『生と死』を考える
−公衆衛生医60年の足跡から− 
  


日本尊厳死協会かごしま 名誉会長  内山 裕

 

[その1]  司会者の視点から
                     日本尊厳死協会かごしま 会長  納 光弘

まず、司会者の納から、内山先生のまばゆいばかりの60年の足跡の概略が紹介された。
下のスライドは内山先生による自己紹介である。


講演は竹馬の友の殉死のお話ではじまり、


先生にとって、戦後は終わっていないことが語られ、先生の熱い思いに圧倒された。


先生は、離島・僻地・農漁村の保健所長を体験しながら、生きることの原点を知ったことを話された。



先生は、水俣病と出会い、公衆衛生医の背負わなければならない十字架と決意したことを話されたが、先生のすばらしいご活躍の足跡を直接知っている私にとって、感慨無量のお話であった。


先生は、鹿児島湾ブルー計画に、豊かな時代に問われる抑制の思想を込めたことを話された。



先生は、美智子皇后の講演の中の、「でんでん虫の哀しみ」に優しさの原点を想ったことについて話された。 


先生はご自身の著書「弱者の視点」で言いたかったことについてもまとめてくださった。


先生は、日本人の「死」のかたちについて話され、 

死亡場所についても統計を示され、自宅で最後を迎えたいと思っている人にその思いをかなえて上げれるような医療システムの整備の必要性を説かれた。




先生は、尊厳死問題の原点とも言えるカレン裁判と判決の余波についてお話くださった。


先生は、尊厳死運動の流れを紹介され、

尊厳死の宣言書(リビング・ウイル)を紹介され、

リビング・ウイルにかんする先生の主張についても触れられた。


先生は、鹿児島の会員数が999人になっていることも紹介され、この大切な尊厳死の運動の輪をさらに広げてゆくことの大切なことについてお話された。

先生は、ある会員からの手紙にも触れられ、尊厳死の大切なことを実例でしめされ、また、尊厳死に関するわが国の判決の歴史、これからのあるべき姿に関しても話された。


そしてまた、先生は、尊厳死と安楽死との違いについても話された。 

最後に、先生が到達された『生と死』に関する哲学が披露され、

そして、

最後に、『葉っぱのフレディ』のお話で締めくくられたが、私は感動で胸が締め付けられる思いであった。同じ思いであったであろう聴衆の皆様方からの先生のお話への感謝の拍手はしばし鳴り止まなかった。 
最高の感動をいただいた、すばらしい講演であった。 (文責: 納 光弘) 

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[その2]  聴衆者の一人としての視点から

                           日本尊厳死協会かごしま 理事 井上従昭



 
静かに、語りかけるように
 平成22年度尊厳死協会かごしまの総会・公開講演会の講師は、名誉会長内山先生。今回内山先生は、「生と死を考える」という誰にとっても究極の問題をテーマとして、その重いテーマを、私たち一人一人に静かに語りかけるようにお話しくださいました。

 
歩みの原点・・生き続ける「いのち」
人には、なぜそのように生きてきたのかという原点があります。内山先生の常に一人ひとりのいのちを何よりも大切にするという歩みの原点は、自決した竹馬の友の存在でした。親友であった橋口大尉は、多くの若い部下たちを人間魚雷「回天」で失い、自らは生きて終戦を迎えたものの、その全ての部下たちの遺族への手紙を書き終えた8月18日に、自ら命を絶っていかれました。この親友の死は内山先生のそれからの人生に、常に「彼とまた会うときに、『自分はこのように生きてきたよ』と言えるだろうか」という自らの人生への問いとなり続けます。橋口さんは内山先生の人生の中に「生き続けていた」のです。

 公衆衛生医師として・・問いと向き合い続けて
内山先生はその問いと医師として歩む中で向き合い続けました。橋口さんに「こう生きてきたよ」と言えるために、忘れてはならない医師としての仕事として、地域のために、何よりも一人一人の人の幸せのために生きる「公衆衛生医」としての歩みを選ばれたのです。保健所所長として赴任した奄美で、人々を苦しめていたフィラリアやハブの問題、飲み水の問題に取り組まれ、また本土では赤ちゃん検診等に全力を尽くしていかれました。

 
水俣病との出会い・・人の幸せはとは何か
先生は昭和45年に水俣病と出会います。病に苦しむ出水・水俣の人々と何度も何度も語り合い、時には厳しい言葉を浴びせられながらも、ついには鹿児島に赴任された井形教授と共同で、全国に例のないかくれた患者の掘り起こしに取り組まれ、見つかった患者の救済に取り組んで行かれました。人の幸せとは何かということを考えざるを得ない状況の中で、その人の住んでいる社会を健康にするという公衆衛生医としての役割を更に強く感じていかれます。同時に人間は傲慢になっているのではないか、足ることを知らない生活が、豊かさの中で人間の体をむしばんでいるのではないかという思いを強く持たれ、鹿児島湾ブルー計画などの環境の問題へも取り組んでいかれました。

