思うこと第50話        2005年11月23日

33歳で復活優勝の意義

 11月21日の朝刊は、いずれの紙面も、第一面大見出しで「高橋尚子、復活V」の活字が躍った。 私は、心底、感動した。 嬉しかった。 2000年シドニー五輪で優勝し、時の人となり、2001年のベルリン大会でも、そして2002年のベルリン大会でも優勝したのであったが、3003年の東京大会で2位になり、五輪選手の選考からもれた。 私はマラソンのことは詳しくないので、うかつにも、31歳でペースが落ちたのだから、もう一度這い上がることは不可能だろうと、漠然と考えてしまったのであった。

ところが、その後、小出監督のもとを離れ、3人のチームメイトとともに、独自の道を歩み始め、米コロラド州ボルダーの高地で練習を重ねた。 そして、2年前に屈辱を味わった東京大会で、アレムに抜き去られた35キロ過ぎの“悪夢の”上り坂に入る手前で一気にスパート、アレムとバルシュナイテの二人を引き離し、そのままゴールまで走り抜けた。肉離れで痛む足を気遣いながら、「もって、もって、足もってね」と祈るような思いで走ったという。

 何故、試合前の肉離れのアクシデントにもかかわらず、勝てたのだろう。なぜ、33歳という年齢のハンディをはねのけて勝てたのだろう。 何故、常識的には不可能と思われたことを可能に出来たのだろう。

 実は、この答えこそは、若者に認識してほしいことである。 答えは、ずばり、「練習量」であろう。 屈辱をバネに、必死で練習を重ねたからであり、他の、どの選手よりも、練習したからである、と思えてならない。

 努力なくして目標の達成はありえない。33歳でも、やればできるのである! 彼女の今回の快挙は、「目標をかかげて、“努力すれば”、達成できる」という教訓を、私達に示してくれたといえる。

Qちゃん、よくやった! でも、無理しないでね、あなたは、今回、すばらしいことを達成したのだから。 年齢の壁があるのだから、今回の優勝を機会に、美しく引退してもらえたら、と願うのは私だけではないと思うが、でも、まだ走るのだろうね。北京オリンピックでもう一度走るという夢に向かっているのだものね。でも、北京では優勝できなくても、かまわない。 もしも北京でもう一度走れたら、今回のQちゃんの根性をみていると優勝するかもという期待をつい持ってしまうけど、でも、勝負にかかわらず、そこで現役の引退表明をして、次の人生の目標を設定して、新たな歩みをはじめてほしい。 私にとっては、将来の引退後のQちゃんの生き方こそは、楽しみである。

私はいつも医学部の学生に次のように言っている。「目標をかかげて、それに向かって歩みつづければ、必ず目標に到達できる。目標が高ければ高いほど努力が必要である。一度しかない人生だから、力の限り頑張れ!」と。 しかし、次の言葉をつけ加えることも忘れない。 「いいかい、大事なことは、その目標のなかみだよ。 地位や順位を夢見てはいけない。例えば、君達が全員がクラスで1番になろうという目標を立てたとする。でも、一番になれるのはたった一人だよ。そんなことより、もっと大切なことがあるはずだ。 例えば、患者さんのお役にたてる、患者さんから信頼されるいい医者になる、という目標をまず掲げてほしい。そうすれば、、努力することで君達全員が、必ずその目標に到達できるのだよ。あるいはまた、将来、君達が家庭を持ったら、いい家庭をつくりたい、という目標に向かって努力すれば、これまた、君達全員が達成できるのだからね。」と。

今回のQちゃんの快挙に酔いつつの一言でした。