思うこと 第73話           2006年2月6日 記       

ジャック・ニクラウス氏に学ぶ“人育て”の極意 

 今月1日から、日本経済新聞の『私の履歴書』において、プロゴルファー、ジャック・ニクウラウス氏の連載がはじまり、私は毎日心待ちしてその欄を読み、切り取ってファイルしはじめた。今朝ですでに第6回を数えたが、さすが一芸で世界の頂点を極めた方の言葉は重みがあり、毎回、感動して読んでいる。中でも最も感動したのが、
『“人育て”において何が最も大切か』について、ニクラウス氏が繰り返し述べておられる考え方であった。その2つの事例を紹介しよう。
『父・チャーリーについて少し語りたい。彼は私にとって単なる父親ではなかった。親友であり、教師であり、コーチであり、心の支えだった。彼がいなければ今の私、プロゴルファー、ジャック・ニクラウスはこの世にはいなかったことだろう。 −中略− 父から「あれをやれ」とか、「これをやるな」とか強制されたことは一度もない。好きこそものの上手なれ。父はただ、自分同様に色々なスポーツに挑戦する私を励まし、応援するだけだった。』
 ニクラウスが10歳になったとき、レッスンプロ、ジャック・グラウト氏の指導を受け始めたころのことを振り返って、ジャック・グラウト氏の“教え方”について次のように語っている。
『 「いいぞ、ジャッキー坊や。その調子で振りまくれっ」。短所を矯正するのではなく、長所を伸ばそうとするグラウトの教え方は幼い私にゴルフの楽しみ、そして何よりも自信を植え付けてくれた。 −中略− ジャック・グラウトが世界で最も優れたコーチだったかどうかはわからない。ただ、少なくとも私にとっては偉大なコーチだった。』
 この文章を読みながら、私は私の父のこと、そして、私の恩師・井形昭弘先生のことを思い出していた。私はこの世に生を受けてよりこれまで、ただの一度も父親から怒られた記憶がない。父親から勉強しなさいと言われた記憶もない。小学校から中学校2年の終わりごろまで、勉強せず遊んでばかりいたのに、父はいつもニコニコしていて、ひと言も、勉強しなさいとは言わなかった。ただ、たまに、勉強机に座っていた時、だまって、後ろから頭をなでてくれたことがあった。父は私が小学4年生の時、野口英世の生涯を描いた紙芝居を買ってくれ、私達兄弟はそれを読んであそんだ。父に将来の職業は何がいいか聞いても、自分が進みたいと思う道が、お前にとって最良のみちのはずだから、自分で決めなさいと言うのが口癖だった。内科の開業医で毎日生き生きと診療している父親の姿をみているうちに、結果的には、男兄弟4人全員が内科医になった。
 それから、私は、井形先生にはじめてお会いしてから34年なるが、その間、いちどもしかられた記憶がない。これは、私だけでなく、井形先生の弟子の皆がそう言っている。井形先生にそのことをお話したら、「私には“怒りのホルモン”が不足しているのよね。」とニコニコしながら言われたことを覚えている。私も、同じような傾向があり、会う人のいい面しか見えないという面がある。「あの人はでしゃばりだ」というのを聞いても、私には「とても
active ないい人物だ」と思えてしまうし、反対に、「あの人は inactive で積極性が足りない」というのを聞いても、私にはその人物が謙虚なすばらしい人物と思えてしまう。これは、性格的な、本能的なもので、まさに、「私にはひとのいい面しか見えない欠点があるのよね」と、言うしかない。
 でも、このことが、結果として、若者に伸びやすい環境(雰囲気)をあたえることに一役買ってくれている可能性があるかもしれない、と、ジャック・ニクウラウス氏の回想録を読みながら、ふと思ったことであった。