思うこと 第82話           2006年4月2日 記       

若者の心に熱い火を灯した「1リットルの涙」 

 教室の梅原藤雄講師は、心の熱い教官で、いつも学生の心を熱く燃やしてくれる。今回の医学部学生への再試験でも、学生の心にすばらしい火を灯してくれた。 試験に不合格だった学生に対して、救済措置として、一回だけ追・再試験のチャンスを与えるのだが、今回、100点満点のうちの40点部分の問題作成をまかされた梅原講師が提案したのが、次の問題であった。
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“1リットルの涙” 幻冬舎文庫 木藤 亜也(著)を読んで、以下の問いに答えよ。

1)この患者さんにおいて、推定される障害部位はどこか、その根拠を挙げて説明せよ。
2)鑑別診断を挙げよ。
3)考えられる治療法について、現在の医学水準の見地から述べよ。
4)この本を読んで、感じた事を述べよ。
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私は、梅原講師の提案をすばらしいアイデアだと思った。梅原講師の意図は明白であった。1)〜3)までに答えるためには、本を読破して、なおかつ、相当勉強しないと答える事は出来ない。従って、このことを通して、学生は神経内科についてかなり突っ込んだことまで自習することになる。 しかしながら、梅原講師の最大の目的が、医学徒に、医師になるにあったって最も大事なことを、亜也さんの言葉から学んでほしい、ということであることは明白であった。学生達は、締め切りの日までにA4版2〜5枚の回答を提出した。問4)の感想文を読みながら、私は胸が熱くなった。私達の期待は的中し、学生達の心にはすばらしい火が灯っていた。私は学生達が豊かな感受性を持っていたことが嬉しくてならなかった。ここに、それらの感想文のうち、特に私が選んだ5人の感想文を紹介する。(なお、HPに感想文を匿名で掲載していいか、これら5人の回答者に問い合わせたところ、全員から、ぜひ載せてください、そして、若者達にこの本を読むよう薦めてください、との返事をもらった。)

感想文A
 『正直言って再試を受けるにあたってこのようなテーマを与えられたことに対して面倒くささを感じた。ネットで調べて適当にやればいい、誰かのを写させてもらえばいい。テーマを与えられたときはそのように感じていた。
私は普段まったく本を読まない人間なので「よい機会だ」と思い本を購入することにした。滅多に手にすることのない文庫本を前に、とりあえず読んでみることに。読み出すと止まらない。この本の内容はほとんどが筆者の心の葛藤を描いている。時とともに衰えてゆく自分の体、そしてそれを取り巻く家族、友人、医師…。自分の意思に身体がついてこないことに対する苦しみ。まわりの人間のやさしさに甘えてしまう自分の情けなさ。あるときは他人の心無い一言に深い傷を負わされる。様々な心模様の描き方が私には妙にわかりやすいように感じた。
この本を読んで感じたことは、「私は一体どのように身障者と接すればよいのか」ということである。障害を抱えていることの大変さ、つらさなど多少は汲み取ることはできると思う。また、障害者だからと言って特別扱いされたくないという感情も理解できる。では私は一体どのようにこのような人たちと接すればよいのか。
この問題はこれまでもずっと心にあったもののように思う。私はこれまで、身障者と接する機会は多かった。去年の暮れには、とあるイベントにボランティアとして参加した。そのイベントはポンペ症を患っていながら音楽をやっている方のライブのサポートというものだった。そのイベントにはボランティアの代表として関わったため、非常に多くの方と出会うことができた。たくさんの方の話が聞け、イベントを通して学ぶことが非常に多かったように思う。人の温かさ、やさしさにも触れることができ人間のすばらしさも感じることができた。ところが、本番当日、当の本人が現れたとき私はどのように接していいのかわからなくなった。頭の中が真っ白と言っても過言ではない。それまでに聞いていたことから想像はできていたはずなのだが、なんとも困惑してしまった。話をしてみようと試みてはみるものの、会話は続かない。一日中行動を共にしたわけではないが、話をする機会はいくらでもあった。打ち上げも同室にいたわけだが、そのときもまともに会話を交わすことはできなかった。自分ならきっと気さくに接して会話ができるだろうと思っていたのだが。そのとき私は障害という壁に圧倒されてしまっていたのだ。
私としては、できないことがあるのならばやってあげたい、何の遠慮もせずに言ってほしいという気持ちがある。普段の生活でも車椅子の方を見かければ押してあげたいと思う。だからと言って決して区別をしているわけではない。弱者だとも思わない。ただできないことがある、だから手を貸す、それだけである。ところが相手の気持ちを考えてみるとそれが難しくなる。「そんなおせっかいはいらん」、「自分できるわい」などと思うのではないか。それで相手の気分を害してしまってはこちらの心も痛い。そのような場に遭遇するたびに思うことである。
そこで私が思うのは、とりあえず心の交流を図ることである。簡単にいくものではないと思う。自分は一所懸命心を開いても相手が応じてくれないこともあるだろう。しかしとりあえず身障者とうまく付き合って行くには、これ以外の方法はないと思う。もちろん健常者同士に関してもこれは言えることなのだが、身障者の場合はそれ以上に大切なことのように思う。二人の間の壁がなくなってはじめて、共に笑い合うことも涙を流すこともできるだろう。
話が大変飛躍してしまったが、とにかくこの本を通して改めていろいろなことを考えさせられた。この先も考え続けなければならない問題が山積みだということを再認識させられた。そして医学生としての自分の知識のなさにも失望した。やらなければならないことはまだまだたくさんある。
最後にこれから医師になる一人の人間として思うのは、「医師としてよりもまずは一人の人間として患者やまわりの人と接して行きたい」ということである。地位や肩書きは無意味に人と人の間に壁を設ける。そして心の交流を図ることの邪魔になる。この先より上手な他人とコミュニケーションをとる方法を身につけていかなければならないと思う。そしてそれと同時に我々には深い医学的知識が求められている。底なしの深さである。底があってはならない。心を鍛えると同時に、知識も身につけていく。非常に大変で難しいことであるが、その先にたくさんの人の笑顔があると思えば頑張れる。長くなりましたが、このような大変貴重な場を与えていただきありがとうございました。』

