人世・終末期医療(続編)―マイノートから  
                            2015年2月12日 記

  筆者近影      元鹿児島県衛生部長・
              日本尊厳死協会かごしま名誉会長 内山 裕

更に続けて、終末期医療に拘って先覚の言葉や、私の講演メモなどから、要点を抜き書きしてみたが、必然的に、健康管理の視点にも触れている。

●平均寿命と健康寿命(2013年)
 男性の平均寿命 80・21歳(世界4位) 女性の平均寿命 86・61歳(世界1位)
 男性の健康寿命 71・19歳       女性の健康寿命 74・21歳
 格差   男性  9年              女性  12年
 (健康寿命とは、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間)

●年齢別死因順位
 総数  第1位 ガン  第2位 心臓病 第3位 肺炎 第4位 脳卒中
 60歳代 第1位 ガン  第2位 心臓病 第3位 脳卒中 第4位 肺炎
 70歳代 第1位 ガン  第2位 心臓病 第3位 脳卒中 第4位 肺炎
 80歳代 第1位 ガン  第2位 心臓病 第3位 肺炎  第4位 脳卒中
 90歳上 第1位 心臓病 第2位 老衰  第3位 肺炎  第4位 ガン

●主要疾患患者数
 1位 高血圧症 2位 糖尿病 3位 高脂血症 4位 ガン 5位 脳卒中

●診療医療費の割合
 1位 ガン 2位 高血圧症 3位 脳卒中 4位 糖尿病 5位 心臓病

●スローガン
 三惚れ・・・公衆衛生行政の信条 
1, 仕事に惚れろ 2,土地に惚れろ 3,家庭に惚れろ
三かく運動・・・生活習慣病対策
1, 汗をかく(適度の運動は、肥満、動脈硬化、高血圧など生活習慣病の危険因子を防ぐ。)
2, 字を書く(読むこと、書くこと、活字に親しむ、知的興味の持続。・・140億個の脳細胞は20歳過ぎから、1日10万個ずつ減少するが、シナップスが絡み合って形成する回路は頭を使うほど発達する。)
3, 恥をかく(恥をかいて当然と、チャレンジ、好奇心を。趣味や習い事を。)
三ない運動・・・高令者の為に
1, 転ばない 2,風邪を引かない 3,食べ過ぎない

●天国と地獄の話し(他者への優しさ)
 沢山の食べ物が同じ量、丸い食卓を囲んで、両者とも1メートル以上もある長い箸を使う決まり。地獄にいる人は・・・天国にいる人は・・・。「あなたからどうぞ」と言って相手のために働かせる箸を・・・。

●皇后陛下と「でんでん虫の哀しみ」
 美智子皇后陛下の講演「子供時代の読書の思い出」の中で触れられた新美南吉の童話「でんでん虫の哀しみ」。一匹の小さなでんでん虫が、ある日、自分の背中の殻に哀しみが一杯詰まっていることに気付く。もう生きてはいられないのではないか、・・・自分だけではないのだ、哀しみをこらえ、耐えて、生きていかなければならない事を知る。・・・生きている多くの人が、自分の背に哀しみを一杯背負っていることに、私達は気付いて生きているのだろうか。・・・気づきから生まれる他者への優しさ。

●生かされている「いのち」
★私の「いのち」を授けた両親、その両親の「いのち」はまたその両親、「いのち」の流れを遡っていくと、最終的には、宇宙の起源と言われるビッグバンに。
★宇宙万物生成の根源の世界、無限の生命力、虚空。
 先人たちは、そこに「浄土」或いは「天国」をイメージしたのではないか。
★人間とは、「からだ」と「こころ」と「たましい」とから成る自然(じねん)の一部である。
★人が死んだとき、モノである「からだ」と「こころ」は消える。然し「自然(じねん)」の一部である「いのち=自分=たましい」は、パートナーであった「からだ」と「こころ」と別れて、無限の万物生成根源の世界へ還っていく。最初の出発点へ戻る。

●葉っぱのフレデイーいのちの旅―(レオ・バスカーリア作)
 春、フレデイは太い枝に生まれる。同じように見えて、どの葉も違う。そんなことを学びつつ生き生きと暮らすが、・・・やがて冬。葉っぱ達は、この世界から自分がいなくなってしまう予感に怯える。
 でも、大きな葉のダニエルが言う。「変化しないものは、一つもないんだよ。」・・・変化して枯れ葉となったフレデイは、土に溶け込み、樹を育てる力になる。
 ★「いのち」の循環という自然の摂理を語る絵本
 ★「いのち」は永遠

●「死」のかたち
 ★願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ(西行法師)
 ★うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ(良寛和尚)
 ★散る桜 残る桜も 散る桜(良寛和尚)
 ★森鴎外「高瀬舟」(大正5年)
 ★ぽっくり信仰。奈良斑鳩の里、吉田寺、腰巻き祈祷の寺。
  有吉佐和子「恍惚の人」(昭和47年)
 ★PPK運動とガン死願望

