第43話       2005年9月14日 記

日中友好病院の誕生を祝して

 今、私は中国は石家庄の河北医科大学第3医院でこの文を書いている。今朝、この病院に到着して、先ず、大きな朱の横断幕に驚いた。私と今村病院の今村英仁理事長の二人は、躍る心を抑えてこの熱烈歓迎の横断幕と病院の本館をバックに記念撮影した。実は、丁度1年前の夏、私はこの病院から講演をたのまれて訪問しているので、今回2度目の訪問である。この病院の病院長の張先生は全国人民大会で最高の病院長の栄えある表彰を受けた、中国では有名な病院長である。整形外科を専門とする52歳の若い院長で、私は院長の医療に対するすざましい熱意に感動したのであった。張先生も私のことを評価してくれ、以後、とっても親しいお付き合いが続いてきた。その流れの中から、私がかねて医療のレベルと夢の高さゆえに誇りにしている鹿児島の今村病院グループの理事長今村英仁先生と張先生の出会いが実現した。私の予測どおり、両病院長はお互いに感動し合い、そしてついに、日中友好病院の締結に至ったものである。
左右の写真は、本日午前中に行われた式典の横断幕とその前で挨拶をしている張院長である。張病院長は、この友好病院協定の締結を最大限の喜びと挨拶された。





今村理事長と私の挨拶の後、予期せぬ行事が待っていた。舞台に呼ばれた我々2人に河北医科大学の名誉教授の称号が授与されたのである。
これは、私にとっても、今村先生にとっても、とても名誉なことであった。これを契機に、私どもは河北医科大学に対して年に一度は教育・指導の責務を負うことになったわけであるが、この様なことを通して日中友好の輪が広がればありがたいと思うことであった。張院長は中国共産党の中枢でも重きをなしておられる方なので、なおさらのことである。


この際、もう一つ紹介したいことが、私の教室に中国から5年間留学してきてくれ、樋口講師の指導の下でとってもいい研究をし、5つの原著論文を完成させ、医学博士の学位をとって帰国していた胡 静先生が、30台の若さでこの医科大学の神経内科教授に抜擢され、活躍していることである。ちなみに、胡教授は中国でナンバーワンの筋肉病学の学者としての評価を受けている。この左右の写真は、胡教授の研究室と病棟でのスナップである。
今後、河北医科大学第3医院と今村病院グループと鹿児島大学病院が、お互いに協力し合って、自分にないものを相手から学び、医療従事者の交流研修も含め、すばらしい友好の実りの花が咲くことを希望すると同時に、確信を深めた今回の訪問であった。