思うこと 第262話   2007年10月4日 記

上海「スペシャルオリンピクス」に招待されて−その5−
日本の「うだつ」は中国から伝わったのか?

 昨日は、上海郊外の知的障害者のためのセンターである『陽光之家』を視察したが、その本論は次回の−その6−にゆずって、まずは、その近くの古い街並みの残る朱家角の街で目に付いた建造物について語る。

朱家角は正真正銘の明清時代の町が残っているといわれている。
この街の散策で私にとって驚きの建造物を目にした。日本で美濃や徳島の脇町の古い街並みに残っている江戸時代の建造物『うだつ』に極めて似た建造物があったのである。

別な建物も示す(下写真)。

これら、家と家の境目に屋根つきの漆喰の壁が立っており、上方のみならず側方にも張り出しているから、日本の『うだつ』に似ている。
通訳に中国ではこれを何と呼んでいるのかと聞いたところ、『馬頭壁』だという。なるほど馬の頭の形にも見える。
ちなみに徳島の脇町の『うだつ』を示す。

『うだつ』は江戸時代の富豪商人が火災の延焼を食い止めるための防火壁として作られたものだが、見た目に美しい形に変わってゆき、そのうち富豪商人のシンボル的な意味合いまでもつようになった。『うだつ』を上げれる家はお金持ちということから、金のない、力のない男のことを『うだつの上がらない男』というような言葉が出来たといわれる。
 では、「中国の『馬頭壁』は日本の『うだつ』と同じ目的の構造物であろうか?」という私の疑問は、通訳の方が『馬頭壁』について詳しく知っていたので解消した。全く同じ目的で作られていて、しかも富豪商人の象徴としての意味づけまで同じという。『馬頭壁』は約1000年前、中国安徽省黄山市の東南に位置する西遞村で始まり、それが各地に広がっていったという。 言い伝えによれば、西遞村の始祖は唐代皇帝の末裔にあたり、唐朝一族の隠れ里とも呼ばれている。明代には中央で官職に就くものや商売で成功するものが増え、彼らは一族の名誉のために故郷に戻り、村おこしを行った。200棟余りの明清時代の民家が軒を連ねていて、家々には今でも「馬頭壁」が残っているという。
 日本の『うだつ』は江戸時代に始まっているから、中国の『馬頭壁』が日本に伝わったものが『うだつ』と呼ばれている可能性があると思われるが、このことについて正確なことをご存知の方がおられたらぜひ私にメールで教えていただきたい。