忸怩じくじ)たる回想  平成23年3月31日 記


日本尊厳死協会かごしま名誉会長 内山 裕

チエルノブイリ原発事故
鹿児島県衛生部長のポストから、新設間もない鹿児島県環境センターの所長へ転じた翌年の昭和61年4月29日の天皇誕生日を、私は鮮明に覚えている。
あの日の朝は穏やかに明けた。歴代天皇の中で、最長寿の記録を更新されている昭和天皇、ご在位60年、85歳のご誕生日に相応しく、その朝の新聞紙面は、いずれも祝福の記事や写真で彩られていた。昭和天皇とご一家のお元気な近況や、むつまじい平穏な明け暮れを伝える写真の中に、2年前になる陛下の薩摩路ご旅行の折り、私が陛下を自然薬草の森にご案内申し上げている写真を掲載している紙面もあった。
心の洗われるような、陛下のお人柄に、直接ふれる機会に恵まれた、あの日あの時の感動を、私は再び深い想いで味わっていた。
そんな静かで穏やかな春の休日の昼下がり、突然のけたたましい電話が、一瞬にして、私を厳しい緊張の中に引きずり込んだ。
忘れることの出来ない、ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故の第一報だった。
鹿児島県環境センターには、放射能対策について、二つの大きな役割があった。ひとつは、薩摩川内市に立地している原子力発電所に係わる環境放射線監視であり、もう一つは、核爆発実験等に起因する放射性降下物等の調査、いわば地球規模の放射能汚染に係わる全国観測網の重要拠点としての機能であった。
センターへ駆けつけた私に、刻々入手される情報は、いずれも、事態は容易ならざるものであることを告げていた。私は、次第に昂ぶってくる緊張感を抑えきれずにいた。
そのまま私たち環境センターは、緊急非常監視体制に入った。センター内には、何時にない緊迫した空気が流れ続けた。
8千キロメートル以上離れた日本へは、直接の影響はまずあるまい、との大方の予想に反して、事故発生の4月26日から数えて8日目の5月3日には関東地方で、そして同じく5日には私たち環境センターでも、ヨウソ131が検出された。
チエルノブイリ原発事故の影響として、県内で引き続き検出された人工放射性核種は、ヨウソ131の他、セシウム137、ルテニウム103、テルル132、セシウム134、セシウム136、ルテニウム106、バリウム140等多種類に及んだ。
環境センターの監視調査の基本的な考え方は、住民の健康と安全確保の上で、何らかの特別な対策が必要かどうか、判断するに足る放射能レベルを確認することにある。
チエルノブイリ原発事故による放射能の鹿児島県への影響は、5月5日から出始め、8日から9日にかけてピークに達し、やがてその影響は減衰し始め、5月末には、直接的な影響は無くなった。
半減期の長い核種は、なおも環境中に存在はしていたものの、原発事故による被曝線量が、人の健康に影響を与えるようなレベルに至らなかったことで、ようやく愁眉を開いたのは、炎天と降灰の中、鹿児島の街に赤い夾竹桃の花が目立ち始めた頃だった。

全国放射能調査協議会
不安と恐怖が、音もなく、ソ連の国外に流れ出し、8千キロメートル以上も離れた日本にも放射能汚染の影響が及んだチエルノブイリ原発事故は、多くの貴重な教訓や知見を遺した。
音もない、見えもしない、臭いもない、味もない、肌にも感じない、人間の五感とは全く無縁の放射線を対象として、高い関心を寄せる地域住民の中にあって、地域のそして国民の、健康と安全を確保するために、何よりも信頼性に揺るぎのない監視調査研究でありたい、そう念じながら寝食を忘れた、放射線モニタリングの最前線にも、想定を越えた反省が残された。
そんな背景の中で、全国地方自治体の放射能監視調査研究機関で構成される「原子力施設等放射能調査機関連絡協議会」が結成されたのは、昭和62年9月のことだった。
推されて会長職に就いた私には、原子炉が内蔵する放射能による潜在的危険性を充分認知した上で、住民の健康と安全の確保のためには、どんなに可能性が小さな事態でも起こりうるものと考えよう、そんな決意があった。約3年間の会長のポストは、緊張感の連続だった。

崩壊した安全神話
あれから20余年、辛うじて支えられてきた「安全神話」は脆くも崩れ去った。今年3月、夢想だにしない、未曾有の地震・津波、そして原発事故が我が国を襲った。国中を戦慄が走り、国民斉しくその惨状に心を痛めた。
危険なものだと言う前提で、リスクを充分織り込み理解した上で、原発は立地されるべきだったのだが・・・・。
私たちは、今、人間の知識や進歩のはかなさと、自然の脅威の底知れなさに震え上がっている。人間はいつの間にか思い上がり、自然の力を見くびり続けてきたのではあるまいか。
いま私は、忸怩たる想いのただ中にいる。
先日公表された国民への、天皇陛下のメッセージがある。
「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを、衷心より願っています」
(平成23年3月31日記) 


福島原子力発電所(平成23年)

追記・回想の九州電力原発
平成14年、東京電力の原発トラブル隠しを受けて、九州電力に「原子力発電所総点検プロセス評価顧問会」が設置されたのは、この年の秋のことであった。九州大学原子力工学の専門学者等と一緒に委員を務めた私は、川内原発・玄海原発の視察や調査を一年間重ねながら、住民の信頼を裏切るような事態が起きることは、夢あるまいと信じていたのだった。
・・・そして今、私は慚愧の念、暗澹の思いでいる。
(平成23年4月10日  追記)  

写真は、視察中の原発中央制御室(平成14年)