 
美智子妃殿下との出会い・・人はだれもみな悲しみの存在
 県の衛生部長となった先生は、指宿で行われた自然保護大会に来られた美智子妃殿下が、一人の具合の悪くなった子どものことをずっと気にとめておられたその優しさに心打たれます。美智子皇后はインドでの国際児童図書評議会の講演で、「でんでん虫の悲しみ」という新美南吉の絵本のことに触れられ、その後たびたびこのことを話しておられます。「『人はみな悲しみを背負って生きている。自分だけではない』という気付きから生まれる他者への優しさ』を語るこのお話は、先生の歩みの中に美智子皇后の優しさとともに、確かに息づいていきます。

 
弱者の視点・・医療の本質は「優しさ」
先生は昭和63年1月に「弱者の視点」を出版されます。患者という字は心に串が刺さっている、その心に刺さっているものを抜くのが医療だ。看は手と目でできている。手は痛いところをさすり、また手を握ってあげること。目は同じ高さで見つめること。このように語られる先生の言葉には、「『人はみな悲しみを背負って生きている。自分だけではない』という気付きから生まれる他者への優しさを感じます。「優しさこそ医療の本質である」と言いきられる言葉には深い信頼を感じます。「患者さんの医療への不信感は説明不足。医師の一番の条件は話をよく聞くこと」この言葉一つ一つが今の医療への厳しい問題提起ではないかと思います。

 
死と向き合うこと・・そのために必要なこと
 誰もが必ず死ななければなりません。その死をどう受け止めるか、どう向き合うかは今昔問わず人間の課題です。しかし今日、日本人の中に「ぽっくり信仰」が広がっているように思うが、本当にそれでいいのかと先生は問われました。がん医療が進歩した今日、同じ死ぬならがんで死にたいという声が出てきています。死と向き合い、自分の人生を考える時間がそこに与えられるからですが、そのためには無駄な延命治療を拒否し、痛みを取りながら自分らしく生きる時間を持てるとことが不可欠です。そこにホスピス医療(在宅を含めて)と尊厳死の普及は欠かせません。友の死から問われ続け、人々の苦悩と向き合ってこられた先生は、この運動を自らの問題として担っていかれます。

 
尊厳死運動を担って・・人間らしい死がかなう社会に
 平成8年3月、鹿児島県尊厳死協会(現在の尊厳死協会かごしま)が設立されました。会長はもちろん内山裕先生。それ以降会長として、平成14年以降は名誉会長として、鹿児島の尊厳死運動を担ってこられました。尊厳死運動は世界的には有名なカレン裁判から始まりました。今日、日本でも厚労省の指針も策定されていますが、実際には医療の現場では苦悩が多いのも事実です。安楽死とは全く異なることでありながらも、国民的普及にはまだ至っていませんが、尊厳死法制化のための議員連盟なども結成され、今後ますます国民的な運動になって行くことは確かです。

 
よりよい死を迎えるために・・ある会員の手紙
私たちは、本当に自分らしく死を迎えるために、無意味な延命治療を拒否しておくこと、尊厳死協会に入会しておくことが大切です。講演の中でも、尊厳死協会に加入した会員の方が、望ましい夫との別れができたことを綴った感動的な手紙を紹介されました。「夫をこの胸に抱いて送ってやりたいと思い主治医に願い・・主治医は快く受け入れてくださり、夫につけられていた全ての器具を外し、ベッドに上がるように言ってくださいました・・」人間らしい死がかなう社会になるためにと、先生が担ってこられた運動は今多くの方の中に、広がりつつあります。

 
生かされて生きている私・・いのちは無限
 人間は60兆の細胞からできている。60兆個の宿主が人間。その人間の宿主が地球。さらに地球の宿主が宇宙であるということになる。更に宇宙もまた大きな宿主の一つであると考えるとき、最後の宿主とはと先生は私たちに問いかけました。先人達はそこに浄土、あるいは天国という答えを見出していたのではないか。また、人間とは「からだ」「こころ」「たましい」からなる自然の一部であり、モノとしての人間が死んだことは、人間のすべてが消滅したことではない、たましいは無限の世界に帰っていくのだ、永遠の命となるのだ。講演のしめくくりに、先生が長年医療者として、いのちに向き合う中で見出してこられた死生観を語られました。

 そして最後に、葉っぱのフレディの内容を語り聞かせるように、また自分に語りかけるように話されました。いのちは循環している。死んで終わりなのではない、永遠に他のいのちを生かし続ける、それがいのちであることをお話のまとめとされました。

 200名の参加者からは様々な感想が寄せられましたが、最も多かったのは「いのちは循環している。そのことに本当に安らぎを感じました」というものでした。「弱者の視点に立つ医療」への共感、本当に尊厳死ということがよくわかったという感想も多く寄せられました。
                                       (文責: 井上従昭)