感想文B
 『木藤亜也さんは、病気と闘いながら様々なことを感じていました。生きていることの素晴らしさや意味や絶望、医療者に対する信頼や不信、家族の愛、自然の美しさなど、健康な体で暮らしている私には普段あまり感じることの無い(自分でそう決め付けているだけかも知れませんが)ことのように思います。非常に豊かな感性の持ち主であったと思います。彼女が感じたことから私はいくつもの感銘を受けました。
1番大きかったのは、亜也さんの周りの人間からの何気ない一言です。「クリームどうして塗るの?」との亜也さんの問いに対し医師は「検査するんでね。」と答えています。身体障害と言語障害があるとバカに見えるのかしら。と亜也さんは感じています。医師にとっては日常の診療の中のほんの一瞬の無意識に近いやりとりだったかも知れないが、患者さんにとってはそのたった一言によって救われたりもするし、傷ついたりもするのだと改めて感じました。 電動車椅子に乗っている亜也さんが「わたし、遅いので目立つ?」と問うと寮母は「目立つというより、かわいそうと思う。」と答えています。車椅子の生活を余儀なくされている人にとって、上からの目線でそのように言われるのは非常につらいことだと思います。自分が情けなく感じる人もいると思います。「かわいそう」という言葉は人を傷つけやすい言葉だと感じました。
また、亜也さんはいくつもの詩を残しています。「人はそれぞれ言い知れぬ悩みがある。過去を思い出すと涙が出てきて困る。現実があまりに残酷で厳し過ぎて夢さえ与えてくれない。将来を想像すると、また別の涙が流れる。」この詩に私は1番心を打たれました。まさに亜也さんの心情をストレートに表現した詩だと思います。障害者として、これから一生重荷を背負って、苦しくても負けないで生きてゆかねばならない、そう決心した亜也さんですが、現実や将来のことを考えるとやはりつらく悲しいものだと感じたのだと思います。 ハンディを抱えた人の気持ちは私には結局はわかりません。わかる努力をすることしかできません。わかる努力をした上で自分に何ができるかを考え行動することしかできない。このことは、ハンディを抱えた人に対してだけでなく、患者さん、ひいては自分の回りの人すべてに対して言えることである。そう感じさせられた詩でした。
医師は患者さんの生活に深く関わる職業であり、その影響も大きいと思います。この本を読んで感じたいくつものことを、医師となる自分はせめて心の片隅にでも忘れないようにしたいと思います。』

感想文C
 『主人公亜也が脊髄小脳変性症を発症したのはわずか15才、中学生の時であった。中学生と言えば将来に大きな希望を抱く年頃である。しかし、亜也は今まで当然のようにできたことができなくなっていく。その切なさ、悲しみがひしひしと伝わってきた。どんどん自分の体が言うことをきかなるという病気の恐怖だけでなく、周囲の心無い言葉や態度に対する屈辱感、構音障害により意思の疎通がうまくできないもどかしさ、周りに迷惑をかけているという申し訳なさや、誰の役にも立てなくなってしまうという絶望感・・・思春期の彼女にとって本当につらいことだっただろう。読みながら何度も時間が止まって彼女の病気もとまればいいのにと思った。
亜也が全幅の信頼をおいている女医山本先生の存在がとても印象的だった。患者を自分の車に乗せてほかの大学まで検査に行く行動力、生きてさえいればきっといい薬が開発されるという温かい励まし、ときに優しくときに厳しい忠告、そして何よりもどんなことをしてでも治してあげようという強い意思は、亜也とその家族にとって大きな救いであり生きる希望だっただろう。そんな山本先生の口から聞いたからこそ、悪くなることはあっても良くなることはないという悲しい現実も亜也は受け止めることができたのではないか。病気をもつ患者、そして自分よりもわが子が早く死んでしまうだろうという悲しい現実におびえる家族を心からサポートできる彼女のような誠実な医師になりたい。どんなに最新の医学を学んでも治せない病気がこれほどあるのに、ましてやわかっている事象を知らないというのは決して許されない。ひとりでも患者さんを救えるように、日々勉強し、研究していかなければならないと心から思った。
若いドクターが亜也のことをモルモットのように興味深々に試す場面があった。もちろん彼らに悪意はなかっただろう。純粋な興味だったのだろう。しかし、そのような眼でみられては患者がどのように感じるかということをしっかり理解して、人間同士のコミュニケーションをとっていくべきだ。』

