思うこと 第77話           2006年2月25日 記       

荒川静香選手の金メダルに思う 

 今朝の朝刊は各誌とも荒川静香選手の金メダルをトップに掲げていた。 昨日のテレビでの感動を思い出しながら、私はそれらの新聞を読んだ。そして、私ははじめて知った、荒川選手のここまでの歩みが決して平坦なものではなかった事を。そしてまた、荒川選手のこれまでの歩みから、とっても大事なものを学んだ。 「天才少女でも、モチベーションが低く、練習に身が入らなかった期間があったこと、そしてその期間は成績もパットしなかったこと。 しかし、その天才少女が、迷いと眠りから覚め、必死で勝利に向けて背水の陣で努力して、そしてはじめて今回の栄光があった。」ということを知って、感動をさらに深くしたのであった。
 荒川選手は5歳からスケートを始め、全日本ジュニア3連覇。高校一年の時、長野五輪で13位。03年ユニバーシアード、冬季アジア大会を制し、04年世界選手権優勝。ここから、荒川選手の迷いが始まったという。早大卒業にあわせてスケートも卒業、と、考えていたという。だが、周囲は、当然のように、2年後に迫ったトリノ五輪を目指す事を期待した。「やめたい、でも、やめられない。」 そんな気持ちでリンクに立った昨季は振るわなかった。その荒川選手を、迷いから覚まさせたのが昨年3月の世界選手権だったという。前回の優勝から9位に転落。ここで、天才少女荒川は、「このままでは終われない」と、悔し涙のなかで決心、練習に本気で取り組み、コーチも変え、そして、プログラムも変え、かって女王になった世界選手権で使ったイタリア歌劇「トゥーランドット」の一番自分が好きな曲を選んだ。そして、結果は、荒川を金メダルへと導いた。うつくしい完璧な演技に、欧州の各誌も「東洋の女神」と称えた。私は、この一連の出来事から、冒頭に書いたように「天才少女でも、気持ちが中途半端な期間は成績もパットしなかったが、 迷いと眠りから覚め、必死で勝利に向けて背水の陣で努力して、その結果として今回の栄光があった。」ことを学び、感動したのであった。なにごとにおいても、大事なのは、やる気と努力なのだ。

 ところで、私は、新聞各誌が、4位になった村主選手に極めて高い評価を与えてくれている事も嬉しかった。村主は長年の筆舌をこえる激しい練習の積み重ねのなかから4位を勝ち取ったと、各誌、絶賛していた。15位に終わった安藤選手にも、失敗はしたが、4回転ジャンプに挑戦したということに、各誌とも高い評価と、今後への期待を書いてくれていたことも、嬉しかった。

 私は、これまで、テレビもあまり見なかったし、フィギュアの世界もこれまで情報音痴であったが、今回の快挙をとおし、また一つ学んだのであった。