思うこと 第41話         2005年8月16日 記

教え子の留学先を訪ねて

私は、今、スエーデンのストックホルムでこの文を書いている。
この機会に、若い人達への「留学のすすめ」のメッセージを送りたい。
私の教室の東 憲孝君と愛君の2人は夫婦そろって呼吸器の専門医を目指して研鑽している若者医師で、現在スウェーデン カロリンスカ研究所で2人それぞれアレルギーで起こる呼吸器の病気の起こり方に関する世界最先端の研究と取り組んでおり、すばらしい成果をあげ、近く帰国の予定である。 私は彼らのボスのダーレン教授から招請を受けてこのカロリンスカ研究所を訪れ、頑張っているこの2人の若者に久しぶりに会い、語らうことが出来て、今、最高に幸福な気持ちである。









左右の写真はストックホルム市の中心部に聳え立っているベネグレン財団のビルで、それを中心にして半周取り囲んでいる3階建ての横長の建物がベネグレンセンターアパートメント(約150世帯)であり、憲孝君と愛君の2人は現在この2階に住んでいる。部屋に入って驚いたが、北欧風の立派な家具で飾られた広いマンションで、リビングルームだけでもゆうに20畳をこす広さである。私は2人がこの豪華なアパートに住めるにいたった過程に感銘を受けた。留学一年目は、博士号をまだ取得していなかったために、このアパートに入居資格がなく、極めて狭いアパートで辛抱したとのことであった。博士号を持っている研究者(ポストドクと呼ぶ)が格段の優遇措置が受けられることを知った憲孝君は、学位の必要性を痛感し、留学前に仕上げてあった博士論文で学位を取りたいと私に連絡があった。同君は、そのために鹿児島大学に二度の往復し、ついに教授会の学位審査に合格し、医学博士の学位を取得したのであった。同君が語ってくれたことをここにそのまま紹介しよう。「学位を取り、ポストドクになったとたん、私たちの留学生活の内容が劇的にかわりました。まず、ポストドクの給料は以前の給料と比べ約1.7倍の開きがあります。また、ポストドクの留学生にだけにしか許されないこのベネグレンセンターアパートメントに入居できました。このアパートの立地条件がすばらしく、市の中心部近くにあるカロリンスカ研究所に歩いて通えるため、それ以前にかかっていた交通費もいらなくなりました。
また、通常 アパート代が 17万6千円ですが、財団から 7万7千円の補助が自動的に受けられ るため その差額だけ支払えばよいわけで 大変助かっています。 家具はすべて備え付けで、電気水道代や維持管理費もいりません。このポストドクには 学会などの渡航費などのグラントの道が幅広く認められます。グラントの額も PhD student よりも 大きいです。ポストドクは PhD studentから間接的に助言を求められるなど 間接的な指導的役割を 担う分 責任重大ですが、何よりも 1つのステータスある地位です。 情報は すべての人に 同じく伝えられますが、発言するチャンスは ポストドクの方が はるかに上です。私もそうでしたが、日本の若い医師は学位の重要性に対する認識が足らないように思います。納先生、ぜひ、このことを、日本で伝えてください。」と、熱っぽく語ってくれたのであった。 留学する若者にとって博士号の学位をとることの重要性を伝えたいと思い、ここに、ホームページを通して発信する次第である。なお、このアパートから研究所までの毎日の通勤路はとっても美しい湖畔にあり、そこからの眺めに私も感動したので、右上の水彩画を即興で(20〜30分)描き、同君たちの思い出にプレゼントさせてもらった。スエーデンの人達は、国旗もそうだが、青の色を好むそうで、湖畔に揺れるヨットも青が目立ったのが印象的だった。( この絵の拡大図はこちらを参照 )

もう一つ発信したいことがある。2人によると、こちらの研究者は自分たちがノーベル賞に値する研究を成し遂げる可能性に思いを馳せながら研究しているという。 例えば、ストックホルム市が主催して、外国からの留学研究者達全ての夫婦を、年2回、ノーベル賞受賞者が受けると同じ市庁舎の晩餐会場での晩餐会に招待し、「将来、今度は、受賞者としてここにまた来てください。」とのメッセージをいただくとのことで、東君夫妻も、この言葉に感動したとのことであった。






左の写真は、カロリンスカ研究所の門をくぐってすぐ横にあるノーベル氏の胸像とならんで撮らせてもらった夫妻で、右の写真は、その胸像のすぐ横にあるノーベル医学生理学賞受賞者のプレス会見場である。なぜここにあるのか夫妻に聞いたところ、ノーベルの遺言でノーベル医学生理学賞受賞者の選定はカロリンスカ研究所に託されたとのことであった。東夫妻を含め、多くの日本人研究者が、欧米の研究者と同様に、ノーベル賞をもらうようないい研究の花を咲かせることを夢見て頑張ってほしいと思う。
最後に、若い医学徒に一言。機会を見つけて、国内留学や外国留学をぜひ実現してほしい。環境を変えて、苦学する中で君達は大きく成長するし、また、異なる文化との出会いが君達の感性を豊かにしてくれる。そして、世界中どこの人も、同じ感性を持っていることを知ることになろう。留学は、そこで生活するため、旅行とは違う深い体験ができるのである。
ところで留学を実現するにあたって、大事なことはいい仕事(研究)をして、英文原著論文にそのつどまとめることである。欧米のボスは、いい研究をしないと研究費が獲得できず、生存競争が激しい。いい研究をするにはいい留学者を研究室に迎えなければならない。その判断に原著論文が威力を発揮する。紹介状も極めて大事だが、私達が紹介状を書くとき、いい原著論文を仕上げてある若者の紹介は楽で、殆どまちがいなくOKの返事が来る。もう一つ、大事なことは、積極性である。留学前も留学後も積極性が重要で、例えば、東 憲孝君の場合も国立相模原病院 臨床研究センターの谷口先生が鹿児島で講演されたその内容に感動し、その場で感動をお伝えし、間をおかず国立相模原病院 臨床研究センターに見学に行き、そこで谷口先生だけでなく、谷口先生の上司の秋山一男臨床研究部長にお会いする機会を得、東君の心意気を見込んで秋山先生は、流動研究員としての国内留学の道を開いてくださったのであった。しかも、東愛君にも、はじめ研修医、後に厚生技官の身分を用意していただけたのであった。私が、この二人を、秋山先生への感謝とともに旅立たせたのは言うまでもない。ここでのすばらしい研究成果が認められ、秋山先生のご推挙で2人は、2人が目指す分野の最高峰のお一人のカロリンスカ研究所のダーレン教授のもとへの留学の道が開かれたものである。
この2人の生き様が、若い君達の参考になれば幸いである。