卒寿随想「地域包括ケアの原型」  2014年6月18日 記

卒寿(数え年90歳)を
迎えた誕生日の写真
       日本尊厳死協会かごしま名誉会長 内山 裕

いま、医療はその価値観の転換を求められている。人の命を長さという「量」で考えるのではなく、「質」として考える、そんな価値観の変貌である。終末期医療も、なんとしても長寿を目指そう、と言う延命措置を考える医療から、天寿を生きようとする医療、つまり自然死、言い換えれば尊厳死・平穏死を考える医療へ、と大きく転換しようとしている。所謂平均寿命よりも、所謂健康寿命を重視しよう、と言う志向である。

2025年問題の最大の課題として、医療の転換の有り様が、激しく議論されている。病院完結型の医療から、地域完結型の医療へ。臓器を診る臓器別専門医から、人間まるごとを診る「かかりつけ医」という専門医・総合診療医へ。病気としてのキュア重点の病院の時代から、障害を持っていても地域で生活できるケア中心の医療・介護の時代へ。
そんな医療変貌の時代の鍵を握るのは、地域包括ケアシステムというネットワークの構築であろうし、その中核を担うのは「在宅医療」であると考えられている。

地域包括ケアと言う言葉を耳にする度に、私には、半世紀もの時間が流れたしまった古い記憶が鮮やかに蘇ってくる。
農村地域を所管する保健所長として、地域保健活動の第一線にいた私は、激しく変貌する農村生活の中にあって、深刻化する健康障害に胸を痛めていた。同じ思いの各方面の同志の語らいが数多くもたれ、日本農村医学会長として、そのユニークな活動で知られていた若月佐久総合病院長を、鹿児島まで招聘したりもした。

佐藤八郎鹿大医学部教授の指導もあって、鹿児島農村医学研究会が発足したのは、昭和44年2月1日のことである。当日のメーンシンポジュウム「農村生活と健康障害」は、研究会発足に相応しい盛り上がりを見せたが、司会を担当した私の記憶には、発表した演者と、フロアからの発言の多彩であったことが、とりわけ鮮烈な印象として残っている。
鹿大医学部教授・講師、保健所長・栄養士、県農政部生活改良普及員、町村国保保健師、県農協中央会、町長・・など、あの日の熱気を忘れることはない。

その後間もなく、社会問題化していく公害対策、とりわけ水俣病対策を所管する県行政の責任のポストに転ぜざるを得なくなり、農村医学と少々縁が遠くなってしまうのだが・・。
歳月が流れてしまった今、あの日の集いが「地域包括ケアシステムの原型」であったことを懐かしむ感慨に変わりはない。