛利通宏、内山裕
平成11年7月、大谷大学公開セミナー「生命の大地」
  講演・内山裕「問われる終末期医療」
平成11年11月、日本尊厳死協会九州支部公開講演会
  講演1「健やかな社会―尊厳ある生と死を求めてー」(県尊厳死協会会長 内山裕)
  講演2「がん医療の進歩」(日本尊厳死協会九州支部長 大田満夫)
  質疑応答:大田満夫、内山裕、伊東安男
平成12年5月、「平成12年度総会・公開講演会」
  講演「難病と生きる」(国立量要所南九州病院院長 福永秀敏)
  対談「尊厳ある生と死を語る」:福永秀敏、大勝洋祐
平成12年6月、講演・内山裕「看護倫理と生命」(国立南九州中央病院)
平成12年11月、会の名称を「日本尊厳死協会 かごしま」に変更
平成12年12月、講演・内山裕(仁心看護専門学校祭)
平成13年4月、「平成13年度総会・公開講演会」
  フォーラム「尊厳死とホスピス」
  パネラー 堂園晴彦(堂園メデイカルハウス院長)、斉藤裕(相良病院福院長)
  コーデイネーター 上田公正(相良病院ホスピス長)
平成13年5月、講演・内山裕「出水市郡医師会」
平成13年6月、講演・内山裕「健やかな生と死を考える」(国分市)
平成14年2月、日本死の臨床研究会九州支部との合同研究集会
  基調講演「悲しみを越えてー死別の悲嘆に向き合うー」(ファミリーナーシング研究会代表 森山美和子)
  シンポジウム「悲しみを超えて」
平成14年3月、講演・内山裕「鹿児島県保育連合会職員研修会」
平成14年4月、「平成14年度総会・公開講演会」
  基調講演「老年期痴呆を考える」(大勝病院院長 大勝洋祐)
  シンポジウム「痴呆とどう向き合うか」
  シンポジスト 岩下周子、野間吉一、山下マチ子
  コメンテーター 大勝洋祐、内山裕
  コーデイネーター 伊東安男

おわりに

 気がつけば、日本尊厳死協会 かごしまとして組織化されてからだけでも満7年の歳月が流れた。尊厳死運動の普及というボランテイア活動に注ぐ情熱には、いささかの衰えはないが、約1,000名の会員の期待に応えるには、若くて行動力と人望のあるリーダーに会長の席を譲るべき時が来ていることも実感してきていた。
 この年の秋以降、大勝洋祐・松下敏夫・納光弘・・・・人材が待ってきている。
やがて20年にもなろうとする今も、ともすれば医療スタッフと患者との間に生まれ勝ちな不信感を解消したい、医療者と患者とが同じ鼓動で結ばれている、そんな医療現場の構築に繋がって欲しい。私の切ない願いでもある。
(平成20年3月末日 記)