●人世の完成へ
 死をたんに一生の終わりと見るのでなく、死への過程を人世の完成期としてとらえようという、発想の転換を・・・
 人はどこで人世の最後の日々を送りたいかといえば、多くの人は自分の生活と人世を断絶させない自宅で、と答えるだろう。それゆえにこそ、在宅ケアの見直しが行われているのだ。
 日本人の死を迎える場所は、戦後大きく変わって、病院死が圧倒的に多くなり、とくにガン患者の場合は、90%以上が病院で死を迎えると言う時代になっている。・・・
 いつしか末期ガン患者が自宅で療養するのは無理だという通念が、医療者の間にも一般の人々の間にも定着してしまった。しかし、ガンの末期になっても、本人のはっきりした意思と家族の支えと在宅ケアのサービスとがあれば、最後まで自宅で過ごせる場合が少なくない。
 ・・・その取り組みは、在宅での症状コントロールが難しくなったら、一時入院して緩和ケアを行い、状態がよくなったら再び自宅に戻るという柔軟な対応ができる新しい在宅ホスピスケアのシステムづくりをしようという・・・(柳田・河野・川越)

●「家で死にたい」のではない、死ぬまで「家で生きたい」のである。
 看取りは、(財源確保の)「目的」ではなく、死ぬまで家で生きることを支援した、「結果」である。
 患者の望むケア志向の在宅医療の結果が、在宅での静かな看取りにつながり、結果的に医療費を安くする。(中野一司)

●キュアからケアへ
 治療(医療)から生活へ
 長寿を目指す医療から天寿を全うする医療へ
 人事を尽くすから天命を待つへ

●医療システムの変革
 ★感染病・急性疾患から、生活習慣病・慢性病へ。
 ★超高齢社会に増えているのは、病人ではなく、加齢に伴う障害者である。
 ★基本的には、ガンは遺伝子の老化、つまり障害として発生すると考えると、高齢者のガンは闘う相手として考えるのではなく、共存する相手と位置づけた方が適切。
 ★心疾患、脳卒中は動脈硬化が原因、つまり血管の老化。
 ★病気としてのキュア重点の医療よりも、障害を持っていても地域で生活できる医療、
  ケア中心の看護・介護(予防医学、在宅医療)への転換。
 ★終末期医療も、長寿を目指し延命措置を考える医療から、天寿を全うする医療、自然死・尊厳死を考える医療へ。

●社会保障制度改革国民会議(医療に大転換)
 これまでの医療       これからの医療
  (1970年代モデル)     (2025年モデル)
   ★体を治す医療       ★生活を支える医療
   ★病院完結型        ★地域完結型
   ★入院医療         ★在宅医療
   ★救命、延命、治療     ★病気(合併症)と共存
   ★社会復帰         ★QOL(生活の質)、QOD
   ★寿命60歳代        ★寿命80歳代

●「死に方」と「看取り」(文芸春秋・2014年11月号)
 人口動態調査(厚労省)によれば、死亡場所の85%は病院・診療所等。自宅は13%。
 治療や看取りの方針を決定する人。理想は本人の主導との答え76%、現実は14%(国際長寿センター)。
 最後の日々を過ごす場所。理想は自宅79%、現実は8%(国際長寿センター)。
 看取りの基本方針、最も重視していたのは、生存時間で39%、ついで家族の意向32%
 3位は、尊厳保持で17%、QOL は低い7%。QOLは、他の国では高い位置づけ。

●「死に方」と「看取り」(続)
 ★終末期に必要な医療は、「治す医療」ではなく、「生活を支える医療」だ。
 「医師の仕事は病気や怪我を治すことですが、老化は治せない。しかも、高齢者の病気の多くは老化に関係している。それなら、終末期は治そうとするより、生活の質を高め、維持する医療の方がよほど負担が少ないし、QOLも高いのです。」
 ★死に対して、どう向き合い、最後に何を望むか。それを考え、語り、周囲と共有しあう。そこから本当に望む私達の看取りが再構築されていく。

●終幕の主役(平成8年5月16日・南日本新聞寄稿)
 ・・・いずれ私にも確実に死は訪れる。身辺整理を終えたら、永い歳月私に主役を演じさせ、自分は脇役に徹してきた妻に、心からのお礼を言いたい。そして子や孫に囲まれ、私を支え続けてきた多くの友人・知人の善意と友愛に感謝しながら、励ましと、いたわりと、優しさの中で、私の終幕を閉じたい。・・・

●・・・一番の課題は、スピリチュアルケアに関するテーマが弱い点です。看取りに関する上でもっとも難しいことは、今までできていたことができなくなることです。具体的には、一人でトイレに歩けなくなり、他の誰かに下の世話になると言うことです。このような状況で、しばしば、早く殺して欲しいと嘆願する事もあります。この苦しみの前で言葉を失い、看取りに関わりたくないと考える医療者・介護者もいるでしょう。できていたことができなくなる苦しみの中で、自分の大切な選択肢を誰に手放すことができるのか、誰に委ねることができるのか? どんな私達であれば、苦しみを抱えた人から委ねていただける私達に成れるのか?・・・たとえ、明日にお迎えが来ると判っていても、誠実に向き合い続け、援助を言葉にする力を持ち、実践できる人材を、これから育てていきたい。・・・(小沢竹俊)