思うこと 第51話                2005年12月20日 記

宇宿功市郎君の教授内定を祝して

鹿児島大学医学部医療情報管理学講座の熊本教授のもとで辣腕をふるって活躍してきた宇宿功市郎助教授(右写真)が、この度、熊本大学医学部附属病院医療情報経営企画部教授に内定しました。平成18年元旦に就任の予定です。 名伯楽・熊本教授のもとで大きく育った名馬が、今度は教授としての立場で活躍できることになったわけで、本当にすばらしいことです。きっと、熊本大学だけでなく、日本の医療情報管理学のレベルを飛躍的に押し上げることになるでっしょう。宇宿君は医療情報管理学のプロであるだけでなく、鹿児島大学医学部の医学教育を充実発展させることにも成功した、医学教育界の抜きん出た先駆者でもあるのです。この方面の活躍にも期待するところが大きいのです。

宇宿君は1981年(昭和56年)に鹿児島大学医学部を卒業し、鹿児島大学の第3内科入局しました。その時、井形昭弘先生が教授で、私が助教授でした。この年に入局してきた新人医師(私達は新入医局員と呼んでいます)は5人でしたが、そろって優秀な若者達で、宇宿君はその中で、ゆったりとした人間性でもって、みんなの和の中心的存在でした。仕事も良くできるのですが、ワインをのんで一緒に語るのも好きな若者で、同僚や先輩から好かれるタイプの人物でした。しばらくして、私達がHAMという新しい病気を発見しましたが、その時、私の片腕として中心的役割を担ってくれました。この後、私が教授に就任しましたが、宇宿君は、しばらくして1988年から国立精神・神経センター国内留学に2年間留学し、さらに、ひき続きハーバード大学とカリフォルニア大学に2年間留学し、すばらしい国際的な研究者に育って帰ってきたのでした。この留学中に駆使したコンピューターによる統計解析の技術が、帰国後の研究にすばらしい威力を発揮したのです。そして、HAMという病気の起こる原因の研究と、予防法治療法の研究も推進してくれましたが、一方、統計解析の技術で医学部の中の多くの研究者の手伝いをして、大変な貢献をしてくれたのです。このすばらしい能力に熊本教授が感銘をうけ、鹿児島大学医学部医療情報管理学講座の助教授に迎えてくれたのです。その後、宇宿君は水を得た魚のごとく、熊本教授の片腕として、医療情報管理と医学教育に大きな働きをしたのです。そして、その業績が評価され、この度 熊本大学医学部附属病院医療情報経営企画部教授に内定したという次第です。 私が教授になってから、三内科出身で教授として羽ばたいている若者は11人なので、宇宿君は12人目の教授ということになります。今後、宇宿君は、熊本大学の歴史に残る大きな仕事をするとおもいますが、このようにすばらしい教え子達に恵まれたことが嬉しくてなりません。