思うこと 第251話             2007年9月11日        

尊厳死を考える−その1−
何故、法制化が必要なのか!−その1−

 送られてきた『リビング・ウイル東海−29号−』(JULY.2007発行)の中の「体験談発表」(8頁〜9頁)における、実名入りのALS患者様の発言を読み、雷に打たれたようなショックを受けた。その患者様(50歳女性)は次のように発言しておられる。 
『ALSは手、足に麻痺(まひ)、嚥下(えんげ−飲み込み)困難・・・と症状は人様々なようです。私は小指、中指・・・と体が思うように動かなくなってきています。しかし頭ははっきりしており「このまま朽ち果てていくのか・・・」の気持ちを実感しています。気管を切開して人工呼吸器をつければ長く生きられるようですが、経済的な圧迫も否めない事実の一つです。症状が進んだ際、人工呼吸器をつけるか、つけないかの決断を迫られて一度つけると、医師は「つけた人工呼吸器を取り外して死を早めれば殺人罪に問われる」との思いから、取り外してくれないと思います。人工呼吸器をつける、つけないの判断問題ではなく、つけても、それをはずせる、という第三の道は認められないのでしょうか。例えば、娘が結婚するまでとか、夫が元気なうちはつけるとか。本人の意思があれば“途中で取り外せる”権利を認めて欲しい。呼吸器をつけるかつけないかの気持ちは揺れています。人工呼吸器をつけて懸命に頑張っている方への圧力となることは決して望みませんが、途中で取り外せる権利が認められれば、つけてみるかも知れません。現在の私の強い気持ちです。夫とは、第三の道がなければ多分、病状が悪化しても呼吸器はつけない・・・と話し合っています。』 この方がALSを発症したのは4年ほど前とのことで、写真で見るとすでに車椅子にこしかけておられ、不自由な手でマイクを握り、切々と訴えたと記載されている。私達、神経内科の専門医はこれまでに多くのALS患者様方の治療・療育指導にあたってきていて、臨床の現場でそれぞれの患者様において、呼吸器装着をするかどうかに関する患者様本人のぎりぎりの選択・決断に立ち会ってきている。そのたび毎に、私達の思いは、まさにこの“第三の道”が法的に保障されていれば、という無念なジレンマで、医師自身も悩みながら、患者様に決断してもらっているのが現実である。この方が述べておられるとおり、現今の法律と判例のもとでは、我々医師は、一度人工呼吸器を装着したら、例え患者様が希望されても、取り外すことは出来ないのが現状である。この患者様の言葉は“何故、尊厳死の法制化が必要なのか”について、我々の胸に突き刺さる形で答えてくださっているように思う。この体験談発表での日本尊厳死協会東海支部の青木仁子専務理事・支部長(弁護士・日本尊厳死協会常任理事)のコメントとして次のように記されている。「支部が現在、出版作業を進めている『不治かつ末期の具体的提案』の原稿の中でも、人工呼吸器の取り外し問題は焦点となりました。平成十七年の裁判例で、母親が息子の切なる願い「人工呼吸器を取り外して欲しい。」を繰り返し述べていることを遂に受け入れ、実行した事案が嘱託殺人として有罪判決で確定しています。息子は人工呼吸器を自分の意思で付けたのですが、付けてしばらくして、『人工呼吸器を付けたことは人生最大の失敗だった』とその苦しさ、辛さを語っています。皆で一緒に考えましょう」と。
 日本尊厳死協会東海支部は、日本尊厳死協会のなかでもとりわけ活発に活動している支部である。青木氏が述べておられる『私が決める尊厳死「不治かつ末期の具体的提案」』は、2007年7月20日に第一刷が発刊された。

編著――日本尊厳死協会東海支部
発行――日本尊厳死協会
発売――中日新聞社(952円+税)
著者――井形昭弘、山本\子、渡邊 正、井戸豊彦、益田雄一郎、荒川迪生、宮治 眞
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この本は、今後“尊厳死”について考える時のバイブルとなる本と思うので、購読をお薦めする。私は、この本を基にしながら、尊厳死について、この私のHPで今後論じてゆく予定である。