思うこと 第98話           2006年6月3日 記
                      2006年6月6日 佐野君からの写真追加・追記(文末)

アメリカ合衆国の国歌誕生の地、
マクヘンリー砦との再会

 私は、先ほど『思うこと 第97話』において、最後の第4問『Q4; ではこれで米国と英国の争いは完全になくなったのか?
に対して、この質問は重要な事項なので、引き続き項をかえて『思うこと 第98話』ではなす。』と書いた。これには実は理由があって、昨日フィラデルフィアの学会終了後の空いた時間を利用して、隣のボルチモアのマクヘンリー砦 ( Port McHenry )との再会を果たした感動を伝えながら、この質問に答えたかったからである。

 私を初めてこのマクヘンリー砦に案内してくれたのは、教室の兄弟弟子の佐野雄二君であった。1987年の秋、私はサンフランシスコで行われた米国神経学会総会で米国神経学会会長賞を受賞(HAM発見に対し)するという予期せぬ出来事に遭遇した後、同君が当時留学していたボルチモアのメリーランド州立大学に同君を訪ねたのであった。 同君は“補体”という免疫に重要な働きをする成分に関して、世界的な発見をしたのが縁でこの大学の医学部大学院免疫病理学教室に招かれて留学していたのであった。その後、同君は神経内科の分野で活躍した後、郷里の徳島県庁に勤務し、行政官として活躍しており、4年前には邦人行政関係者では初めての英国王立医学界のお会員に選ばれるなど、我々自慢の人物である(右上新聞)。
 さて、私は約20年まえに佐野君にマクヘンリー砦に案内してもらったあの時の感動が忘れられず、せっかく近くに来たのだからぜひもう一度訪れて、あの時の感動を、フィラデルフィアでの今回の感動と重ね合わせて味わってみたいと思ったのであった。
 砦に着くと、そこには20年前に感動したと全く同じ情景が待っていた。



早速この砦の記念資料館に入ると、そこにはアメリカ合衆国国歌の歌詞を作った Francis Scott Key の写真と国歌の楽譜が展示されていて、国歌のメロディーが流れていた。


さてここで、先ほど来の問題『
Q4; ではこれで米国と英国の争いは完全になくなったのか?』に答えよう。 残念ながら、1783年の講和条約後も、再び米英は戦闘を始めたのである。そもそもは米国が西部、カナダ、フロリダの英国領を占領したことに端を発し、1807年には英国海軍による米国貿易の経済制裁(米国船がヨーロッパと貿易する事を禁止する措置)を発動、これで米国経済は大打撃を受け、ついにマディソン大統領は1812年6月に英国に宣戦布告した(1812年戦争)。両海軍の戦いが続き、米国は苦戦した戦いも少なくなかったが、やっと1814年の中ごろから優位に戦いをすすめ、1814年ベルギーで講和条約成立。しかしその後も戦闘は続き、1815年1月8日のニューオリンズでの米軍の大勝利で1812年戦争の幕が下りたのであった。マクヘンリー砦の戦いは丁度ベルギーで講和条約の話し合いが行われていた時期に一致する。では、その戦いの中で、どのようにしてアメリカ合衆国の国歌・星条旗(The Star-Spangled Banner)の歌詞が生まれたのか。作詞者フランシス・スコット・キーは当時35歳の詩人かつ弁護士であった。1814年のマクヘンリー砦での戦いで捕虜として捕えられた友人の釈放交渉のために、キーは英国の戦艦に乗り込んだ。英国側の司令官は、最終的にはキーもその友人も解放することに同意した。しかし機密保持のため、英国艦隊が砦を砲撃する間、2人は戦艦内で抑留される事となった。激しい夜間砲撃の後、夜明けを迎えたキーらは、砦の上に星条旗(その当時は星15個、縞15本)を目にする。



キーは自らのその時の感動を、直ぐさま「マクヘンリー砦の防衛」という詩に託した。

Oh, say, can you see, by the dawn's early light,
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars, through the perilous fight,
O'er the ramparts we watched, were so gallantly streaming!
And the rockets' red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there:
O say, does that star-spangled banner yet wave
O'er the land of the free and the home of the brave?
おお、見ゆるや 夜明けの淡き光を受け
先の夕暮れ 陽が落ちるとき 我らが歓呼しもの
そは太き縞と輝く星なり 危うきいくさのあいだ
塁壁の上に見たり 勇壮にひるがえりし かの旗/
のろしの赤き炎立ち 砲音宙に轟くなか
耐え抜き 旗はなおそこにあり
おお、星散りばめたる旗は 今なおたなびくや
自由なる大地 勇者の故郷に

そしてその後、1931年3月3日、このキー作詞の「星条旗」はアメリカ合衆国の国歌に採用されたのであった。


私はここまで、フィラデルフィアとボルチモアでの感動を一気に書かせてもらったが、歴史を知ることが現在のアメリカを理解する上にいかほど大事なことであるか、痛感したのであった。今、まだ帰りの飛行機の中であるが、帰り次第、もう少し詳しくアメリカ建国の歴史を調べたいと思う。

追記      2006年6月6日 記

 早速佐野君からメールでこのマクヘンリー砦での戦闘の絵本の絵の写真が送られてきた。これらの絵は、実にリアルに状況を伝えてくれているので、早速、以下に貼り付ける。











以上です。
佐野君に感謝をこめて。  2006年6月6日朝 記