思うこと 第84話           2006年4月13日 記       

山村雄一先生遺訓追記 

 山村雄一先生(1918〜1990)は多くの若者を育てられ、同時に、心に残る多くの言葉を残された。山村先生の魅力の源泉はどこにあるのだろうか? 何故に、これほどまでに、多くの人々の心を引き付けたのであろうか? その源泉は、戦争体験にあると思えてならない。 先生は、1941年に大阪大学医学部を卒業後、1942年海軍二年現役仕官となり、戦時中は駆逐艦乗組みの軍医として南方勤務につかれた。当時の軍人が皆そうであったように、山村先生も死を覚悟しておられ、実際、周囲の多くの戦友が死んでいったなかで、奇跡的に生還し、以後の人生は死んだ人間にもう一度生が与えられたのだからと、死を恐れぬ心で、滅私奉公、虚心坦懐の人生を送られたように思う。
 先生の残された有名な言葉、『天命をまって人事をつくす』は『人事をつくして天命を待つ』ということわざの順序を入れ替えたものだが、ここに、山村先生の戦争体験から生まれた哲学を感ずる。先生の遺訓のもう一つの有名な言葉、『夢見て行い、考えて祈る』も多くの人々の人生の指針となった。あるいはまた、先生は次の言葉も残された、『人生には必要なものが3つある。それは、夢とロマンと反省だ。』。 
 学長時代に語られた有名な言葉、『学長という職業は難しい物事の判断をしなければならない。いくら考えても判断がつきかねることこともしばしばです。こういうとき私は「アフター・フィールド・マウンテン (注:海軍内の用語で「あとは野となれ山となれ」をユーモアをまじえて使われていた言葉)」の考え方に従いました。』、この言葉にも、先生の戦争体験から来た肝の大きさを感ずる。
 以上、思いつくまま、山村先生の遺訓を追記した。