思うこと 第78話           2006年2月28日 記       

教師冥利に尽きる出来事 

 今日は、徳島で教師冥利に尽きる出来事に遭遇した。徳島大学神経内科の梶教授から、今年も非常勤講師として、4年生の学生の授業によんでいただいたのであるが、その今日の授業での出来事と、授業後の出来事の2つの感動的出来事があったのだ。
 その感動的出来事を話す前に、徳島にたどり着く過程のなかで、教訓的出来事があったので、これを読んでくれているであろう若者の役に立つ事を願って、まずそのことを紹介する。今朝は大学で、大事な仕事を時間ぎりぎりまで遂行し、鹿児島空港へ車をとばした。徳島での今日の授業に間に合う徳島空港着の便は、乗り換え便も含めて存在しなかったので、予定通り大阪伊丹空港に向かい、そこで、神戸三宮行きのバスに乗った。予定では、三宮で30分余りの待ち時間の後、徳島行きのバスに乗り換える予定で、その切符も大阪空港で購入しておいた。そのバスは4時丁度に徳島駅前に着き、徳島大学での4時45分からの学生授業に余裕で間に合うことになっていた。このルートは、このあたりの道路事情などを知り尽くしておられる梶教授の指示によるものであったので、安心してバスに乗ったのであった。しかし、バスが出発してすぐ、運転手からアナウンスがあった。高速道で事故が発生し通行不能になったので、一般道を走ります、20分ほど予定より遅れます、とのことであった。私は何の心配もせず、疲れから寝入ってしまった。目が覚めても、バスはまだ一般道を走っている。時計を見ると、2時20分。三宮発の予定の便はすでに出発しているのに、バスはまだ着いていないのだ!隣に座っていた会社員風の青年にあとどれぐらいかかれば三宮に着くでしょうか、と聞くと、あと15分ぐらいでしょう、という。なんと、この青年も私と同じバスに乗り換えて徳島に向かう予定だったとのこと。この旅なれた青年は、インターネットで三宮から徳島へ向かう各社のあらゆる便の経時的一覧表をプリントアウトしたものを持っていた。青年は、仕事は明日なので、今日中に徳島に着けばよく、何の問題もないとのことであった。私は、青年の一覧表から、これ以降のどの便に乗っても、学生の授業に間に合わない事を知った。でも、私は心配しなかった。いつものように、何とかなる、必ず授業に間に合う方法を見つけれると、各論ではなく総論的に楽観していた。バスを降りたら、そこにはタクシーが待っていた。徳島まで時間はどのぐらいかかるかきいたところ、1時間以内で着くように飛ばします。料金は帰りの高速道路代まで必要なのでおおよそ4万円です、とのこと。やはり、天は、今回も私を助けてくれたと、感謝した。タクシーに乗ったところで、はじめて梶教授の秘書に電話をいれ、予定よりも少し早めに着くのでよろしくと告げた。そして、事実、予定より早く着いた。(ちなみに、左の写真はタクシーの中から撮った連絡橋の写真である。)タクシーの運転手には、請求された4万590円に加えて、飛ばして間に合わせてくれたお礼のチップもあげた。「望みあれば道あり」で、何とかしようという強い意志があれば、何とかなるのである。私には、今回のような予期せぬ問題が発生しても、必ずといってもいいほど、その場で解決してきた多くの事例があり、それが、不思議な自信に繋がっているように思う。たとえば、昔、東京に向けて新幹線で神戸のあたりを通過した時に、東海道新幹線が不通になったので(理由は憶えていないが)、そして復旧のめどは全く立っていないので、新大阪で降りてくださいとのこと。私は、タクシーで大阪伊丹空港に行ったが、そこは同じように駆けつけた人びとであふれかえっており、羽田行きの空席待ち番号が確か300番とか400番とか不可能な番号であったが、私はすこしもあわてず、いくらお金がかかってもいいから、たとえ、札幌経由でもいいから最も早く羽田に着く便を探してくれと頼んだら、瞬時にして、福岡空港経由で羽田行きが空いている事がわかり、東京での予定に間に合ったのであった。「望みあれば道あり」である。こういう大事なときに、お金を出し惜しみしてはいけない、これまた、若い人たちへのメッセージとしたい。
 さて、前置きはここまでにして、本論に入ろう。4年生の学生達は、期待通り私を待っていてくれた。授業のタイトルは 「神経内科ほど面白い分野がほかにあろうか! ー 私のこれまでの歩みから ー」 で、このタイトルで、毎年3年連続で徳島大学の4年生に話してきた。 今回も、学生達は、輝く瞳で、私の話を聴いてくれた。梶先生の粋な計らいで、授業の最後に感想文を書かせ、回収して、後で私に読ませてくださった。私は学生達の感想文を読みながら、胸が熱くなり、涙が出そうになた。わずか60分の授業なのに、学生君たちは、私が伝えたいと思っていたメッセージを的確にキャッチしてくれていた。教師冥利に尽きる出来事であった。その後、ホテルにチェックインのため梶先生がご自身の車で私を送ってくれることになり、車を駐車場から取ってくるのでちょっと待っていてくださいと言って、私を病院の前に待たせて走り去った直後に、もう一つの、教師冥利に尽きる出来事が起こったのである! 通りかかった2人の学生が「納先生ではございませんか?」と話しかけてきたのである。「6年生です、2年前に先生の授業聞いて感動しました。今も、先生からいただいたメッセージしっかり覚えております。ありがとうございました。」とのこと。ただただ、感激であった。そのあと、梶先生の教室の若者たちと居酒屋で飲み、食い、語るスケジュールになっていたが、そこでは、この感激の余韻で、いつになく私は饒舌になり、ビールをぐいぐい飲みながら、辻説法のお坊さんみたいに、若者へのメッセージを説き続けたのであった。

 今日は、本当にすばらしい、感動ずくめの一日であった。