思うこと 第87話 2006年5月5日 記
発展し続けるメイヨークリニックの姿に圧倒されて
一昨日(5月3日)、ロチェスター空港に家内と2人で到着した時、空港は私の留学時代(29〜26年前)に比べ建物は一回り大きく、より綺麗になっていた。エンゲル先生の奥様が迎えに来ておられたのには恐縮した。奥様は確か78歳になっておられるはずだが、とってもお元気で、ご自身で車を運転してホテルまで送ってくださった。ホテルに着くなり、私はホテルの前にあるメイヨークリニックとダウンタウンを見て回って驚いた! ホテルも含め殆どのダウンタウンの建物が左写真に示す空中歩道
( sky way ) でつながれていて、極寒の中でも空調の効いたローカを歩けるようになっており(右案内版の桃色表示の通路)、この通路に沿ってダウンタウンの出店が並び、そこは人々でにぎわっていた。この案内板の赤色で表示された道は地下道で、この地下道でメイヨークリニックの全ての建物がむすばれていて、そしてこの地下道が空中歩道とエスカレターで結ばれているのである。(もっともこの地下道は26年前にも存在していたのだが、今回それらがより広く、明るく整備されていた。) ダウンタウンでは驚くべき再開発が行われ、大きな駐車場の建物がビルの間に立ち並んでいて、この空中歩道につながっていた。左写真の空中歩道の向こうに見えるのが、メイヨークリニックの建物で、ここからの眺めだけからは、昔なつかしいメイヨークリニックそのままの姿であった。しかし、近づくにつれ、この2つの見慣れた建物の周囲に見たことのない巨大なビルが立ち並んでいるのに、驚き、そして圧倒された。左写真の左端が昔からある総大理石張りの20階建ての外来本館であるが、その横に美しい巨大な2つのビルが建て増されて、威容を誇っていた。この2つのビルは大富豪の患者のゴンダ夫妻(右写真)がメイヨーに寄贈してくれたもので、ゴンダビルと呼ばれている。 右の写真はこのゴンダビルの中から窓越しに撮ったもので、右側のクラシックな建物はメイヨー兄弟によって90年まえに建てられたビルで、このビルだけは内科部長で理想の病院の設計に心血を注いだプラッマー博士の名前をとってプラマービルと呼ばれている。 この建物とメイヨークリニックの外来本館以外は、殆ど全ての建物が富豪の患者さんからの寄贈であり、それぞれの建物が寄贈者の名前が付けられている。
その左側の4〜5年まえに建ったばかりの新しいビルも、寄贈者シーベンス氏の名前で呼ばれている。
とはいっても、新しい建物の間に昔懐かしい建物にも出会うことができ、
左の写真の手前の建物はメイヨークリニック附属の医学部で、その向こうに見えているのが約30年前に建てられた救急患者診療棟兼カルテ保存棟ハービックビルである。メイヨーの救急システムはすばらしく、一度長女が怪我をしたとき、電話をかけてからこのハービックビルの救急棟に車で運んだ時、電話してから6〜7分で救急の車寄せに着いたところ、そこにはナースが出て待っていて、さっと運び込まれた診察室には以前娘が診察を受けた時のカルテが既にそこに出してあったのである。救急患者診療棟兼カルテ保存棟ハービックビルは完全なコンピューター管理になっていて、カルテはメイヨーの全ての建物に瞬時に運ばれるしシステムが既に30年前に完成していたのである。
私にとって、最も感動的かつ感傷的な出会いはやはり留学の間中仕事をした実験棟との再会で、左写真が29年前の留学初年度のもので、後ろの2つの建物の左側の建物が私の青春の思い出が凝集されている8階建ての実験棟で、寄贈者の名前を取ってグーゲンハイムビルと呼ばれている。今回、ほぼ同じアングルから撮ったのが右の写真で、グーゲンハイム財団からの追加寄贈で高さは2倍になっており、その右横の生化学臨床検査棟・ヒルトンビルも2倍の高さになっていた。
ちなみに、この左の写真はこのヒルトンビルを全面に、グーゲンハイムビルを背景に(すなわち前の写真の反対側からのアングルから)ヒルトンビルを写したものであるが、生化学臨床検査だけでこれだけの大きさのビルが必要ということだけでも、メイヨーの規模がいかに巨大かおわかりいただけることと思う。このヒルトンビル一階の隅に寄贈者ヒルトン氏の胸像(右写真)がある。
さて、下の写真は現在のメイヨークリニック(聖マリア病院を除く)の鳥瞰図の中であるが、30年まえにあった建物は約3分の一で残りは新しく建ったか増築されたものである。
最後に、29年前のロチェスター(右)とその現在の写真(左)を示すが、5万人の人口が8万人になった以上に、この豊かな街はさらに豊かで住みやすい街になっていたのである!