感想文D
 『『脊髄小脳変性症…運動失調を主症状とする変性疾患の総称。いずれ寝たきりになり、感染症等で死亡する』当初、この疾患に対する私の知識はこの程度のものでした。あらためて勉強しなおして、そのさまざまな病態等をおぼえ、脊髄小脳変性症に関しては理解したつもりになっていました。「1リットルの涙」についてはその本のタイトルも知らず、脊髄小脳変性症を題材にしていると聞いても特に何も感じませんでした。そんな私の無関心さは、この本を読み始めてすぐ打ち消されることとなりました。
 私は現在、特に病気をすることもなく、好きなものを食べ、休日にはテニスをしに出かけ、もちろん勉強もする…そんな生活が当たり前にできています。仮に病気になっても、病院に行けば薬や手術で治してもらえる…これまでさまざまな病気を勉強してきたにもかかわらず、教科書に載っている病気は自分とは縁のない別世界のもののように感じてしまっていました。そんな私にとって、この本はかなりの衝撃でした。治療法もない、進行性の病気になってしまった少女。ゆっくりだが確実に体が動かせなくなっていく。これまで当たり前にできていたことがだんだんできなくなっていく。その生々しい少女の声に、私は背筋が凍る思いをしました。私はこれまでいったい何を勉強してきたのか、そう痛感させられました。病気は教科書に載っているだけではない、多くの患者がいて、多くの苦しみがある…あらためてそう思いました。「1リットルの涙」を読んだあと、「いのちのハードル」も続けて読みました。こちらでは、患者の家族の置かれた状況を、医師はもっと知らなければならないと痛感させられました。これから医師になる私たちは、医療だけではなく、介護に関してももっと関心を持たねばならないと思います。
 この本を通して、私は多くのことを学ぶことができました。知識としてだけではない、いつ自分に起こるかわからないリアルなものとしての病気・治療法のない病と闘う患者の強さ・難病患者を抱えた家族の悲しみ、葛藤…これまであまり考えることがありませんでした。今回、レポートという形ではありますが、この本を読む機会をいただけたことは、私にとって非常に大きな経験となりました。来期からの臨床実習では患者さんと直接接することとなりますが、今回学んだことをふまえて、良き臨床医となるべく実習に取り組みたいと思います。』

感想文E
 『 何度も目頭が熱くなった。そして、この突然襲い掛かってくる不幸に悲しみを覚えた。この本が原作になったドラマを見てはいたが、これほどのショックはなかった。活字の重みだろう。課題として提示されて初めてこの本を手にしたことに後悔を感じつつも、ポリクリを終えた今だからこそ、受けたショックもあったのではないだろうか。
 ポリクリを通して、多くの患者さんと出会い、そして患者さんの持つ疾患に接してきた。神経内科のポリクリで実際に見た多発性硬化症の患者さんを思い出した。僕と彼女は偶然にも同い年で、病期としてはまだごく初期にあった。この疾患の生命予後は一般的にはさほど悪いものではないものの、予想される寛解憎悪の繰り返しを思うと、僕は明るい気持ちにはなれなかった。
 この本を読み終えて確実に言えることは、ただ悲しいというだけの感想を抱いてはないということである。以前の自分、少なくとも医学の道を志す前の自分であれば、世の中に存在する不幸な運命を背負ってしまった女の子のストーリーに直面しても、心のどこか隅っこで、これが自分や身の回りで起きていることではなくてよかったと安堵していることもあったかもしれない。それは、物語に共感し、同情を覚えつつも、対岸の火事であったせいであろう。しかし、僕は現実に間もなく医師として病に伏せる人たちに接することになるのであり、決して他人事ではなくなる。これは恐怖である。
 しかし、救いもあった。この本の最後の方に、亜也ちゃんの主治医であった医師が書いた文章が数ページに渡って載っていた。そこには真正面から疾患に対峙し、亜也ちゃんには温かく、ときに厳しく、真摯に接していった様子が医師の目線で書かれていた。ここに一つの道筋を見出した思いがした。その時の精一杯をぶつけるしかないのだと思う。実際に診療をされている先生方においては当然のことであろうが、僕としてはその当たり前のことを再認識したほか、それを実践する困難さを思い浮かべた。
 どの職業においても決して楽な道はないと思う。それは医師においてもしかりである。これからも自己研鑽に努めていく必要を感じさせてくれたこの本との出会いに感謝したい。』