思うこと 第92話           2006年5月16日 記       

メイヨークリニックで臨床研修を成し遂げた日本人青年医師の紹介

 メイヨークリニックの臨床研修体制は全米でも極めて人気が高いため希望者が多く、マッチングプログラムでメイヨークリニックを希望しても希望通りに選ばれる可能性は低く、いわんや外国人への壁(ハードル)は高い。その壁を乗り越えて、メイヨークリニックの中でも特に人気の高い神経内科の臨床研修を成し遂げた青年医師を紹介しよう。
 その青年医師の名は西野 洋(ひろし)先生で、左の写真で私と並んで写っている若者である。この写真は、先日この私のHPの『思うこと 第89話』で紹介したロチェスターでのホームパーティの時に撮影したものである。『何故、西野先生が上記の快挙を成し遂げる事ができたのか、若者に知らせたいから私のHPに載せさせてもらえないか?』と、当日の酒の勢いにも助けられながらお願いしたところ、快諾を得たのであった。
 西野先生は昭和53年に徳島大学を卒業。 昭和53年から昭和61年までの8年間は、 徳島大学第一内科(三好和夫教授)の医局に所属して研修と研究に従事。三好和夫教授は“三好型ミオパチー”を発見されたかたで、西野先生はその教授の指導で筋肉病(ミオパチー)の研究に従事し、さらに深く研究するためにメイヨークリニックのエンゲル先生の研究室にリサーチフェローとして留学したのであった。 西野先生はこの2年半の研究生活の中でとってもよい仕事を完成したのであるが、西野先生はさらに次の夢に向かって歩を進めたのであった。それは、メイヨークリニックの優れた神経内科臨床研修の姿に感銘を受け、これは日本に欠けている部分であり、これこそは自分が学んで日本に還元したいと思ったのであった。幸い、医学部を卒業後すぐにECFMG(米国でレジデントとして臨床研修をするのに必須の資格試験)に合格して認定証を持っていたことが幸いした。(ちなみに、私も医学部を卒業後ECFMGの資格を取ったのであったが、はからずもそれが役立ったのが、メイヨークリニック留学時代で、米国筋ジストロフィー協会のファンドが私をクリニカルフェローとしてサポートしてくれ、エンゲル先生の下で臨床にもたずさわることが出来たし、渡米当初の実験器具が揃わない待機期間の3ヶ月間の間、患者さん相手の筋電図のフルコース研修も受けさせてもらえたのであった。) さて、西野先生はこのECFMGの資格を基にメイヨークリニックでのレジデントの希望をマッチングプログラムに申し出た。 通常は合格不可能に近いこの難関に、西野先生は見事に合格した。 2年半の研究生活の期間中に、臨床のカンファレンスや勉強会への熱心な参加の実績、英語会話力、そしてまた、患者さんと接する上で必要な人間性(これは日米問わずどこでも最も大切な資質)が評価された事、エンゲル先生の西野先生に対する評価が絶大であった事によるものであった。先生はこのレジデントのコースを4年間フルに勤め上げ(レジデント初年度にミネソタ州の開業医の資格試験にも合格している)、大きな評価を得て、さらにクリニカルフェローとして1年間を過ごし、この後さらに神経内科助教授の資格を得て2年間勤め、合計約10年間メイヨクリニックで学ぶというすばらしい快挙を成し遂げたのであった。 これはひとえに先生の人徳と熱意の両者が相まって成し得たものであると思えてならない。 ここで帰国した西野先生を待っていたのが日本のメイヨークリニックとのニックネームを持つ亀田総合病院であった。先生は神経内科医長として活躍の後、神経内科部長として、神経内科研修プログラムの発展に努力。後に、メディカルディレクターを経て、現在は、卒後研修センター長として、亀田における初期研修と後期研修の統括責任者として活躍している。つい先日東京で開催された第47回神経学会総会でも、神経内科臨床研修のあるべき姿に関し教育講演を行ったばかりであり、これから先の先生の活躍がますます期待されているのである。
 私は、西野先生のように、先ずリサーチレジデントで留学して、そこで、英語力と人的交流で実績を作り、しかる後に臨床研修を行う道も、米国で臨床研修を夢見る若者達の選択肢の一つに加えていいのではと考え、先生の歩みを紹介させてもらった次第である。