思うこと 第273話           2008年5月15日 記

「稲盛和夫のガキの自叙伝」を読んで

 『こてる先生の日記』 http://www.minc.ne.jp/~koteru/ は毎朝パソコンを開いた時に必ず読むとても楽しい日課となっていが、2008/05/01(木)付けの日記:「稲盛和夫のガキの自叙伝」には感激し、早速、以下のメールを送った。
『松原先生、今日読ませてもらった5月1日付の先生の日記:『稲盛和夫のガキの自叙伝』、 とても感動して読みました。早速今日この本を買いに行きます。この先生の文章、私の胸に響きました。私は稲盛氏を崇拝している人間の一人ですので(私のHPの思う こと第102話〜108話でも触れています)、私のホームページに先生の日記の文 を引用したいのですが引用を許可していただけますで しょうか?』 
即刻、引用OKの返事をいただいたので、以下に引用する。
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5月1日
「稲盛和夫のガキの自叙伝」を今2/3ほど読んだ。
日経の「私の履歴書」を大幅加筆したもので日経ビジネス文庫となって買いやすくなっている。
稲盛氏は言うまでもなく京セラの創始者で鹿児島市出身で鹿大の出だというのは当然知っていた。しかし比較的身近な人ながらどのような経歴かはほとんど知らなかった。
子ども時代は戦中戦後の鹿児島の話だから何となく雰囲気がわかる。鹿児島中学(のち玉龍高校)、鴨池球場、山形屋など。
大阪大医学部受験に失敗し当時県立鹿児島大学工学部に入ったのは後から思えば大いなる転機だった。
そもそも、家が貧しく下に5人の弟妹がいて、父親の「高校だけはというから許したら今度は大学か」といわれ進学あきらめかけた時に、校長の辛島先生の「稲盛君は他の生徒にない何かを持っています」との説得がなければ後の京セラ社長はなかった。ただ医学部に入っていればそれはそれで高名な医学者になったに違いない。というのもこの人、「狂」がつくほどの熱心さとあきらめのなさがあるからだ。「他にない何か」とはおおよそそこを指すのではないか。

大学卒業後、就職難の時期に採用してくれた会社は実は近所の人から「そんな遠くから来て、あんな会社におったら、嫁もきよらんで」と言われるほどの倒産寸前のおんぼろ会社だった。
同期5人は次々と辞めていき、稲盛自身も自衛隊に願書を出し合格するも戸籍謄本が必要なため兄に頼むがなかなか送られて来ない。実は「半年も辛抱しきれないとは」と兄に手紙を握りつぶされてた。(お兄さんもえらい)
転職叶わず一人取り残された彼はかえって吹っ切れ、ここは不平不満を言ってもしょうがないと研究に没頭するようになる。
ここの心の持ちようが大事だった。
いい実験結果がでるようになり、上司にほめられるようになり、仕事が面白くなって努力するとまたいい結果が出る。すると役員までほめてくれさらに高い評価受ける。好循環が生まれこの時が彼の人生の転機だった。
就職難の時は成績良くてもコネがなくては就職できず少々世の中を拗ね、いっそのことインテリヤクザにでもと天文館の組事務所の前をうろついたこともあったという。
身の不運を人のせい、世の中のせいにするか、ここは我慢と身近な努力を続けるかで百八十度人生は違うものにさえなる。

それと、この後会社を辞め独立せざるを得なくなるが、その時氏の情熱と人間性を見込んで投資してくれた人たちがいる。「この人たちがいなければ今の自分はない」と氏は言う。
確かにそうだが、私に言わせればやはりそうさせたのは稲盛氏自身の「人間力」だったと思う。
まだ全部を読んでいないが、頭の良さだけではだめ、情熱だけではだめ、人の良さだけではだめ、それらを合わせ持った人だったからこそ京セラやKDDIをここまで大きくしたのだと思う。
成功した人の伝記は面白い。できたら若い人が読むべきで私よりテルなどに読ませたい本だ。
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私は、仕事の帰りにオプシアMISUMIに寄ってその本を買った。

いつもなら一気に読み終えるだが、今回は所用が重なり、今日やっと読み終えた。
松原先生の日記のとおりすごい本だ。以前、稲盛和夫氏の著書『心を高める、経営を伸ばす』を読んだ時の感動が蘇ってきた(私のHPの思う こと第102話〜108話)。松原先生は若者にぜひとも読んでほしいと言っているが、私も同感である。何より、私自身、またもいろいろ教わった。
『熱い心』こそは大切ということを、改めて噛みしめた。
まだ読んでない方は、ぜひ、ぜひ、読んでほしい。