「どじょう」と緩和ケア  平成23年11月1日 記、鹿児島市医師会報新春随筆掲載頁追加添付

一般社団法人 日本尊厳死協会かごしま名誉会長  内山 裕

去る8月29日、私はテレビの前で、次の首相を選ぶ民主党の代表選の行方を見守っていた。「しがらみや人間関係より国民の思いを踏まえた投票を」と訴え、「思惑ではなく思いで、下心ではなく真心で、論破ではなく説得で」と誓った野田佳彦候補が逆転勝利を収めたのだったが、私は勝利の要因は、演説の巧みさ、とりわけ相田みつを氏の作品「どじょう」を引用した感性にあるのではないか、と感じている。
   どじょうがさ 
       金魚のまねすることねんだよなあ

作者はこう書いている。「どじょうはどじょうとしてほんもの、金魚は金魚としてほんもの。
どじょうが金魚のまねをした時、にせものになるんです。あなたがあなたであるかぎりほんもの、ほんものより、にせもののほうがカッコいい、と錯覚して、一生をダメにしてしまう人間が多いのではないか、と私は思います。」
新首相誕生以来、相田みつを氏の作品集は急遽増刷に次ぐ増刷、東京にある相田みつを美術館は来館者が急増。思わぬ反響に関係者は驚き、新首相の「泥くさい」活躍に期待を寄せているという。


ところで、私は今年の年賀状に相田みつを氏の作品を使用させて貰った。
尊厳死協会かごしま納光弘会長の日展入選作品「明けゆく」に配して、印刷した詩はこうである。
          
「うん」
    つらかったろうな  くるしかったろうな
    うん うん
    だれにもわかってもらえずになあ
    どんなにかつらかったろう
    うん うん
    泣くにも泣けず  つらかったろう  くるしかったろう
    うん うん

緩和ケアの場では「何かをすることではなく、傍にいてあげる事である」とよく言われる。
絶望的な状況に置かれている人に、何もできなくても、傍にいて、手を握ったり、優しく肩をさすったりするだけで、ささやかな支えになることを私達は体感している。
間違いなく訪れる終末の時を想うとき、私には相田みつを氏の詩情が懐かしいものに想えてならない。

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鹿児島市医師会報新春随筆掲載頁(平成24年2月5日追加添付)