思うこと 第300話   2014年12月12日(金) 記

『才能がないと自覚して努力』 萩本欽一の生きざまに感動


 日経新聞の「私の履歴書」に現在連載中の「萩本欽一」のある生きざまに心底感動したので紹介したい。
日経12月10日の「私の履歴書」: 萩本欽一はコメディアンを目指して、緑川士朗先生に弟子入りし、東洋劇場で修行を開始した。
修行を始めて3カ月ほどたったある日、緑川士朗先生に呼ばれて、次の様に言われた。「長年この仕事をしていると、良くなるコメディアンは1週間で分る。光るものがあるんだ。将来伸びる奴も1カ月もすればキラッとしたものが見えてくるんだ。ところが、おまえは3カ月たってもコメディアンの雰囲気が漂ってこない。おまえはまだ19になったばかりだ。別の道に進んだ方がいいぞ」
萩本欽一はこのクビの宣告に「はい」と答え、目の前が真っ暗になった。この話を萩本欽一から聞いた先輩弟子の池真一さんが緑川士朗先生にじき談判で次の様にお願いしたという。「確かにあいつは出来がよくないけど、あんなに気持ちのいい返事をする男はいない。『はいっ!』っていう元気な返事に免じて、しばらく辛抱して置いてやってくれませんか」。
池真一さんの意見を聞いて、緑川士朗先生は萩本欽一を置いてやることにした。
私が感動したのは、その後の萩本欽一の生き様である。
「僕はだめな男なんだ。才能がないんだ。優れた人はもちろん、普通の人より1歩、いや2歩下がったところから人一倍、努力しなけりゃいけないんだ。光るものがないなら、誰もやらないことを地道にやって先を走る人たちをじわじわと追いかける。それしか方法がないんだ」と覚悟を決めたという。
それ以来、朝8時に劇場に来て、誰もいない暗い舞台で1時間の芝居をひとりで演じることを毎朝休まずに続けたという。もちろん、朝稽古で急に上達するほど甘い世界ではなかったが、それでも、この様な地道な努力がその後の萩本欽一のコメディアン人生の足掛かりを作ってくれたことが、具体的に述べられていた。その詳細は、ここでは省くが、私が共感し感動したのは、才能がなければその分だけ人一倍努力しなければいけないという萩本欽一の覚悟と生きざまであった。
私自身も、同じように「才能のなさ」を自覚する度に、それを努力でカバーする生き方を繰り返してきたので、萩本欽一のこの生きざまに共感し、感動したのであった。