思うこと 第303話   2015年8月6日(木) 記

一度しかない人生、夢追って生きよ
〜私の歩みを通して若者に伝えたいこと〜
[その1]


 私は、学生への講義や一般講演などで、若者向けに上記のテーマで話しする機会が多い。 しかし、私のHPの中では、こまぎれにしか話していないことに気付きました。ですから、この機会に、このテーマで何回かに分けてシリーズで話したいと思います。
今回の
[その1]、講義や講演の冒頭でお話することの多い、私が19歳の時の自転車旅行から学んだ教訓について、いつも使うスライドをお示ししながら、お話します。


この写真は、私がヘリコプターから錦江湾を撮影したもので、鹿児島市内左手前に鹿児島大学病院が写るアングルでシャッターを押しました。


この言葉は、いつも私が若者に強調している言葉です。 高い目標を掲げ、必死で努力すれば、かなりの事が成し遂げられるという事を、自覚することが若者にとって大切なのです。


まさに、これからお話する自転車旅行の体験が私の人生の生き方を決めるものとなりました。


この新聞記事は出発した日の夕刊に載ったものです。この自転車は、当時日本で一番大きな自転車製造販売会社であった山口自転車から新品の自転車を無料でいただくことに成功しました。 スポーツタイプではなく、普通の自転車でしたが、でも、寄付していただけたお蔭で、道具立ても含めて完全な無銭旅行となったのです。


自転車による日本縦断無銭旅行は、本邦初の出来事でしたから、行く先々で話題になり、親善大使として平瀬鹿児島市長からのメッセージを伝えるために県庁や市町村役場による度に、記者会見が持たれ、ありがたいことに当時のお金で1000円程度の金一封の出ることもあり、出費が殆どないため所持金はわずかずつ増えてくれたのです。東京では、当時受験雑誌の雄、旺文社の雑誌のグラビアも飾らせてもらいました。


当時は、一級国道といえども舗装道路は東海道を中心とした短い区間だけで、宇都宮を過ぎた途端に砂利道となりました。
当然、タイヤのパンクは避けられず、計5回のパンクを経験しましたが、当初からの予定通り、パンクしたら自転車を手で押して自転車店のある町(村)まで歩かなければならず、時には数時間以上歩き続けたこともありました。


北海道の一級国道も全て砂利道で、北海道で一番困ったことは、トマトや牛乳などの食事を買えるお店になかなかありつけず、止むを得ず、道端の野イチゴで飢えをしのいたこともありました。


そして、とうとう、出発から28日目に目的の『日本最北端の地:宗谷岬』に到着したのです。 殆どが砂利道でしたので、時速10kmをちょっと超える程度のスピードしか出ませんでしたが、夜明けから夕刻まで毎日約12時間ペダルを漕ぎ続けたのです。 雨合羽などは用意せず、ビニール袋で後ろの荷物が濡れないようにしただけで、雨が降ったら体はびしょ濡れになりながら、ペダルの足は休めなかったのです。
帰りは、列車に自転車を積んで鹿児島に向かいましたが、先ほどお話した各市町村からの金一封の積立金のお蔭で、運賃を払っても約3000円程度残りましたので、完全な無銭旅行を達成できたのです。

この旅行から私は私のその後の人生を決定づけることになった大きな教訓を得たのです。
それは、このスライドに示しますが、

『目標を定めて進み続ければ、必ず目標に到達する』ということを学んだのです。
鹿児島を出発した次の日は、熊本県との県境にある赤松太郎峠、佐敷太郎峠、そして津奈木太郎峠の3つの峠(総称して3太郎峠)を越さねばならなかったのですが、いずれも山頂までくねくねと砂利道が続く難所で、しかも、想像を絶するような猛暑であったため、途中で熱射病になり、道端に倒れてしまいました。しばらくして意識が出てきて、湧水で頭を冷やし、再びペダルを踏み始めたのでした。目標の宗谷岬にたどり着けたのは、幾度ともなく遭遇した困難を前にしても、決して諦めずに進み続けたからです。進み続ければ、必ず目標に到達できるという当たり前の事を、身を持って体験できたことは大きかったのです。一日12時間が無理なら、8時間でもいいから、とにかく、進み続ければ、その分日数はかかっても、でも、必ずたどり着けるはずなのです。

それならば、

目標は可能な限り高く掲げた方がいい、と言えましょう!
ただし、目標が高ければ高いだけ、より一層の努力が必要になるのは言うまでもありません。
高い目標を掲げ、それに向かってがむしゃらに突進し、その目標に到達するまで突進を止めてはいけないのです。全力を傾けて進み続ければ、いつか目標にたどり着けると、自らに言い聞かせながら、進み続けるのです!


この絵は私の人生経験から描いたものです。何とか目標にたどり着いたところで、必ず次の目標が見えてきます。 そこで、その次の目標に向けて前進するわけですが、そこには深い谷や高い絶壁が立ちはだかり、簡単ではありません。私の人生のこれまでの歩みは、谷底に落ちて挫折したこともあったのですが、その都度、自分に鞭打って、次の目標に向かって這い上がって行きました。

以上の私の体験が、若い皆さんのこれからの人生行脚の役立つことを祈ります。というよりは、私のこの話を糧に出来た人は伸びてゆくでしょうし、糧に出来なかった人は、ただの人で終わるでしょう。 私は、納が成功したのは運がよかったからだと言われることがありますが、私はそれには異議があります。運は『はこぶ』と書いて『うん』と読みますが、運は自分の努力で運び込むものなのです。

以上、とりあえず、自転車旅行から得たものをお伝えしました。

あなた方若者に伝えたいことは、まだまだありますので、さらに[その2]以降の続編で話します。