思うこと 第313話   2017年1月23日 記

井形昭弘先生を偲ぶ会


昨日、2017年1月22日に鹿児島市内の城山観光ホテル・エメラルドホールにて『井形昭弘先生を偲ぶ会』が、鹿児島大学 神経内科・老年病学(教授 高嶋 博)と鹿児島大学第三内科同門会(会長 新名清成)の共催で執り行われました。


高嶋先生のご挨拶、新名先生の弔辞に引き続き、私は下記の弔辞を読ませてもらいました。
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井形先生
 本日のこの先生を偲ぶ会にはとても多くの方々が参加してくださいました。 昨年10月26日に名古屋の覚王山・日泰寺で行われました合同葬にも日本全国からとても多くの方々が参加してくださったのですが、本日の鹿児島でのこの会にはあの日を上回る多くの方々がはせ参じてくださいました。先生もきっと本日御参列の皆さん方お一人お一人を、嬉しく、そしてなつかしく思いながら、あの世から見守ってくださっておられることと思います。
実は、本日お集りの皆さまには、先生を偲ぶ追悼文の冊子が配付されており、その中にある私の追悼文は日本神経学会学術誌の1月号に掲載されたもので、多くの神経学会会員が読んでくださった追悼文です。

 昨年、8月12日にご長男の井形弘様からお電話をいただき、先生のご逝去を知らされた時には頭の中が真っ白になりました。 その2日後の八月十四日に高徳院で行われました告別式におきまして、先生のお棺(ひつぎ)にお花を添えてお別れしました時、もう二度と先生のこのお顔にお会いできないのだ、と思って、涙が止まりませんでした。 45年前、先生に初めてお会いし、弟子入りさせていただいてより、これまでずっと、先生は、私が困って先生に相談すると、いつも、にこやかな笑顔で迎えてくださいました。そして、『納君、それこうしたらいいんじゃないかな』とか、『そうね、私だったこうするけどね』とか、愛情あふれる言葉で、導いてくださいました。先生のお言葉を聞くと、私は、いつも、自信をもってその方向に進んで行くことが出来ました。先生は、私にとって、暖かい道しるべの太陽のような存在でした。先生は、もちろん、私だけでなく、先生と袖触れ合った全ての人に、分け隔てなく、愛情を注いでくださいました。これまで先生が歩んでこられたあらゆるところで、先生をお慕いする人々の輪が必ず出来てきたのは、とても自然な成り行きだったと思います。
先生を慕う輪の中からとても多くの人材が輩出しました。先生は人育ての名人でありました。

 先生は、人育てだけでなく、世の中を変えることにも積極的で、火中の栗を拾う様な難しい課題であった水俣病の抜本的な解決のためにも、あるいは又、臓器移植の是非、介護保険制度の創設など社会的問題にも全力で取り組まれました。

 先生は、奥様と、弘さんと厚子さんという、すばらしい家族に囲まれておられました。そのすばらしい奥様を17年前に亡くされてより、一人暮らしを続けておられましたが、『納君、料理が大分うまくなったよ。コンビニにも自分で買い物に行くけど、結構楽しいものだよ。』と私に笑顔で話してくださいましたね。

 実は、10月の名古屋での合同葬の後、ご長男の弘さんとご長女の厚子さんの案内で、高徳院の、先生と奥様のお墓参りをさせてもらいましたが、その時、弘さんから、高徳院の湯川英博ご住職様は井形先生をとても尊敬しておられ、境内の正面の桜に『井形さくら』と命名するご予定と伺いました。先生のご人徳の賜物ととても感動いたしました。この桜が満開になる時期のお墓詣りを、いつの日にか実現したいと思うことでした。

 では、時間も参りましたので、お別れの締めくくりをさせてもらおうと思います。 

 先生は、私たち後進にとりましては生き方のモデルであり、困ったときの精神的支えでありましたので、今の私たちの虚脱感は言葉に表せないほど大きなものがありますが、これからは、『先生だったら、こういう時はどうされるだろう?』、と考えながら歩んで行こうと思います。

 先生、これまで、本当に有難うございました。

 どうぞ、ごゆっくりお休みください。

平成29年1月22日  
鹿児島大学医学部第3内科元教授 納 光弘
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 当日、参列者全員に配布された冊子を示します。

私の弔辞のなかで紹介した神経学会学術誌一月号に掲載された追悼文を次に示します。
tsuitoubun.pdf へのリンク

 本日の南日本新聞に昨日の『井形先生を偲ぶ会』の紹介記事が掲載されました。

この記事にあるように、今回の偲ぶ会を機に気持ちを切り替えて、今後、これまで井形先生に教えていただいたことを若者たちに伝えてゆくことに力を注いで行きたいと思うことでした。