思うこと 第42話  2005年9月14日 記

孫 正義の生き様に感動

 孫 正義正伝「志高く」を読み、驚愕した。それは、感動を通り越して体中が振るえるような、心の底から熱いものが湧きあがるようないいしれぬ感情であった。これほどすごい人物がこの世に存在していたのだ!
 孫 正義は1957年生まれであるから、私より15歳若く、現在48歳。久留米大附設高校1年生(16歳)の時、家族の反対を押し切って同高を中退し、星雲の志を持って米国へ旅立ち、サンフランシスコ郊外の英語学校での7ヶ月の特訓を経て、1974年9月セラモンテ・ハイスクールの2年生に編入入学した。ここまでの決断と行動力もすごいことだが、ここから後の生き様がすごい。2年生に編入入学して1週間後、授業のレベルが低いと感じた孫は校長と直談判し、一刻も早く大学に進学したい情熱をぶつけ、説得に成功、翌日、3年生に進級した。進級後5日間の孫の猛勉強ぶりに感嘆した校長は、3年生を5日間だけで翌日から4年生に進級させた。ここで孫は校長に大学受験の検定試験を受けたいので推薦状を書いてくれと頼んだのであった。孫の英語の力からいって、到底合格は無理と考えた校長であったが、若者の心意気をかって推薦文を書いた。なんと検定試験はその一週間後だったのである。3日間にわたる試験の初日、孫は分厚い問題の山をみて、そしてまた、英文で書かれた問題の意味すら難解なものが多いことに、このままでは絶望と知った。ここからが、私が感嘆した孫のすごさである。孫は試験監督官に辞書の使用と時間制限の枠の撤廃を申し込んだのである。「自分は英語にハンディがあるから、このままでは不公平である」という屁理屈を思いつくままぶつけたのである。試験監督官ではラチがあかないと知った孫は職員室に駆け込みそこで同じ屁理屈をぶつけ、教育委員長に電話をかけさせ、教育委員長の説得に成功し、前代未聞の許可をもらったのである。孫の、ここで試験に落ちたら、大学進学が遅れてしまう、何としてでも合格したいという情熱に、教育委員長がほだされたものと思われる。その結果、試験監督官は孫が辞書をひきながら問題を解き終わる夜中の12時前後まで、3日間連日付き合わされる羽目になったのである。その試験の結果は合格。そして、孫は、最短で18歳が通常のカレッジ入学の資格を、高校入学後わずか3週間にして、そして16歳の若さで手にしたのである。孫は2ヶ年間のカレッジ生活を猛勉強で過ごし、そして、念願のバークレー大学に文字通り抜群の成績で入学を果たしたのである。その後も、不可能に近い目標を掲げ、努力と思考で突破し続けて今日の、世界に冠たるソフトバンクを築き上げたのである。そして、今日、この今も、さらなる目標に向けて、極限の努力を重ねているのである。
 もちろん、私は、経済的には孫とは比較も出来ない貧乏な、一介の教師・臨床医であるが、しかし、心意気だけは、この孫青年にまけないつもりである。心意気という意味での、いい好敵手に出会った感動は、言葉では言い表せない思いである。